16話 名前も知らない初恋の男の子
「ふぅ……」
自分のベッドにゴロンと横になり、懐かしい天井を見上げる。
もう夜も遅い時間になってしまったため、今夜はこのまま実家に泊まって明日の朝早くに王宮に帰る予定だ。
フレッド王子を見送った後、一気に疲れが押し寄せてきた。
……結局、あの教会に行ったかどうかは聞けなかったなぁ。
思い出の男の子と似ていると思いながらも、確信を得るための質問はできなかった。
どこかスッキリしない気持ちを抱えて、ボーーッとベッドに体を預ける。
「でも、もしあの男の子がフレッド殿下だったとしても、今さら何を話せばいいのか……」
そう呟きながら、そっと重い瞼を閉じる。
意識が薄くなっていく中、頭の中にはあの古い教会が浮かんできた。
──今から17年前。
私が6歳の頃、バークリー家の領地に新しい教会が建った。
正確にいうと何百年も前からある教会があまりにも古くなってしまったため、新しく立て直したのだ。
広く綺麗な教会に人々は歓喜の声を上げた。
私の姉も両親も新しい教会に目がいく中、私だけが古い教会に釘付けになった。
なんて素敵なのっ!!
まるで幽霊でも出てきそうな趣のある建物。
所々が割れている窓からは、ボロボロになった中の様子が見える。
「お母様っ! 私、こっちの教会に行きたいわ!」
「ええっ? セアラ、そっちはもう壊す予定の教会なのよ。こっちの綺麗な教会の中に入ってみましょう?」
「いやっ! 私はこっちに入りたいの! お願い。私だけこっちに行ってもいいでしょう!? まだ開放前だから誰もいないんだし!」
「んーー……困ったわね」
昔の私は、年の離れた姉と優しい両親に甘やかされていたせいか物怖じしないワガママな性格だった。
天真爛漫だとよく言われていた気がする。
一度言い出したら聞かないことをわかっている両親は、従者を私に付き添わせてお願いをきいてくれた。
「わあ……! 中も素敵ね!」
目を輝かせてそう叫んだ私を、従者が首を傾げながら不思議そうに見つめてくる。
無理もないだろう。
その古い教会は穴のあいた壁や屋根から陽の光が差し込んでいて、割れた木の椅子や破れた絵画が並んだ異様な空間だったのだから。
なんて神秘的な場所なの! 素敵!!
「セアラ様、足元にお気をつけください」
「わかってるわ」
扉付近に立っている従者に応えながら、中にゆっくり進んでいく。
ギシギシと音を立てる床も埃の積もった汚れた椅子も、私にとってはめずらしくておもしろい。
こんなに汚れた場所、今まで入ったことがないわ。
まるで本の中の冒険者にでもなった気分……!
「ん?」
そのとき、長椅子の間に男の子が体勢を低くしているのが目に入った。
入口から見られないように隠れていたのだろうけど、真横を歩いている私からは丸見えだ。
「!!」
男の子は私がすぐ横で立ち止まると、ビクッと肩を震わせた。
前髪で目が隠れているため、私を見たのかどうかはわからない。
……なんでここに男の子が?
この教会はまだ一般市民に解放していないはず。
身なりからして、平民の子が忍びこんだとも思えない。
お父様のお知り合い? ……の子ども?
「ねぇ……」
そう声をかけようとした瞬間、入口からガタッと大きな音が聞こえた。
なんの音かと従者がキョロキョロと辺りを見回している。
「何……?」
「おい!」
「!」
気を取られていた私に向かって、男の子が小さな声を出した。
入口までは少し距離があるため従者には聞こえていないだろう。
「俺がここにいることは誰にも言うな!」
「…………」
「わかったな」
ボロボロの椅子の上で体を丸めて隠れているというのに、やけに偉そうな態度だ。
そのチグハグな姿がおもしろくて、私はコクッと素直に頷いた。
変な子……!
それが私と男の子の出会いだった。
毎週末、家族で教会に行くたびに私は古い教会に……あの男の子に会いに行った。
従者には扉の外で待っててもらい、誰にも内緒で2人だけで1時間ほどおしゃべりしたりお菓子を食べたりした。
どこの誰かも、名前も、ちゃんとした顔すら知らない男の子。
なぜかそれがおもしろくて、私も本当の名前は教えなかった。
「君、いつもいるね。毎日来てるの?」
「週に1回だけだ」
「じゃあ私と同じだね」
男の子はいつも真顔でどこか冷めたような態度だったけど、私が質問をしたら必ず答えてくれたし隣に座っても嫌がらなかった。
可愛がられて愛されることに慣れていた私にとって、その男の子の態度は新鮮で楽しかった。
「今日はクッキーを持ってきたよ」
「お前の菓子は甘いから嫌いだ」
「そうかなぁ? 甘くて美味しいのに」
「舌がバカなんだな」
「ひどいな〜もう!」
ほんっとに口も態度も悪いんだから!
「じゃあ今度は甘くないお菓子持ってくるね!」
「…………」
「何?」
男の子は何か言いたそうに口を少しだけ開けて、こちらに顔を向けた。
長い前髪の隙間からたまに目が見えるときもあるけど、一瞬なのでハッキリとは見えない。
「お前ってほんと変なヤツ」
「君に言われたくないよ」
「怒りながらも、次は甘くないお菓子を持ってくるって……なんでそんな発想になるのか理解できない」
「どうして? だって美味しいと思ってもらえるものを食べてほしいじゃない」
「……怒ってたら、普通はもうあげたくないとか思うものだろ」
そうなの?
男の子は私をバカにしているようでいて、どこか喜んでいるような気がした。
口元はあいかわらず笑みすらない無表情だし言い方もぶっきらぼうだけど、声が優しい。
「私はこれからも君とお菓子を食べたいよ」
「……そうかよ」
「次は甘くないお菓子を持ってくるから、一緒に食べようね」
「……ああ」
その約束を最後に、男の子は教会に来なくなった。
古い教会が壊されるまで通い続けたけど会うことはできず、約束は叶わないまま終わった。
ただ、来なかった約束の日に、いつもその男の子が座っていた椅子の上にブローチが置かれていた。
私の瞳の色──紫色の宝石がついた、可愛らしいブローチ。
手紙も何もなかったけど、あの男の子からの贈り物だと思ってる。
今も大事に持っている私の宝物だ。
*
「…………んん?」
まだ重い瞼を擦って半分目を開けると、いつもとは違う天井が見えた。
それが実家の部屋の天井だと気づき、慌ててベッドから飛び起きる。
「今、何時!?」
時計を確認すると朝の4時半だった。
ここが王宮であれば問題ない時間だけど、実家となると完全に寝坊だ。
大変!
朝のスケジュール確認に間に合わないわ!!
私はすぐに着替えを済ませ、両親へ挨拶をするなり馬車に駆け込んだ。
遅刻をしてしまうという恐怖と焦りで、昨夜懐かしい夢を見たことはすっかり頭から消えていた。