愚者^2(ぐしゃのにじょう)
短編小説2作品目になります。最後まで読んで頂けると幸いです。
誤字・脱字、読みにくい箇所があったらごめんなさい! 感想・評価して頂けると嬉しいです。
一流にして名門。百戦錬磨、苦心惨憺、孤軍奮闘、奮励努力の大学受験の末に勝ち取った、憧れの大学の門を私は胸をときめかせてくぐった。
プライベートの数々と交換して手に入れたのだ。これからの4年間はきっとeasyにしてrichな学生生活が私の事を温かく出迎えてくれるに違いない。しかし、この時私は、その幻想が、crazyにして、良いか悪いかも分からぬwhichな現実に打ち砕かれてしまうことになろうとは、知る由もなかった。
大講義室でのオリエンテーションが、同期生との初の顔合わせになる場所である。隣に知り合いがいれば、事は難なく済むことであろう。周りを見渡せば、高校の時からの同級生であろうか、はたまた予備校の知り合いであろう者達が、話に華を咲かせていた。
しかしこの時私は、教授がマイクに喋りはじめるまでの間、口を閉ざすより他道はなかった。それに受験期の頃の競争心が残っていたせいか、敵意剥き出しのもう一人の私を抑える事に精一杯であった。少しでも気を抜けば、悪魔のような角を持った私が出てきて、碌なことになりかねない。
オリエンテーションを終えると、私は長い退屈な映画を見ていたような、心が浮ついたような気分で講義室をあとにした。話で印象に残っていたのは、カウンセリングのことであろうか。どうもこの大学は、新入生の鬱が多いらしい。それもそのはず。今まで各学校で優秀な生徒として教師や同級生から、ちやほやされ、大仏のように崇められていた存在であったのだ。
それが、大学に入れば、恐ろしい鉄槌をくらわされることとなる。今まで強固に築かれ、鎖国のように周りと一線を画してきた自尊心という名のアイデンティティの中心が、すでに画期的にまで発展していた西洋諸国の存在にその力を見せつけられ脅かされるように、他の同期生の実力に圧倒されてしまうのである。
それは日常会話において、もろに出る。教養的な比喩表現を巧みなまでに言の葉に乗せられ、理解しがたいものなら、もはや会話が成立しない。自分の教養の脆さに気づかされてしまうのである。そんなものであるから、有意義な学園生活を送るには、この会話の戦場を勝ち抜けなければならない。私は、今までの知識の総結晶を武器にして戦うことを決心した。
そう考えているうちに、私はいつの間にか、またあの、校門から伸びる大通りを歩いていた。桜並木から花吹雪が降り注ぐ中、チラシの束を持った集団があちらこちらで、学生にそれを手渡しているのが見えた。私も一人の男性からそれを受け取ると、それが自動車教習や何らかの宗教的な勧誘でないことに気が付いた。「文学サークル」というフォントに、可愛らしいリスがドングリを手に持つイラストが載せられている。
サークル。充実した学生生活には欠かせないと聞く、最初の一大イベントであろう。私は、勧誘通りという、各サークルのチラシが張り巡らされた廊下があるといわれる棟へ向かった。
噂通り、そこには元の壁が見えんばかりのA4サイズの紙が一面に敷き詰められていた。私と同じ新入生であろう男女が、数名ばかりいた。大方、他の者は先程の通りにいるか、大学探検でもしているのであろう。 野球サークル、美術同好会、茶道、バスケ、散歩、ねじまき――。主要なものから、奇妙なまでにspecificなものまで、多種多様なロゴが目に飛び込む。
「ん?」
