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乱世の生きる道 ~新九郎と道灌~

今回の登場人物。


伊勢新九郎(いせしんくろう)…京の役人。現在は相模、今川家に加勢中。

大田道灌(おおたどうかん)…関東管領扇谷上杉家の宰相。当代随一のチート武将にして最高の学者。

大道寺太郎(だいどうじたろう)多目権兵衛(ためごんべえ)荒木兵庫(あらきひょうご)山中才四郎(やまなかさいしろう)荒川又次郎(あらかわまたじろう)在竹兵衛(ざいちくひょうえ)…新九郎の仲間達。

北川殿(きたがわどの)…新九郎の姉で前駿河大名、今川義忠の正室。嫡男龍王丸を産んでいる。

龍王丸(たつおうまる)…北川殿の子。後の今川氏親(義元の父)だが現在は幼年で政治は行えない

小鹿範満(おしかのりみつ)…今川家の実権を握ろうとする人物。他国の介入を招き駿河国に混乱を招く。

長尾景春(ながおかげはる)…大田道灌終生のライバル。関東で道灌に反抗の機をうかがっている。

伊勢新九郎は今川館にて姉の北川殿と仲間達を従え軍議に入っていた。

「将軍御所より使いの者が来た。拙者、伊勢新九郎盛時と申す。幕府の勅令により駿河に他国の侵入を許さぬよう仰せつかっておる」

 新九郎は幕府からの調書を見せ、姉、北川殿の口利きもあったため、今川家内で疎まれることはなく、危急存亡の時期に歓迎されるほどであった。

「さて、相手は堀越公方と関東管領扇谷上杉家――そしてそれを手引きしたと思われる小鹿範満の軍勢か――」

「三方向から駿河を攻められればひとたまりもないでしょうな」

「なら先にこちらから打って出て小鹿範満を撃ってしまえば、他国は侵攻の大義名分を失うのでは」

 荒木兵庫がそう提案した。

「新九郎はどう思うんだい?」

 山中才四郎が訊いた。

「いずれにせよ情報が少ない。まず他国――特に関東管領の軍勢がいかほどで、大将が誰かを知りたい」

「物見を放っておりますので、もうすぐ戻ると思われます」

 今川家の家臣がそう告げた。

「何でも小鹿範満と今の関東管領には血縁関係があるらしい。それ故に範満はその関東管領の力を借りて駿河の実権を握ろうとしたのだろうが――今の乱世で血縁があろうとそれを飲み込んでしまうのが習わし。関東管領を駿河に入れればたちまち駿河は飲み込まれてしまうぞ。愚かなことをしたものだ」

「……」

「兵庫の策も一理ある。小鹿範満を討てば大義名分は失われるが、逆に血族を殺したことを名分に本格的な侵攻の口実にされかねん」

「伊勢殿!」

 脱兎の勢いで軍議の場にやってきた物見。その様子からも悪い知らせであることが訊かずとも分かった。

「関東管領の軍勢の総大将が分かり申した! 大将は太田道灌!」

「お、太田道灌だと!」

 新九郎は一気に血色を失った。

「なにそれ? そんなにすごい奴なのか?」

 関東の情勢に疎い荒川又二郎、在竹兵衛が首を傾げた。

「すごいなんてものじゃない! 扇谷上杉家は彼の活躍で持っているとまで言われる関東一の名将だ! 無敗どころか、たった一人で関東の一揆や反乱を鎮圧していると言われる」

「京にもその噂は知れ渡っておりますよ。戦だけではなく和歌や築城にも優れる当代屈指の学者でもあるとか――自身が築城した江戸城は難攻不落の要塞と聞いております」

 博識な大道寺太郎、多目権兵衛が説明した。

 戦国時代最強の武将はしばしば議論されることが多い。一般には本多忠勝、前田慶次、立花宗茂などの名前が挙がるが、『天才』や『超人』という類の『最強』においては、いずれもこの戦国初期の時代に現れた大田道灌と、越前の朝倉宗滴こそが間違いなく武田信玄に匹敵する最強であろう。

