龍神の押しかけ花嫁
こういう設定好きなんだよねーを練り込みました。
練り練りと。
自分の好みだけで突っ走ってます。
「嫁入りに参りました」
凜とした声が朗々と告げた。甘やかな筈の内容を告げる声音は抜き身の刃のように鋭く、氷のように冴え冴えとした声音故に更に底冷えがした。まるで、討ち入りに来たとでも言われているような声である。
「……それはまた、唐突であるな」
瞬きを繰り返し、一瞬の動揺から何とか立ち直ったのか応えた声は、それでもやはり困惑に満ちていた。質の良い着流しを身に纏い、片膝を立てた少々行儀の悪い体勢で饅頭を摘まんでいた男は、声の主を見て首を傾げた。
藍色に似た黒髪を首の後で結わえた男の、人の物ではあり得ない金色の瞳に射貫かれてなお、訪問者は平然としている。その程度いかほどと言いたげなその姿に、男は困ったように眼を細めて笑った。
「凪」
「何か」
「何故、其方が参った」
問い掛ける声は、柔らかく穏やかだった。頑是無い幼子に言い聞かせるような声音でもあった。外見だけなら二十代の半ば頃だが、男の醸し出す雰囲気は老成したもののそれだ。もっと言うならば、その気配は人のそれではあり得なかった。
だが、それらを全て理解していながら、凪と呼ばれた人物は三つ指をついて伏せていた顔を上げて、真っ直ぐと相手を見詰めながら、返答した。その声はやはり凜々しく、氷のように冷え切り、感情の全てを捨てたような機械的なものだった。
「我が一族において、御神の花嫁が務まるのは私のみとの結論です」
「……ふむ。血筋、力、制御、あらゆる面において確かに其方は最上位の候補者であろうことは、解っている」
「そうであれば、何とぞ嫁入りの了承を」
凪は、その秀麗な面に何の感情も宿さぬままに、やはり淡々と告げてくる。ふわり、とそちらから香ってくる甘やかな花のような香りに一時眼を細めて、ゆるりと息を吐き出した。
そして――。
「…………拒んで良いか?」
「………………」
もしゃもしゃと饅頭を咀嚼しながら、男は小さく呟いた。困ったと言いたげな顔だった。だが、そんな相手を見て、凪は眼を細めて、寒々しいほどの微笑みを浮かべて、氷の声音で告げた。
「貴様のその我が儘が続いたせいで、もはや俺しか花嫁が務まらぬほどに消耗していると自覚しろ、駄神!」
「そうは言うがな、凪!何故お前の一族は、ここ数代、延々と男しか花嫁候補を寄越さんのだ!花嫁というならそこは、未婚の乙女を寄越すべきであろう!」
「喧しいわ!そんなこと俺が知るか!」
先ほどまであった、厳粛な空気は綺麗さっぱり消え去っていた。ギャーギャーと声を荒げて喧嘩をする二人の姿に、周囲のモノ達がため息をついた。半透明の女性だったり、狛犬だったり、付喪神達だったり、色々だ。古い社に住まうモノ達は、主とその花嫁候補のやりとりにため息をつくしかない。
西暦2000年をとうの昔に越えた現代日本において、神への嫁入りというのは忘れ去られて久しいものだった。それでも、神社を受け継ぐ一族がいる神々はまだ良い。社を護る一族の者達から嫁を貰うことが出来るからだ。
だが、そうもいかないのが、専属の神主を持たぬ社だった。神社の管理方法も様変わりしていき、今では守人の居ない神社も少なくはない。ここもまた、人間の神主が常駐しない神社であった。
ただし、他の朽ちていく神社と異なる点が一つだけあった。神主の一族は絶えて管理者はいなくなったが、この社の神には契約を結んだ一族がいた。本家は余所の土地へと移ってしまったが、分家はまだ残っている。かつてはこの地の地主を勤めたと言う一族だ。その一族から花嫁を貰い、この社の神、古き龍神は生きながらえてきた。
だがしかし、ここ数代マトモに嫁取りが成立しないため、はっきり言って消滅しかかっている。
神といえども、不滅ではない。祀られなくなった神々は弱っていき、やがて消滅する。花嫁という名の拠り所を失えば、マトモに祀られても居ない社の神であるこの龍神も、滅ぶしか無いのだ。
