最近話題の彼について
推論や個人の意見、見解が多分に含まれています。故人の方を貶める意図はありませんが、それは受け取り方次第という事も承知しております故、予めあやまっておきます。気を悪くさせたらごめんね。
以下、本文。
自殺した某有名インフルエンサーさんについて話します。
「かわいそう」や「暴言酷い」「規制」だけでは何の進展もないので、多少踏み込んで考える必要があると思うのですよ。
彼は自己矛盾に耐えられなくなったのだろうな。というのがナガスの見解です。罵詈雑言に屈したのではなく、グゥの音もでないほどの正論に屈したんだよ、きっと。正論はよく知らない人の「死ね」という言葉より、よっぽどしんどい。何故なら正論は、自分の中にも有る価値観だから。
自身の持つ影響力をお金に変える仕事をしていた彼は、たとえ否定論者だとしても、集まってくれたオーディエンスを拒否する事は出来ない。そして彼の身近な存在である人らが彼の行動を正当化するためには、超えるべき「一般論」や「正常な判断」や「敵に回したくない人達」が多すぎて、彼の擁護が出来ないでいた。
「正しい事」だと自分で信じていた自由意志は、世間の感覚からあまりにも剥離した価値観であった……そこに「親としての責任。夫としての責任。性自認の後出しジャンケンは卑怯。その果てに離婚」なんていう事を言われたらさ、自分が間違っているように感じるよ。これがナガス自身だったとしても、どんな詭弁を使おうが反論出来ないし自己肯定出来ない。心ボッキボキに折られる。
本当に「自分の考えが正しい」と思っているなら立ち向かえるのかも知れないけど、恐らく自己矛盾に陥っちゃったんだろうね。つまり「本当ではなかった」んだと思う。罪の意識すら芽生えてこの世に絶望したのかも。
と、勝手に推察してます。
今回の報道でナガスが彼に対して抱いた疑問は、大抵の人が欲望を抑えて生きていて、それで世の中が回っているのに、何故、我慢が出来なかったのだろう? ヒーローになりたかったのだろうか? 今まで長い年月をかけて構築されてきた世の中の価値観を変えられるとでも、本気で思っていたのだろうか? パレートの法則の上位に運良く入れた人は、自分のチカラを過信しているという事実を知らなかったのか? それとも知っていて尚「自分は違う」と思っていたのだろうか? それが不幸の始まりとも知らずに?
それでも理想を実現したいと思うのなら、さらなる影響力が必要であるし、落ち度と矛盾はあってはならない。少なくともそう見せなければならない。教祖のように。割とマジで「多様性教」でも作ればよかったんじゃないかなって思うよ。
もしくは全てを諦めてタレントを辞め、違う職につく……のは無理か。一度味わった甘い汁と承認欲求には抗えないだろうし。
それと、多様性なんてものは矛盾がなければ成り立たない。つまり「多様性を認めない人を認めない」とかいう訳わからない理論を本気で推し進めなきゃ変わらないし、多分その価値観が人類に浸透する時には、今生きてる人間は全員死んでる。
しかし、叩く人はよくそこまで他人の行動に興味がもてるなぁという印象。正直、彼や他の誰かが何してても「死ね」と伝えられるほど関心は持たないです。五秒くらい「うわー」って思って、すぐ忘れる。今回はあまりにも報道がデカくて記事読んじゃったけど、そうじゃなきゃ知りもしなかったろうなぁ。
いちいち関心を寄せる人は、ネット上の人や出来事を、偶像かフィクションだとでも思っているのかね。続編来た! ってな感じで。ポジティブな事もネガティブな事も。
それについて思う事があって、格闘技を習っていたナガスの感覚では、サンドバッグと人の肉とでは、殴った感覚は別物なんだよね。ドラマやアニメのキャラを批判するより、現実に居る人間を叩くほうが気持ちいいのかな。とは少し思う。
こわいね、人間。おそろしい。
最後に。
人は死んで聖人になる訳ではない。死は死。故人を思うなら悲しんであげればいい。残された家族が不憫なら手を差し伸べてあげればいい。承認欲求でも自己顕示欲でもいい人アピールでも何でもいい。それで故人の魂が慰められるなら動機なんて関係ないよ。本質は鎮魂。
ただ、彼の死を利用して多様性を推進しようとする人らはマジ畜生だな、人の死を道具扱いしてんなぁと思う。
それもまた愚かしくて人間らしくて、誤解を恐れずにいうと、好きです。