自我
私は時々、このように思うのです。それは「自身の不出来に気付いた幼い頃に、どうして自らの命を断ち切っていなかったのか」ということ。とはいえ、幼い頃に誰かに虐められた訳ではなく、指摘された訳でもなく、ただ「自分は不出来だ」と気づいていたのです。それは健常な人間が、当たり前のように行っている事が出来ないという、劣等感が元凶となっている、自己否定の感覚なのでしょう。
生み出してくれた両親が存在する以上「生まれてくるんじゃなかった」と言えるほど傲慢にはなれませんが、この世界で最も身近な否定論者である自分に、辟易するのです。勝手に思わせて欲しいのは、私なんぞという小さな存在が、誰かの人生に影響を与える前に、どうして自らを殺していなかったのか。未知であっても構わない筈だった、様々な感情や人間を知る前に、無能な私は、どうして死んでいなかったのか。
死にたくないから意味なく生きて、仕方なく生きているうちにまた、死にたくなくなる。いっそのこと、考える頭も、感情も、命も。私自身が気付かないうちに、消えていて欲しいと、そんな風に思うのです。
今でも、みっともなく生にしがみつき、恥を晒し続ける事が、どうやら私に出来る最後の抵抗のように、思えるのです。とはいえ、執筆に対する熱意すらも失った今、どうやらそろそろ、限界のように感じます。つまり、書き残した作品が、心残りですらなくなっているのです。
何故、あの時、死んでおかなかったのか。私が思う事は大抵、未来や希望ではなく、過去である。