それほどに、神の花嫁は重要な存在だった。それが数代に渡って成立しないままに続いては、消耗が著しいのも解るものだ。神の力が正しく満たされていれば、社もその領域も健やかに保たれる。清潔にされていながらくたびれた印象を与える社が、彼の龍神が弱っている証拠とも言えた。
ぐるりと陰りが見える社を見渡して、凪は目を据わらせて口を開いた。腸が煮えくりかえるほどの怒りを感じているのは、彼の立場からすれば無理もないことだった。
「だいたい、花嫁って名前なだけで、別に男でも女でも関係ないだろうが!神妻ってのは名目上だけで、ようは浄化の力を有した存在が神にそれを返すだけだろう!?」
「それでも花嫁は花嫁だ……!どうせなら白無垢が似合う愛らしい乙女が良いわい!」
「ざっけんな!てめぇのそのくだらんえり好みのせいで、俺が引っ張り出されたんだよ!消える寸前まで行ってんのに、フェチ炸裂させてんじゃねぇええええ!」
拳を握って力説する龍神(人化済み)に対して、凪は腹の底から叫んだ。彼は被害者である。誰がどう言おうと、凪はただの被害者なのだ。
昔はまだ良かった。
花嫁に該当するだけの資質を持った人間は、男女問わずに産まれてきた。だがしかし、時代は移り変わり、力の遺伝は徐々に弱まっていった。ここ数代、神妻、龍神の花嫁を務められるだけの力を持つ人間は、凪のような男子しか産まれなかったのだ。
そしてこの龍神は、それが嫌だとだだをこね、嫁取りが不成立のまま早数代を重ねてしまった。
龍神と凪の一族、水鏡家は、遠い昔に契約を結んだ間柄だ。この辺り一帯の大地主であった水鏡家が、土地の繁栄と水の祝福を願って龍神と縁を結んだ。その見返りに龍神は、花嫁として力を宿したものを娶り、この地に留まり続けるという契約だ。
それでも、時代の移り変わりで水鏡本家はこの地を離れ、神社の神主一族も死に絶えた。今となっては、辛うじてこの地に残った水鏡の分家が神社の維持を行っている状況。それでも、契約は切れてはおらず、龍神に捧げる花嫁の存在は絶対だった。
……だというのに、捧げられる花嫁を「好みじゃ無い」の一言で却下し続けてきた龍神は、多分ちょっと頭が弱い。いや、龍神にも言い分はあるのだろう。花嫁なのだからせめて女子が良い、という意味で。しかし、現状えり好みが出来る状況では無いのだ。龍神も、水鏡一族も。
「……せめてお前が、黙ってれば愛らしいとか、白無垢を着せれば見れないこともないとかなら良かったというのに……」
「気色悪いことぬかすな、駄神」
「駄神と言うな。……花嫁だぞ、花嫁……。……何故こんな、どこからどう見ても男でしかない男を……」
「喧しいわ!」
さめざめと泣き真似をする龍神の後頭部を、凪は容赦なく殴った。むしろ、気分的にはかかと落としでも喰らわせたいぐらいだった。流石に相手が神なので、そこまではしないが。
龍神が嘆く凪の容姿は、決して悪くはない。十人中八人は振り返るだろう整った容姿をしている。
染めていない艶やかな黒髪は綺麗に切り揃えているし、眼も男には勿体ないほどのぱっちり二重だ。ただ、どこからどう見てもちゃんと男であるし、そもそもがどちらかというと凜々しいとか鋭いとか氷のようだとか言われそうな、クールな美形であった。……間違っても女装は似合わないし、やってくれない。
「俺を花嫁に迎えるか、このまま消滅するか、どっちかだ」
「……次点の花嫁候補は?」
「本家の次男坊だよ、諦めろ」
「だから何故、男にばかり遺伝しておるんだ……」
「俺らに聞かれても知らねぇよ」
残酷な現実を告げられて、龍神は悲しそうに肩を落とした。どこをどう見ても誉れ高き古き神とは思えない姿に、凪の表情が冷えていく。いい加減腹括れやこの野郎、ぐらいの表情だった。彼としても、切羽詰まった状況故に無理矢理花嫁役を押し付けられているので、不機嫌になっても無理はない。
相変わらず是と言わない龍神に、もう一発ぐらい殴っておこうかと凪が思った瞬間、ぽふんと何かが足に触れた。視線をそちらへ向ければ、デフォルメされた愛らしい狛犬が2匹、凪の足にすり寄っている。
