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承芳と雪斎 ~今川義元とは何者か~

今回の登場人物。


栴岳承芳(せんがくしょうほう)…今川家前当主、今川氏親の五男。四歳で仏門に入っていたが、今川家に呼び戻され還俗する。

太原雪斎(たいげんせっさい)…仏門で修行中の承芳の教育係である僧侶。政治や兵法にも通じる。

寿桂尼(じゅけいに)…今川氏親の正室。今川の政治の実権を握り、崇敬を集める女政治家。

今川氏輝(いまがわうじてる)…今川家現当主。病弱であるため当主としての求心力を失いかけている。

玄広恵探(げんこうえたん)…承芳の腹違いの兄。同じく仏門から還俗して今川家に呼び戻された。

北条氏綱(ほうじょううじつな)…北条家二代目、伊勢新九郎の嫡男。今川とは同盟を結んでいる。

武田信虎(たけだのぶとら)…甲斐領主。武田信玄の父。承芳が来るまで今川は武田と交戦していた。。

時はほんの少し遡り、天文4年(1535年)――

 松平清康が暗殺されるほんの数ヶ月前――駿河国の今川本拠、今川館の城下町を、編笠と袈裟、錫杖を持って歩いている二人の僧がいた。

「――久し振りだな、この城下も」

 二人のうち若い男――この時まだ十五歳の少年は編笠を上げ、賑わう駿河の城下町を見回した。

「すぐに見飽きます。この景色のみに囚われなさるな」

 もう一人の男は少年の父親ほどの年の差があるが、少年を敬う言葉遣いをした。坊主の割に凄みのある体つきをしており、目はまるで鷹のように鋭かった。

 この二人――少年の名は栴岳承芳。

 先代今川家当主、今川氏親の五男――五男というその出自故家督争いからは蚊帳の外、四歳で仏門に出され、はじめは駿河の寺で修業していたが、後に京に上洛し京都五山(臨済宗の高名な五つの寺)のひとつ建仁寺で学識を深めた。

 そして隣にいる凄みのある坊主の名は、太原雪斎。

 承芳の世話係であり、師を務めた臨済宗の僧侶。彼の父も今川の城代を勤めており、今川の功臣の家柄の出である。

 そんな彼等が十年振りに、承芳の母、寿桂尼の書状が届き今川館に出仕しようとしていた。



 大永6年(1526年)、今川家の先代今川氏親が死去。

 氏親は母の弟である伊勢新九郎――後の北条早雲を家臣――後に同盟者として領土を広げ、今川の勢力を広げた名君であった。

 その跡を氏親の正室寿桂尼の嫡男、今川氏輝が継いだ。

 だが氏輝は病弱であり、早雲抜きでも名君であった氏親の器量に及ぶ器ではなかった。

 この頃今川は遠江を支配し、南は駿河湾に面し、西を三河、東を相模、北を甲斐(現在の山梨県)に面していた。

 東の相模は北条家が起こり、父氏親と北条早雲が駿相同盟を結んでおり磐石。そしてこの頃、西の三河では彗星の如く現れた英雄、松平清康が登場したため彼と敵対するのは下策と判断した今川は対外侵攻を北条家と連携し、北の甲斐、武田信虎(武田信玄の父)に一本化していた。

