棲みつく部屋
雨の夜は、彼女と初めて抱きしめ合ったあの夜を思い出す。細い腕の中で僕に温もりを与えてくれた夜を。あの日、降りしきる雨の中で君は隣に居続けることを約束してくれた。
「もう一度、君の笑顔を見たかったな。」
そんな思いが心の片隅をよぎる。
「いけない。まだ、いなくなった訳じゃない。きっと、忙しいだけなんだ。必ず帰ってくる。」
首を振りながらそう自分に言い聞かせた。
今日も僕は2人分の食事を用意する。君が大好きだった手作りのカレーだ。空いた席に向かい椅子に座る。食器を洗い、君の夕飯にラップをかける。シャワーを浴び、いつもと同じCDをかけて、布団に入る。君が大好きだったCDだ。雨が窓を叩く音が次第に遠のく。
気が着くと椅子に君が座っていた。
「相変わらず遅起きさんだなぁ。もう待ちくたびれちゃったよ。ほら、早くご飯食べよ。」
テーブルに並ぶサンドイッチはどうやら彼女が作ったらしい。彼女の好きなトマトがたくさん入ってた。
「ごめん。」
「いいのいいの。気にしないで。あ、そうそう。可愛い花瓶があったから買ってきたんだけど、ここに置いといたよ。」
そう言って指さした棚の上には、1輪のアネモネがいけられていた。
「じゃあ今日もいつも通り人生を無駄にしよっか。」
そういうと彼女はテレビをつけた。そこからはいつも通りの1日だった。くだらない洋画を見て、あのCDを流して、僕が夕飯を作る。いつもと同じ。何年も繰り返した毎日。懐かしい君の声が部屋に響く。
僕の人生を拾って、手を握ってくれた君の姿。何日も何週間も欲し続けた君がそこにいた。食器を洗い、シャワーを浴びて布団に入る。隣に君がいる。
幸せだ。もう戻らないと思っていた日々だ。手離したくない。彼女の体を抱き寄せる。きつく抱きしめる。
「きついよ。どうしたの?私はどこにも行きやしないよ。」
あの日、君が僕に囁いた言葉を口にする。何度も反芻した言葉。
「絶対そばにいて。僕を離さないで。」
「なんかあったでしょ。少し変だよ?離すわけないでしょ。だって私はそのために...」
終わりは唐突だった。その言葉の続きを探して目を開けると君の姿は無かった。温かい涙が頬を伝う。
起き上がれば、彼女の面影なんてどこにもなかった。テーブルの上にはラップのかかったカレー。
世界が彼女の存在を否定したようにあの夢の記憶はゆっくりと消えていった。
いつか君が置いた花瓶の花は枯れていた。
最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
初投稿です。
読みにくい文だとは思いますが少しでも心に残ったのなら幸いです。