北条五代の夢 ~小田原城攻略~
今回の登場人物。
伊勢新九郎…京の役人。大名になる夢を持っている。
大道寺太郎、多目権兵衛、荒木兵庫、山中才四郎、荒川又次郎、在竹兵衛…新九郎の仲間達。後の「北条御由緒六家」の祖となる。
龍王丸…北川殿の子。後に元服し、今川氏親を名乗る。
小鹿範満…今川家の現当主。龍王丸が元服するまで家督を預かっているが…
足利茶々丸…伊豆を拠点に堀越公方を牛耳る。素行が悪く伊豆の民を苦しめる。
大森藤頼…扇谷上杉家家臣、小田原城城主。新九郎を警戒している。
「では姉上。俺は京に一度戻り、幕府に今回の顛末を報告してまいります。その際に将軍殿に頼み、龍王丸殿の成人後の所領の安堵を認めさせますよ」
「新九郎、何から何まで本当にありがとう」
「いえ、姉上が賢母なのが幸いしたのですよ。自分の子供は可愛いもの――龍王丸殿が一時家督を失うことを認めてくれたからこそこの和睦は成立したのです」
「また力になってくれる?」
「勿論、また近くに会うことになるでしょう」
挨拶をして新九郎は仲間達と共に、一度京へと戻っていった。
「戦の準備を怠りなきよう」
新九郎が別れ際に、北川殿に残した最後の言葉であった。
大名になる目標を定めた新九郎は、そのために別の大名の力が不可欠であると考えていた。
これから龍王丸が今川を継げば、今回の恩と母とのつながりで、一族の中でも重きを置く重臣になることは簡単だ。
それをより強固にするためにも、新九郎は一時京に戻ることを選択したのである。
京に戻った新九郎は、約束通り将軍足利義政に龍王丸の元服後の駿河の所領安堵を約束し、龍王丸が今後正式な当主になることが認められ、大義を得た。
そして新九郎の読み通り、駿河に戻る機会はすぐに訪れる。
先の家督問題で和睦を結んだ小鹿範満が、龍王丸が元服を迎える頃になっても一向に龍王丸に家督を返す動きを見せなかった。
長享元年(1487年)、龍王丸は正式に元服したが、小鹿範満は家督を譲らないことが、姉の北川殿の書状で新九郎の許に伝えられた。
「これは戦じゃな」
「ああ、遂に時が来た。駿河に大恩を売る戦だ!」
新九郎は仲間と共に再び駿河に向けて出陣した。
戦の機運が高まり駿河も緊張が走っていたが、新九郎の行動は早かった。
「龍王丸殿の家督継承は将軍も認めていらっしゃること! それを反故にした小鹿範満
は逆賊である! 範満に味方する者は逆賊となるぞ! 今川へ仕官したい者は俺達に続け!」
駿河に入国したと同時に新九郎はこう唱えて仕官者を募り、一大勢力を築き上げたのである。
新九郎は小鹿範満が家督を返さないことを、和睦の使者となった時に彼の人間性を見て確信していたのである。自身が駿河に残るよりも、一度京に戻って彼の油断を誘う――そして自分が将軍の側近である立場を利用し、彼を逆賊とみなす言葉に信憑性を持たせる。
これが新九郎の構想――まさに狙い通りであった。
そしてまだ戦支度の整っていなかった小鹿範満の本拠を急襲したのである。
「小鹿範満! 逆賊の首を取れ!」
館は大混乱に陥り、範満の家臣も次々に逃亡。
あっという間に小鹿範満は早雲とその仲間達の前に一人囲まれたのだった。
「範満殿――駄目ですよ、約束は守らないと」
「い、伊勢新九郎! な、何を言う、私はちゃんと家督を返す気で」
「別にあなたの意志はどうでもよいのです。あなたの首で駿河は平和になる――俺はその功を貰うために、その首が欲しいのです」
「ぎゃあああああああ!」
小鹿範満は討ち死にし、龍王丸は正式に今川家の家督を継ぎ、元服して今川氏親と名を変える。
「叔父上、ありがとうございます」
「龍王丸、大きくなったなぁ」
「叔父上、これから私を支え、今川を助けていただけますか?」
「無論そのつもりです。ですが私には大名になる夢がある。その期限付きでよければですが」
