下剋上の始まり ~伊勢新九郎、決起す~
今回の登場人物。
伊勢新九郎…京の役人。後に「北条早雲」と名乗る人物。
大道寺太郎、多目権兵衛、荒木兵庫、山中才四郎、荒川又次郎、在竹兵衛…新九郎の仲間達。
北川殿…新九郎の姉で駿河大名、今川義忠の正室。嫡男龍王丸を産んでいる。
今川義忠…京都守護、今川氏の大名。北川殿の夫。
龍王丸…北川殿の子。後の今川氏親(義元の父)だが現在は幼年で政治は行えない
小鹿範満…今川家の実権を握ろうとする人物。他国の介入を招き駿河国に混乱を招く。
義政と父・伊勢盛定が隠居前の語らいをしている最中。
その者は仲間と共に京の町で放火を行い、公家の屋敷に侵入した盗賊の抵抗を鎮圧し、縛につけたところである。
男は仲間と共に盗賊の身なりを見る。
「そこらの盗賊にしては正規の装備をしておるな。しかもこの槍の意匠は幕府の足軽に与えられるもの――幕府の足軽崩れが盗賊か」
分かってはいたことだが、男はため息をついた。
「もう公家も大名もない時代だということはお役人様も分かっていることでしょうが」
縛られた足軽はまだ狂犬のような眼をして男を睨んでいた。
「幕府の足軽が公家の家を襲う――ここまで京の権威は失墜したか」
男はもう廃墟となったその屋敷を見る。もう既に朽ちて人が住まなくなり、長い年月が経っている。その間に既に先の盗賊が公家の蓄えていた金銀財宝を盗み、家を荒らしており、目の前の盗賊も戦利品など砂金の一つも持っていないという有様である。
「……」
男は黙って足軽の縄を切った。
「――いいんですかい」
「おぬしにもまだ家族がいるのだろう――それにおぬし一人斬ったところでこの京がよくなるわけでもない――行け。だが家族のことを思うのであればもう二度と盗みなどするでないぞ」
「……」
盗人の先程までの血走った眼に殺気が消え、その目は役人の男の顔を改めて映した。
威風堂々の佇まい、将軍から拝謁した業物の剣を腰に差し、足軽とは比べ物にならない上物の鎧に身を纏った凛とした武者である。
「旦那――良ければ名をお聞かせいただけますかい」
「足利幕府政所執事、足利義視付申次衆――伊勢新九郎盛時と申す」
「伊勢殿――政所執事ということは、将軍様へのお取次ぎができるということですね」
足軽は立ち上がり、また悔しさを漲らせるような顔をした。
「だったら将軍様に伝えてくだせえ! あんた達はこの京を見て何とも思わないのか! ただその日を必死に生きているおら達に、将軍が何をしてくれたのですか!」
そう負け犬の遠吠えのように吐くと、涙をこらえながら足軽は踵を返し、脱兎のごとく逃げて行ってしまった。
「……」
「新九郎、損な役回りだねぇ」
後ろにいる仲間達が同情の視線を向ける。
この仲間達――それぞれ大道寺太郎、多目権兵衛、荒木兵庫、山中才四郎、荒川又次郎、在竹兵衛という。
彼等は幕府内の新九郎の家臣ではなく、皆新九郎の悪友である。皆気性の荒い荒くれどもで、この京で盗人や放火を見てはその賊と戦い、腕を上げてきた叩き上げの野武士集団である。
「……」
新九郎はその足軽の後姿を黙って見守るしかなかった。
「新九郎?」
「もう襲われて久しいこんな公家の屋敷を襲って漁るほど、今日の人間は食い詰めているのか」
応仁の乱がこの国にもたらした影響の一つが、将軍の権威失墜と、公家の没落である。
鎌倉幕府までは将軍が土地を統治し、その土地を荘園として大名や武士に分け与えていたが、将軍の権威が失墜すると京から遠く離れた地方の土地は将軍の名前は何の意味を成さず、有力な地方豪族が無理やりそれを奪い、好き勝手な統治をするようになっていた。
中央集権制から、守護大名の領主化による地方自治体のような統治体系を大名同士で主張し始め、将軍の息のかかった京ではまず公家や寺院の持つ土地が真っ先に奪われ、焼き払われ統治された。公家は金銀財宝を捨て京を逃げる者が続出した。
日野富子が金銀を両軍に貸しているとはいえ戦費はかさみ続け、それが大名の財産を急速に減らしていく。この時代に戦が本職の武士ではなく、正規軍以外の足軽を薄給で雇うことは東軍西軍問わず普及している。
