拙速と巧遅 ~最弱の兵~
今回の登場人物。
今川義元…今川家の新当主となったが、まだ若年の詰めの甘さがある。
太原雪斎…仏門時代から義元の教育係である僧侶。『黒衣の宰相』の異名を持つ深謀遠慮の持ち主。
織田信秀…通称『尾張の虎』。分裂状態の尾張を支える名将。
織田吉法師…後の織田信長。平手政秀、沢彦宗恩を師に信秀の戦を学ぶ。
北条氏康…北条家三代目当主。義元と同世代だが経験豊富の将。
松平広忠…三河の英雄松平清康の嫡男。父の暗殺後は本拠岡崎城を奪われる。
天文10年(1941年)――
この年に二つの国で大きな動きがあった。
そのうちの一つは相模――北条二代目、北条氏綱が病没。嫡男の氏康が正式に北条家を継いだ。
そしてもう一つ――甲斐の国で起きた事件は、義元も関与する大事件となった。
甲斐守護武田家当主、武田信虎が義元との謁見のために駿河に赴いた後、甲斐の国境を嫡男、武田晴信(後の武田信玄)に封鎖され、実の息子に追放を命じられたのである。
義元は信虎の娘、定恵院を妻に迎えており、武田家とは同盟の間柄であった。義元は晴信と通じ、信虎の身柄を引き取ることを承諾しており、この追放劇の一端を担ったのである。
武田信虎はこれ以後、二度と甲斐の国の土を踏むことはなかったが、隠居後は晴信没後も存命であり、武田にとって悪夢の戦である長篠の戦の前年に没している。
この翌年には後の上杉謙信となる長尾景虎が兄、長尾春景から家督を譲り受け越後(現在の新潟県)の守護に就任する。
今日の東で覇を競っていた勢力は、軒並み新たな時代に突入したのである。
天文10年(1942年)、義元は三河に大規模な援軍を派遣。松平広忠の案内で三河国を進み、松平家の居城、岡崎城の奪還に成功する。
父松平清康の暗殺から流浪の日々を送った広忠にとって、7年ぶりの帰還であった。
「まずは祝着と存じます」
岡崎城の天守にて、雪斎が祝辞を述べた。
「ただ問題はこれからです。今川が三河の松平と同盟したことが知られれば、織田が黙っておりますまい」
「何を弱気になっておるか。尾張の兵の弱さは天下の皆の知るところ。今川の敵ではあるまい」
この当時、尾張の兵は最弱の兵と言われていた。
近隣に駿河、遠江の二国を抑える強国の今川、斎藤道三の下で変革を遂げる美濃の斉藤、国力を守護である武田信虎のほぼすべて軍事に結集している甲斐の武田、日の出の勢いで関東に覇を唱え、関東管領上杉家に反抗する相模の北条。
それらに比べ、尾張は守護の斯波家は幼い当主が守護代の清州織田家の傀儡であり、その清州織田家も、分家である信秀の弾正忠家をはじめとした分家を掌握できておらず、一枚岩ではなかったのである。
それぞれが分家の持ち兵である故に統率が取れておらず、兵の練度も低く、戦が始まっても兵を集めるのに時間がかかる。それが尾張の兵を最弱と言わしめていた。
「だが、三河や美濃といった強国と隣り合いながらいまだに持ちこたえている織田信秀の軍略、侮れないかと。彼も主家を飲み込み、下剋上を果たした叩き上げの男でございます」
「雪斎、お前に教えられた軍略を試すには良い相手ではないか。今回はゆっくり岡崎城で構えて見ているがよい。私も北条との戦以来勉強を重ねてきたのだ。北条にやられた傷、織田を討つことで癒させてもらおう」
「……」
舞台は尾張――
当時8歳の織田吉法師は教育係の平手政秀、師匠である僧、沢彦宗恩と共に今川との戦に備える尾張の兵達の訓練の様子を見ていた。
「これが尾張の兵全てか?」
「いえ、陣触れをしてからまだ3日です。集まるにはもう5日ほどかかるかと」
「そんなにかかるのか?」
「はい――まだ尾張は一枚岩ではございません。主家の兵などを掻き集め、そして練兵をするには時間を要するのです」
「……」