口を開いた獅子の阿形、口を閉じた狛犬の吽形。これら2体を合わせて、昨今では狛犬と称する。……実は狛犬の口を開けている方は獅子なので、厳密には獅子&狛犬なのだという事実は、案外知られていなかった。阿形くんは獅子です。
「どうした、阿形、吽形?」
《オ嫁サマ?》
《花嫁御?》
「…………まぁ、名目上は嫁入りに来たから、間違ってはいないけどな。でも名前で呼んでくれた方が嬉しいが」
「やめい。そんななりでもそれらも異形。真名を与えるでない」
「お前は呼んでるじゃねぇか」
主の力の衰退に伴い、仕える狛犬達も縮んでしまっていた。いや、神社の入り口に在る狛犬像は変わらず凜々しいのだが、こうして内側に宿った魂のような何かが動くときのサイズが、デフォルメされた豆柴サイズなのである。見た目は大変愛らしかった。
その愛らしい狛犬ズに懐かれながらも凪がぼやけば、打てば響くように龍神から忠告が入った。確かに、真名とは最も短く、最も簡単で、最も強力な呪である。愛らしかろうが、好意を持っていようが、名前を与えるのは心臓を握られるようなものだ。
だがしかし、そのツッコミに対して凪は胡乱げな顔で龍神を見る。この腐れ縁の龍神は、当たり前のように凪の名前を呼ぶ。それを踏まえての反論だったが、返ってきたのは彼の予想以上の内容だった。
「我とお前の一族は契約しているのだぞ?名前どころか、魂に刻印があるのに、今更何を言っている」
「……うっわー、このやる気ねぇ駄神に存在を握られてるとか、すっげー不愉快」
「ちゃんと守護も与えているだろう!」
「その守護は目に見えねぇし、そもそもだだこねて俺がここにいないと駄目な状況作ったお前に、敬意とか感謝とか捧げられるわけねぇだろ!」
予想外の事態だったが、それを知ったとしても残念感しか抱けなかった凪は、悪くない。悪いのは、ここ数代「花嫁候補が好みの乙女じゃない」とかいうフェチ炸裂のアレな理由で拒絶しまくって、ついには消滅の危機に陥っている龍神である。崇め奉られるべき古き神の筈が、その威厳がどこにもなかった。
ぎゃーぎゃーとやり合っている2人の間に、すっと差し出されたのは湯飲みだった。ほかほかと湯気を出している美味しそうなお茶がそこにある。2人がほぼ同時に視線を向ければ、にこりと微笑む女性(半透明)がそこにいた。
「お菊さん、まだこの駄神の世話してたの?もういい加減成仏しても許されると思うけど」
「だから駄神はやめいと言っているだろう!」
「うるせぇ、駄神」
《私は主様のお世話をさせていただけるのが嬉しいのですよ。それに、私がいなくなったら、本格的に社がくたびれてしまいますわ》
ふんわりと微笑む美貌の女性は、後れ毛が麗しい和服美人だ。色白通り越して青白い顔の半透明。どこからどう見ても幽霊である。見返り美人画から抜け出してきたような美しい女性であるが、幽霊だ。何百年も前に死んでいるのだが、律儀に龍神の世話役を務めている。
彼女は、過去の花嫁ではない。神主の一族でもない。ただ、身寄りが無かったところを下働きとして神社に身を寄せ、死後もその仕事を続けている、そういう生真面目な幽霊だった。幽霊なのに何故家事が出来るのかと、細かいことを気にしてはいけない。彼女のお陰で社の清潔さは保たれているのだから。
お菊が煎れてくれたお茶を飲みながら、凪は面倒そうに龍神を見た。お前いい加減腹括れ、である。凪の視線を受けた龍神は、盛大にため息をついた。相変わらず覚悟がちっとも決まらないらしい。どうしようもない氏神様を相手にイライラしつつ、凪は彼の前にある饅頭を一つ摘まんで食べた。
「凪、それは我のなのだが」
「うるせぇ。茶請けだ」
「……我の」
「う・る・せ・え」
ジト目の凪に、龍神は小さくため息をついて引き下がった。ここで、氏子である凪相手に引き下がるところが、奇妙に人間味があるとでも言うのだろうか。歴とした古き神でありながら、人を見下す姿が存在しない。その部分は好感が持てるけどな、と凪は饅頭をかじりながら思った。
