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ベリルの瞳   作者: 斎田なおみ
11/21

処女宮

 それから数日のフレデリクは何もないように過ごしていたが、夜は激しい過呼吸を起こし同室のエクトルを更に心配させた。

 それと同時にシャッカスのことを少しづつ避けるようになっていった。なんとなくあの顔を見ると深い悲しみに襲われるように感じたからだった。

 授業は出席するが、以前のように準備室まで訪ねることはなく図書館でふと彼を見かけてもそっと棚の陰にかくれるのだった。

 それと同時に彼の周りをウロチョロするダミアンが目障りで仕方ないとも思った。嫉妬は大罪だというのにこんなにも嫉妬の炎に身を焦がすとは思ってはいなかった。

 シャッカスの研究室に通うことをぱったりとやめ、委員会がある日以外は自室でずっと本を読んでいた。読んでいるというよりただ文字を眺めているに過ぎなかった。

「なぜなら、まさにこの呻きが私に思い出させるのだ。

 悲しみが行く手にあり、歓びは背後に去ったことを」

 ふとシャッカスに読んで聞かせてもらっていたソネットを読む。あの時は無邪気に言葉を楽しんでいたものだが今になってこんな言葉が刺さるなんてと自嘲気味に笑った。

 廊下でジャソンに図書クラブも休むと伝え、本を暫く回さなくていいことも伝えた。

「フレッド、大丈夫かい?今まで見た中で一番不健康で不機嫌な顔をしているぞ」

「放っておいてください」

「俺でよければいつでも相談に乗るからさ」

 珍しく真剣そうな表情であった。フレッドは軽く会釈をすると駆け足で廊下を後にした。ジャソンは心配そうにその後ろ姿を見送った。

 ジャソンはいい相談相手かもしれないが、思春期の自尊心と羞恥心で悩みを打ち明けるのは恥ずかしく気が引けてしまったのだった。

 先ほどの態度は失礼だったかもしれないとほんの少し考えたがそれもまた落ち着いたら謝ればいいだけのことだ。きっと彼のことなら「そんなこともあったかもしれないな」で笑って許してくれる。

「僕が恋しているだって?先生に?そんなことありえないさ」

 フレデリクはそう悔しそうに独り言をつぶやくと自室へと戻っていった。

「そら、お姫様が温室にお戻りになるそうだよ」

 グラウンドの片隅ではそんなことが囁かれていた。フレデリクは戯れ言には耳を貸さずひたすらに机に向かい課題のレポートをこなしていた。

 すると部屋のドアがノックされ全身擦り傷だらけのエクトルが転がり込んできた。

 フレデリクがあわてて理由を聞けばフットボールをしている最中に上級生がぶつかってきたのだという。体格差で競り負けた彼は思い切りはねとばされ体中に擦り傷をこしらえたらしい。

