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Ep.0 終わり、あるいは始まり

 **********



 ――また、この夢…………


 夢を、見ている。

 ずっと忘れていたのに、この夢を見ると、これが初めてではないことを思い出す。




 そこは、この世界にいくつも存在する人間の国。その中でも最も規模の大きい国の一つである、とある王国に座す王城。

 時刻はもう日付を回ってだいぶ経ったころだろうか。本来ならば、とうに寝静まっているはずの時間である。


 しかし、


「……!………………!!」


「……………!!」


 何か焦ったような声と、幾つかの足音が響く。

 比較的豪奢な服に身を包む男女二人と、鎧を着た者が一人。身格好から(かんが)みるに、立場は違うのだろう。

 だが、全員が一様に切羽詰まった表情で走っている。どうやら、相当の緊急事態であることは間違いないようだ。


 お互いに現状知り得ている情報を伝え合いながら、彼らは急ぐ。

 途中ですれ違う兵士やメイドたちが一瞬驚いた表情で彼らを見つめ、すぐに我に返って膝をつく。

 だが、逐一対応している間も惜しい。彼らに箝口(かんこう)と人払いを命じながらも、しかし彼らの足が止まることはない。




 やがて王城の門の前、星の光に明るく照らされた場所に彼らは辿り着いた。

 するとそこには、寝具だろう、白い布にくるまれ、地面に横たわり穏やかな寝息を立てる二人の少女と、その傍らで満天の星を見上げる一人の少年がいた。


 年端もいかぬ、と言うにもなお幼い、歳九つか十に届くかどうかという身格好。

 その一方で、少年が浮かべる表情はとてもその年代の幼子が浮かべるものではない。

 立場上、人の感情を読みとることに特に長けているはずの彼らでも、秘められた感情を全く読み取ることができない。


 少年は大人たちが辿り着いたことに気づくと、彼らの元へ静かに近づき、そのうちの一人、この国の当代の王に、何か手紙のようなものを渡した。

 そして寝静まる二人の少女の近くに戻り片膝をつき、彼女らの頭をそれぞれ一度だけ軽く撫でると、大人たちに背を向けたまま少年は彼らへ何事が言葉を紡ぐ。




 どんなやり取りを交わしているかは、俯瞰(ふかん)している立場からでは聞こえず、知ることも(あた)わない。

 ただ、これだけは知っている。この後に少年が、何も知らずに静かに眠る少女たちをおいて何処かへ行ってしまうということを。


 ――待って!!


 必死に叫ぶも、届くはずもない。




 一方眼下では、少年が去ろうとしていることに気が付いた大人たちが、慌てて彼を引き留めようと必死の説得を試みている。

 しかし、少年の決意が揺らぐことはない。彼が静かに立ち上がるのを見、大人たちは唇を噛みしめるしかない。




 立ち去ろうとしている少年を見て、聞こえないと分かっていても、届かないと分かっていても、再び叫ぶ。


 ――行かないで!!




 すると、まるでその声が届いたかのように――恐らくは周囲の喧噪(けんそう)で安らかな眠りからしばし呼び戻されかけたのだろうか――、静かに寝ていた二人の少女のうち片方の少女が軽く身じろぎをした。そして、まだ近くにいた少年の片足を抱きしめると、寝言のように一言小さく呟く。