「仕方ありませんね。ではそれまでの間だけでも……」
「かたじけない。では私が所領を切り取った暁には、独立を認めていただけるということで」
「しかしよいのですか? それなら今川を乗っ取れば簡単なはずですが」
「姉上、私はただ国が欲しいわけではありません。応仁の乱で苦しむ民を見て、民が安心して暮らせる国を作りたいのです。ここ数年駿河は政情が不安定で民も不安がっている。この国を奪っても、民は私を信じますまい。私は今暴政に苦しむ国を救い、私の国を作りたいのです」
こうして新九郎はこれを機に、今川家の重臣として駿河に残ることになる。
こうした経緯と、後に新九郎の孫、北条氏康の代で氏康の娘、早川殿が今川義元の子、今川氏真に嫁いだこともあり、今川と北条は今川滅亡まで終始良好な関係を築いている。
新九郎は仲間と共に、伊豆との国境に近い興国寺城に所領を与えられ、家臣としてだが一国一城の主となり、大名としての一歩を踏み出すのだが。
この時、新九郎に衝撃の報が届く。
「何? 道灌殿が死んだ?」
「ああ、とは言え去年のことであるがな」
文明18年(1486年)、太田道灌が亡くなっていたのである。
「信じられん、あの無敗の道灌殿が。長尾景春の乱をたった一人で鎮圧し、三十以上の合戦で無敗と聞いていたが」
「どうやらあまりにも大功を立て過ぎたために、扇谷上杉家の主君上杉定正が道灌殿に自分の地位を脅かされることを恐れたのじゃろう。主君の屋敷に呼び出され、暗殺されたそうじゃ。道灌殿は死に際に「当方滅亡」と叫んだらしい」
「自分が死ねば、この家は滅亡する――馬鹿が! あの人は誠の武士、誠の忠臣だった! あのような人を暗殺するなど!」
「結局道灌殿の死が引き金となり、扇谷上杉家は優秀な家臣がどんどん分家の山内上杉家に流れておる――今は関東管領も山内上杉家に集中し、衰退が著しいそうだ」
「当然だ。道灌殿ほどの人がいなくなる影響が分からんのか? 自分の地位の安寧ばかりで、家臣や民のことを考えられん者がこの世には多すぎるのだ。やはり関東は俺が正さねばならない!」
新九郎は改めて関東に覇を唱える大名となる決意を新たにするのだった。
新九郎が興国寺城に入ってすぐに、国盗りの好機が訪れる。
延徳3年(1491年)――新九郎が今川の家臣になってから四年後。
興国寺城に国境を面する伊豆の堀越公方という勢力――ここを統治するのは、足利将軍の腹違いの兄弟、足利茶々丸である。
この足利茶々丸は元々素行の悪い人物で、長男ではあったが父から家督の継承権を認められなかったが、父の死後、母と弟を殺害し、強引に統治権を奪い君臨したという人物であった。
当然そのような有様なのだから、父の譜代の家臣達が次々に離散し、伊豆中が大混乱に陥る事態となった。駿河へ逃げ込む民も続出し、伊豆の民が茶々丸の圧政に苦しめられていた。
この時足利幕府では八代将軍義政、その家督を譲った九代将軍義尚、その母日野富子も幕府に大混乱をもたらした挙句に既に死去、世は十一代将軍足利義澄の時代になっていたのだが、この足利義澄も実はこの堀越公方の生まれで、室町幕府の混乱で後継者がいなくなったために将軍として召し出された人物だった。
つまり、将軍の母である女性はこの堀越公方におり、足利茶々丸にとっては継母に当たった。そしてその女性を、茶々丸は家督を奪う際に殺害していたのである。
将軍の母親を殺したのだから、当然茶々丸は大罪人であり、幕府の反逆者として討伐令が下ったのである。
この大義名分に、新九郎が立ち上がったのである。
「足利茶々丸! 貴様には討伐令が出ておる! 潔く自刃せよ」
茶々丸を裏切り味方に付いた者もおり、道案内をする者もいるため地の利もある。大義名分もある。敵は既に総崩れの状態――
これだけの好条件が重なったのも幸いしたが、新九郎は今川氏親の助けもあり、わずか一か月で伊豆を平定。茶々丸は逃がすものの、五年後に捕縛され斬首となる。
