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何故戦国が始まったのか ~応仁の乱と足利幕府~

この話の登場人物。


足利義政(あしかがよしまさ)…足利幕府八代将軍。物語の語り部。政治のやる気を失っている。

日野富子(ひのとみこ)…義政の妻。金の亡者で「日本三大悪女」の一人。

足利義尚(あしかがよしひさ)…義政と富子の子供。次期将軍になるお家騒動を引き起こす。

足利義満(あしかがよしみつ)…足利幕府三代将軍、義政の祖父。足利幕府を最盛期に導いた。

足利義教(あしかがよしのり)…足利幕府六代将軍、義政の父。父の真似をした結果、独裁者として暴政を行う。

足利義視(あしかがよしみ)…義政の弟、将軍になるために仏門から幕府に戻った。

山名宗全(やまなそうぜん)…応仁の乱の西軍総大将。当代一の武人。

細川勝元(ほそかわかつもと)…応仁の乱の東軍総大将。当代一の官僚。


一話目からかなり登場人物が多いですが、応仁の乱、これでも結構人物を省略しています。

 文明5年(1473年)――12月。京都――

 時の将軍足利義政は正式に将軍職の辞意を表明。隠居の道を選んだ。

 この物語は、家督を息子の義尚に譲る式典の直前、室町幕府将軍の居所、『花の御所』より……


 次女に服を召し変えられた義政は、私室から縁側に出て自身の設計した庭園を眺めながら、酷く疲れたため息をついていた。

 この時、義政若干二四歳。

 その眼にはすべての浮世の不浄を嘆くかのような悲哀の色が色濃く出ていた。

「殿」

 そこへやってきた一人の家臣。

「最後のお勤めでございます。勘合貿易のための割符――将軍の印をお願いいたします」

「あぁ」

 義政は気怠そうに腰を上げる。将軍の印綬は政務を執り行う机の片隅に箱にも入れずに放り投げてあった。これも今日息子の義尚にくれてやるものだ。

 義政は再び縁側に戻ると、一つ一つに朱色の印で印を押していく。

「義政様の代で明との貿易が復活し、国内に良質な金銀が入り込むようになりました。これから民もこの恩恵を受けることでしょう」

 割符を互いに持ち、それを合わせることで互いを認められた貿易相手として取引を行う勘合貿易を復活させたことは、義政の将軍職の中での数少ない功績と言えた。

「ふん、その金銀はどうせ富子の奴が懐に収めるのであろう」

 義政は苦々しく吐き捨てた。

 義政は妻、日野富子と長らく別居をしている。

「――殿。宗全も勝元も没したこの時こそ、殿が将軍として号令をかけるまたとない好機。それなのにここでまだ年端も行かない義尚様に家督をお譲りになるとは」

 この時次代将軍義尚はわずか8歳。とても政ができる年齢ではなかった。

「ふふ、後世の人間は余を笑うであろうなぁ」

「だが余も今の義尚と同じ年に将軍になった。父が暗殺され、兄上が夭折して余に将軍の座が転がり込んできおった。父の暗殺を機にお飾りとして祀り上げられるだけの将軍の位がな」

 義政の人生は室町幕府の成立に大きく翻弄されたものだったと言える。

 室町幕府には設立当時からの大きな問題が二つあった。

 一つは初代将軍足利尊氏が時の天皇、後醍醐天皇を追放し、自ら別の朝廷を打ち立てるという強引な手法で成立した幕府であること。約60年もの間続いた南北朝時代である。

 もうひとつは将軍の力を弱め、守護大名の力を強める合議制を敷いて幕府を運営したことである。二つの朝廷があるような状態で成立した幕府であるため、将軍の権力基盤が弱く、鎌倉幕府と異なり守護大名を中世の封建制度、いわゆる御恩と奉公の関係だけで従わせるのが難しかった。

「南北朝時代を終わらせたのは、強健な姿勢とそれを裏付ける卓越した手腕をお持ちじゃった余の祖父――三代足利義満公じゃ。足利の家に置いてその名に敬意を称さぬ者はおらぬ――そう、我が父、六代足利義教もじゃ」