私の足を止めたのは、黒いしっかりとしたフォントで書かれた、非常にシンプルなものであった。天才部。その文字は、自称も恥ずかしいまでに感じさせるものであったが、難関といわれるこの大学を突破した者達の集まりであろう。きっと、恐ろしいまでの頭脳を持ったエリート軍団に違いない。そう思うと、その文字は、まるで木に墨で黒く描かれた剣道場の看板のような、威圧的雰囲気を私に差し向けた。
「あー、君、君。」
私は肩を叩かれ、振り向くと、そこには丸メガネをかけた、何とも言えない風貌の男が立っていた。
「君、この部に興味があるのかね?」
私は、あ、えっ、と言葉を詰まらせていると、一方的に男は私の手を掴んだ。
「よし、私についてきなさい。部室に案内しよう。」
「あっ、ちょっと、私はただ見ていただけで――」
耳持たずなのか、この男は。
強引なままに私は男に連れていかれ、男が手を離した時には、天才部と書かれた扉の前に立っていた。
左右の廊下を見渡しても、段ボールの山や、書類の山で、人影はどこにも見当たらない。
窓からは午後の日が差し込み、小さな埃がその光に照らされ浮いているのが見えた。
「さぁ、ここだ。ささ、遠慮なく入りたまえ。」
男が扉を横に開くと、円卓を囲んだ四人の人型が映った。夏目漱石の『坊つちやん』に登場する山嵐が、そのまま出て来たかのような姿の男。ツインテールに結いだ、今時女子のような少女。バブル時代の成金を思わせる、釣り目の白スーツ姿の男。文学系女子であろうか、唯一こちらを向きもしない黒髪の女子が一人。
「うわぁ! まさか新人くん!?」
ツインテールの乙女が、嬉しそうな笑みを浮かべ言うと、丸メガネが強く頷く。
「我が部のチラシを見ていたから連れて来たのだ。今日は体験入部ということで、こちらへいらっしゃったのだ。」
た、体験入部。
「私、加納梨夏子。りか、って呼んでね!」
ツインテールの少女は椅子から飛ぶようにこちらへ駆けて来て、両手を握ると、私は思わず赤面した。これが世間で言う可愛い女子というものなのであろう。可憐と言う言葉が似合う、あどけなさの残る少女であった。
「こ、こちらこそ宜しく。」
「私は、天応院村人。宜しく頼むよ。」
白スーツの男は、机上に挙げられたワイングラスを軽く持ち上げ、微笑む。
「あ、安心したまえ。中に入ってるのはジュースだ。」
「わしゃ、高宗義治。歓迎するぞい!」
がっしりとした体格通りの、ドスの聞いた声で、山嵐の男が挨拶をする。
「あっ、彼女は芥川さん。あっ、本好きなのと名字は関係ないよ!」
りかが、紹介すると、芥川という少女は軽く会釈をした。
「そして私は部長の水戸春だ。君の席はあそこにある。」
水戸が示した手の先にある空席に案内されるままに、私は席についた。
最初は気が進まなかったが、私は内心少しワクワクとしていた。
これが一流の天才たち。天才はエジソンになぞられるように、世の中では変わり者といわれるが、まさに絵にかいたような変わり者ぞろいである。これからどのような知的活動が行われるのか、私の心は、遠足前夜の子どものように、高ぶっていた。
「さて、本日の議題は――」
水戸がホワイトボードの上端に手をかけ、ボードを一気に回す。
そこに現われたものに私は絶句した。
黒ペンで描かれていたのは、社会的人気を博しているアニメのヒロインそのものであった。キラキラと星のような光をもつ瞳。可愛らしく微笑む、その姿は何度か私もテレビなどで目にしたことがあった。
しかし、まさか、このような場でそれが現われることなど誰が予想したであろうか。