吉法師は幼いながらも思案し、この当時の自国を嘆いた。
織田信秀の他国との戦は一進一退で、子、信長に比べてあまり華々しく領土を切り取った記録はない。
だがそれは信秀が凡将だったからではない。
信秀は国内で3番手以下の位置から一代で尾張の実力者にのし上がった下剋上の体現者であったが、尾張の統一が出来ぬまま戦っていたため一国全てを動かせないだけでなく、身内にも敵のいる内憂外患の状態で生涯を戦い続けたのである。
信秀の死後、信長も家督相続からこの尾張統一だけで実に10年近くを費やしている。
それだけ尾張という国は、信秀のような強力な指導者がいなければ、いつ他国に侵攻を許してもおかしくない状態だったのである。
「爺、前に言っておったな。この尾張は東海道の通る道――他国の上洛する軍が大軍で通るためには、この尾張の東海道を行かねばならぬと」
「は、はい、左様にございます」
「こんな様では今川や武田といった軍が大軍で押し寄せては守り切れぬ。もっと速い兵が必要じゃ」
吉法師はそれ以降、家督を継げない武家の次男や不良少年を集め、自分の親衛隊として鍛え上げ、自身が家督を継いだ時の準備を既に始める。
後に尾張は関所を撤廃し、全国から商人が集まる豊かな国となり、楽市楽座が最盛期を迎える。信長はそれによって得た金銭で戦専門の足軽を雇い、城下の長屋に住まわせいつでも戦に兵を派遣できるように政策を執り行った。
信長は鉄砲によって戦の『戦術』に革命を起こしたと言われるが、それ以外にこの戦国の世で、戦の『速さ』を革新的に変えた男である。
信長が天下を望めた理由は、このような施策によって織田の兵に『神速』を付与したからである。行動の速さと、それを実現する訓練こそがこの当時最弱と呼ばれた尾張の兵を最強の軍団に変えたのである。
「吉法師様。信秀様もそれは分かっているのですよ」
宗恩がにこやかに言った。
「最強の軍は一日にしてなりませぬ」
「ふむ――二人とも教えよ。父上はこの尾張の兵でどうして他国との戦を凌げておるのだ」
「一言で言えば――拙速は巧遅に劣る――信秀様はこの言葉の意味をよくご存じなのです」
政秀はそう説明した。
「次の今川との戦で、信秀様の戦を知ることができるでしょう」
信秀は松平清康の死後、三河の西側を着々と切り取っており、西三河の重要拠点、安祥城を手にしていた。ここから兵を出し、岡崎城に入った今川、松平連合軍と小豆坂(現在の愛知県岡崎市)にて激突する。
この戦、岡崎城の天守には二人の男が、城下に陣取った義元の軍勢を眺めていた。
その男――太原雪斎と、甲斐を追放され駿河で隠居生活を送っていた前甲斐当主、武田信虎である。
合戦の火蓋が切られると、今川軍は徐々に織田の軍を押し始め、合戦は終始今川の優勢で事が進む。
「わはは! やはり噂に違わぬ最弱! 信秀よ、他国を切り取る前に自国を取れなかったことが貴様の敗因だ!」
義元は一気に駆逐しようと本陣の自分までも前に出て、敗走する織田を追撃した。
「国を奪った織田に報復する好機だ! 三河武士の意地を見せろ!」
松平広忠の率いる松平衆も、今まで信秀に散々煮え湯を飲まされた立場である。報復の機会を逃すまいと一気呵成に攻め立てた。
「いかんな、これは」
その様子を天守から見ていた信虎はそう呟いた。
「百戦錬磨の戦の経験のある信虎殿はどう見られますかな?」
「確かに織田の兵は弱い――だがこれで崩れる程度では今まで尾張を守ってきたには解せん。ただでさえ松平が織田憎しで押し出しているというのに、戦勝に浸って連合の相手のことが、戦場の義元には見えておらぬようだな」
「信秀――やはりまだ戦の経験が我が君が張り合える相手ではないですな」
雪斎がこの戦の先が読めた瞬間。
尾張が温存していた伏兵が、両翼広く展開していた今川、松平の両側面を突き戦局は大きく織田に傾く。