 義政の父、足利幕府六代将軍足利義教は中でも父の義満の手腕に憧憬を持つ人間であった。

「結果それが何を招いたか――朝廷すら押さえつけようとする強硬と暴政をはき違えた末に暗殺されてしまった。暴君の汚名を着せられたままな」

「殿――」

「跡を継いだ兄上も若かったが、すぐに身罷られ、余に将軍職のお鉢が回ってきた。幼年でなくとも父の暗殺で既に号令に力のなくなった将軍のな」

 父の暗殺、二代続いた幼い将軍――そんな背景があったことで、八代将軍となった義政ははじめから将軍としての威勢を持ち合わせていなかった。

「そして始まったのが、宗全と勝元――この二人の泥沼の権力争いじゃった」

 武人肌の山名宗全――当代稀有の官僚であった細川勝元の争いは『応仁の乱』と呼ばれる戦乱を京を中心に、全国の守護大名を巻き込んで10年にも及ぶ戦いを引き起こした。

「もう何が原因で始まったかも思い出せんような内乱じゃ。決定的になったのが、富子の奴が義尚を生んだことじゃろうが……」

 それ以前から有力大名の家督争いに介入し、衝突をしていた宗全と勝元であったが、義政はその状況を憂い、幼年で将軍になった自身の苦労を子に味あわせんとする親心ゆえか、今後自身に男児が生まれても、その子を次代の将軍の継承権を与えない、と宣言をした。義政は家督争いを避けるために仏門に預け、僧として生き俗世との関わりを絶って暮らしていた自身の弟、義視を還俗(仏門から出ること)させ、次代将軍にすることを決めた。義政は義視の後見人に勝元を指名していた。

 その矢先に正室の富子に嫡男、義尚が生まれてしまう。富子は自分の子供を将軍にしたいがため、宗全を後見人として立て対立を深めていく。

「余はもう御所の外へ出たくもない。この数年であの美しかった京が酷い有様じゃ」

「恐れながら申し上げます。如何に戦乱が長く続こうと、幕府には明との貿易で蓄えた金銭がございます。その金銀を使い京を復興させ、家を失った民達に分け与えればよろしかったのでは」

「ふん、あの富子がそんなことをするわけがなかろうが!」

 義政は吐き捨てるように言った。

「あの女狐め――世の人間が気付かぬと思っておるのか。金の亡者め」

「は?」

「貴様も分からぬか!いくら山名、細川が有力な大名とは言えどもこれだけ長く戦を続けられるわけがなかろう!その出資者が誰か、考えればおのずと分かろう」

 そう、その秘密の鍵を握るのはこの花の御所――とは言えこの乱に中立を貫いた義政ではなく、義政の正室、日野富子であった。

 日野富子は乱の間終始勝元の東軍についていたが、実は西軍の宗全にも金銭を貸しており、他にも国内に流通する米の価格を掌握し、それを操作した上で両軍に兵糧を貸し付けて自身の私腹を肥やし、結果戦乱を広げる原因を作ったのである。

 その富子の隠し持った財産の総額は現在の価格にして60億円と言われ、それだけの財を一代で作ったと言われている。

 そうして泥沼になった乱は義尚の生まれた寛正6年(1465年)から8年が経った現在も続いているのだが……

「まさか流行り病で宗全も勝元も時同じくして没するとはな……」

 義政が隠居の意を発表する直前に、西軍総大将の宗全が死去、そしてそのわずか数日後に東軍総大将の勝元も没してしまったのである。

「今はその二人の家督を継いだ息子同士の争いになっておるが――あの二人が死んでもまだ戦いをやめられん――この乱はもう普通ではない。それを止めるのは余の手にも余る。余は義満公のような力がないことは、余が一番よくわかっておる。もう余も疲れた――これからは富子からも離れて、自分の好きなことだけをやらせてもらう――」