「今日は、このようなキャラクターの可愛らしさ、所謂萌えが、一体どこから生じるのかについて君たちと共に議論を交わしたい。」
「ちなみに、女性陣にとっても、こういう二次元の人間は可愛く映ってみえるものであるのか?」
水戸が尋ねると、りかは、両手で頬杖をつき、うーん、と少し首を傾げ答えた。
「まぁー、可愛いとは思うな。ねぇ?」
りかの言葉に芥川もこくりと頷く。
「ふむ。ちなみに、どの辺が可愛いのだ? どうだね、男性諸君。」
「全体的な印象ですかね。」
村人は指を口元で組みながら言うと、高宗もそれに続く。
「わしゃ、スマイルかのぉ。魅力的じゃ!」
「しっかし、不思議よね。目のサイズなんて、三次元じゃ考えられないのに、なんで可愛いと感じるのか。」
りかが、不思議そうに言うと、水戸が、ここぞとばかりに、指摘した。
「それだ! 我々は、なぜこのような現実ではあり得ないキャラクターに”可愛い”などという感情を抱いてしまうのか。その”可愛い”の原因といえるものについて、今日は議論していきたい。」
何とも言えぬ展開に私はただ呆気にとられるしかなかった。
「まず、キャラクターにアレンジを少しずつ加え、どこまでが可愛いと思えるか、追究していこうと思う。アレンジを加え可愛いと言えなくなれば、その部分が現代人の”可愛い”にとって不可欠な場所に違いない!」
何と言う大胆かつ単純な方法であろうか。
すると、すぐに、りかが元気よく手を挙げる。
「はいはーい! じゃあ、まず目を小さくしてみよう!」
水戸は頷くと、そのキャラクターの目を消し、小さいゴマ粒のような目を描いた。
これは酷い。小さくすると言っても、画力に問題ありであろう。
「うーむ、これはまだセーフラインだな。ゆるきゃらとして生きていけそうだ。」
水戸は腕を組み、言うと、りかも、納得したように唸る。
「目は大して言うほど重要ではないということか。」
「では、細目にしてみましょう。」
そう言うと、村人は水戸からペンを取り、シュッ、シュッと、狐の目のような曲線を描いた。
私は思わず心の中で、それは貴方の目だろう! と、つっこんでしまった。
「やはり、目は大して重要ではないな。ゆるきゃらとしていきていける。」
水戸さん、あんたのゆるきゃら許容範囲はどこまでなのだ。
「人間ではない要素を加えてみるのはどうじゃろ。」
高宗はそう言うと、ペンを取り、体を消して、小学生のような――怪獣を思わすような――何とも言えない身体を少女の首につけた。
「どうじゃ! 熊の体じゃ!」
いやいや、お世辞でも熊とはいえないぞ。この画力で追究するつもりなのか、この人たちは。
「着ぐるみを着てる人みたいだな」
村人が言うと、皆が頷く。
あーだ、こーだと色々しているうちに、その少女の姿はとても人間といえるものではなくなっていた。扇風機のファンの部分に、かろうじて保った人の輪郭ついており、その右目はウインクをして、頭部にはお花が笑顔で咲いている。
もはやこのようなキャラはなんというべきあろうか。
「ゆるキャラだな。」
水戸さん、貴方、私の心を読んだのか、と私は腕を組み頷く、水戸を見つめた。
「結論、可愛い路線は分からない。」
なんたる部活だ。天才の要素などどこにも見当たらない。
これでは、小学生の怪人お絵かき大会ではないか。
私は、ついに手を挙げ発言をした。
「あの――」
初めて発言する私に、視線が集まる。
しかし、私は怖気ず、思い切った。
「ここって、天才部なんですよね。なんか、こう……もっと知的活動と言いますか、そのようなことはしないのですか?」
?
