魔物
地下迷宮。
一般貴族には直接的な馴染みの薄い場所であるが、この世界に生きる者にとってはいろいろな意味で関わりのある場所である。
なぜなら。
この世界の多くの生き物が体内に持ち、流動させている魔素のふるさとはダンジョンだからだ。地球上の深海などで今も噴出している有毒の熱水環境が巡り巡って地球の生命の歴史と大きく関わっているように、この世界における魔法文明も、神にも届く神聖魔法も、そして精霊の手を借りて使う精霊魔法も、ダンジョンが吐き出し続けるマナがない事には成り立たない。
ダンジョンとマナはかように深い関係があるが、同時に謎にも満ち溢れている。
いったい、いつの時代からソレはあるのか。
いや。そもそもソレは何なのか。
超のつく古代の文献や神話を調べてみるに、どうやらダンジョンとマナ、そして魔物はこの世界独自の存在ではなく、どこか別の世界から流れ着いたらしいのだ。
そう。
ローザリア・ホーエンハイムが異世界の記憶を持つのは、この世界ではそれほど珍しい事でもない。要は魂だか何だか知らないが、彼女という存在の中核のようなものが輪廻の輪から外れてこの世界に迷い込んできた、ただそれだけの事にすぎない。そしてローザリアのメイドのひとりがオレンジの瞳を持つのだって、彼女の祖先がローザリアとはおそらく別系統の異世界から来た『落ち人』だったからなのだ。
さまざまな異界から、人やモノが流れ着く世界。
かつての神話時代、とある詩人はこの世界を、こう形容したという。
「この世界は、あまたの世界をさまよう旅人たちの止まり木である」と。
「ねえクラッシ、ここダンジョン入り口への道よね?間違ってないよね?」
「ローザ、そんな目されても困るって。あたしも首かしげてンだから」
私たち一行は、研究所を出てしばらく進んだところで、思いっきり立ち往生していた。
予定だと、ここは大深度地下のダンジョン入り口のはずだった。
ダンジョン周辺は空間が歪んでいるとかで、ここまで登ったから次は下りのはずだとか、そういう感覚が意味をなさない。だから、どういう道筋をたどってきたか記録をとり、記録と記憶を頼りに進むしかないのだけど。
そのはずなんだけど。
「変ね。こんなとこあったかしら?」
さすがに空気はひんやりを通り越して寒い。おそらく年間通して摂氏でひとケタ台って感じではないだろうか?
魔道士のローブは保温性があるし、今度は下着もちゃんと身に着けている。おまけに私に至っては、なぜか真剣な顔でリカに余計な装備までさせられている。あったかいけど、ちょっと腹回りがきつい気もする。
「それにしても寒いですね。寒さ対策しておいて正解でした」
吐く息が白い。本当にこれは寒い。
「ところでリカ。なんで私だけ防寒装備なのかしら?」
「姫様。仮採用の配下とはいえ男性のいる場所で、毛糸のパ○ツの話はなさらない方がいいかと」
「うわぁ、はっきり言った!」
「リカ、鬼畜」
「あのねえ……」
うちはいつからお笑い集団になったんだろう?
いやまぁ、わかるのだけどね。
そう、それはいわゆるカラ元気。
考えてほしい。
笑ってごまかしてるけど、ほんの数時間前まで私たち、ゲルガを除く全員が無実の罪で死刑囚だったんだ。あらゆる能力を封じられ、死ぬよりも屈辱的な姿をさせられたうえに身動きもできないように拘束され、馬車で死刑場のある建物に護送されていた身なのだ。
精神的に参っていないわけがない。
それでも今、動いているのは、それだけお父様たちへの連絡が重要だから。私たちが生きている事だけでも伝えなくちゃ非常にまずいと思われるから。だからこそ後回しにしていないだけ。
いつも以上に皆が陽気だったりふざけたりしているのも、精神的に余裕がないせい。
内心はまだ、ちょっと油断すると震えが止まらないのだと思う。
そして。
震えれば震えるほど、おそろしければおそろしいほど。
許すまじ、絶対に許さないという気持ちが膨れ上がっているのだろうとも思う。
だって、そうでしょう?