新九郎は伊豆を平定するとすぐに重税に苦しんだ民の慰撫に努め、税を軽減し善政を敷いたため、民はすぐに新九郎を歓迎するようになった。
北条家は善政を敷く伝統はこの新九郎から始まっている。北条家は五代で豊臣秀吉により滅ぼされるが、その後任の大名、更に徳川家康の天下統一後も旧北条の領民は北条家の統治を愛し、後任の大名に心を許さなかったと言われている。
「叔父上、伊豆を平定されましたね。名残惜しいですが、今川は伊豆を領地に叔父上が独立することを認めなければなりませぬ」
戦勝祝いの際に、今川氏親は名残惜しそうに言った。
「氏真様、そのことなのですが、もうしばし今川の家臣でいることをお許しいただけまいか。道灌殿が亡くなったとはいえ、まだ関東管領山内上杉家とその分家の力は厄介――この難局を解消するためにも、私も今川も協力して事に当たるべきと思います」
「なるほど、私としては願ったりな話です。叔父上が味方でいることは非常に心強い」
「私はこれから相模、武蔵に入り上杉家の力を削ぎたいと思います」
「また戦ですか――次はどちらを標的になさるのですか」
「道灌殿と百年の計を語った地――小田原にございます」
この当時、小田原城は太田道灌が宰相を務めていた、関東管領を務める山内上杉家の分家、扇谷上杉家の所領であった。
太田道灌を殺害した扇谷上杉家主君の上杉定正は、これ以降山内上杉家と家格の主導権争いを繰り返していたが、その折に新九郎も援軍として参陣したこともあった。
そして太田道灌を殺害してまで自分の地位を守った上杉定正だったが――何と新九郎が援軍に駆け付けたと同時に、馬から落馬して死ぬという最期を迎えたのだった。
「道灌殿を殺した天罰だ」
新九郎の仲間達はそう噂しあった。
「ふふ、どうやら道灌殿も俺の応援をしてくれているようだ」
大将が死んだことで援軍の意味を失い、伊豆に戻ってきていた新九郎はそう笑った。
「だがどうするのです? いくらそうは言っても小田原城はあなたも気に入る堅城。箱根の険と後ろは海に囲まれている。あの城を落とすにはあまりにも兵が足りないぞ」
荒木兵庫が言った。
「ふ――ならば待とうじゃないか。地道にな」
それからというもの、新九郎は小田原城城主、大森藤頼に貢物を送り、互いに急接近を始めた。
はじめは警戒していた大森藤頼であったが、次第に新九郎と友好的な関係になっていき、友として認めるようになっていった。
そんなある日――
「よし! 来たぞ!」
城の一室で嬉しそうに声を上げる新九郎に、仲間達が集まった。
「どうしたんだい新九郎」
「小田原が俺の手に落ちるぞ」
「何を言っているんだい、ただ贈り物を続けていただけじゃないか」
在竹兵衛が呆れて言った。
「そうではない、これを見ろ」
新九郎は大森藤頼から届いた書状を見せた。
「俺の箱根山での鹿狩りの提案を受けた。俺達は箱根山に堂々と入れるってわけだ。みんな、準備しろ!」
そう言うと新九郎は自分の家臣の中から選りすぐりの者を山中才四郎、荒川又次郎、在竹兵衛の下で勢子(狩りの際に獲物をおびき出す役目を担う人たち)に化けさせて、箱根山の山々に埋伏させた。
新九郎は大道寺太郎、多目権兵衛、荒木兵庫と共に夜のうちに別ルートで箱根を登り、小田原城の目前までやってきた。
新九郎がここで連れてきたのは、沢山の牛である。
「何をするのだ、新九郎」
「みんな、連れてきた牛の角に松明を括り付けろ」
皆は新九郎の言うとおりに、牛の角二つに松明を残らず括り付けた。
「いいか? 松明に火をつけた牛をこの坂から順に小田原城に向けて追い落とせ! 小田原城は奇襲を受けたと思い大混乱に陥る! そこに才四郎達に預けた、勢子に化けた部隊が鬨の声を上げて攻めかかるんだ!」
「なるほど、面白そうだ」
「いいか、行くぞ!」