 そう言うと義政は自分の服の襟から一枚の上質な紙を取り出してそれを広げた。中には図面が描かれており、一つの自社の風景が描かれていた。

「殿、それは?」

「余は今日を境に花の御所から退去し、身罷る時まで過ごす自分だけの庭園を持ちたい――義満公の建てた『金閣』にちなんで『銀閣』と名付けようと思っておるのじゃが……」

「は、はぁ」

「『金閣』のように余の庭園も、銀を全身に纏ったみやびやかなものにしたいものじゃ……」

「……」

 家臣は一瞬言葉を失った。それは猛烈な怒りからくるものである。

 今京はひどい有様である。ほぼ十年、毎日京のどこから起こる争いで民達は家を焼かれ、住む場所を失い、死体は川をせき止め、公家は武士に荘園を奪われ、無法地帯、悪夢のような都市となってしまっている。

 だが室町幕府にそれを救う手段が全くなかったわけではない。

 両軍に戦費や兵糧を貸し付けている日野富子は私財を投げ打てば民も救われる者は多かったはず。

 そして将軍の義政自身も、室町幕府設立後しばらく凍結していた明(中国の当時の王朝の名前)との貿易を再開させ、堺などの港町をはじめ、国内やその貿易の許可を出す将軍府にも利益をもたらしていたのである。

 だが、相次ぐ戦乱と妻・富子の専横、それに合わせて朝廷で天皇と密通しているという噂により、夫婦の仲は完全に冷め切った上、義政の覇気を完全に零になるまで吸い尽くしていたのである。

 元々稀代の文化人だった義政はもうこの頃には政治に関わることはほとんどなくなり、政治よりも文化や芸能――猿楽や蹴鞠、和歌や建築などに没頭し、貿易で作った利益も今も苦しむ民達に還元せず、自分の趣味のために使っていたことは富子と同罪である。

「『銀閣』のために富子から銀を借りる――癪だが我が数寄のためじゃ。一応頼んでみるか……」

 図面を見ながらそうぶつぶつと思案する義政の目には今日の民達の姿は全く映っておらず、自身の終の城『銀閣』の姿しか目に入っていなかった。

「……」

 それを見た家臣は心の中で叫んだ。

 ああ! この戦乱とは人の愚かさの結集した証だ!

 民を見ず自分のことだけの将軍府、乱の首魁も大志はなく、自身の勢力争いにしか目を向けられず、富を築く商人も戦乱を儲けの好機としか見ていない。

 このようなことでこの乱世はいつまで続くのか!

 この乱世に人はおらぬか!

 民のため、国のために立ち上がる英雄――真の救世主が!



 だが、この人の欲望が独り歩きする時代――戦乱の渦中にある京にも既に一人、仲間を引き連れこの惨状を憂い、今立ち上がろうとしている者がいた。

 先程から義政と話をしているこの家臣――

 幕府申次衆(将軍の取次を担当する秘書官のような役目)を担当する官僚の高官で、名前を伊勢盛定といった。

 この伊勢盛定の息子こそが、今のこの国を憂い、乱世のために仲間と共に立ち上がろうとしていた。

 その男の名は……



 次回に続く!


この『応仁の乱』とは歴史の教科書にはどんな初心者向けのものにも必ず載っている出来事ですが。

なんとその実態は、歴史学者でもすべての出来事を把握できていないと言われるほど!

それくらい複雑怪奇で登場人物の入退場も激しく、しかも総大将同士が途中でほぼ同時に死ぬというグダグダぶり…


なのでこの全容をはじめから全て知ろうと思っても無理です。作者も全部は把握できていません。

話中では足利幕府のお家騒動が原因ということにしていますが、実際は他にも沢山の要素があり、とても全部を解説できません。

興味がある人はいろいろ調べてみるとよいですが、基本ザコキャラが出ては退場を繰り返すばかりで面白くないです。

その代わりポイントとして、足利幕府という立場がどのようなものだったかをこの回に解説しました。


基本的に応仁の乱は「足利幕府の状態によって起こった」「幕府は金を持っていたが救わなかった」ということが乱世が起こった上で重要です。

次回はある人物の視点から、実際の京の民の方へと目を向けてみようと思います。


今後質問や取り上げてほしい武将などいましたら気軽にお願いします。特に取り上げてほしい武将リクエストは非常に助かるので是非お願いします。

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