Ep.1-7 魔獣との闘い
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「(……ちょっと厄介なことになっちゃった、かな……)」
想定外の状況で魔獣に相対し、奏は内心少し焦っていた。このままここで闘えば、集まっていた非力な村人たちまで狙われてしまい、大惨事になる可能性がある。
魔獣はそれだけの脅威であるし、それに対抗するにはやはりそれだけの力が必要なのだ。
だから
「……夏希! ここから離れさせて!」
「合点承知!!」
目的語のない簡潔な意思疎通を、しかし彼女たちはいとも容易く行って見せる。
夏希が人々を誘導するのを見て、奏はそっと目をつむる。一瞬気を静めると、自らの半身たる神器を呼び出す。
「……さあ、おいで」
同時、奏の周りを翡翠の風が取り囲む。その風は更に勢いを増すと、彼女の右腕に集中し、何かを模るように渦巻く。
そうして一瞬ののち、腕に集まった風が晴れるとそこには、翡翠の意匠が施された漆黒の銃が握られていた。彼女の周りには、翡翠の風が変わらず渦巻いている。
――それは、『神器』。この過酷な世界に抗うために、人間にのみ与えられた、拠り所たる力。最後の希望たりうる力。
魔術の行使に際しこの神器を顕現させることで、人はより早く、そして強力な魔術を使用することができるようになる。
「BURUOOOO……」
それを見た魔獣の両角にも、ドス黒い雷が纏わりついていく。
お互いに相手の様子を伺い、しばし睨み合いの状態になる。
銃を向けて魔獣をけん制しながら、奏は思考を巡らす。
「(……なる。相手は雷。しかも遠隔型ではなく近接型。――なら、集落の人が離れるまでこいつをここに留めておくのが最優先、かな)」
基本的に、使える魔術は一個体につき一属性である。時々複数の属性を使える者もいないことはないが、そんなに多い訳ではない。
――手を動かすように、足を動かすように、それとは別にもう一つ、ごく自然に何か他の者と違うことができる。それが、魔術という力の本質であるが故に。
そして、野生の獣たる魔獣においても、それは例外ではない。
更に言うなれば、知能の発達していない彼らが魔術を様々な形に応用することはできない、というのが常識だ。
件の魔獣が角に雷を纏うのを見た時点で、奏は魔獣の魔術をそれに限定。
周辺への被害を考え、強引に倒しにいくのではなく、集落の人々が十分に離れるまでこの場所で足止めする作戦に決めた。
「BUMOOOOOOOOOOOO!!」
痺れを切らした魔獣が、奏に突っ込んできた。
その前足に一発、鼻っ面に一発、けん制に風の弾を放つ。
大したダメージにはならないが、出鼻をくじかれた魔獣はうっとおしそうに顔を振り、突進の勢いも弱まる。
奏はその隙に素早く魔獣の後ろに回り込むと、更に一発背中に打ち込む。
すると、再度目標を見つけた魔獣は、再び突進の構えを見せるのだった。
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少しして、村の人の避難誘導を終えた夏希たちが戻ってくるまで、奏は同じ作業を繰り返していた。
いいようにいなされていた魔獣は、かなりフラストレーションが溜まっているのか、初めよりも一層猛っている。
「奏ちゃーん! 終わったよー!!」
夏希のその言葉に、奏が隙を見て振り向くと、夏希と件の少年がこちらを見ていた。
それを確認すると、よし、と一つ気合を入れる。
そう、確かに避難までの時間を稼ぐことを目的として戦いを進めていたが、彼女の実力を以てすればある程度避難したところで倒すこともできた。
周辺への被害も、他所へ注意が向く前に斃してしまえばその心配もない。
敢えてそれをしなかったのは、万が一を防ぐためと、そして、
――ちゃんと戦えるのか、ってことさ
「(……見せてあげる。私たちの実力を!)」
瞬間、彼女の周りを渦巻く風がその勢いを増した。
応えるように魔獣も、双角に纏う雷を今まで以上に巨大化させる。そして、全速力で奏に突っ込んできた。
「吹き荒れろ!」
そう言うと、奏の持つ銃から、今までの牽制用の弾とは違う、魔獣すらすっぽり覆いつくすほどの巨大な風弾が放たれる。
それを見て魔獣はギョッとするも、本気になった自らの速度を急に殺すことができずに正面から飛び込んでいってしまう。
しかし、
「BURU……MOOOOOOOOOOOOO!!」
全身を切り刻まれながらも、魔獣はその風に打ち勝ち飛び出してくる。奏が横に飛んで避けるも、右手に持っていた銃を手放してしまう。
勝った! と、魔獣は確信した。あの厄介な風の弾は、あの黒い筒から出てきていた。あれを失ってしまえば、向こうの森に住む忌まわしき狼たちとは違い、この生き物はただの脆弱な存在である。と、そう思った。
いや、正しくは、思ってしまった。
武器を失った敵に追撃を掛けるべく、急ブレーキをかけて止まり、何とか方向転換しようとする。そうして振り向いた魔獣が最後に見たのは、
「……ごめんね」
何も持たないはずの左手に集まった風をこちらに向けて放つ、忌々しい敵の姿だった。
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「おー、うまいなー。ギリギリ突っ込んで壊せるくらいの風弾を放ってダメージを与えつつ、しかも敢えて銃を捨てることで、魔獣に倒せる! と思わせたんだな」
「うん。あれであの魔獣は最後まで逃げようとは思わなかっただろうね」
奏と魔獣の闘いを見ていた少年は、掛け値なしに称賛の言葉を述べる。
簡単に倒したように見えるが、魔獣はただの野生動物ではない。一体が人のコミュニティに現れるだけで、甚大な被害をもたらす小さな災害である。
それと相対し、最初から最後まで思い通りに戦いを進めたのは、ひとえに彼女の実力に他ならない。
「しかも神器を使わずにあの威力。いやー、流石はうちの主席ですなー」
神器は、ただ頑丈な武器ではない。顕現させることで、より早く、強力な魔術を行使できるようになる。
だが、顕現さえさせていれば、必ずしも戦いの全てを神器に頼る必要はない。必ず出しておかなければならないが故に、神器を中心に戦おうとするのは当然であるが、敢えてそれを囮に使う彼女の戦い方は、彼女の実力を知るのには十二分だった。
それに、
「(それに、神名開放してなかったが、あの神器…………。こりゃあ、偶然って言うにゃあ随分と出来た展開じゃねーか)」
そう一人静かに笑っていると、いつの間にか奏が近寄ってきていた。
「……どう?」
自慢するでも、誇るでもなく、ただ純粋に感想を聞いてきたらしい様子を見て、また笑いがこぼれてしまう。
それを見て更に小首をかしげる奏に、
「ああ、御見それしたよ」
そう言うと、ハイタッチを求めるように彼女の方へ手をかざすのだった。
「(それにしても……)」
魔獣の骸を眺めながら、夏希はふとここに至る前のやり取りを思い出していた。
結果、怪我人もなく無事に済んだので何となしになかったことになっているが、この戦闘の前、少年は確かに
「(魔獣がここに来ることに、だいぶ前から気付いていた?)」
そう。魔獣の雄叫びも、何かが壊されるような音も聞こえないうちに、彼は、別れて行動する必要はないと言った。
それはつまり、彼は魔獣が迫って来ていることを予期していた、ということになる。
「(んー。やっぱし、少し無理言ってでも連れて来て正解だったかな……。どんな人か、ますます気になってきたヨ)」
奏とハイタッチをしている彼を見て、夏希はそんなことを考えていたのだった。