「ん……にー……ちゃん……」


 もう一人の少女も、眠ったままもぞもぞと動き、少年のもう片方の足を抱きしめる。


「…………おに……ちゃ……」


 目を覚ました訳ではない。状況を理解している訳でもない。されども、少女たちたちは少年を固く抱きしめ、決して離すことはない。

 それはまるで、彼が遠くへ行ってしまうのを、妨げるかのように。大好きな彼と、絶対に離れ離れにならないように。


 今にも立ち去ろうとしていた少年は、足元の少女らのそんな様子を見ると、しばし、この場で唯一といってもいい感情を見せる。

 彼は、深い深い、慈愛に満ちた表情をすると、引き留めようと傍まで近づいていた大人たちの方へゆっくりと振り向き、二言三言説明したのちに手のひら大の何かを渡した。


 そのあと少女たちを起こさないよう静かにかがみ、彼の脚を掴む彼女らの手を優しく、優しく、ゆっくりと離していく。

 そうしてまた膝をつき、もう一度ずつだけ彼女らの頭をなでると、そっと立ち上がり、一瞬のうちに夜の闇の中へと消えていった。


 残された城の前には、未だ呆然と立ちすくむ三人の大人と、再び安らかな寝息を立てる二人の少女が、残されるのみであった……




 一連の様子をただ眺めることしかできず、無力感と喪失感に苛まれていると、今度は身体が浮き上がるような感覚を覚え、夢から覚めることを予感する。


 そうして目が覚めたら、また全てを忘れてしまっている……。



 **********



 科学だけが発達した世界。あるいは、魔術だけが発達した世界。二つの可能性が重なり合ったこの世界は、神話上のみならず神々が実在する世界である。

 天上は『大神(たいしん)』が、地上は『神獣(しんじゅう)』が。各々が陸、海、空、といった支配領域を持ち、その領域のモノすべてを、各々が定めるルールに拠って支配している。


 そして、超常の存在たるその神々に比べ、人間はあまりに無力な存在だ。

 故に、人間はある程度以上の知能を有するイキモノの中で、なるほど確かに、数にしてみれば最も栄えている存在ではある。

 しかしそれにも(かかわ)らず、神々の支配する領域を決して侵してはならない、という常識が広く浸透していた。


 ……いや、常識と言うといささか語弊があるかもしれない。

 遥か古くより、欲に駆られて何度も、何度も彼らの領域を侵し、そしてその度に滅ぼされることで学んでいった、種としての生存のための不文律。



 ――彼の者等の領域に、決して足を踏み入れることなかれ。もし一たびその域を侵せば、果てを知らぬその怒りが終わりを迎えるまで、ただただ滅びが蔓延(はびこ)るのみ。



 そうして現在でも、人のコミュニティの多くは、神々の住まわぬ場所にあるか、神々が不干渉を貫く場所にある。

 この世界で、神々は抗うことのできない自然の災厄そのもの。絶対的な存在であるのだ。




 故に、本来であればこの領域もまた、人が立ち入ることなど未来永劫ありえない――はずだった。


 そこは、水平線まで海が広がる場所でありながら、しかし一切の白波が立つことはなく、また一切の微風(そよかぜ)が吹くこともない極地。

 水面も、そして上空に揺蕩(たゆた)う雲もまた、永久に同じ姿を刻み続けて変わることを知らない、凪の海。いかなる動きをも忘却した、完全に静止した空間。



 ――しかし今そこは、荒れ狂う主の怒りにより、颶風(ぐふう)が吹き荒れ津波が逆立つ死の領域と化していた。


「貴様ァ!! この私の海に、ニンゲンごときが足を踏み入れるなど……。海の藻屑にしてもなお足りぬ。永劫の苦しみを味合わせてくれるわぁ!!」


 怒りを、いや、憤怒を抑えきれないソレは、地上に住まう神。

 即ち、紛れもない神の一柱。浅葱色(あさぎいろ)にその身を輝かせる巨大な“竜”だった。


 一見爬虫類の類にも見えるその身体は、しかしそれらとは比べるべくもない圧倒的な神々しさを纏っている。

 全身を覆うのは浅葱色に輝く強固な鱗。

 丸太に例えるにはあまりにも太くたくましいその四肢の先には、鈍く灰銀にきらめく爪が伸びており、また少し長めの首の先にある貌には一対の強大なる白銀の牙。

 そして、三本の角が先端に近づくにつれ、捻じれて一本になった禍々しき黒き角。

 平生であれば晴天に浮かぶ白雲のように全身にまばらに広がる白い模様は、怒りのためか曇天のごとき灰褐色に染まっていた。



「やー、ただ素通りさせてもらえりゃよかったんだけどなー……そういうわけにゃあいかないっすかね??」


 そんな“海の怒り”そのものと、一人の人間の少年が相対していた。


 歳は僅か15,6であろうか、せいぜい170cm程度の身丈、その全身を灰色の外套で、口元まで覆い隠している。

 よく見ると彼の足下だけ水面が凍っており、その上に静かに(たたず)んでいた。


 本来ならば息をすることもままならないはずの圧倒的な力の奔流。

 そんな中でも、少年は冷静な表情を崩すことはない。



 それが、竜の神経を一層逆撫でした。


「GURU……GURUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」


「あーらら、めっちゃ怒ってら―……。ま、わりぃけど、ちょいと手荒でも押し通らせてもらうぜ。なんせ、でけぇ義理があるもんでなー」


 そう独り言つと、少年は、だらりとぶら下げていた右手の肘を軽く曲げ、手のひらを上に向けて軽く手首を振った。

 すると、何も持っていなかったはずの彼の掌の上から天へ向かって、(いかづち)(ほとばし)る不定形の槍が現れた。

 雷を纏った槍ではない。天より(はし)る雷をそのまま刈り取った、雷で出来た槍。



 ――それは、『神器』。

 非力で矮小(わいしょう)な人間が、この厳しい世界を生き延びるための(よすが)

