獅子宮 1
短いバカンスを終えたシャッカスとフレデリクは足繁くかれの研究室に通い、数学だけでなく英語なども教わっていた。シャッカスもそれに応えて様々な英文学を教えた。
夏休みも終わり生徒が寮に戻ってきた。
それぞれ学年が上がり、新入生が入ってきた。寮ではすでに歓迎会が開かれており、フレデリクも朧気ながら顔を覚え始めていた。
その中でもひと際人気の高い新入生がいた。亜麻色ですこし天然パーマがかかった可愛らしい男の子、ダミアンだった。
まるでアイドルのように皆からちやほやされている様子ははたから見ていて滑稽だなとフレッドは笑っていた。しかし当の本人は取り巻きなど気にせず、無邪気な少年らしくすべての人間になついているようだった。
「先輩って読書クラブなんですよね?」
そういって話しかけられたのはある日の夜だった。ダミアンは人懐っこい笑みを浮かべていた。
「そうだけど、どうしたの?」
「僕も読書クラブに入ろうと思ってるんです。よろしくお願いしますね」
「ああ、よろしく」
失礼にならない程度の笑みを返してダミアンは部屋に戻っていった。
「なんだか、彼すごい人気だね」
「高嶺の花フレッドか、野に咲くダミアンかって感じ」
「なにそれ」
たまたまそれを見ていたエクトルにそんな冗談を言われて二人はけらけらと笑っていた。
それから数日して本格的に授業が始まった。教師の顔ぶれには変化がなく授業も内容こそ少し難しくなったものの特に変りもせず進んでいた。
読書クラブの集まりも相変わらず毎週金曜日に図書室で行われた。代わったことといえばそのメンツに数人の新入生が加わったことだった。そのなかにはダミアンも含まれている。
今回の集まりは新入生との顔合わせが主であり、ジャソンからの活動内容の説明と歓迎の言葉、次回以降の課題図書の選定などが行われた。
次回の課題図書はジョージオーウェルの「夏への扉」となった。まずは新入生の何人かに課題図書が貸し与えられる。
フレデリクは相変わらず図書室で本を選んでいた。他のSFを読もうと物語の棚をじっと見つめている。すると本棚の陰から話し声が聞こえた。
「シャッカス先生はどんな本がお好きなんですか?」
そこにはダミアンがニコニコと立っていた。相変わらず人懐っこそうな子犬のような顔であった。
「最近はあまり読んでないかな。学生時分には東洋の物語を読み漁ったこともあるよ」
「オススメの本があったらぜひ教えてほしいです」
「それではこの『雪国』がいいとおもうね」
「難しそうですね。でも、オススメなら読んでみます」
ダミアンはありがとうございますといってシャッカスに背を向けてカウンターへ向かっていった。フレデリクはなんとなく見られてはいけないと思い本棚の陰へ身を隠した。
ダミアンは彼に気付く素振りも見せずにカウンターへと向かったようであった。
「見つけた」
後ろからシャッカスの楽しそうな声が聞こえた。
「図書室で隠れんぼなんて、本に拐われても知らないよ?」
「別に隠れてたわけじゃないですよ」
悪戯っぽく笑うシャッカスに思わずムッとなりながら反論した。
「まあまあ、そうムキになるなって。綺麗な顔が台無しだよ」
「大きなお世話です」
シャッカスは困った子犬のような顔を浮かべて肩を竦めた。
「君におすすめの本を紹介したかったんだけどな」
「なんですか」
先ほどのムッとした顔はすでに顔を潜めて好奇心に目を輝かせている少年がそこにはいた。
「華氏451度なんだけど、もう読んだことあったらごめんよ」
「まだ読んだことがないので読んでみます。SFはあまり詳しくないので」
「退廃した世界を舞台に本を巡って戦う物語だよ。本好きの君にはぴったりなんじゃないかな」
「そうかもしれませんね」
そういってシャッカスの手から本を受け取る。その時ほんの少しだけ指と指が触れ合った。1秒にも満たないその時間、シャッカスはその柔らかい指先を堪能し、フレデリクは雷に打たれたような衝撃を感じた。
「じゃあ今日はこれで失礼します」
フレデリクは頬を赤らめてその場を去っていった。
それから数日たち、フレデリクは読み終えた本を上級生に手渡してもらうためにシャッカスのいるであろう研究室へ向かった。
ドアをノックしようとしたところで中から話し声が聞こえた。
「こんなあざになってて痛くないか?」
「へ、平気です」
「無理はするなよ」
まるで蜜事のような会話にノックもせず慌ててドアを開けると制服のシャツをくつろげたダミアンがシャッカスと対面するように座っていた。シャッカスは心配そうに彼ののど元に触れている。
「失礼します。本を返しに来ました」
「やあ、フレッド」
ダミアンは雑にタイを結ぶと、フレデリクに一瞥もくれず出ていった。
「彼どうしたんですか?」
半分空いたままのドアを見ながらフレデリクはこともなさげに聞いた。
「さっきフットボールをしていたら相手の肘をもろに喉に食らっててね。あざになってないか心配だから見せてもらってたのさ」
「そうですか」
その話を聞いて少し安心した気持ちになったがなぜそうなったのかはフレデリク自身でもよくわからなかった。
「そうだよ」
シャッカスに話したいことはたくさんあったはずだが自分の気持ちがよくわからずその場を辞した。
いつもより大きな音を立てて雑に閉じられた扉みてシャッカスは肩をすくめた。