本来神々というのは、それも古い時代から土地に縛られるように力を蓄え続けてきた神々というのは、どこか恐ろしさも内包しているものだ。加護の見返りに生け贄を求めるようなものである。人と神は対等ではなく、神にとって人は供物に等しい。それが本来のあるべき形だ。
だが、この龍神は違う。
昔がどうであったのか、凪は知らない。ただ、一族の中でも減りつつある数少ない力の保持者達から聞く御神の姿は、どこまでも彼ら水鏡一族への優しさに満ちていた。慈しむべき存在として彼らを受け容れ、守護してくれる優しい神として伝え聞く。
……だがしかし、実際凪が出会って知る氏神の姿は、「花嫁は好みの乙女が良い」とか宣う駄神だった。確かに親しみはある。本来ならば無礼に当たるだろう凪の行動を咎めもしない。そういう部分も恐らく優しさだろう。
だがしかし、である。
幼き日に憧れた優しく穏やかな偉大なる氏神様への幻想を打ち砕かれた身としては、色々と言いたいことがあるのだった。
凪が受け継いだ浄化の力は、凪が幼い頃に亡くなった高祖母、父方の祖父の祖母からの隔世遺伝だった。その高祖母が、最後の花嫁だった。その後、何故か男児にばかり能力の発現が見られ、龍神は好みじゃないと言い切って嫁取りを拒絶しているのだ。
その高祖母が亡くなったのは凪が幼稚園の頃だから、記憶は曖昧でしかない。葬儀のこともそれほどしっかりとは覚えていない。だがそれでも、その高祖母が語った氏神様の素晴らしさは、幼い凪に憧れを植え付けるのに十分だったのだ。
……そして、その憧れをぶち壊してくれた龍神と、凪は何だかんだで一番付き合いの長い一族の人間ということになる。高祖母が亡くなり、次の花嫁が決まらないまま歳月は流れ、力を持つ人間として凪も龍神との目通りが叶うことになった。それが中学生の頃だ。緊張と憧れに満たされながら出会った氏神は確かに優しかったが、次の瞬間に「花嫁なら女子の方が良い」と言い放っては大人達を脱力させていたのだ。百年の恋も冷める勢いで憧れが四散した。思春期の少年にはたいそう辛い出来事だった。
「今思い出しても理不尽だ」
「凪?」
「こんな駄神に憧れていた昔の自分を殴ってやりたい」
「……凪……」
大真面目に呟く凪に対して、龍神はがっくりと肩を落とした。その仕草もまた、奇妙に人間めいていた。多分、何も知らない人に龍神の姿が見えたとしても、和装のお兄さんぐらいにしか思われないだろう。威厳もへったくれもない。それが凪には腹立たしいのである。
亡き高祖母は、最後の花嫁は、この駄神のどこに高尚さを見出していたのだろうかと悩むしかない。高祖母はいつだって氏神様を称えていた。そして、凪が己の力を受け継いだと知ったとき、涙を流さんばかりに喜んだ。そのひたむきさの理由が、凪には解らないのだ。
無論、凪とて龍神が嫌いなわけではない。十年近くの交流で、その性格が善良であることは解っている。奇妙に人間くさいところが玉に瑕なだけで、良き神、人間にとっては優しすぎるほどの神であることは解っているのだ。
だが、解っているからこそ、解らなくなる。ゆるやかに消滅を選ぼうとしているように見えるその在り方は、理解の範疇外だった。他の地域では、古き神々が己を保つために必死だと知っているから、なおさらに。
そう、古き神々はよその土地にもいる。そしてそれらの地域でも、神を支えるために、消滅させないために人々は生きている。それは決して表に出てこない、関係者以外には決して知られることのない世界だ。
だが、神はいる。神話に数えられるわけでもない名も無き神々が、この国には数多いるのだ。八百万の神々とはよく言ったものだ。この国は、日本は、視線を転じればどこにでも神がいるような国だった。
……かつては。
今の日本は、神が滅んでいく国とも言えた。文明開化から続く科学のみを正しいと信じる世界は、ゆるゆるとこの国に根付いた神々を滅ぼしていった。祀られなくなった神は滅ぶしかない。そうして滅んでいった神は、どれほどの数に上るだろうか。古事記に記されるような名のある神々はともかく、そうではないただの古い神々は、朽ちるのみなのだ。