この記号が頭上に浮かぶような顔つきを五人はした。
ハッとした水戸は、私の肩を叩き言った。
「そうか、君も詰め込み型の教育に染まり切ってしまっていたのだな。」
え――。
「無理もない。あのような入試体制では、本来の知的活動、創造的活動が何たるかを誰しもが忘れてしまうのだ。」
どういうことであろう。私は、その言葉の意味が分からず、数秒の間が空いた。
すると、りかが、優しい笑みを浮かべ言った。
「新入生くん、新入生くんの言う、天才ってどんな人?」
真髄をつく質問であった。
しかしすぐにこれが難問であると私は気が付いた。
天才――。エジソンやアインシュタインのようなフィギュアから各学校に一人はいるであろう優秀生徒。そんな人物を想像したのは私だけではないはずである。しかし、その天才の本質――天才たる所以、普遍的なものを私は答える事はできなかった。漠然とした「天才」。スライムのような不定形なそれは私の思考をかき回した。
簡単かつ難解な質問である。
私が答えに迷走していると、りかは、一つ言った。
「文学作品『浮雲』の作者は?」
「二葉亭四迷。」
私が反射的に答えると、りかは再び尋ねた。
「こんな問題にすぐに答えられるような人? だとしたら、それはちょっと違うと思うな。」
すると、りかは、窓際に歩いた。
「もし、今が夜だとして、新入生くんと私は昔からの幼馴染だとしよう。そして、もし私が月を見て、”月が綺麗ですね”って言ったら、なんて答える?」
私は、りかが、何をしようとしているのか、よく分からなかったが、言われるがままに考え、答えた。
「そうですね?」
すると、後ろから、芥川の冷静沈着な言葉が飛んできた。
「私なら”死んでしまってもいいわ”と答えるわ。」
――どういうことなのだろう。
何かのなぞなぞであろうか。私がそうして考えていると、芥川は種明かしをした。
「夏目漱石の意訳よ。漱石は英語の教師をしていたことがあって、生徒がI love youを、我君を愛す、と訳したの。それに対し漱石は、日本人はそんなことを言わないと指摘し、”月が綺麗ですね”と訳したの。つまり、りかが貴方に言ったのは、愛の告白よ。」
告白という言葉は、恋愛経験のない私の顔の表面を焼け野原にさせるのには十分な破壊力を持っていた。
赤面する私に、りかは続けて言った。
「芥川さんの”死んでしまってもいいわ”は、二葉亭四迷が”yours(私はあなたのものよ)”という言葉を意訳したもの。告白にオーケーするって意味。」
「題名や作者といった表面的な知識はもう現代では役には立たぬ。我々が成すべきは、そこから感じ取り、学び取り、そして表現することなのだ。」
水戸に続き、村人も私に問いを出してきた。
「では、新入生くん、この問いはできるかね。」
ホワイトボードに、書き出されたものは「ア+ソ=?」の文字であった。
阿蘇。阿蘇山がある九州の阿蘇であろうか。
私は、その回答をそのまま口に出すと、再び芥川が言う。
「ネ。または漢字のヰね。」
流石に、りかも分からなかったようで、りかはその所以を芥川に尋ねる。
「画数。アとソは二画、だから四画の文字を答えないといけない。」
村人は、力強く頷いた。
「そう、数学も別に数字にこだわる必要などないということだ。その本質をつかみ、視点を変更すれば、こうして数字を使わずとも数学は成立する。」
高宗も、うむ、うむと頷いた。
なぜであろうか。完全に屁理屈といえば屁理屈に違いないであろうが、私は何か惹かれるものをこの時感じていた。
例えるなら何であろうか。私の知識が煉瓦で積み重ねられたものであるとすれば、この人たちの知識はその隙間を通り抜けるような水の如き、流動なものである。少なくとも、そのような魅力が私の心のどこかを突き動かしていた。
「まぁ、新入生くんもそのうち分かって来るよ。」
「まずは、愚者のように振る舞うことだ。愚者のように振る舞い、賢者のように思考することが、この部にとって大切なことだ。さぁ、今日からバシバシいくぞ、新入生君!」
水戸が力強く言うと、五人は私を囲み、賑やかな雰囲気が私を包んだ。
まだ先の事になるが、私がこの部を通して気付いた事が一つある。
愚者の集まり、愚者×愚者は天才となるが、その分その振る舞いは「ぐしゃぐしゃ」になるということである。
最後まで付き合って頂きありがとうございました!
少し変わった世界観でしたが、如何だったでしょうか? 楽しんで頂けたのであれば、幸いです。