9.癒しの村の人々
宿に戻ると、ナミの母が座敷の囲炉裏で、お茶を沸かしていた。
私たちが座敷に入ると、気配で感じたのか、ナミの母はにっこりと笑顔を見せた。
「お帰りなさい。そろそろ帰ってくる時間だと思って、お茶菓子を用意しておきました」
そう言って、お茶を2人分淹れて、座布団の前に置いた。
私とアキヲは、促されるように座布団に座り、茶を飲んだ。二日酔いに、お茶が優しく染み込んでいく。
「紗羅さんと話してきました。この村の人たちについて、知りたいのですが。」
アキヲは、茶を一口飲んでから、口を開いた。
「癒しの村のしきたりのことは?」
ナミの母は、ゆっくり口を開く。
「聞きました。誰かのためになることをすること。自給自足で、電気もガスも金の流通もない。まるで原始の世界だ」
アキヲは苦笑をしながら話す。まだ、癒しの村の掟について、受け入れられない様子だった。
「私たちの食べ物は、田村さんがいつも届けてくれます。水は井戸からくみ、火をおこして湯を沸かします」
「田村さんが、田畑を耕している?」
私は、2人の会話に割って入る。いつもアキヲが会話のイニシアチブをとる。自分1人が蚊帳の外であるような感覚が、嫌であった。
私は今までいつも受け身だったけど、少し我がでてきたのだろうか。なぜだろう。
「田村さんは、運んできている人です。畑と田んぼの稲作は、何人かで耕しています。教会を上がって行ったところに、長屋がいくつかあり、そこに集団で住んでますよ」
ナミの母は、私のほうを向いて、ゆっくり説明する。忙しなさが全くないのが良い。
「なるほど。みんな何かしらの役割があるんだな。他の住人は何を?」
アキヲは頷き、会話をつなぐ。
「この癒しの村は、50人ほどの住人がいます。畑と田を耕す人が15人ほど、重度の脳性麻痺の子が5人、その子を世話する人が5人ほど、運ぶ人が3人、宿屋の私たち家族が3人、紗羅さんたちシスターが3人、捨てられた子どもたちが10人、その子を世話する人が3人、道を整備したり、村の困ったことを聞いて世話してくれる人が5人程です」
ナミの母は、指で数えながら、癒しの村の人々について話した。
「重度の脳性麻痺の子や子どもたちもいるの?」
「そうです。癒しの村は、社会で生きていけない人たちの集まりです。脳性麻痺の子や子どもたちを世話する人たちも、鬱病やホームレスなどで社会で生きづらい人たちが世話しています。リサさん、アキヲさんも、そうですよね?だから、癒しの村にやって来たのですよね」
ナミの母の話は、長かったが、一言一言が私の胸に響いて入ってくる。
そうだ、私も社会で生きていけなくて、自殺サイトの癒しの村のメッセージにしがみつき、ここまでやって来た。
「なんで、そんな村を作った?」
アキヲは、私とは逆で、癒しの村に対して、嫌悪感を露わにしていた。こめかみには薄ら血管が浮き出て、眉は険しそうに上がり、苛々と貧乏ゆすりを始めている。
「紗羅さんたち、シスターが村を立ち上げたと聞いています。詳しくは、私にもわかりません」
ナミの母は、アキヲの苛立ちを感じ取ったのか、恐る恐ると口を開いた。
アキヲの機嫌を配慮するかのように、茶菓子を差し出す。
「これは、よもぎ餅です。どうぞ、良かったら食べてください」
ナミの母は、そう言って、私の茶をつぎたした。アキヲは、一口しか茶に口をつけていない。
「人は自分のために生きる権利がある。こんな人のためだけに生きる村は、怪しすぎる。科学を排除し、何をするつもりなんだ」
アキヲは、ナミの母が差し出してくれたよもぎ餅には見向きもせず、毒を吐きてるように言った。
「私たち親子は盲目です。社会から逃げるようにここにやって来ました。この村には私たちの居場所があります」
ナミの母は、アキヲの言葉を否定も肯定もしなかった。アキヲは聞く耳もたずに、囲炉裏を一点に見つめている。
「では、ゆっくりお過ごしください。何かわからないことがあれば、何でも言ってくださいね」
ナミの母は、会釈をして、座敷から出て行った。
私とアキヲの間には、しんと沈黙が広がる。よもぎ餅を一口齧ると、口一杯によもぎの香りが広がる。よもぎを味わったのは、初体験だった。緑の匂いが、香る。
「まだ日が出ているから、散歩してくるね」
よもぎ餅を食べ終わり、私がそっとアキヲに言うと、アキヲからは何も返答がない。
私は立ち上がり、座敷から出たが、アキヲは追って来なかった。