 だが数年経っても領土拡張の兆しは見えず、氏輝の器量を疑問視する声が国内で顕在化する。

 母、寿桂尼はその対抗策として、一門の力を強化するために仏門に入れていた氏輝の兄弟を呼び寄せ、氏輝の補佐をすることを考え付いた。

 承芳は今川館で母、寿桂尼と数年ぶりに再会する。

芳菊丸(ほうきくまる)(承芳の幼名)、久しいですね」

「今は栴岳承芳と名乗っております。母上も今川を背負う苦労がありながらも息災で」

 寿桂尼は承芳の父、氏親の代から政務の補佐を行い、氏輝の代では初期は彼女が今川の実験を握り、後に氏輝が親政を行っていても絶大な影響力を持つ今川の柱石であった。

付いた異名は『尼御台(あまみだい)』――これは鎌倉幕府の実権を握った北条政子と同じ異名であり、それだけ寿桂尼の影響力の強さを物語っている。

「今日はお疲れでしょう。久し振りに母の手料理でも振舞いましょう――雪斎もご苦労であった。詳しい話は明日にして、旅の垢を落としてきなさい」

 承芳と雪斎は挨拶を済ませると、城下に既に用意された自分の屋敷に戻るように言われ、二人は城を去ろうとしたが。

「久し振りだなぁ、承芳」

 場内ですれ違った男に声をかけられる。承芳より少し年上で、血の気の多そうな顔を下男で、何人かの家来を既に連れている」

「何だ、恵探ですか」

「相変わらず気に入らない野郎だ。兄に対して礼儀を知らぬな」

 玄広恵探――承芳の兄だが寿桂尼の子ではない。側室の子である。

 彼も家督継承権がないため駿河の寺で仏門に入れられていた。それを寿桂尼の命により還俗して今川館に参じたのである。

「母上に挨拶は済ませましたか?」

「へっ、尼御台と言っても所詮は女だぜ。血の繋がらん俺など大して相手にもせん」

「貴様、母上を愚弄するか」

「勘違いするな承芳、貴様は雪斎がいなければ何もできんが俺は違う――正室の子でなくとも俺は俺の力で認められてみせるからな」

 兄弟とは言え承芳に色濃い敵意を示しながら、恵探は去っていった。

「側室の子故の思いもありましょう。特に正室が寿桂尼様のような政治力があれば、あのように刺々しくもなりましょう。それを寛容に見るのが明君の器かと」

 後ろにいる雪斎が、母を愚弄された承芳を諌めた。

「拙僧は当主の氏輝様のところに挨拶に行って戻ります。貴方はどうなさいます?」

「私も行こう」

 二人は出仕の挨拶をするために、当主今川氏輝との面会を求めた。

「おぉ、芳菊丸、雪斎も――」

 氏輝はにこやかに二人との再会を喜び、手を取って喜んだ。

 氏輝は痩せていて、握る手にも握力はない。その手は骨ばっていて、武芸の鍛錬の跡もない。まるで女のような手であった。

 適当に挨拶を済ませ、二人はすぐに下がり、今川館を跡にしようとしていた。

 だがその兄の姿を見て、承芳の心は重かった。

「――何という覇気のなさだ。この数年の当主の重責で酷くおやつれになっていた」

「……」

「雪斎よ。我々が来たところで、兄上の治世で国が栄えると思うか?」

「――不可能でありましょう。ですがあの覇気のなさで次男の彦五郎様が国を奪う気概を見せなかったのです。すげ変わる首がない――大奥方様もそれは分かっているからこそ、我々や恵探を呼んだのでしょう」

「……」

 承芳は暫し思案した。

「雪斎、この乱世で国を栄えさせるためには何が必要か。お前が兄上に見出せなかったものとは何だ」

「中国の兵法家孫子曰く、国を全うするを上と成し、国を破るはこれに次ぐ。百戦百勝は善の善に非ず。戦わずして人の兵を屈するが善の善――戦えば兵は減り、国を肥やす民は減ります。国を栄えさせるためには戦を勝ち続けるだけでもまだ不足。戦わずして敵を味方に引き入れるが上策ということです」

 雪斎は僧侶にして政治だけでなく、論語や孔子のような学問、古来の兵法、孫子だけでなく六韜三略にも精通した駿河一の知恵者である。

「それを成すには?」

「攻め入っただけで敵が降伏する最強の軍を作るべし――理想はそれですが現実的には不可能でしょう。ただそれを目指すことで戦を最小限にすることは出来ます。氏輝様は当主になって武田との戦果がない――しかも同盟国、北条の力を借りても、です。これでは駿河の兵は弱いと宣伝するようなもの。これではこちらに侵攻する他国の相手は永久に続く」

