11話 秘書官を辞めたいです
「おはようございます。セアラ秘書官」
「あ、おはようございます。トユン事務官」
次の日の朝。
執務室で本日のスケジュールを確認していると、トユン事務官がやってきた。
丸い眼鏡をキラッと輝かせて、今日もいい人オーラが溢れ出ている。
「今日、会議はありますか?」
「ないですよ。今日は『冷徹事務官』の登場もなさそうですね」
クスッと笑いながらそう言うと、トユン事務官は恥ずかしそうに頭を掻いた。
「あはは。良かったです。今朝も、すれ違った男爵子息様に真っ青な顔で挨拶されてしまって……」
「ふふっ。もうだいぶ有名になっていますからね」
「王宮内は堂々とした態度で歩かないといけないので、結構疲れるんですよ。そういえば、殿下の妃候補の方は決まったのですか?」
「それが、まだなんです。殿下ってば、選ばないどころか書類を見てもくださらなくて……」
シュンと話す私につられたのか、トユン事務官の眉も下がって困った顔になる。
「そうですか。やはり想像していた通りでしたね。あの殿下ですからね」
「はい。あの殿下ですから」
「どの殿下だ?」
「!!!」
そのとき、突然ジョシュア殿下が背後に現れた。
ジョシュア殿下!!!
また音もなく部屋の中に……!
一気に真っ青になる私とトユン事務官。
ジョシュア殿下はいつも通り爽やかな笑顔の仮面を貼り付けている。
「いや~。長いこと一緒に仕事をしている2人が俺の話題で盛り上がっているなんて、本当に嬉しいよ。……で、『あの殿下』とはどういう意味なのかなぁ?」
「そ れ は……」
私よりも殿下と近い距離にいるトユン事務官が、言葉に詰まっている。
ハンカチを差し出したくなるほど、その顔からは汗がダラダラと流れていた。
トユン事務官はウソが苦手だもの。
ここは代わりに私が……!
「思慮深く、未来を見据えてじっくりと物事をお考えになる殿下──という意味です」
「……そうか。なるほどね」
「ええ。他に意味なんてないですわ」
ふふふ……と殿下と2人で笑い合う。
もちろん2人とも作り笑いであるし、それをこの場にいる全員がよくわかっている。
もう! ウソだとバレてても、こう言うしかないじゃない!
というか、つい最近もこんなやり取りをした気がするわ。
トユン事務官から感謝の視線を感じつつ、私は話題を変えるため殿下に書類を差し出した。
また新たに考えた候補者たちのリストだ。
「というわけで、じっくりと物事をお考えになる殿下。そろそろ妃候補の方を決めていただけますと……」
「まだじっくりと考え中なんだ。だからまた今度な」
ニヤッと挑発するように口角を上げるなり、ジョシュア殿下がわざとらしい口調で答える。
「ですが、せめて1人だけでも」
「まだ未来を見据えている途中だから、今は無理だ」
うう……!
さっきの私の言葉を利用して、うまく逃げてるわ……!
ジョシュア殿下は『勝った』とでも言いたげな顔で、颯爽と自分の席に座った。
どうやら今日も候補者を選んでくれる気はないようだ。
トユン事務官もいろいろと察したのか、すでに席について自分の仕事を始めている。
はぁ……私も他の仕事に取りかかったほうが良さそうね。
あっ、でもその前に……。
自分の席に戻ろうとして、ジョシュア殿下の机の前に向かう。
「殿下。今、少し個人的なお話をしてもよろしいでしょうか」
「なんだ?」
ジョシュア殿下は目の前の書類から目を離さずに答えた。
あまり興味がないらしい。
こんな状態で言うのもあれだけど……まぁ、いいわよね。
こういうことは、少しでも早く伝えたほうが仕事の調節もしやすいし助かるはずだもの。
私はこちらを見ないままの殿下に向かって、昨夜の決意を口にする。
「殿下の婚約者が決まりましたら、秘書官を辞めさせていただきたいのです」
「!?」
ペンを走らせていた手が止まり、ジョシュア殿下がバッと顔を上げた。
丸くなった黄金の瞳が私を捉える。
その綺麗な瞳をそらすことなく真っ直ぐに見つめ返すと、殿下がボソッと小さな声で問いかけてきた。
「……なぜだ?」
「結婚に向けて準備するためです」
「!」
私の発言を聞いて、ジョシュア殿下は持っていたペンを床に転がし、トユン事務官はガタッと大きな音を立てて椅子から立ち上がった。
なんだか……すごく驚かれてるわ。
2人から異様な視線を感じる。
何かしら……と思っていると、ジョシュア殿下が口を開いた。
「結婚するのか? ……誰と?」
「え? ……あっ」
そっか! 結婚準備って言ってしまったから、すぐに結婚すると思われたのね。