中でもこの京は両軍の争いが広範囲で行われるため、所々で足軽による放火などのゲリラ戦法による混乱が起こり、あっという間に京都の焦土化が進んだのである。
「なあみんな。俺達はこの京でもう何人の賊を斬った?」
「……」
「放火、強姦、強盗――そんな賊を斬ってそれで誰が褒めてくれるわけでもない――公家はもうとっくに京を逃げ、将軍は腑抜けて民の暮らしを見ようともしない――斬っても斬ってもあんな食い詰めた奴が同じことを繰り返すだけだ。お前らだってそれだけ磨いた腕、弱い奴を斬って満足するほどのものじゃないだろ」
「まあ確かに」
「そろそろ盗賊退治も飽きてきちゃったしねぇ」
大道寺太郎、在竹兵衛は溜息をつく。
「俺はもう、この京にいては駄目だと思う――この焦土をいくら荘園として賜っても、何も生み出すことはできん――今の世では種をこの焦土に撒いても実をつけんだろう」
新九郎は役人として、現在の京に限界を感じていたのだった。
「かと言って私達のようなものを雇い入れるようなものもありますまい……何かつてがあれば話は別ですが」
「つて?」
荒木兵庫の言った言葉に新九郎はぴくりと反応した。
「それだ! 兵庫! それだよ!」
新九郎はうなった。
「な、なんです?」
「実は俺の姉上が駿河(現在の静岡県)に嫁いでいてな、そこなら姉上のつてである程度お前達も家臣として働けるかもしれんぞ」
「新九郎の姉上かぁ。確か駿河守護の今川義忠殿に嫁いだんだったな」
「伊勢家も今川家も同格の家格――今年手紙があったのだが、姉上は今子を身籠っておるらしくてな。その子供が男子なら、姉上の子は駿河の大名になるかもしれない」
「なんと!」
「これは正式に名を挙げる好機がこの焦土となった京よりもあるやもしれぬな!」
「これはこうしてはいられぬぞ! 皆で駿河へ行き、士官の道を進むのだ!」
新九郎の号令に、仲間達も気勢を上げるのだった。
文明8年(1476年)――
伊勢新九郎とその仲間達は京を出て、駿河への道を進んでいた。
「駿河とはどのようなところだ?」
「田舎だが港もあり、いいところだと手紙にはあったぞ」
「駿河に着いたら、上手いものをご馳走してくれないかなぁ」
この時代、まだ京より東は公家文化が根付いておらぬため、京の人間からすれば田舎だと目されることが多かった。
応仁の乱の影響として、この時代に京を追われた公家達が地方へと逃げることで地方の大名に保護され、地域によってはそこから公家文化が根付く地域もあったとされる。中でも駿河国は今川義元の代には公家文化が花開いたとされるが、この時代に公家を保護する豊かな地盤があったことがそれにつながっている。
新九郎の姉(妹という説もあるが今作では姉として登場)である北川殿は、地方守護大名と同格の家柄である伊勢家から嫁ぎ、正室として扱われたとされている。
――そんなこんなで駿河国へ入国した新九郎とその一行であったが。
城下町に入ると民達が酷く慌てふためいているのだった。城下は今の京とは比べ物にならないほど交易が盛んであり、まだ戦乱にほとんどさらされてはいないようであったが、民達はひどく狼狽し、青ざめた顔をしているのだった。
「一体どうしたというのだろう?」
「城に行く前に、茶店で話を聞いてみようか」
新九郎一行は茶店に入り茶を所望した。
「女将、どうやら町があわただしいようだが何かあったのかい?」
「あら、あんた旅人さんかい? こんな時に駿河に来るなんてついてないねぇ」
「どういうことだい?」
「どうもこうもないよ。この駿河の大名の今川義忠様が討ち死にしてしまったのさ」
「何だって!」
「そしてまだ次の跡取りが決まっていないらしくてねぇ。こんな時代に駿河もどうなるかわかったもんじゃなくてねぇ」
見てみると茶店の他の客もその話題で持ちきりのようである。
「新九郎、その討ち死にした今川義忠というのは、お前の姉上の夫であろう?」
「これは早く姉上のところに行った方がよいのではないか?」
新九郎達は茶店を出ると、急いで駿河大名の居城、今川館に向かった。
「新九郎――よく来てくれましたね」