「ただ国を守るだけで、国が消耗する――勝手にじり貧となるわけだな」

「左様にございます。甲斐の武田信虎は戦上手――三河の松平清康も油断ならん男。北条とて氏親様の威光での同盟がいつまで続くか分かりますまい」

「兄上でこの国は――治まらない」

 承芳の心中に、穏やかならざる風が吹いていた。



 栴岳承芳――後に彼は『今川義元』と名乗ることとなる。

 これから彼の事跡を追っていくが、この今川義元という人物には二つの謎がある。

 ひとつは彼の最期――桶狭間の戦いの敗北である。

 彼はそれまで積み上げた実績を、この敗北で全てを否定される存在になってしまった。

 だが信長の勝利も、信長に必勝の策があったと言えるものではない。その時戦場に大雨が降るなどの好条件にも恵まれた。

 この勝利は偶然の産物だったのか。彼は明君だったのか、暗君だったかの評価はいまだ定まることがない。

 だがそれ以上に、彼にはもうひとつの大きな謎がある。

 それは彼の戦国大名としての起こりである……



 承芳が今川家に雪斎と共に帰参して数ヵ月後。

 今川家に激震が走る。

 当主の今川氏輝と、その弟、彦五郎が同日に急死したのである。

 この死の真相について当時の記録に正確なことは何も記されていない。

 当主と、当主没後の後継候補筆頭の弟の死――病弱とは言え偶然で片付けるにはあまりにも不自然な横死。

 だが当主がこのような不審死を遂げたというのに毒殺や、暗殺などの死因すら明らかになっていない。

 もし暗殺をするとしたら、当然承芳も家督を継ぐために殺す理由は十分にある。

 果たして彼はこの死を自作自演し、野心で今川家を乗っ取ろうとしたのか。

 それともこの死を悼み、悲しみ、家のために立ち上がった愛国者だったのか。

 それは今でも、誰にも分からない。

 もしこれが暗殺であれば、義元は主君殺し、兄殺しの大罪人であり、歴史の評価も大きく変わっていたかもしれない。

 母の文で十年振りに今川家に戻った承芳と雪斎は、この時に何を考えていたのだろうか……

 いずれにせよ、この不思議な死により承芳が五男ながら正室の子として一気に今川家の後継候補筆頭に躍り出たのである。


 今川家は早くから京に顔が利く。

 母、寿桂尼はすぐに室町幕府に掛け合い、当時の室町幕府将軍足利義晴から一字貰い、栴岳承芳の名を今川義元に改名する。

 母親が今川で絶大な影響力のある寿桂尼であり、家臣達もほぼ義元の後継に賛成であった。

 だが、この決定に異を唱える者が現れた。

 今川家の有力家臣で、今川の武田侵攻の司令官を務めている福島氏――この家は先々代当主今川氏親の側室を輩出している駿河の名家であり、福島氏は福島家の血を引く側室の子で、承芳より年上の玄広恵探を跡継ぎに推したのである。

 当然義元は前当主、氏輝とその弟、彦五郎を暗殺したと考える家臣もおり、満場一致の賛成とはならなかった。

 今川家は真っ二つに割れ、義元と恵探の後継者争いは武力衝突に発展するのである。

 義元、雪斎、寿桂尼の三人は評定が終わり、恵探派の家臣も本拠へ帰参した後、三人で今後の方策を話し合った。

「まさか福島が反対するとは。雪斎、何か策はないか?」

「恐ろしいのは背後にいる武田です。拙僧は武田との和睦を提案します」

「何? 今川の敵である武田とか?」

「今は和睦停戦のみでよいでしょう――我々の相手は福島――甲斐侵攻の先頭に立っていた男です。武田信虎も奴を潰せるなら断りますまい――そして今川の同盟国である北条家に援軍を頼みましょう。この戦、貴方も恵探も戦の経験には乏しい。百戦錬磨の北条を味方につけた方がまず有利でありましょう」

「母に任せるがよい。北条に信の置ける使者を手配しておこう」

「母上、お願いします。それで私達はどうすればよいのだ」

「福島は対武田の司令官もやっている家です。それなりに戦は知っているし、武田との和睦など考えられませぬ。そんな奴が我々が武田と和睦したことはすぐに伝わりましょう。すると常に武田に脇を突かれないか怯えながら戦うことになります――我が君、貴方ならそんな兵が何を思うか分かりますか?」

