Ep.1-5 学園生活の始まり(大嘘)
**********
王国の中心部にある王都から三時間ほど。幾本か電車を乗り継いで着いた先にあったのは、どこか懐かしさを感じさせるのどかな田園風景だった。
一面に広がる田んぼはまだ田植え前で、ただ土の深い色のみが視界を占めている。
そして、その中を奔る無骨な線路と、駅舎と言うにはあまりにこじんまりとした小屋しかない木造の無人駅。
その駅から線路と垂直に延びる細道の先には、果てなく広がる山々とそのふもとの小さな集落が見える。
ふと視線を上に向ければ、これまた一面に広がる青空に僅かばかり、新雪のように真っ白な雲が浮かび、穏やかな四月の風にゆったりと流されている。
都市部に比べて心なしか澄んだように感じる空気を一つ深く吸うと、少年は小さくため息をついた。
何だかもうここ数日、事あるごとにため息をつきすぎて、もしも仮に『全国ため息選手権』なるものがあればそりゃもう断トツで一位をもぎ取れてしまうなー、それどころか世界記録も間違いねえなー、なーんてバカほどくだらないことを考えているうちに、ため息のみならず些細な愚痴も口からこぼれ出ていく。
「なんたってまあーこんなとこに来ちまったかねぇ。俺ァてっきり、ウフフアハハ、ポロリもあるよ! ……な学園生活が始まるもんかと思ってたんだけど」
「もー! 電車でちゃんと説明したではないかー! これも学業の一環だって」
「……というか仮にここ来てなくてもそんな学園生活は始まってないと思う……」
漏れ出てしまった少年の愚痴? のようなセリフに、少女たちは揃ってツッコミを入れる。
とはいえ確かに、「編入生を中心とする学園ラブコメが今、始まる!」……なんていう感じのテンプレートを高速、いや、神速で叩き壊し、編入早々学園から遠く離れたド田舎に来てしまうなんて展開、中々お目にかかれるものではないが。
されどその一方、夏希の言う通り、彼らは遊びに来たわけではない。
彼女ら二人、いや、これからは少年も通うことになる、イッシュヴァルト王国立高等学校。
この名門高校を卒業した生徒の中には、国の防衛のために機能する王国直属の軍に入隊する者がいれば、大学等の高等教育機関に進学した上で科学や魔術の研究者または指導者への道を歩む者もいる。
当然のことながら、そのような道に進むのではなく民間企業に勤める者も多い。
しかし、卒業生に一番多い進路はそのどれでもなく、とある特殊な職業に従事することである。
その職業は、今なお増え続ける需要のさなかにあり、勢いは増すばかりだ。
その職業の名は、“征伐者”。
人智を超えた脅威と隣り合わせで生きていかなければならないこの世界において、多様化する需要ごとに別れた職業に就くのではなく、魔術を以てして広く様々な依頼に対処する人々を示す。
畢竟するに、征伐者の仕事の内容を説明するなればごくごく単純なものである。
即ち、
――あらゆる手段を以てして為された依頼に応えよ――
と。
その文言の通り、人々からの依頼を仲立ちして管理する仲介所に寄せられる依頼には、戦闘するもののみならず多種多様のものがある。
往々にして科学的な知識も要されることも多々あるため、例外はいるものの、決して荒くれ物や脳筋の集まりではない。科学と魔術、双方に長けた人々から成る、まさにこの学園の卒業生にふさわしき職業なのである。
そして、その道に進むものが多いこの学園において、在学中からその業務に従事することは単なる社会経験としてだけでなく、先行的な職業経験として至極必須なものである。
従って仲介所も、将来の征伐者の養成のために、寄せられた依頼を学園と共有しており、生徒は自由に依頼を受けることができる。
学園も授業体系として単位制を採用しており、征伐者に対する依頼を受け、達成することで単位に代えれるようになっている。
こういう訳で彼らは、始業式の次の日にも関わらず、授業にも出ずにこんな山奥に来ているのである。
「そりゃまー分かったけんどもさ、出会って初日の男を誘うもんかね」
がしかし、少年はイマイチ納得がいかないご様子である。
往々として危険が伴うハズなのに、信頼関係もクソもない知り合って初日の彼を誘うこと自体が腑に落ちない。
まあそれでいて、断らずにホイホイとついてきてしまった少年も少年である。だって特別断る理由もないし。
「いやまあそこは、君に興味があるからってことで! なんせ前代未聞の食い逃げ未遂編入生だし」
「うげっ。あははー、なんのことかなーっと」
痛い所を突かれ、少年はしらを切る。口笛を吹いてごまかそうとするも、音はならず、空気の抜ける音だけが空しく響く。ベッタベタである。
ここへ向かう電車の中で昨日の話題になったとき、このことを指摘された少年は思わず飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
まさか一部始終を見られていたとは思ってもいなかったからだ。
……まあ実際、あのままもし国王……じゃなくて、某所からの救いの電話が無ければ、学生証でも渡しておいて取りに行くつもりだったし、えげつないMUKIMUKIなのが出てきたからその前にちょっと場を和ませたろかなー、くらいの気持ちで百メートルのタイムを聞いたのだが、言われてみればまごうことなき食い逃げ未遂であった。
その旨はきちんと彼女たちに説明したし、納得もしたようだけど、どうやら夏希に要らないからかいネタを与えてしまったらしい。
そんな雑談を交わしながら、山のふもとに見える集落らしきところへと歩を進める。穏やかな陽気と風の中で、ふと彼が話題の転換を図った。
