イキリオタク
よくイキリオタクが「気がついたら俺をイジメていた不良共が這いつくばってた」とか、キレて意識が無かった風に表現するけど、そんな事は絶対にない。少なくとも、ナガスがかつて経験した事はない。殴る時は殴ろうと思って殴るし、その時の事は必ず覚えている。人生でそうそうある訳ではない「殴る」という行為、忘れないよ。
ただ、思考が一瞬にして変わる事はある。外国のドキュメンタリーやドラマや映画で、暴行を働いた男が「俺に悪魔が乗り移ったんだ」と頭を抱えながら懺悔をする場面があるけど、そう表現したくなる気持ちが凄くわかるのよ。圧倒的な破壊衝動が湧き上がり、それらに思考を支配される。相手がクズのように思えてしまい、殴る事が正義の行いのように感じる。そして結果殴り、相手が地面にひれ伏した時に「コイツはこんなに惨めな姿になるほどの悪人だろうか?」といった思考が産まれ、頭に上っていた血がおりて、非常に冷静な自分が状況を整理しようとする。とはいえ、殴った事により気持ちはかなりスッキリとする。この事で問題となり自分が責められても、それは自業自得かなって思えるんだよ。
それがキレるということ。意識は絶対にあるし、その時の自分を思うとどう考えても異常だし、イキりながら草を生やすようなものではない。チカラの誇示は恥ずべきもの。「強い」だなんて思われたくない。こんな事のために鍛えている訳ではない。もし仮に意識を失い不良を殴り勝利して、それを誇っているのであれば、それは間違いなく病院行きだと思う。殴った時のあの感触。正義感と罪悪感。インパクトの瞬間に訪れる、なんとも言えない多幸感。そして、それを悪性のものだと否定する思考が無いのであれば、どうぞ心療内科へ行ってください。
ナガスが粗暴なものを嫌う理由はここにあるんだと思う。「人に対して敬意を抱け」とまでは言わないが、不必要な敵意は向けるべきではない。そう思うのです。
とか言いつつ、前の記事でソクラテスさんに対して敵意向けまくりだったけどね。でもソクラテスさんは二千五百年前にはお亡くなりになっており、もはやソクラテスという概念となっているからセーフということで。