「そうか! 奴らは一挙にこの今川館を奇襲に来る! 一気に勝負を決めにくる!」

「左様、奴等はそれが必勝の策と信じておりましょう。だがこちらが守りを固め、奇襲を奇襲でなくせばどうなるか……」



 義元と恵探の後継者争い――通称『花倉の乱』は、雪斎の予想通り恵探側の今川館への速攻の奇襲で口火を切った。

 雪斎は甲斐との和睦の情報をわざと漏らし、恵探派をおびき寄せる。

 その間にしっかりと策を巡らせてあった今川館は、武田や北条との情報戦を巧みに操り、半月の攻勢を耐え忍び、逆に戦果のない恵探側は緒戦で大きく消耗した。

「さて、相手の戦意を十分に削いだところで、今度がこちらが速攻と行きましょう」

 恵探側が今川館での体勢を立て直すために本拠、花蔵城に戻ってからの義元側の行動は早く、即追撃の兵を投入した。

 北条の援軍が到着し、恵探側の本拠、花倉城を一気に落城させ、乱は二月足らずで終結した。

 恵探は落城時に自刃、福島氏は北条へ落ち延びたとされ、ここに義元は正式に家督を継ぎ、今川家の当主を襲名した。

「まずは祝着至極と存じます」

「ふむ、私はこの駿河を強国とする! 将軍家ともゆかりのある今川家はこの時代に上洛し、天下に号令をせねばならぬ! 私は今後の侵攻を三河、尾張へと変更する! 幸い近頃、あの松平清康は暗殺されたと聞く。混乱に乗じて三河を制圧し、上洛への道を切り開く!」

 まだ道中整備や大河を渡る橋や船の整備もままならない時代――駿河から遠江、三河、尾張は東海道が通っており道中が整備されている。大軍で進軍する上洛のために、この道の確保は関東の大名には不可欠の事であった。

「私は西国侵攻を目指す! そのために私は背後を磐石にすべく、武田との同盟を組みたいと思う!」

「よ、義元、それは……」

 異を唱えようとする寿桂尼の言葉を、前に立ちはだかる雪斎が遮った。

「……」



 天文5年(1536年)――

 義元は花倉の乱の終結のすぐ後、武田に同盟の話を持ちかける。

 駿河の武田侵攻の先鋒、福島氏が廃されたことでこの話は成立。義元に武田信虎の娘、定恵院を妻に迎え、ここに駿河と甲斐の同盟が成立した。

 この時義元は、これで背後を脅かすものは何もないと意気揚々であった。

 だが、駿甲同盟成立の数日後――今川館の評定にて、その義元の陽気に冷や水を浴びせる報が届いた。

「申し上げます! 北条二代目当主、北条氏綱が自ら兵を率いて駿河へと侵攻!」

「な、何っ! 何故だ! 何故同盟国の駿河が!」

「……」

 まだ二十歳にもならない義元はわけが分からなかった。

 北条家の相模にとっても国境を面する甲斐は度々交戦しており、明確な敵国である。

 その甲斐と同盟を結んだことが、駿河と相模の同盟を破綻させ、北条氏綱を激怒させたのである。

「う――ええい、黙って侵攻を見逃すわけに行かぬ! 陣触れをせよ!」

 義元は兵を鼓舞する意図を持って声を上げ、評定の席を立ってしまった。

「雪斎――そなたもこうなることが分かっておったはずじゃ。なのに何故止めなかった?」

 寿桂尼が評定の後に雪斎を問い詰めた。

「御台様――我が君には氏輝様になかった覇気と向上心があります。国を栄えさせる気概があります。ですが長い間寺にこもり、俗世に触れておらぬ故世間を知りませぬ。世の中全てが自分の思い通りになるわけではありませぬ。当主たる者それを知らねばなりませぬ。その最もよい薬となるのが……」

「戦の敗北の味――か」

「ええ、北条は先代伊勢新九郎殿が国を切り取り発展を続ける武家――その息子の氏綱も実力者です。我が君の付け焼刃の兵法が通じるとは思えませぬ。今のうちに強い者に敗れることを知っておくことが、我が君の覚醒を促すと存じます」

「雪斎――そうか。ここは義元を見守るのがよいのじゃな」

「ええ、武田の援軍を使えばまだ大怪我は避けられます――それが使える今は好機かと」

 恵探を倒したことで駿河を力で継承したと思っている少年義元は気が大きくなっていた。

 そして義元はこの戦で一人の男に出会うことになる。


一旦視点を変えて、次は今川方です。

果たして今川義元は、兄を殺して自分が当主になったのでしょうか。それが分からないというのがまた不自然ですよね。当主になった義元が家中の記録を書き換えることは簡単でしょうし。

桶狭間も含めてここまで一言で説明しにくい人もそういないんじゃないでしょうか。悪人にも善人にもなるし、優秀にも愚かにもなる。

そんな人物は強いて言うなら明智光秀くらいでしょうか。

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