だから、と凪は思う。亡き高祖母が慕った古き龍神。神としての名前すら存在しない、きっと世間一般からすればちっぽけでしかない神だ。それでも、水鏡一族と共にこの地を守り続けてくれた優しい神でもあるのだ。その神を、失いたくないと一族の者達が思うのは何も、加護を失うことへの恐怖などではなかった。
「ふむ、少々雨を呼ぶか」
「あ?」
「ここしばらく雨が降っておらなんだだろう。これでは作物に悪影響だ」
「いや、今の状態でそんなことしたら」
「その程度はどうということではない」
案じる言葉を投げかける凪に対して、龍神は笑った。優しく柔らかな笑顔だった。人を慈しんでくれる神の姿だった。
凪の目の前で、龍神は空へ向けて手を伸ばす。雲が、ゆるり、ゆるりと集っていく。雨を呼ぶ黒い雨雲。それが龍神の指先に惹かれるように集ってくる。それを湯飲み片手に見上げながら、凪はゆるりと視線を傍らへと向けた。
人の姿をとっていた龍神が、徐々にその姿を変じていく。初めは空へ伸ばされていた腕だ。しなやかなその腕をじわりじわりと鱗が覆い尽くしていく。そちらに意識をとられている間に、龍神の姿が伸びていく。伸びた先から、着流し姿の青年が消えていく。鱗に覆われた細長い蛇のような身体が、凪の視界を埋め尽くす。
ぶわり、と風が吹いた。雨が来る、と凪は思った。ぽつり、ぽつり、とゆっくりと雨粒が降り注ぐ。そして、凪の傍らに立っていたはずの男の姿はかき消えて、空へと昇る雄々しい龍神の姿だけが残された。
《久方ぶりの、主様のお姿でございますね》
「お菊さん」
《素晴らしきお姿ですわ。そうでしょう?》
「……えぇ、美しい、我らが御神の姿です」
当人を前にしては決して口にしない言葉を、凪は舌に乗せた。柔らかく微笑むお菊も、凪の足にしがみついてぶらんぶらんと遊んでいる阿形と吽形も、そんな凪を見て幸せそうだった。彼らは主である龍神を敬愛している。そしてだからこそ、彼の龍神に近しい凪を気に入っている。……花嫁になれる資格の持ち主であることも含めて。
雨雲を従え、慈雨を降らせる尊き龍神。見返りなど求めずに、ただこの土地が健やかであることを願って水の加護を与えてくれている優しき氏神。何を思って彼の神が花嫁を娶らぬのかが、凪には理解できなかった。……凪達水鏡一族はいつだって、氏神の加護に報いたいと思っているというのに。
「なぁ、お菊さん。聞いて良いか?」
《何でしょうか?》
「あいつは、最後の花嫁をどう思っていたんだ?」
《主様は全ての花嫁を慈しんでおられましたわ。人の営みのある中で、己の花嫁としてこちらへ通うことを余儀なくされた彼女達に申し訳ないと仰りながら》
「……」
お菊の当たり障りのない言葉に、それも間違いではないだろうが真実ではないのだと、凪は何となく悟った。いや、本当はもっと昔から知っていた。人の姿をとっているときの男の手首に肌身離さずというように付けられている、手作りの腕輪を見つけたときから。
それは、綺麗に磨いた石により合わせた紐を付けただけの単純な作りの腕輪だった。アクセサリーとしての精度はそこまで高くない。素人がつたない手管で作ったと解るものだった。けれど男は凪の記憶にある限り、ずっとそれを身につけていた。人の姿をしているときは、ずっと。
……それと良く似た腕輪を、凪も持っている。男の持つそれと色違いの石で作られた、つたない素人細工の腕輪を。男のそれは黒い石。凪のそれは白い石。それ意外はより合わせた紐も同じで、同じ人間が作ったのだと解るものだ。
「……最後の花嫁、か」
きっちりと手首のボタンまで止めたシャツの下、ごろりとした石と紐の感触を確かめながら、凪は呟く。今は亡き高祖母、龍神の最後の花嫁を務めた人から受け継いだ腕輪だった。思い出の詰まった大切な品物だと笑っていたのに、亡くなる直前に凪に贈ってくれたのだ。石が綺麗だと目を輝かせた凪に、大切にするようにと言い聞かせて。
