白羊宮 出会い
創作BL 『ベリルの瞳』第一話です。耽美学園ラブロマンスを目指しています。
幼いころから決まって満月の日に同じ夢を見る。月の光のぬくもりでなくしたはずの愛しい誰かを思い出そうとする夢。甘く優しい百合の移り香は自分の中にもかけらがあるようでそのことを考えるたびにちくりと優しい痛みを思い出す。目を覚まして窓を除いても夜風に吹かれた木々が手招きするようにゆらめいているだけだった。
某国で名だたる伝統を持つ学校、トレフル学園は初々しい緑が萌え出ていた。春の訪れに浮足立つ男子学生たちは校庭でフットボールに興じている。そんな彼らを遠くから眺める男がいた。
新月の闇より深い黒色の髪と瞳を持った眼鏡の男は、柵越しに木陰に座って本を読んでいた少年に声を掛けた。
「ここはどこから入ればいいんだ?」
「門なら右の角を曲がってすぐだよ。門番さんに声かけないと入れないけど」
「ありがとう」
少年は軽く頷くとまたすぐに本に目を戻した。少年の名はフレデリク・ジョリヴェ。これから彼を巡る数奇な物語が始まる。
男は言われたとおりに角を曲がる。すると半ば木となった重厚な門が見えてきた。門番は暇そうにあくびをしながら週刊誌を眺めている。
「すいません、トレフル学園はここでよろしいですか」
「そうだけど、おたくは?」
「申し遅れました、本日から赴任することになっているシャッカス・グランデと申します」
「ああ話は聞いてるよ。ようこそトレフルへ。校長室まで案内しますよ」
門番の男は痛む膝をこらえるかのように立ちあがると門番小屋のドアを開けようとした。
「私が代わりに案内します。グレゴワールさん」
扉の外には先ほど木陰で本を読んでいた男子がたたずんでいた。
「ありがとう、フレデリク君。最近リューマチが痛くてね」
グレゴワールは再び門番小屋の小さな椅子に座ると、雑誌を読み始めた。
「あなたが新しい数学の先生?」
「そうだよ。君の名前を尋ねてもいいかい?」
「僕の名前はフレデリク・ジョリヴェ。よろしく、グランデ先生」
二人は握手を交わす。シャッカスからは百合の花のような芳香が漂っていた。フレデリクは何かを思い出しそうになって思わず少し長いとも思われる握手を続けた。グランデは不思議そうな顔もせずニコニコと握手を続ける
「よろしくね。フレデリク君。フレッドと呼んでも?」
「友達はみんなそう呼んでいます」
急に我に返ったフレデリクは手を引っ込めると小脇に抱えていた本を持ち直して歩き始めた。校庭を通り、来客用の玄関へ案内した。
「前任の先生が急に倒れるなんて驚いたでしょ」
「お年もお年だったから仕方ないですよ」
石造りの廊下には外からフットボールに興じる子供たちの歓声と二人分の足音が響く。
大きく重い木製の扉の前に着くとフレデリクは足を止めた。
「ここが校長室です。先生の授業楽しみにしています。」
「今日は何回も道案内をありがとう。早くこの学校に慣れるように頑張るよ」
フレデリクは頭を下げると踵を返し校庭へと戻っていった。
シャッカスはドアをノックすると中から入室を許可する声が聞こえてきた。
フレデリクが校庭に姿を現すとフットボールに興じていた連中もまじって彼に様々な質問を投げかける。
「フレッド、新しい先生はどうだった?」
「優しそうな人だったよ」
「前のシリル先生にかなう優しさはないよ。毎週の小テストが無いし」
「授業だけは鬼だったりして」
同級生は口々に先ほど見かけたシャッカスについて議論し始めた。フレデリクは曖昧に笑うと空を見上げた。
春のうららな風が学生たちの間を駆け抜けていった。
次の日曜礼拝はシャッカスを紹介する時間が設けられた。壇上には神父でもある校長と、来賓用の特別な椅子に腰かけたシャッカスがいた。
今日は緑の黒髪を一つに束ね、細身のスーツで座っている。椅子すらも彼のために作られたかのような雰囲気であった。礼拝の前にお知らせとしてシャッカスの簡単な紹介が行われた。