新九郎は自分の持つ松明で目の前の牛の角につく松明二つに火を点けると、そのまま斜面に向けて牛の尻を蹴飛ばした。
牛は火を見て怯えるように悲鳴を上げ、斜面を一気に駆け下り、小田原城へ向かい突っ込む。
次々に落とされる牛は山の上から見れば、無数の松明が蠢きまるで大軍で攻めてきたように見える。
「な、なんだ?」
「きゃあっ! 火事だわ!」
「て、敵襲か?」
ジャーンジャーンと銅鑼が鳴り、法螺貝が鳴り、牛の悲鳴はそこかしこで起こり、小田原城は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
城主の大森藤頼をはじめ、他の家臣も我先にと小田原城を逃げだし、新九郎は明け方には悠々と小田原城の門をくぐったのだった。
天守に昇ると、新九郎が見たのは箱根の山間に朝日が昇り、若鷺が鳴き、広い海と豊かな土地が広がる小田原の景色であった。
「小田原――俺飲み込んだとおりだ。この地なら百年続く国を築けるぞ! 俺達の国に相応しい!」
「やったな、新九郎」
そこにやってきたのは新九郎の仲間達であった。
「これで約束はお前の勝ちだな!」
「約束?」
「忘れたのですか? この中から誰か大名になれば、他の者はその者の忠実な部下になると」
「新九郎がこの城の城主――大名になるんだ!」
「お前達――いいのか?」
「悪いと思うのなら約束をしてくれ、俺達の命に恥じない素晴らしい国を作ると」
「お前達――よし、分かったぜ。俺はこの小田原城を天下一の城にし、お前達も、民も、みんな守ってやる! これが大名、伊勢新九郎の生き方だ!」
新九郎は小田原城の天守でそう叫びながら、朝日にあの爽やかな空気を思い出していた。
見ていてくれよ、道灌殿。
あんたの江戸城に負けない立派な城を――国を作ってやるからな。
これが今後武田信玄も上杉謙信も落とせず、力攻めでは豊臣秀吉も落とせなかった天下一の城、小田原城と北条家の出会いであった。
その後新九郎は出家し、名前を伊勢早雲と改める。
早雲の仲間達はこの先「御由緒六家」という地位を手にし、それぞれの家が今後国の中で重臣を歴任する家名を手に入れ、大いに発展する。
早雲は小田原城を起点に鎌倉を平定し、残りの生涯を相模(現在の神奈川県)の平定に努める。
そしてそれを終えると二代目、氏綱に家督を譲り隠居。氏綱は本拠を小田原城に定めるが、早雲はほぼ生涯を伊豆の韮山城で過ごし、永正16年(1519年)、66歳でその生涯に幕を閉じた。
二代目氏綱は、鎌倉を平定し、鎌倉幕府の名跡を継ぎ、鎌倉三代以降将軍家として名を馳せた『北条』を家名として正式に『北条氏綱』を名乗る。
一代で大名に上り詰めた早雲も『北条早雲』としてその伝説を後世に語り継がれるのである……
戦国初の下剋上の体現者として、後の戦国大名の先駆けとなった北条早雲。
彼は後世に『梟雄』として名を馳せ、悪人と扱われることも多いのだが。
もう一人――下剋上の体現者として、一代で大名になった人物をご存じだろうか?
北条早雲よりはるかに低い身分――商人から身を興し、あの織田信長に大きな影響を与え、非常に苛烈な手腕で一国を支配した男。
その男の名は……
次回に続く!
三話で分かる北条早雲、いかがだったでしょうか。
実際元ネタがあると書くのって楽ですね。物語を考えなくても5000文字をサラッと打ててしまうので、こんなに自分が速く書けるのかと少し驚いています。
しかし信長なんかを掘ってももっと優秀な作品があるので、なるべくマニアックなところを攻めたいと思っていたのですが、あまり初期の人物ばかりというのも馴染みがなくて面白くないのかなと思います。
一応予定としては、次の怖い人の次は、島津、長宗我部、毛利のそれぞれ秀吉の討伐前までをやろうかなという予定です。その後をやったら、今度は伊達や浅井あたりをやろうか、まだ手探りですが。