「あー、そういえば、なんだけどさ」
――実は昨日、少年と別れた後のことである。奏と夏希の間で
「……そういえば、名前聞いてない」
「あ゛!? ……ま、まあ、明日思い出したときにでも聞けばいいさ!」
なーんていうやり取りが成されていた。なるほど確かに、夏希が少年を誘うことばかりに注意がいっていたため、二人とも名前を聞いた記憶がなかった。
そんなやり取りをしたことをふと思い出し、そういえば名前まだ聞いてないなー、でもなんか聞くタイミングもなくなっちゃったなー、と途中歩きながら一人ウンウン悩んでいた奏は、彼の言葉に顔を上げて疑問を返した。
「……どしたの?」
「や、今回の依頼とやらってのが何なのか、まだ聞いてないなーと思ってな」
「……あー、そいえばまだ言ってなかったね。……というか、内容分からないでよくついてきたね……」
「はっ、ホントだよ全く」
そう自虐的に笑う少年を横目に、続ける。
「……えっと、依頼の中身はね……」
**********
「害獣退治?」
「その通りでございます」
出迎えてくれた集落の長老が、そう首肯する。
「この集落は、とある神の住まうと言われる領域のすぐ近くに作られておりまして。ちょうどこの山を越えた先なのですが、そこは一面に止まない雨が降る常夜の森と言い伝えられております。――恐らくはその森での生存競争に敗れ、抜け出してきた獣かと思われますが、そやつが畑に押し入り農作物を荒らしております故、こうして遠路はるばるお呼び申し上げた次第でございます」
依頼内容の説明を聞きながら、奏たちは集落の奥に位置する集会用の建物の前まで案内された。
説明してくれている長の後ろには、無残に荒らされた畑の一部と、巨大な蹄の跡が見える。
今はまだ集落の外れ、山にほど近い場所にある畑に、それも夜しか来ていないようだが、もし万が一住民たちが住まう村の中央の居住空間に日中現れ、村人たちと鉢合わせてしまったらと思うと、奏と夏希の背筋を冷たい汗が流れる。
「恐らくあやつは、このふもとの集落と、山の向こう側の神域との間の山中に潜んでいるものと思われます。――伝え聞くその神域の名は、『涙の森』。古の猛き狼が統べる、涙のように雨が降り続ける森、と伺っております」
長はそこで一息つくと、更に続ける。
「語り継がれている言い伝えに従い、我らも一度たりとも入ったことはございません。くれぐれも、彼らの領域を侵し奉ることなく、害獣たる猪を屠っていただければと思います」
疲弊した表情で、そう締めくくった。
**********
「なるほどまあ状況は分かった。そんじゃまあ、害獣退治……といく前に、お前さんらに二三確認しておきてーことがあるんだけど」
宛がわれた集会用の建物の中で準備を進める中、ふと話を振られて夏希と奏は振り向く。
「まず今回の害獣、まぁ言ってた通り、猪なんだろうが……」
「うん、多分、というかほとんど間違いなく……」
「……魔獣、だね」
この世界において、魔術を使えるのはなにも人間だけとは限らない。
野に生きる獣たちの中には、厳しい生存競争に勝ち残るために、魔術の行使をも可能にしたものたちがいる。――それが、魔獣。
獣の体躯や身体能力に加え、魔術すら使えるようになった魔獣の戦闘能力は、普通の獣のソレの比ではない。
畑に残された猪の痕跡の中には、焼け焦げた柵が転がっていた。それは、ただの野生の猪ではどう考えても有り得ないものである。
つまり、この依頼がただの野生動物の駆除などではないことを物語っていた。
「だろーなァ……あと、それからも一つ。あの長のじいさんは山の向こうを神域って言ってたなー。学校で教わったとか、まあ学校以外でもいいんだが、神域について何か知っていることとかってあるか?」
続いてもう一つ、彼が疑問を投げかけた。それは、ともすれば本題であるはずの魔獣退治よりも注意すべき事。
「んっとねぇ、カミサマが支配してる領域のこと、でしょ? あと、絶対に入っちゃダメなとこ、ってことくらいかな」
「……私はもう少し詳しく、いろんな本で読んだことがある。神格を持つ獣、あるいは天上の神のいずれかが、その空間に住まうものすべてを支配している領域。それが、神域。……古来からその領域を侵略することで、数多の国や文明が滅んでいった、その一方で、彼の者らの超常たる力で人々を救ったなんていう逸話もたくさんある。……イッシュヴァルトは違う、けど、国や集落の中には神域に“住まわせてもらっている”って形で存在してるとこもあるはずだよ」
――神。それは、超常たる存在。圧倒的なまでの暴力と、各々独自の秩序を以てして、世界を統べるもの。一切抗うことすら能わぬもの。
その神々が統べている領域が、神域である。幼き頃より音に聞くその神域が近くにあると聞いて、奏は湧き上がってくる緊張を抑えられなかった。
「……なるほどなァー」
答えを聞いて少年は、何故か静かに納得した様子を見せると、
「あーそうだそうだ。あともう一つだけ、聞いておきたいんだが」
さらに続ける。
「これから魔術を使う獣に相対するワケだけどさ……お前さんらはそこんとこ大丈夫なん?」
「そこんとこ?」
「ちゃんと戦えるのか、ってことさ」
ん? と、疑問が浮かぶもすぐに氷解する。なるほど、これはどうやら低く見られているらしい。
あんまりない体験だな、と新鮮さに僅かばかり微笑みつつ、奏は強い視線を向ける。
「……当たり前。でないとこんなとこによく分からない人を連れてこない」
その答えに。
そいつァちげぇねぇや、と、彼は薄く笑った。