18話 1枚抜かれていた妃候補の書類
「やあ、おかえり。セアラ」
「た、ただいま戻りました……」
執務室に入るなり、ニコニコと気味が悪いほどに笑っているジョシュア殿下が私を出迎えてくれた。
部屋から出さないつもりなのか、するりと私の横を通り過ぎて扉の前に立ち塞がる殿下。
まさか……殿下ってばあれからずっと私を待ってたの!?
「遅かったね。さっきの話の続きをしたくて待ってたよ」
「フレッド殿下のことでしたら、あれ以上お話しすることはありません」
「へぇ……俺の記憶だと、何か言いかけていたはずだけど?」
「私の記憶にはありません」
ジョシュア殿下は頑なに話そうとしない私を見下ろして、どう喋らせようかと考えているようだ。
それが嫌というほど伝わってくるので、どうしてもその黄金の瞳から目をそらしてしまう。
なんで殿下はこんなにも聞きたがるの?
6歳の頃の初恋の人に似ていただなんて話、恥ずかしくてできるわけないじゃない。
どうしたらこの包囲網から抜け出せるの!?
そんなことを考えていたとき、執務室の扉がノックされた。
コンコンコン
「ジョシュア。私、マーガレットよ」
「!」
マーガレット殿下?
「……入って」
それまで笑顔だったジョシュア殿下は、めんどくさそうに顔を顰めた後、小さく返事をした。
それと同時に、赤いドレスを着た派手なマーガレット王女が部屋に入ってくる。
「失礼するわ……って、なんでこんなところに立ってるの!?」
王女は扉のすぐ近くに立っていたジョシュア殿下を見て、一瞬ビクッと肩を震わせた。
「なんの用?」
ジョシュア殿下はそんな王女の反応を無視して、ニコニコしながらも冷たく問いかけている。
ムッとした様子のマーガレット王女と喧嘩が始まるかと思ったけれど、意外にも王女は冷静にその問いに答えた。
「本当にかわいくないわね。私はセアラに用があってきたのよ」
「じゃあ、セアラになんの用?」
「あなたに言う必要はないわ」
「あるよ。セアラは俺のだからね」
俺の!?
堂々と言い放つジョシュア殿下を、呆気に取られた顔で見つめるマーガレット王女。
同じく頬を引き攣らせている私をチラッと見た後、王女は口元をヒクヒクさせながら殿下に視線を戻した。
「そんな態度だからあなたは……って、もういいわ。とにかくセアラを借りるわね」
そう言うなり、王女が私の腕を掴んで歩き出す。
「すぐに返してよ」
「わかってるわよ!」
……借りるとか返すとか、2人とも私のことをなんだと思っているのかしら。
なんだかんだ似たもの姉弟なのよね。
「ここでは話せないから、違う部屋に行くわよ」
「はい」
言われるがままついて行った先は、普段よく会議のときに使っている部屋だった。
バタンと扉を閉めると同時に、マーガレット王女が私の両肩をガシッと掴む。
「ねえ!! あの中にセアラの書類がないってどういうこと!?」
「え? あ、あの中?」
余程焦っているのか、マーガレット王女は私を前後にガクガク揺らしながら大声で質問してくる。
そのあまりにも早い口調と迫力と頭の揺れで、うまく考えることができない。
え? な、何!? なんの話?
「セアラの書類よ! 妃候補の中に、セアラの書類もあったでしょ!? それがなくなってるそうじゃないの!」
カタッ
その時、扉のほうから小さな物音が聞こえた気がしたけれど、王女の迫力がすごすぎてすぐに頭から消え去ってしまった。
わ、私の書類?
というか、ちょっと止まってぇぇーー!!
「マ……マーガレ……ット殿、下……」
「何!?」
なんとか声を絞り出すと、やっと王女は私を揺するのをやめてくれた。
ううう……頭が……クラクラするわ……。
えっと、なんの話だったかしら……?
たしか私の書類が妃候補の中にないって言われて……。
「……はい。私の書類は事前に私が抜いておきましたので」
私の実家、バークリー家は昔から王子の補佐官として働いてきた由緒ある公爵家の家系で、家柄としても王家との信頼関係にしても申し分ない。
そんな公爵家の娘である私も、当たり前のように妃候補の1人だった。
「どうして抜いたの!?」
「必要ないと思いまして。候補者が少しでも減ったほうが、殿下も選びやすいのではないかと」
「…………」
私の答えを聞いて、マーガレット王女が口を丸く開けたまま固まった。
ん? 抜いたらダメだったのかしら?
足の力が抜けたのか、王女がフラフラと歩いて壁に寄りかかった。
顔色は青くなっていて、どこか遠い目をしている。
「だからジョシュアは候補を選んでいないのね……。いくら担当がセアラになったからといって、それだけで選ばないのはおかしいと思ってたのよ……」
「マーガレット殿下?」
「こうなったら2人に任せるしかないってお父様は言ってたけど、本当にこのまま何もしなくて大丈夫なの……?」
「あのーー?」
声をかけてみるけれど、今の王女には届いていないらしい。
壁にピタリとくっつきながらブツブツと独り言を呟いている。
どうしましょう……。
仕事も残っているし、もう戻ってもいいかしら?
黙って王女を置き去りにしていいものかと迷っていると、ハッと我に返った王女が壁から離れてまた私の目の前に立った。
「セアラ。まだ間に合うわ! あなたの書類を妃候補の中に戻すのよ!」
「え? でも、戻したところで何も変わらないと思いますが……」
「ジョシュアがあなたを選ぶかもしれないじゃない!」
殿下が私を選ぶ?
「それはないですよ」
「どうしてそう言えるの!?」
「だって、殿下にとって私はただの部下であって女ではないですから。私が候補に入っていたら、きっと嫌がると思います」
「そんなことっ──」
ガチャ!!
「!!」
そのとき、部屋に響き渡るほどの大きな音を立てて扉が開けられた。
扉の奥には、笑顔を作ることすら諦めたような冷たい表情をしたジョシュア殿下が立っている。
「で……殿下?」