自分語り
他人に自分の事を語るのは、なんだか恥ずかしい事だと思ってしまっている。だから小説という形をとり、伝えたい事や自分の考えを書いていたのだが、今回は匿名という仮面を被って書かせて貰おうかな。
世の中でいう所の「キレる」という言葉。アレ皆簡単に使ってるけど、本物の「キレる」という感覚を知らないのだろうなと思う。キレたらまず、言葉や自制というものは全て吹き飛ぶ。視界が狭まり相手の顎先や関節しか見えなくなり、そこを破壊する方法がイメージとして湧いてきて、いつの間にかそれを実行している。動物にとっての根源である本能。その中にある暴力衝動。それに思考全てが奪われてしまうんだよね。驚いたのは「喧嘩商売」という漫画作品の「無極」という技。アレはまさに「キレる」というものだった。
だから「キレて言葉でせめる」というものは存在しないとナガスは思っている。それは「憤っている」や「怒りを吐き出している」と表現したほうがいい。怒りとキレるは、マジで別物。
だから某レスラーの一発ギャグ「キレてないっスよ」は、正しい。
ここから自分語り。
高校生だったナガスは、年一でブチキレるけど、普段はおとなしい。付き合う友人は勉強出来るマンばっかりだった。その中の一人は防衛大入るくらい。ナガスは脳筋のくせに知識欲が強くて、色々教えて貰ってた。そういう人達って人当たりがよくて、付き合いやすいんだよね。
部活引退した後、ヒマだからウエイトリフティング部に勝手に顔を出して一緒に筋トレしてた。受験そっちのけ。純粋に筋肉求めてる人も人当たり良いと思う。全く接点の無かったナガスが顔出しても、歓迎して慕ってくれたよ。
そんな中、人生で二人目の彼女が出来た。
コレは余談で、誰かは秘密だけど、書いた小説の中に彼女をモチーフにしたキャラがいる。ダンテが神曲の中に「永遠の淑女」とか言って初恋の人を登場させた気持ちが、すげー分かるの。「この人のこの素晴らしさを、どうか知ってくれ!」ってマジで思う。人として尊敬出来る人だったなぁ。
ある日突然、その彼女が「ナガスは産まれる時代を間違えた」って言ってきたんだよね。どういう意味かと訪ねたら「ナガスは正義のためなら人を殴ってもいいと思っている」と返答されて、脳がバグったのを感じたよ。どうやらナガスの噂話を聞いたらしい。他にも色々言われたけど、割愛。
別に殴っていいだなんて事は思ってもいなかったし、粗暴な奴はナガスの嫌う所だった。だけど彼女の目には、ナガスも暴力を行使して相手を従わせる人間、いわゆる不良と同じように見えていたんだと、その時に知ったよ。
誤解のないように言っておくけど、彼女に手を上げた事は一回もない。頭がよくて博学な彼女の事を尊敬してた。接していると穏やかな気持ちにさせてくれる、優しくて温かい、心の支えだったよ。
そんな彼女を失うことが怖くて「もうしない」と約束したんだけど、サガというものはそう簡単に抑え込む事が出来ないもので……前にも書いた通り、コンビニで酔っ払いを取り押さえたんだよ。店長とオバちゃんからは感謝されたけど、彼女に話すと「なんで暴力で解決するの」と説教された。ナガスはてっきり褒めて貰えるもんだと思っていただけに、すげーショックを受けたのを覚えてる。
彼女曰く「相手がナイフを持ってて刺されたらどうするの。相手を落ち着かせて穏便に済ませるほうがよっぽど立派な行動だ」だそうだ。
今ならその意見に反論も肯定も出来るけれど、その時は否定された事に対するショックで呆然としてしまった。
その後お互いの心の距離が離れて別れたんだけど、それからは彼女の言っていた事に対して考える日々が続いたよ。
そして思ったのは、きっと普通の人は「暴力」という選択肢そのものが無い。という事。
幼い頃から暴力を身近に感じていると、一般の人が考えつく解決策とは別に「暴力」というものが加えられ、その「暴力」を行使するにつれ安易に「暴力」を選択するようになっていく。そしてそれは、年を重ねれば無くなるというものでもなく、恐らく一生、付き纏う選択肢なのだろうなと思う。
今はその元彼女のお陰で十数年、暴力を振るう事なく過ごせているが、今でも不条理な場面に遭遇すると、理性を失いそうになる時がある。心の声が暴力を肯定してこようとする。
そんな時は「あの時の彼女は今、幸せだろうか」と思うようにして、なんとか理性を保つ。そんな日々。
アンチクライストのナガスがあえて神を持つのなら、彼女だなと、思うのです。