その時に、凪は自分が使命を受け継いだのだと思っている。これは、高祖母が作った結婚腕輪みたいなものなのだ。人間の夫婦とは違い、龍神の花嫁は役目を終えれば代替わりをする。契約の印も何もない。あるのはただ、龍神が花嫁と認めるかどうかというだけだ。そんな関係だった龍神との間に、高祖母は揃いの腕輪を持っていた。その事実を知っているのは、凪と龍神だけだ。
龍神は、凪がその腕輪を受け継いだことを知っているのだろうか。知っていても、知らなくても、どちらでも良いと思う。高祖母と龍神が心を交わしたのは紛れもない事実だ。その高祖母の次から花嫁をとらなくなった龍神の真意など、誰にも解らない。男児しか現れなかったからというのも、きっと理由としては間違いではないのだろう。花嫁は花嫁らしく、という意味で。
けれど、それでも。
「……ばーさんに操を立ててるとかいうふざけた理由だったり、ばーさんのところに行きたいとかいうふざけた理由だったら、マジで本気で許さねぇからな」
《オ嫁サマ?》
《花嫁御?》
「あぁ、心配するな、阿形、吽形。……お菊さんも。これでも一応俺は、あのバカでどうしようもない俺らの神様を、救うためにここに来たんだ」
心配そうに自分を見上げる狛犬達に向けて、凪は笑顔を見せる。けれどその笑顔はどこか好戦的で、まるで喧嘩上等と言っているようでもあった。救うためと言いながら、今すぐ殴り倒しそうな雰囲気がある。
実際、凪は殴り倒して足下に沈めて現実を突きつけて認めさせようとか思っている感じだった。己に役目が回ってきた段階で、己でなければ無理だと周りに言われるほどに切羽詰まっていると理解した段階で、殴ってでも言うことを聞かせようと決意してきたのだ。龍神が何を言おうが退くつもりなど皆無である。
「憧れた龍神様はいなくなったが、友達とか親戚の兄ちゃんみたいなもんだしな」
《まぁ》
《オ嫁サマ、主様好キ?》
《花嫁御、主様ト生キル?》
「おう。男の俺が嫌だの何だの言われても、役目を果たすつもりだから安心しろ。……悪いが、まだまだ消滅なんてさせてやるつもりはないんだよ、俺は」
《それは頼もしいことですわ。どうぞ、頑張ってくださいませね》
「あぁ。お菊さんも、援護射撃宜しく。お前らもな?」
つんつんと凪に突かれて、狛犬達はぱぁっと顔を輝かせた。デフォルメされた豆柴みたいな狛犬の愛らしさが凄まじい。マスコットか何かにしたら売れるんじゃね?とそんなことを思う凪だった。
すっと見上げた空には、悠々自適に泳ぐように雲を従える龍神の姿。東洋の龍の姿は、恐怖よりも畏怖を呼ぶと凪は思う。西洋の竜はどこか恐ろしいのに、東洋の龍はそれだけではない何かを感じさせる。それはきっと、水を司る龍神を恐れながらも慕う、水鏡一族ゆえの感情だったのだろう。
「つーわけだから、お前諦めて俺を花嫁に迎えろ」
「一仕事終えて戻ってきたらいきなりそれか!?」
「そうだよ。そもそも俺はその話をしに来たんだ。良いか?お前が駄々をこねて逃げようが何だろうが、俺は花嫁になるためにここにいる。……逃げ切れると思うなよ、氏神サマ?」
「……何故、そこまで自信満々なのだ……」
空からふわりと舞い降り、そうして地に尾が触れる瞬間に人の姿になった龍神は、戻ってそうそう投げつけられた爆弾に心底嫌そうに叫んだ。けれど、凪は容赦しない。にんまり笑う氏子の姿に、龍神はやはり疲れたようにため息をつくのだった。
かつて情を交わした女性の玄孫に押し切られ、史上初の男性の花嫁を龍神が迎えることになるのは、それからしばらくしてのことだった。
FIN
将来的にもっとBでLな感じになってイチャイチャするのか、このままなのか。
なんかどっちでも良いよな、と思いつつこんな感じの〆であります。
ドラゴン愛企画楽しかった!
こんなんでも龍神は好きなんだよ!
憧れで愛が詰めてあるんだよ!
こんなんでも!!!←大事なことなので
ご意見、ご感想、お待ちしております。
また、ブクマや評価ポイントなど頂けると嬉しいです。