あなただって、もしもある日突然、無実の罪で一方的に死刑判決出されたらどんな気持ちになるだろうか。無実なのに抗弁も許されずに何もか剥ぎ取られ、死刑場に護送されたら?
おそらく、この二日ばかりの事は一生忘れられないだろう。悪夢で見て飛び起きる事もあるかもしれない。
だってねえ。
一度死んだ記憶のある私ですら、まだ心のどこかで震えているんだもの。
話を戻そう。
予定通りなら、そろそろダンジョンの入り口が見えてくるはずだった。そしてそこは黒い大扉で、中の魔物が外に出てこないように蓋がなされているはずだったのだけど。
「えっと……これ、なに?」
いよいよ、全く記憶にない風景のご登場だった。
そこにあったのは、一面の蔓草に覆われた通路。
「えっと姫様、もしかして問題が?」
「ああちょっと待ってリカ。それにしても何かしらこれ?」
「現実逃避しないのローザ。それに通路の形は間違いなく、ここがダンジョン入り口で……あ」
何かに気づいたように、クラッシが壁の一角をまじまじと見た。
「なにか見つけた?」
「やっぱり間違いない、ここが確かにダンジョン入り口だね」
「え、でも扉は……ってっ!」
まさか!
そんな思いにとりつかれて、私もあわててクラッシと同じ場所に注目した。
「ローザ、蔓草にさわらないで。みんなも気を付けて、壁に近づかないで!」
「う、うん」
「ローザ見える?蔓草にぎっしり覆われてるけど、黒いやつ」
「見える、けど……これってまさか、ダンジョン入り口の大扉?」
「たぶんね」
「たぶんって……」
私は絶句して、まじまじとクラッシを見てしまった。
「これがダンジョン入り口の扉だとしたら、なんで蔓草だらけで壁に埋もれてるの?」
「なんでだろうね……ここ二年ばかりで何かあったって事になるけど」
「悠長に悩んでる場合じゃないでしょ。これってつまり、ダンジョン入口が全開で開きっぱなしって事になるのよ!?」
「そうだよ」
「そうだよ、じゃないでしょう!八千年、ヘタしたら万年ものの現役ダンジョンの大扉が開きっぱなしって……ここ、王都のほぼ真下なのよ!?」
言ってるそばから、言ってる私自身も寒気がしてきた。
活性化しすぎたダンジョンが、まれに入り口の封印を破る事がある。すると中の強力な魔物があふれてきて、大変なことになってしまう。
王都がダンジョンの魔物で溢れたら……もはや国なんて存続できまい。
だけど。
「しかし問題ないようですね」
「え?」
ゲルガが何か探るような動作をしていたが、ウンと納得したようにうなずいた。
「ローザ様、ひとつ伺ってもかまいませんか?」
「何かしら?」
「以前、『失われた軍勢を呼び出す魔法』を使われたのは上の研究所で?何回ほど試されたのですか?」
「え?えーと、何回かしら……細かいテストも含めたら、ちょっとわからないくらい試したかも」
「なるほど」
フムフムとゲルガが頷き、そして私の方を見た。
「最も魔力を込めた時は、どのくらいで?」
「それはスケルトン軍団を召喚した時ね。ほとんど魔力使い切ったわね。フラフラして、しばらく寝台で休んでたもの」
「……やはりですか」
なるほどとゲルガがうなずいた。
「試しに探査魔法を放ってみてくださいローザ様」
「え、それは」
ここはダンジョン入り口。
こんなところで探査魔法なんて放ったら、魔物の山を呼び寄せるようなものだ。
なのに。
「大丈夫です。いくらローザ様の探査魔法でも1日程は飛ばないでしょう?」
「ソレは無理ね」
「だったら問題ありません。いいからやってみてください」
言われて、半信半疑ながら探査魔法を放ってみたのだけど。
「……なにこれ?」
敵対存在の気配を感じない。全然。
そんなバカな、こんな事はありえない。
生き物はいる、いるのに。
「姫様、どうなさったのですか?」
「敵対存在を感じない……魔物はたくさんいるのに」
「ええっ!?」
「なんですかそれ!?」
リカとクアが、ギョッとしたような声をあげた。
「ねえゲルガ」
「む?何だクラッシ」
