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ベリルの瞳   作者: 斎田なおみ
3/21

双児宮 夏の日

次の金曜日、フレデリクは読書会の準備のため図書室に向かった。一番乗りであったようでまだだれも来ていなかった。

「よ、エスパー少年!元気か?」

情報に敏感なジャソンは図書室でまた別の本を読むフレデリクを見るなりそう声を掛けてきた。フレデリクは少しむっとした様子で彼を見た。

「エスパーなんか持ってないですよ」

「でも物を浮かせられるんだろ?それをエスパーではないとしたら何という?」

「僕が起きているときに起こってないですから」

「それを意識的に操れるようになったら、きっと儲かるぞ」

「そんなの神の教義に反します」

「固くなるなって。人類の新しい進化だと思えば」

そんな討論をしていると、続々と人が集まってきたので自然とその会話は打ち切られた。

しばらくワイワイと話していると、シャッカスが慌てたように部屋へ入ってきた。

「先生、遅刻ですよ」

読書クラブの一人が茶化したように声を掛ける。

「失礼したね。なにせこの校舎は広くてね。上まで登りきるだけで一苦労だよ」

全員は同意の頷きを見せ古い校舎の愚痴の言い合いとなった。階段が急すぎるだの、冬場は寒すぎるなど様々な愚痴が飛び交った。

それも一通り済ませるとシャッカスは読書会の始まりを宣言した。

「さあ、君たちのことをよく学ばせておくれ」

順番はくじ引きということになり、トップバッターはジャソンが務めることとなった。

「私が紹介する本はーー」

部員それぞれが好きな本を思い思いに紹介し、それに対しシャッカスはすべてに的確で好意的な意見を返していた。児童文学から幾何学の研究書まで幅広く、フレデリクは次に何を読もうかとわくわくしながらそれらの話を聞いていた。

最後の紹介がフレデリクとなった。

「僕が紹介する本はトルストイの『復活』です。これはある男が一夜の罪を償うためにすべてを投げ出し許しを求める物語です。帝政ロシアの崩壊にあった混乱、行政の腐敗を目の当たりにしたネフリュードフ侯爵が自分の良心・正義・愛を探し求めていく過程が克明に描かれています。今一度自分を振り返る良い機会を与えてくれる本だと思いました」

「トルストイもぜひ読書クラブで扱いたいものだね。もし君達が償っても償いきれない過ちを犯した場合いったいどうする?それが愛ゆえにだった場合は特にね」

これですべての部員の発表が終わった。発表の後は感想を言い合う時間と称して大体雑談になっているが慣例だった。シャッカスに代わった場合でもそれは変わりなくむしろシャッカスから熱心に雑談に加わっている。

「シリル先生先生が残してくれた活動記録には大方目は通したよ。彼は様々な分野を課題として出していたんだね」

シャッカスはそういいながら分厚い活動記録のファイルを取り出した。

「小難しい本ばかりだったけどね」

「なんか論文読んでる気持ちだった」

生徒たちは口々に感想を述べる。大体は選書が難しいものであり読み解くのに苦労したというものだった。シャッカスはうんうんと頷きながらそれを聞くとこう提案した。

「もちろん見識を広めるために普段なら絶対に読まない本を選ぼうとは思うけど、児童文学の名作や海外の本を原語で読んでいくような活動もしたいと思っている。どうだい?」

「賛成ー!」

「皆で読みたい本あったんだ」

生徒たちは全員が賛成の意を示し盛り上がった。読書家が集まっているのだから本を選ぶのには事欠かない。

「その前にまずはニーチェを読もうね。あと数人だと思うから頑張って。それと彼の哲学と自分の哲学を比較したとても簡単なレポートもよろしくね」

シャッカスがそう締めくくると読書クラブは解散となった。フレデリクはまた違う本を探しに図書館へ残った。普段読まない本を読むということでいつも眺める神学や哲学から離れ、文学の棚を除いた。

子供のころに読んだ記憶がある本の題名もちらほら見える。何を読もうかと棚を見つめていると、シャッカスが隣にしゃがんで声を掛けてきた。

「相変わらずの文学少年ぶりだね。今日はシェイクスピアでも読むのかい?」

「ロミオとジュリエットもリア王も読みましたが、悲劇はあまり好きではないです」

「それなら愛の言葉の詰め合わせを読むといいよ」

そういってシャッカスが棚の一番下から豪華な装丁の本を取り出した。見ればそれはシェイクスピアのソネット集であった。

「貴方はいったいどっちなんですか?愛を信じるのか信じていないのか」

「少年はそんなことを考える必要はないよ。まずは愛が何かを知ることが大事さ。トライ&エラーを繰り返して信じるか信じないかを決めるといいよ」

シャッカスはそういいながらソネット集のページをめくる。

「これなんか僕のおすすめさ」

そういって差し出されたページにはソネット38番であった。

「君を夏の日に譬えよう……?」

「Shall I compare thee to a summer’s day?