「大丈夫か?」

「もちろん。あいつの負けず嫌いにも困ったもんだよ」

 エクトルはそういって頬を膨らませる。フレデリクはあわてて救急箱をもって彼の傷を手当てしようとした。

 フレッドが消毒液をもって傷の手当てをしようとすると彼の腕にあった酷い傷が見る見るうちに消えた。

「エクトルさっきの傷は特殊メイクだったのか?」

「違うよ!本当にさっきこしらえたきずだったよ」

 二人は驚きながら先ほどまであった傷があった腕をみつめる。そこには健康できめ細かい肌があった。

「ほかの所もできるか試してみようぜ」

 二人は膝にできた擦過傷などにも試してみたがきれいに完治した。

「フレッド、これは大変なことだぞ」

「ああ。俺たちだけの秘密だ」

「もちろんだよ」

 二人はお互いの瞳をじっと見つめあい決して口外しない約束を交わした。

 それからしばらくは相変わらずフレデリクはエスパー少年として扱われて続けた。

 表では変わらず友人関係を保っているが、裏では彼を崇拝に近くあこがれている学生たちがいることがまことしやかに囁かれ始めた。

 彼らは夜中にこっそりミサを開いているという。フレデリクを崇拝しているのに彼が不在というのもおかしな話だ。

 エクトルはそんな中でもかわらず彼に接してくれていた。

「みんなが僕を変な目で見ている気がするよ」

「人の噂なんてすぐに消えるよ」

 二人はフレデリクのお気に入りの木陰で話していた。

 するとシャッカスが姿を現した。少し疲れたような顔をしていた。

 普段は溌剌とした表情を浮かべている彼もうっすらと目の下にクマを作っており肌の艶も悪くなっているようだった。

「おや、ここはもう満員かな?」

「あ、シャッカス先生。すぐ退きますから」

「いいんだ。別の場所を探すから」

「大丈夫だ。むしろ君たちがいた方がいいかも」

 シャッカスはそう言うとごろりと横になり、目をつぶった。

「新学期の始まりは疲れるんだねえ」

 黒髪が芝生に無造作に広がっている。髪には落ち葉が絡まっていた。フレデリクはそれを手にとって見つめる。すると徐々に緑を取り戻し始めていた。

 フレデリクとエクトルは慌てた様子でその落ち葉を隠した。しかし、シャッカスはしっかりと見ていたらしく驚いて身体を起こしていた。

「フレッド、今のは・・・」

「僕今手品に凝っていて」

「そうなんですよ。すごかったでしょ?」

 二人はその場を取り繕うように笑って落ち葉を放った。それは風にのって空高く舞い上がった。

「そうか、手品が上手いなんて初めて聞いたよ。また今度タネを教えてくれるかい?」

 シャッカスはそう言うといたずらっぽくウインクをした。二人は頷いてその場を後にしようとした。

「それじゃ僕たち部屋に戻ります」

「下級生に寮生活の教えを授けといてくれ」

「・・・善処します」

 二人は逃げるようにその場から立ち去った。その背中をシャッカスはじっと見つめ、建物の陰に隠れたところで再び空を見上げた。

「手品ねえ」

 シャッカスはその近くに生えていたまだ緑を保っている草にふっと息を吐きかける。すると、その植物はあっと言う間に枯れて粉々になって風によって跡形もなく散っていった。

「あと少し」

 シャッカスはどこか嬉しそうでどこか心配そうな表情だった。

 二人は息を切らして部屋に戻るとお互いに顔を見合わせた。

「流石にさっきのは危なかったな」

「それよりあんなこといつできるようになったの?!」

「わかんない。さっきじっと見つめていたら・・・」

 フレデリクも自分の両手を見つめている。

 日に日に自分の力が強くなっているような気はしていたがここまでとは思わなかった。ほぼ死んでいるものを生き返らせるような力を手に入れてしまった自分がさらに恐ろしくなった。

「どうしよう、自分の力が怖い」

 フレデリクは怯えたように自分の身体を抱きしめている。エクトルはそんな怯える彼をそっと抱きしめることしかできなかった。

「フレッド・・・」

 二人は珍しく聖書を取り出してこれ以上何もないことを神に祈った。そして、大人しく授業の予習復習まで終わらせた。


 その日の夜だった。フレデリクは眠れない夜を過ごしていた。ベッドの上でじっとしているとふとドアをノックする音が聞こえた。

 驚いて隣のベッドを見るがエクトルはぐっすりと眠っていた。

 無言でドアを見つめていると、小さな声が聞こえた。

「私だよ。シャッカスさ」

 その声に驚きを覚えつつそっとドアを開けるとシャッカスがろうそくの明かりに照らされていた。

「先生ですか。驚かせないでください」

「すまないね。さっきの手品の仕掛けを教えてほしくてね」

 そういうとウインクした。

「さっきのはたまたま上手くいったので・・・また練習して上達したら教えますよ」

「ちゃんと私を一番弟子にしてくれよな」

 そう言って小声で笑う。フレデリクはつられてくすりと笑った。

「君のその笑顔が見たかったんだ」

 シャッカスは安心した声でそう言うとフレデリクの頭を優しく撫でた。暖かい手が触れ、より安心感を感じた。

「さて、遅くなる前に私も寝ようかな。久しぶりに叩き起こされないですみそうだしね」

 シャッカスは大げさにあくびをした。

「おやすみなさい。また授業で」

 フレデリクはくすりと笑うと夜の挨拶をした。

「おやすみ、かわいい憂鬱君」

 シャッカスはもう一度フレデリクの頭を撫でると去っていった。ろうそくの光が石造りの廊下を照らし、カツカツと足音が遠ざかっていった。

 その夜フレデリクは久しぶりに朝まで安眠することができた。

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