「倒れられたシリル先生の代わりに数学を担当するシャッカス先生です」
「皆様の勉強をより良いものにしていこうと思いますのでよろしくお願いします」
「シリル先生が顧問をなさっていた読書クラブも彼が引き継いでくれるそうです」
「私自身も読書が好きなのでこのクラブ活動も楽しみにしています。部員の皆さんとの顔合わせも楽しみです。
「それでは彼との出会いに感謝の祈りをささげる礼拝をしましょう」
恙なく日曜礼拝は終わり、生徒はいったん自室へと戻った。
日曜の午後は多くの学生がバスに乗り待ちに出かけていくのが許されている。
町で何をしようか楽しそうに話している同級生を横目に、フレデリクは休館の片隅にある図書室へと向かっていった。
図書室にはすでに何人かが本を広げ勉強をしていた。どうやら体格的に見て上級生であり、皆が必死に何かを書き写している様子だった。フレデリクは先ほど読み終えたばかりの 本を返却し本棚に戻す作業を始めた。神学関係の本が多く返却されており、どうやら神学のレポートの期日が差し迫っているようだった。
背表紙に貼られた番号を見ながら本を戻していく。運悪く高い棚にある本を戻すことになったため、踏み台を探すためにあたりを見回した。
「どこの本をとればいいんだい?」
すると本棚の陰からシャッカスが声を掛けてきた。手には表紙に大きくレヴィストロースと書かれた本を持っていた。
「本を取りたいんじゃなくて戻したいんです。この神学の喜びって本」
「ここでいいのかな?」
シャッカスはそっと腕を伸ばして本と本の間にゆっくりさしこんだ。
「ありがとうございます」
「いいんだよ。どうやら図書委員会の担当も任されたようで図書室を知りたかったからね。それより、君は町へ行かないのかい?」
フレデリクは首を横に振った。町へ行くこと自体は嫌いではない。しかし、友人たちと楽しく過ごすことでどこか後ろめたい気持ちが生まれるのが嫌なのであった。そんなことを言っても仕方がないのでにっこりと作り笑いを浮かべてこう答えた。
「今週は図書当番ですから」
「真面目なんだね」
てきぱきと本を片付けているフレデリクの後をシャッカスは面白そうについていく。神学の本の棚の中には半ば悪魔崇拝に近いようなアンチキリストであるような題名も並んでいる。
「意外と過激な本もあるんだね」
「公平に知識を得ることが校長のモットーですので」
「でも悪魔について書かれている本なんて。こんな多感な思春期の少年たちが集まって、真に受けて黒ミサが開かれたりするんじゃないの?」
「さあ?目に余れば処分を受けたりすりとは思いますが」
「まあそれもそうか」
「正しく強い信仰心を持っていればそのようなことにはならないと思います」
フレデリクはきっぱりと言い切った。
棚は神学関係から哲学へと移っていった。時代と分類ごとに棚が設けら量子力学や物理学から見た哲学の棚も新設されているようだった。
「信仰心ねえ……神は死んだんだよ」
「キリスト教系の学校の教師がそんなこと言っていいんですか?」
「僕は数学の教徒だからね。いいんだよ」
シャッカスは悪戯を遠くから隠れて眺めている子供のようにくすくすと笑った。
「たまには神を否定して改めて神について考える時間をもってもいいと思うんだ。」
そういってシャッカスはツァラトゥストラかく語りきをフレデリクへ手渡した。
「いいですね。まだ読んだことないので今週はこれを読もうと思います」
すると、カウンターの方で上級生が呼ぶ声がした。
「フレッド~!本借りたいんだけど」
「今戻ります。先生それではまた」
早歩きでフレデリクはカウンターへと戻っていった。貸出票に本の題名を書くなど簡単な手続きをして上級生へ本を渡す。
「あれ、新しい先生?」
「そうですよ」
「そっか。次の読書クラブが楽しみだな」
上級生はそういいながら図書室を後にした。