Thou art more lovely and more temperate…」

シャッカスは流暢な英語で最初の二行を読み上げた。それは小さくとも凛とした声であっという間に本の間に溶けて消えていった。

「ほんの一瞬の夏の喜びと愛する人の美しさを詩の中で永遠にするなんてロマンティックじゃないか」

「よくわからないです」

「人生は短いぞ。たくさん恋をしたまえ」

シャッカスはそういって本を押し付けるとその場を去っていった。フレデリクはほんの少し見惚れたように固まったがすぐ我に返り本の貸出手続きをした。

その日の夜にフレデリクは夢を見た。花が咲き乱れる草原を歩いていると、まるで鴉のような黒い羽をもった誰かがこちらに近寄ってくる。手にたくさんの白い百合を抱えていた。その視線や手つきには今までにない深い愛情を感じた。その時間はとても楽しいものであった。しかし、その顔はまったく思い出せなかった。

「俺の名前を呼んで」

それを最後にフレデリクは目を覚ました。目からは涙が溢れて枕を濡らしていた。ソネットを読んでいるうちに眠ってしまったのだろう枕もとにそのまま置かれていた。

幸いにも目は赤くもなっておらず腫れてもいなかったので、エクトルに見られないうちにさっさと顔を洗い着替えを終わらせた。

土曜日は早くに授業が終わり、昼を過ぎると放課後となった。昨日借りた英仏対訳ソネット集を片手にシャッカスの研究室を訪ねた。

ドアを開けた途端初夏の爽やかな風が吹き抜けていった。思わず目を細めると、窓際にはまるで黒い羽をまとった大きな鴉がいるかのように錯覚したがそんなことがあるはずもなくシャッカスが窓際に立っているだけだった。

土曜日ということもあってかシャッカスは普段のスーツ姿から長めのカーディガンを羽織っていた。それが風になびいて羽のように見えたのだろうとフレデリクは合点した。

「シャッカス先生、少しお聞きしたいことがあって」

「私のすべてを所有するきみじゃないか?いったい何の質問だい?」

机の上の解答用紙を軽く片付けると教師用の座り心地がよさそうな椅子に腰かけてフレデリクに向かい合った。

「先生って英語お上手ですか?昨日の朗読の続きを聞きたく思って」

「そんなことお安い御用だよ。何篇でも読み上げようじゃないか」

そういって流していた髪を一つに結ぶと、眼鏡をかけて本を開いた。

「それじゃあ僕のお気に入りをいくつか読もうか」

シャッカスはすっと息を吸い込むと図書館で聞いたよりもさらに張りのある低く後に残るような声で詩を朗読し始めた。

まるで本当に口説いているような真剣さをもって詩を朗読する彼の横顔をフレデリクはじっと見つめていた。最初は英語で音のリズムを味わい、解説を込めて簡単に訳してくれる内容も半分も頭に入らずただ声と顔にうっとりとしているだけだった。

10編ほど読み上げたシャッカスは本を閉じ、フレデリクの膝の上に本を置いた。本に残ったシャッカスのあたたかさと本の重さに我に返ったフレデリクは恥ずかしそうに俯いた。

「さて、今日はここまでにしておこうか。半分授業のようになってしまって申し訳ないね」

「いえ……そんなことなかったです。言葉も美しかったけど先生の朗読がとても素敵でした」

「本当?嬉しいこと言ってくれるね」

ふにゃりと柔らかく笑う顔は授業では見たことがなく、少しだけ優越感を感じた。

「また来たまえ、少年」

シャッカスはそういってフレデリクの頭を撫でた。フレデリクは慌てて立ちあがると一礼して部屋の外へと出ていった。その背中を見送ったシャッカスは満足そうな笑みを浮かべると数学の定期テストの採点へと移っていった。

短い夏を告げる乾いた風が部屋の中に吹き抜けていった。



ソネット引用元:http://mineyo-tk.main.jp/kangeki/newsonet/index.html

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