ゲルガって、クラッシには完全に対等な口をきいてるわよね。クアやリカには、どこかちょっと構えてるとこがあるけども。
これはもしかして……。
って、今はそれどころじゃないか。
「つまりそれって、ローザの魔力が大きすぎて、ここまで影響出たって事?」
「まず間違いあるまい。そもそも『失われた軍勢を呼び出す魔法』は効果範囲が曖昧な魔法でな、かけた魔力が大きすぎた場合、どこまで効果が及ぶかは未知数らしい。
だが、状況から判断できる最も合理的な答えは一つしかない。
つまり、ここいら一帯の魔物がローザ様を敵と認識しなくなっているのだろう」
「……」
すみません。
言葉ではわかるんですが、理解できないというか、頭が追いつかないというか。
「えっと、ゲルガ?」
「はい、何でしょうローザ様」
「そういえば、上でスケルトンたちと話してた時にも思ったのだけど。『失われた軍勢を呼び出す魔法』って、効力はいつまであるのかしら?私、長くて半年くらいだと予想してたのだけど?」
そう、このあたり気になっていたのよね。
たとえば死霊術でスケルトン複数を呼び出した場合、術が切れて骨に還るのには個体差がある。だから、ある時に一斉に止まるのでなく、歯が抜けるようにぼろぼろと機能停止していくそうなのだ。
おそらく『失われた軍勢を呼び出す魔法』もそれに沿うものだと思っていたのだけど?
しかし、ゲルガの答えは、私の予想とは全く異なるものだった。
「時間的な期限ですか。特にありませんね」
「へ?ないって?」
「あえていえば、その個体が滅びるまで。生きている魔物なら死亡するまでが期限になりますか」
「え……一生モノってこと?」
何それ。
そんな理不尽な召喚術なんて聞いたことないんだけど?
「ああそうか、ローザ様は『失われた軍勢を呼び出す魔法』を召喚術と考えていたわけですね。違いますか?」
「え、違うの?」
「違います」
ゲルガはちょっと困ったようにためいきをついた。
「『失われた軍勢を呼び出す魔法』は、簡単にいえば二層構造の魔法と言えます。
まずひとつは、スケルトン軍団を呼び出すもの。これは確かに召喚式です。
そしてもうひとつは……このスケルトン軍団を含む、効果範囲にいる全ての魔物に、意志の光を投げかけるものなんです」
「意志の光?」
「はい」
私の質問に、ゲルガは大きくうなずいた。
「申し上げましたよね、この魔法を作った者は助けを求めていたと。ゆえに魔法はふたつの働きをしたのですが。
問題は、この意志の光の方です。
もともと魔物のほとんどは人語を理解する程度の知能があります。ただ中にたまりすぎたマナに影響され、生まれた時から慢性的な暴走状態にあり、それで意志疎通ができないってだけの話なんですよ。つまり」
そこまで言われたら、もう私にもわかった。
「もともと持っているものを目覚めさせるだけ。だから、期限がきたら元に戻るとか、そういうものではないと?」
「はい、正解です」
にっこりとゲルガは微笑んだ。
なんというか、もともとイケメンなので、この笑顔だけとると何とも絵になるわね。
まぁ、中身はクラッシと同等以上の魔法バカなわけだけど。
「まぁいいわ、とりあえず警戒しつつ進みましょうか」
何はともあれ、進んでみないと何もわからない。
目下の危険がないなら、進まなくては。
「はいローザリア様。では念のためですが、わたしが先頭に立ちます」
自分自身に防御強化をかけたクアが前に出て、ではいよいよ中に進むかとなった、まさにその瞬間でした。
「……あら?」
ふと気づくと、足元でヒラヒラと揺れている花が一輪。
いえ、地面は土だしコケやら草やらが覆いはじめていますから、別に花があるのは不思議はないのだけど。
どうして風もないのに揺れているのかしら。虫でもいるの?
思わず、まじまじと見てしまったその瞬間でした。
「ローザ様!」
「え?」
突然の声に思わず声を出した瞬間、口の中に何かが飛び込みました。
え?
だけど事態を把握するより前に、頭がクラッときて。
そしてそのまま、意識が暗転してしまいました。