義元は広忠と共に一転、包囲網を抜け、岡崎城に帰還する敗走へと追いやられる。
こうして小豆坂での両雄の決戦は、織田信秀の勝利に終わったのである。
「何故だ! 何故あの戦局において負けた! 兵の練度も士気も全てこちらが圧倒していた! 松平の士気も高く、裏切りもなかった! なのに何故」
北条に敗れ、今度こそは必勝を期していた義元だっただけに、今回の敗戦はショックであった。岡崎城に帰還すると酒を食らい、胃を焼くような苦しさを飲み干していた。
「織田信秀――奴は自分の兵が弱いことを知っているのです」
近くにいた雪斎が言った。
「どういうことだ?」
「自分の兵が弱いことでそれを見た相手が侮る心情を知り、その上で相手の慢心を突く準備をしている――信秀は戦だけではなく、尾張で政治力によって発言力を強めている男です。そのような人間の機微を見るのに長けているのでしょう」
「……」
「あなたの兵が強い、士気が高いというのも勿論大事なこと。ですが弱さを認めることも一つの道です。自信と過信は紙一重の場所にある――現に織田の攻略一つとっても、三河の松平の協力がなければ今川の兵がいかに協力でも相手にすることはできませぬ。後ろに北条が控えております故」
「む……」
「この天下で見れば、今川のみで常勝の軍を築くことは不可能――今日見た戦の結果がそれを物語っているのですよ」
「常勝の軍か――どこかで私は北条の戦に負けたことを認められずにいたのかもしれん。それを信秀に見破られていたのやも知れぬな」
「その通り、この世に初めから強い者など存在しませぬ――強くあろうとするために弱い自分と向き合い、その弱さを補うためにその自分の劣等感と向き合い、勝つために施策を検討できる者――それこそが強者でありましょう」
「雪斎――よくわかった。敗戦も糧にして、自分の肥やしにせねばならぬのだな」
「左様でございます」
「この敗戦――決して忘れぬ。先の北条との敗戦もだ。この敗戦を糧に、私は今までの過信を捨てる」
名門出身で僧として育ち、戦の経験も叩き上げの他国の将とは劣るが、自信家の義元。
北条、織田の敗戦を経て、義元の快進撃はここから始まるのである。
小豆坂での義元の敗戦から時を同じくした頃、近隣諸国にまた大きな動きがある。
美濃守護土岐頼芸が守護代の立場までのし上がった斎藤道三により追放され、尾張に落ち延びたのである。
三河、そして背後の今川を小豆坂で大いに叩いた信秀は背後の憂いがなくなり、名門土岐家の後ろ盾を条件に身の侵攻を約束し、頼芸の兄のいる越前朝倉家と連携しての美濃対策に乗り出した。
義元にとってこの動きは、しばらく三河の戦線に動きがないと見て間違いなく、防波堤に松平広忠を岡崎城に残し、義元の次の向き合うべき敵はかつて罵倒を受けた仇敵、北条氏康の相模であった。
「遂にこの時が来た。あの氏康のあの言葉――何度も繰り返し、私は敗戦を学んだ。今度はこうはいかぬ!」
義元は嬉々として今川館で陣触れ表を眺めた。
「ほう、すごい自信ですね。して今回は過信ではないと」
「北条は侮りがたい――故に今度は三方向より攻めたいと思う! 早雲公の代より北条の仇敵、関東管領上杉家に背後を突いてもらい、側面を同盟国、武田、そして正面を我らが突くのだ」
「なるほど。よい作戦と存じます」
雪斎は頷いた。
まず北条が侮りがたいという気持ち――これは以前の義元にはなかったものである。
あとは戦場での判断か……
――だが雪斎の心配をよそに、義元は驚くべき成長を遂げていた。
かつて氏綱に奪われた今川の旧領である河東に進軍した今川軍を迎え撃った北条軍だが、氏康の陣に背後から関東管領上杉家が出陣したとの報が届き、氏康は即撤退、相模の本拠、小田原城への退却を命じる。
