みんな望まれて生まれてきたんやで
ちょい前に話題になったタグである「みんな望まれて生まれてきたんやで」。
とある映画のプロモーションとして作られたツイッターのタグなんだけど、産まれに恵まれなかった方々がこれに大反論で大炎上したらしい。
人間が耐えられる痛み度数の単位は忘れちゃったけど、度数で言えば出産は57だったかな。ちなみに人間が耐えられる痛みの限界は50らしい。金的で52っていうから、出産は相当痛いのだと推察は出来る。
楽園追放された際に神からの呪いのひとつ、産みの苦しみ。それを覚悟して、望んで産む……それはそれは大変な事だとは思うし、否定されるべき事ではないとは思ってるよ。だけど「みんな望まれて産まれてきた」のクソデカ主語がシャクに触るよね。配慮が足りないといえばそうなのかも。
不幸自慢は好きじゃないし、他の人達からしたら大したモノじゃないとは思うけど、ナガスは基本殴られて育ってきたし「女の子を期待していた」「エリカちゃんという名前も決めていた」と何度も言われてたし、山の中に捨てられた事もあるよ。素っ裸で北海道の冬の夜中に外にほっぽり出された事だってある。未だに思い出せるという事は、ちょっとしたトラウマにはなってるのかもね。だから怒る気持ちはわからないでもない。
ただ、そんなに配慮されたいか? 被害妄想が過ぎないか? あくまで「望まれたから産まれた」と言ってるだけで「親に感謝しない奴はクズだ」と貴方を責めている訳ではないんだぞ? とも思う。
発言を禁止されている訳ではないのだから、声をあげて、配慮ではなく理解を求めるほうが有意義だとナガスは思うけどなぁ。喧嘩腰に挑むとどこかで反感を買う。結果また下らない論戦となり、勝者と敗者という図式が出来上がる。そして悲しい事に、感情論である側は敗北者のレッテルを貼られちゃうんだよ。何度この不毛なやりとりを繰り返すつもりなのか。
どうでもいい愚痴は吐けるけど、本心の弱音をナガスは誰にも言えないし、この場にすら書けない。故に、弱さを見せられる人は凄い勇気を持っていると思ってる。なので配慮され「触れられない」ようになるのではなく、正しく理解される事を願っています。