 数えて十の誕生日に、神器を司る女神から与えられし、過酷な世界と闘うための力。人々が魔術を行使する際にそれを支える、人智の外のデバイス。

 持ち手によって階梯(かいてい)が別れており、しかし位の低いものでも、持たざるよりも遥かに人間の力となってきた。



 しかし無論のこと、力になるといっても限度がある。

 更に言えば、下賜する側である神の一柱にその力を向けたところで、焼け石に水。どうにかなるものではないのは明らかだ。


 それ故に、たかが人間如きがただ神器を顕現させたところで、竜の興味など微塵も湧くべくもない。




 ――はず、だった。


 だがしかし、どうだろう。


「あ゛あ゛? そりゃあ、もしかして……。……くっくっく、ふははははは!! 本来ならば一笑に付すところであったが、その神器……。まさかこんなところで、『***』に会うとは思わなかったぞ!!」


 その神なる竜は、神器を見た途端に先ほどまで抱いていた少年への憤怒よりも興味が先行したらしい。


 しかし、それもやむを得ない。

 神器の内、神である竜が考えうる中でも最高位のもの。唯一、神々の足下に及ぶ程度の力をも発揮できる階位のものの持ち主とは思っていなかったからだ。


 およそ人間が知るはずのない、古の神々だけが知っているとある存在を指す言葉を叫び、竜は暫し興奮を見せる。


 だが、


「いや、俺はちげーぞ? なんせ、もう()()()()からなァ」


「………………何?」


 少年の言葉を聞き、その興奮も一瞬で覚めた。いや、覚めざるを得なかった。


 この不遜な少年との邂逅(かいこう)より暫し。ここに来て初めて、竜は目の前の少年へ警戒という名の感情を抱く。


 ――その言葉は、『***』という言葉は、古の神々しか知り得ないはずだ。間違っても、たかがニンゲンごときがその意味を知っていて良い言葉ではない。ブラフだろうか? いや、さりとて……


 そんな渦巻く竜の感情をさておき、右手に顕現させた槍を掴んで彼は続ける。


「こいつは『悪竜打ち砕く神雷(インドラ)の槍』。二大叙事詩よりも更に昔、古代インドの聖典、リグ・ヴェーダにおいて、その実に約四分の一をも割いて讃えられた雷霆神インドラ。ただ偉大なるその力を以てして、水を()き止める悪竜ヴリトラを(ほふ)った逸話に沿って(こしら)えた、紛うことなき神話の一撃だ」


 それを聞いて、竜は一切動けない。

 さながら、余りの衝撃に呼吸すら忘れてしまったかのように。


「その際に投じたのは工巧神トゥヴァシュトリが造った金剛杵(こんごうしょ)『ヴァジュラ』だがな、このご時世にはちょいと馴染みが薄いもんでなァ。突く、投じる、という共通の概念に基づいて、槍という形を以てその余りに猛き雷神の力を再現したって訳だ」


 ここで一つ言葉を区切ると、何故か少し遠くを見て、更に続ける


「まーご存知の通り、神話とは得てして時代とともに移ろい変わるもんだからな。こいつも二大叙事詩の方だと大分俗物っぽさが出てくるわけで……いや、まあ、こんくらいで十分だろー。――と、いうわけだ。な? 俺は()()だろ?」


「な、何故だ……!? どうしてソレを!?!?」


 竜は我に返ると同時、目の前のちっぽけなはずの存在を明確な敵とみなす。

 知り得ないものを知る得体のしれない存在を、この世界の異物。絶対に排除しなければならない敵として。


「さて、なんでだろーな……。で、そろそろ通っていいかい? 動くことを忘れた凪の海を統べる竜、『凪海竜(なぎかいりゅう)』よ」


「!?!? ……お前は……一体何者なのだ……?」


 竜は動揺を隠せないまま、問いを返す。


 その問いはいずれかの琴線に触れたのだろうか、彼は一瞬だけ憂いに満ちた表情をすると、軽く言葉を紡ぐ。


「そうさなあ……何者かってーと難しいけど、あえて言うなら…………傍観者、かな」


 次の瞬間、天すら貫く黄金の雷と、荒ぶる海の怒りを体現した膨大な水の奔流が、激突した。



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