「ここで逃げるのですか。これでは河東は再び今川の手に落ちます」
家臣の中にはこの大敗走に大いに反対する者もいた。
「戦場に後ろ髪を引かれる――それは死神の誘いだ。この戦で今川、武田、上杉をまとめて相手するなど不可能だ。現実を見ろ」
まだ若年ながら戦の機微を父、氏綱と共に見続けていた氏康の判断はさすがであった。
「だが追撃を緩めるためにも、一応餌を撒いておこう――俺の知る義元なら必ずかかる。俺憎しで首を取りたくて仕方がないはずだからな。だが欲を張るなよ。これは勝つためではない、追撃を止める策と心得よ。失敗したら一心不乱に逃げるんだ」
氏康はそう釘を刺し、策を授けた。
それを見た今川の本陣では――
「氏康め! 罠を仕掛けておるな!」
「ほう、その心は?」
「一見陣形が崩れたように見せ、殿部隊に足の速い騎兵を配置――追撃させて陣の伸び切ったところを叩く策だ。この戦はもう我らの勝ちだ。氏康の殿はあの勢いでの逃げは長くは続かぬ。逆に疲れた頃合いを待ち、矢を射かけてやれ」
「お見事、私も同じ考えです」
義元は無理な追撃をせず、殿部隊の相手をそこそこにゆっくりと兵を押し上げ、北条領内の反撃拠点を次々に落とす作戦を取った。
「しかし氏康の首を取りたくて仕方がないと思っていましたが」
「北条は強い、ただ一度の戦で氏康の首に手は届かない。この戦は旧領の奪還と北条の戦意をくじくことでも大戦果であるのだ」
「……」
以前の過信に満ちていた頃の義元はもうおらず、義元の表情は冷静さの裏の自信に溢れていた。
結果今川はこの戦で北条に落ちた旧領を全て奪還し、大勝利を収めた。
本陣で各武将の戦果を一通り聞き、さぞご機嫌になっているであろうと思い、雪斎が今川館の義元私室を訪ねた。
しかし義元は浮かれる様子はなく、神妙な面持ちで今日の布陣図を確認していた。
「いかがなさいましたか。これだけの戦果というのに浮かない顔ですな」
「いや、本来なら上杉、武田との三方向作戦だ。もっと戦果が上がることも期待したのだが……」
「信濃攻めを計画し、自国を消耗させたくない武田はともかく上杉が手を抜く理由もありませんでした」
「そうだ。それを考えるとこの戦果はさほどではない。その答えは、北条が想像以上に強かったということだ」
「それを認めますか」
「ああ、今回は武田と上杉を動かせたが、織田を相手にしつついつもあの北条を背後に控えさせているのは大いに脅威だ。今川単独で北条と戦えば、泥沼になるだろうな」
あれだけの大勝でも彼我戦力に明確な差がないことを見抜いた義元。
覚醒を促したのは私だが、まさか一戦でここまで成長の兆しを見せるとは……
「では、これをご覧になるとよいでしょう」
雪斎は義元の成長に笑みをこぼしながら、一通の書状を差し出した。
書状を受け取り一通り読むと、義元は笑みをこぼす。
「さすがにいい手を打つ――信虎殿を追放しただけあるな」
「ええ、おそらく北条にも同じ書状を届けているでしょう。武田晴信――味方でよかったですな」
どうしても義元を雪斎の腰巾着にしないようにするのは難しいですね。
雪斎があまりにすごすぎるのが原因ですが。
義元って人物はこの作中では敗戦から学び覚醒した人物にしていますが、桶狭間も慢心によるものと突っ込まれてしまうと身も蓋もないという…本当に評価の難しい人物です。
それに対して信秀。
尾張って国をもし最初から信秀が掌握していたら、信秀の評価はもっと高かったかもしれませんね。
ただ信秀の場合、あくまでも守護代であり、クーデターを起こして国を実質的に乗っ取ろうとする動きを見せなかったので、その点で封建的で、信長に比べて古い体制を壊せない頭の固い人物という評価もされているようです。
この人は斎藤道三のように国を乗っ取るべきだったのでしょうかね。