門番に北川殿との面会を求めると、北川殿が自ら門に出て出迎えてくれ、新九郎は仲間達と共に北川殿の私室に通されていた。ここにいるのは新九郎達の他には侍女が数人いるだけである。
「埃も落とさず男共をここまでお通しいただけるとは、姉上、よほど今川は混乱しておるようですな」
「ええ」
北川殿は美しい顔を憔悴させ切っていた。その傍らにはまだ五つにもならないような小さな男児がおり、母の横で見ず知らずの屈強な男達を見て、怯えたような表情を浮かべていた。
「姉上の子ですか」
「ええ、龍王丸と言います」
「男子を産むとはこれはめでたい。幼年とは言え、これで今川の次期当主はこの竜王丸殿になるのでは?」
「いえ――事態はそう簡単ではないのです」
「というと?」
「見ての通り龍王丸はまだ年若く、とてもこの乱世で駿河を統治することなどまだできません。なので家臣の中には今川の庶家出身の小鹿範満殿を擁立し、小鹿範満に家督を継がせるべきではないかということで議論が揉めています……」
「なんと」
「もう両派の争いが実際に起きており、武力衝突が何度か起こっております――今後この今川館もいつ戦禍にさらされるか」
「民達も動揺が広がりだしておるようでしたが……」
するとこの時、襖の外でどたどたと騒がしい音がして、一人の侍女が襖の外で声をかける。
「お、奥方様、一大事でございます!」
「何事か?」
「この駿河に向けて出兵する軍勢がおります! 堀越公方(現在の静岡県伊豆市あたりを統治する大名)と扇谷上杉家(現在の埼玉県川越市を中心に勢力を強めた。関東管領と呼ばれる)の軍と思われます」
「何ですって?」
「おそらく小鹿範満の根回しだ。あいつら武力で龍王丸派を黙らせる気だ!」
「しかしだからって他国の軍を国内に入れるなんて、下手をすればこの駿河が傀儡政権に――下手をすれば滅ぼされるぞ! なんという下策を取ったのだ!」
侍女達も悲鳴を上げる者が出るほど混乱する。
「新九郎! 俺達も打って出て食い止めよう!」
「馬鹿、相手は二方向から来ているのだ。俺達が出て行って何ができるのだ」
新九郎の仲間達も喧々諤々の体である。
するとこの部屋にもう一陣の報が届く。
「伊勢新九郎盛時殿はおいでか?」
「何だ?」
「幕府よりあなたに勅令です。駿河に関東管領の力が及ぶこと、誠に脅威である。この平定のために貴殿を今川家へと派遣する。関東管領の力を駿河に入れることなかれ」
ここに来て幕府の勅令である。権威を失ったとはいえ、地方の大名が一国を飲み込む寸前であることは、幕府のみならず内乱を繰り返す者にとっても脅威である。下手をすれば自分達が乱で消耗しているところを、地方で力を蓄えた豪族に寝首をかかれることもあるからである。
「新九郎……」
「姉上。これは幕府の勅令ではなく、姉弟としてこの新九郎、姉上にお力添えいたしましょう」
新九郎は姉の前に深く平伏した。
「頼りにしていますよ、新九郎。この館にできることがあれば私も全面的に協力いたしましょう」
新九郎達が今川館でこの難局と対峙している時。
駿河国東の関所へ迫る道中に、馬に乗る見事な風体の武者が一人いた。兵を率いるその先頭にいる彼のことを兵達は抜群の信頼を寄せる目で見、その隊列は一糸乱れぬ見事さであったという。
「今回の件、長く駿河に構ってはおられん――幼年の子供を軽く蹴散らし、関東管領上杉家の威を駿河に見せつけるぞ!」
後に新九郎の道に大きな影響をもたらすこの人物――その対峙は目前に迫っているのだった。
次回に続く!
歴史年表的にはいろいろごちゃごちゃしており、史実と異なる点もありますが、話を簡略にテンポよくまとめるためにあえてそうしています。
基本的に簡略化目的ですのであしからず。作者もテンポよく話を進める勉強のために書いているところもあるので。
歴史好きの人には突っ込みどころ満載かもしれませんがご了承ください。
次回は新九郎と謎の武将の話を進めたいと思います。
どうでもいいですが作者の中でこの「伊勢新九郎」という名前は戦国で一番カッコいい名前だと思うのですが、そう思うのは作者だけでしょうか。