 この二人は一般に最強と言われる武将のように武勇一辺倒だけでなく、まさにその存在が大名の家を背負っていた。彼の死がその大名家の死といっても過言ではないほど、武勇だけでなく、政治面でも影響力があった。しかも互いに大名でなく家臣の立場であってもその影響力なのだからすさまじい。

「――これは、一戦をやらかすのは自殺行為に等しい――この情勢、たとえ小鹿範満を討って残党を味方につけても、結束のない状態で太田道灌と戦っても勝ち目はない……」

 新九郎は冷や汗をかいていた。

 俺個人で考えれば間違いなく撤退だ。だがそれをすれば駿河は飲み込まれ、俺は朝廷の命を守れない愚か者となる。だが相手は無敗の大田道灌だ。下手な使者で和睦に応じるとは思えない……

「――姉上、駿河を守るためにしばらく不自由を飲んでいただきますが、よろしいですか?」

 新九郎は意を決すように立ち上がった。



 数日後、行軍を経て駿河の国境近くまで進軍してきていた大田道灌は、陣を敷き兵を休ませながら、先に駿河に放った物見の帰還を待っていた。

 関東管領上杉家としては大田道灌の名に怯むことで無駄な抵抗を諦め、駿河を大人しく放棄してもらう、無血での開城が最上策である。それが実現されそうか、事前に物見を放ったのである。

「何しろ道灌様が出陣なさったのだ。その報を聞いて駿河は今恐慌に陥っておるじゃろう」

「油断するな。窮鼠猫を噛むということもある」

 陣中の楽勝の空気を道灌はぴしゃりと諌めた。

「ど、道灌様!」

 物見が帰還する。

「いかがであった、駿河の様子は」

「は、はい、それが駿河は今、何の守りも敷いておりません」

「何だと? 民の様子は?」

「恐慌どころか、穏やかにいつもどおりの生活を送っております」

「どういうことだ?」

「それが城下にこのような高札が」

 物見は城下にいくつも建てられていた高札の内容の写し書きを書状にして道灌に手渡した。


「関東管領扇谷上杉家は駿河の味方である。

これから龍王丸と小鹿範満は和睦を行う。

この和睦に反対する者、大田道灌により斬首されるものとす。

努々御覚悟奉り候」


「ふ、ふはっはっはっは!」

 道灌はその書状を見て大笑いした。

「やられた――まさかこのような手を使うとはな」

「道灌様」

「恐らくもうすぐこちらにも駿河からの使者が来るであろうな……」

「道灌様! 駿河から使者が参っております!」



 道灌が高札の内容を知った頃。

 小鹿範満の陣中はこの高札の内容に動揺が広まっていた。

「おい、関東管領はこちらの味方ではないのか?」

「和睦に反対する者は、あの大田道灌に罰せられるぞ」

 皆大田道灌への抵抗で酷い目にあわされることを恐れていたのである。

「ええい、こんな流言に惑わされるな! 私と関東管領には血縁関係がある! 関東管領が遣わした軍勢がこちらの攻撃をするわけがなかろう!」

 小鹿範満がそう言って軍の引き締めを図ろうにも、万一太田道灌が敵なら全滅は必至である。家臣もこれに乗じて攻め上がろうという気にはならない。

 この噂を聞いた堀河公方も、当然大田道灌と一戦を交えるような覚悟はない。それを聞いて本国へと引き上げてしまったことが、よりこの噂の信憑性を増した。

 この高札ひとつで、駿河国内は一気に和睦へと世論が傾いたのだった。

 その折、小鹿範満の陣に一頭の早馬が飛んだ。

「殿! 今川館から和睦の使者がお目通りを願いたいと申しております」

「ぬ……」

 担ぎ出されたものの決断力に乏しい小鹿範満は、どうするかを決めかねていた。

「会って向こうの提示する和睦の条件を聞くのもよいだろう。しばし待ってから通せ」

 そう言って正装に着替え、館の客室に向かうと、同じく正装を見事に着こなす高貴な男が一人、屈強な男を三人連れて既に控えていた。

「小鹿範満殿ですかな。拙者、足利幕府政所執事、足利義視付申次衆、伊勢新九郎盛時と申す」

 範満は心の中で唸った。申次衆といえば幕府のエリート、完全に将軍の息のかかった家臣である。

 だが同時に新九郎の姓が気になった。北川殿の出自は当然国の誰もが知っている。新九郎が北川殿の血縁者であることはすぐに知れ渡り、自分に不利な条件を突きつけるのだと警戒を強めた。

 後ろにいる戦好きの山中才四郎、荒川又次郎、在竹兵衛も正装に身を包みながらも、上等の太刀を差した偉丈夫達である。一応の用心棒代わりと、威圧要員として連れてきた。

「この度将軍は駿河に関東管領の影響を与えたくないと考え、範満殿に龍王丸殿と和睦をしていただきたいと願っております」

「ほう。しかし和睦というのは対等の条件で成立するもの。そちらが家督を継ぐという願いだけでは成立はすまい」

「勿論そんなことを言う気はございません」

 新九郎は柔和な笑みを浮かべた。

「知っての通り龍王丸殿はまだ幼年にて政治ができる歳ではござらん。ですが龍王丸殿は前当主義忠殿の正室とのご嫡男――これ以上の適任はおりますまい。ですので範満殿は龍王丸殿が元服するまでの間、今川の当主を勤め上げられ、龍王丸殿が元服した際には、家督を龍王丸殿にお譲りいただければと思っております」

「……」

 範満は黙り込んだ。自身の出自が今川の庶流である以上、正室の嫡男とは元々継承権の優先度が天と地ほど違う。範満の大義名分は龍王丸が幼年ということだけなので、この条件に反論の余地がなかったのである。

「――わ、分かり申した。それではその条件で和睦しようではないか」

「さすが名君と謳われる範満殿。民も無用な血を流さずに駿河も救われましょう」

 新九郎は範満と握手を交わし、その場で和睦の合意に署名をさせ、本人の花押を押させる。

「それではこの旨を龍王丸殿にもお伝えいたします。範満殿の今川館での家督継承の儀はまた後日」

 そう言って新九郎は三人の家来達と館を出て行った。

 その後姿を見ながら範満は哄笑した。

「――馬鹿め、そんな約束守るかよ。折角の守護の座、一度手にすればこっちのものよ」



 その一刻後。

 大田道灌の陣に一足先に使者として挨拶を済ませ、道灌の駿河国境の侵入を止めていた、仲間の中でも知恵者の大道寺太郎、多目権兵衛、荒木兵庫は、こちらに範満の和睦の署名を持ってこちらに向かっているという報が届き、安堵した。

 道灌も茶を飲みながら新九郎の到着を待っていた。

 その報のしばらく後に新九郎は大田道灌の陣に到着。道灌は新九郎を自分の陣内へと招きいれた。

 新九郎は陣内の整然とした構えと、目の前にいる指揮官・大田道灌の涼やかな佇まいに唸った。謀略渦巻く京にいた新九郎にとって、道灌の周りの空気はとても爽やかに流れ、乱世の空気を微塵も感じさせない清涼なものがあった。これが無敵の軍を率いる指揮官とは思えないほどの柔和な雰囲気があったのだ。

「ははは、やられました。そちらのご用件ももう察しております。和睦が成立した以上、速やかな撤兵を申し付けに来たのでしょう? 幕府の勅命という形で」

「お気付きでしたか」

「そう考えて既に兵には陣の撤収を申し付けております」」

 確かに道灌の陣は旗指物や松明などがどんどん片付けられていき、帰国の準備が始まっている。その兵の統率の取れた仕事ぶりも見事であった。

「馬もあなたもお疲れでしょう、陣が片付くまでの間、茶の湯でもいかがですか」



 大道寺太郎達を帰した新九郎は、ひとり道灌の陣中に招き入れられ、道灌の立てた茶を飲みながら、談義に花を咲かせた。

「しかしお家騒動に早期に矛を収めさせた手腕、お見事でした。私ものこのこ駿河まで来て、その頃には私の名が使われているとは思ってもみませんでしたよ」

「あなたはこの駿河に長く留まる気はない――関東の反乱鎮圧がまだ済んでいないことはあなたの武勇と共に、京にも伝わっていましたからね」

 大田道灌には、生涯最大のライバルとして長尾景春という男がおり、道灌はその男の反乱鎮圧の最中、この駿河に主君の命令で派遣されたのである。

 道灌は先の戦で一度長尾景春を追い詰めたが、優秀な彼のこと、道灌が関東を空ければその隙をついて関東で再び決起することは目に見えている。主命で駿河に出兵したものの、道灌自身はあまり駿河にいることに乗り気ではなかったのである。

「とは言え無敗のあなたが来た時点で、もう我々に取れる選択肢は和睦しかありません。しかもあなたが来る前に和睦が成れば、あなたはすぐに関東に帰ってくれると思いました。そのためには、あなたを私の味方にするしかありませんでした。あなたの名前で敵対する者達をひるませて和睦を成したんです」

「その策、お見事でした」

「あなたの名前の影響力のおかげですよ」

 新九郎と道灌は互いを認め合った。

「しかしあなたほどの人間が、何故今の関東管領などに仕えているのです?」

新九郎は尋ねた。

「あなた程の人が号令をかければ関東は一挙に収まるのではないのか? ましてあなたの築城した江戸城は天下の堅城と聞く」

「ふふふ、随分簡単に言ってくれる」

 道灌は新九郎の質問に興味を持つ。

「伊勢殿、貴殿は国家百年の計を語れるか?」

「ん? ああ、絵空事ではありますが」

「構いません、聞かせてください」

 そこで新九郎はするが出向の時に旅路で自分の中に温めていた計画を道灌に話した。

「私が百年の計を語るなら、まず主君に小田原にあなたの江戸城のような城を建てるように進言します」

「ほぅ、小田原……」

「小田原は天下を見るに相応しい土地です。箱根の険と海に面し、土地も豊かだ。あそこに堅城を構えれば間違いなく強国に出来る自信がある」

「素晴らしい!」

 道灌は新九郎の言に拍手した。

「ど、道灌殿?」

「まさか私と同じく小田原に目をつけるとは、貴殿の目は確かなようだ」

「そ、そうなんですか?」

「ですが伊勢殿。その夢は政府の役人では実現しませぬぞ」

「え?」

「その夢を実現するには、貴殿が大名にならなければならない」

 その道灌の言葉が、新九郎の脳裏にひとつの答えを生んだ。

「そうか――そうだ、大名だ! この乱世を終わらせるために、俺が目指すべきもの!」

 新九郎は立ち上がった。

「道灌殿、ありがとう! 俺のこの先やるべきことが見つかったようだ!」



 今川館に戻った新九郎は、姉の北川殿が既に用意してあった和睦成立の祝いの席に通されていた。

 既に他の仲間達も酒を振舞われ、家中は存亡の危機を脱したことを祝い、今川の家臣達も大いに笑いあった。

「みんな、聞いてくれ」

 酒の席で新九郎は仲間達の前で神妙な顔立ちで言った。

「俺達は、大名を目指そう!」

「だ、大名? 俺達が?」

 当然ただの野武士集団である仲間達は驚くばかりである。

「この乱世、民を守るためには俺達の城が必要だ。城を作って、国を作る、俺達の民が安心して暮らせるために、俺は大名になりたいんだ」

「いいね、大名!」

「私は将軍になりたいですね」

「お前等真面目に聞いているのか?」

「勿論だ、だが新九郎だけにいい格好をさせるのは癪なんでね」

「ではこんなのはどうだろう」

 仲間の中で一番落ち着いている大道寺太郎が口を開く。

「もしこの中で誰かが大名になれば、他の者はその者の忠実な家臣となり、忠誠を誓う――俺達の国を守るために、身命を賭してその者を支える、というのはどうだろう」

「それはいいね!」

「俺たちの国か――これは腕が鳴るぜ」

「見ていろ――必ず俺達の国を築くため、大名になってみせるぞ!」


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