厄介な問題
「しかし転移が使えないとなりますと、当面は動けませんね。おそらく森の中は捜索されますから。姫様、連絡用のスクロールはどこにありますか?」
「あー……ごめん、ない」
「は?」
リカは一瞬フリーズして、そしてちょっと怖い目で私を見た。
「姫様。何があっても、なんの実験もしてもよいですが身の安全とお館様への連絡手段は常に確保してくださいとあれほど」
「ああん、わかったってばリカごめんなさい。こんなの想定外だもの仕方ないでしょう?」
いえ、実は嘘。単にスクロール用紙を切らしたままにしていただけなんだけどね。
「なるほど、スクロール用紙を切らしていたと。まったくもう」
バレてるし。
「それでは姫様、ここが見つかる可能性はありますか?連絡がとれないとなると、目下の問題はそこになりますが」
「大丈夫よリカ。クラッシはどう思う?」
がらくたの山と格闘して、こっちにおしりを向けているクラッシにも投げてみる。
「んー、王都の連中じゃ無理だと思う。運が良ければ入口までは来られると思うけどね」
「入口まで?」
「ああ……おぉ世界杖あったんだ!ローザ、これもらっていい?」
「いいわよ非常時だから。でも大切に使ってね?」
「ういっす」
「クラッシ。あともうひとつ、言う事があるのだけど?」
「え、なに?」
不思議そうにこっちに顔を向けたクラッシに忠告した。
「忘れてるみたいだけど、今、私たちってボロきれ一枚なのよわかってる?下着はいてないのよ?
あなたさっきから、おしり全部丸出しなんだけど?いくら同性相手でも少しは隠すべきじゃ無いかしら」
「!」
いや、いきなり何か踏み抜かなくてもいいから。
「ローザ。そこは非常時という事で笑って見ぬふりしてくれるのが大人ってもんじゃ……」「クラッシ!」「はいはい、わかったわかった」
動じてないフリをしているけど、実は顔見せられないだけなのよね。面白いくらいに真っ赤になるタイプだから。ふふふ。
さて。
しばらくして、ようやく機嫌よさげに古びた茶色い杖を抱えて戻ってくると、クラッシはリカの問いかけに答えた。
「いやー、これがあれば発動体なくても何とかなるわ。でさ、リカは王都北ダンジョンを知ってる?」
「えっと、学生の勉強のために残してある、大昔のダンジョン跡よね?」
「そそ。
だけどさ、ダンジョン『跡』なのは実は十四層までなんだよね。その下にはでっかい古代の障壁があってさ、そのさらに下には、実は超古代のダンジョンが広がってるのさ。転移使いじゃないと入れないけどね。
あ、ちなみにこれ他言無用ね。一応これ王室機密だから、もらしたら一発で首ちょんぱだよ?」
「処刑は今さらでしょう、無実の罪とはいえ現時点の私たちは死刑囚なわけですから。……しかし本当ですかそれ?」
「もちろん」
「そうですか……王都周辺の地下にそんなものが」
リカの目が開かれた。
「ここはね、その超古代のダンジョンのさらに最下層にあるのさ。森の最奥の入り口は、いわば関係者向けの裏口ってところかな?」
「なるほど。
んん、でもそれじゃあ、ここにはどうやってたどり着いたの?そのダンジョンに潜ったわけ?それとも森の入り口から?」
「いや、どっちでもないよ。
ここの研究所は何年前だっけ、あたしとローザが見つけたんだけど。元々はホーエンハイム近くにある魔の森を調べていて、あそこの最奥部に大地下トンネルの入り口を発見したのがきっかけなんだ。
で、古文書で詳細を調べたところ王都近くまで伸びてるらしいって知って、転移と組み合わせながら少しずつ探索していったわけなんだけどさ」
「そんな危ない事をしていたのですか。クラッシ、貴女は魔道関係で姫様を止められる唯一の人間なのですよ。それを」
「もちろんわかってるって。あたしだってローザに何かあったら困るんだし、ちゃんと注意してるってば」
「研究対象がなくなるという意味ですわね、それは」
「あ、あははは……まぁまぁ、そのおかげで今助かってるんだしさ」
クラッシは奔放でリカは堅実。正反対で苦手らしいけど、実は仲がいいのも私は知っている。
「まったくもう……で、通路があるのですか?では、そこを通ってホーエンハイム領に戻る事は」
あー、リカの言い分はもっともなんだけど。
「今の私たちでは無理ね」
「そうなのですか?姫様、理由を伺ってもよろしいですか?」
「装備とか戦闘力とかいろいろね。当時だって、生きてここにたどり着けたのは奇跡みたいなものだし。クラッシもそう思わない?」
「思う思う。今だから言えるけどさ、あれはちょっと無謀すぎたわ」
ウンウンとうなずくクラッシに、私も苦笑してうなずきを返した。
「姫様とクラッシがそこまで……そんなに強い魔物がいるのですか?」
「うんにゃ、強いのはそうでもない。むしろ環境が最低」
「環境?」
「うん」
クラッシの説明を、私がひきとった。
「途中で一リーグにわたって水没している場所があるの。長時間の水中呼吸ができる魔道具がないと、そこをまず抜けられないわ。しかも地底の水だから、長時間浸かっていると身体もひきつって動けなくなるし」
「あと水龍対策もね。あの寒さでアレに襲われたら……」
「ええ、そうね」
「冷水の水脈に水龍ですか。それは確かに問題おおありですね」
要は、大深度地下の巨大水脈を横切っているのだ。おそらく通路の方が古くて、あとから何かの変動で水脈が開口したんだろうけども。
転移はできない、連絡もできない。自力で戻るのも無理。どうしたものか。
そんな事を考えていたら、
「少し良いだろうか?」
「!?」
突然に聞こえた覚えのない男性の声に、私たちはギョッとして振り向いた。
そこにいたのは、小柄な黒髪の男性だった。
いや、ただの黒髪ではなかった。クラッシのそれよりも赤い真紅の瞳が、全体をまとう魔の雰囲気が、彼が人間でない事を教えてくれていた。
「魔族!?」
「はい、いかにもそのとおりですご令嬢。いえ、ローザリア卿と申し上げましょうか」
「え……卿って?」
子供むけの物語には、魔族は人を騙すとある。一般人にも信じている人がいる。
だが実際の魔族はもっとストレートに感情表現する、どちらかというと魔力バカ、魔法バカな種族だ。元々はクラッシのように魔に生涯を捧げていたような人間たちだったのが魔に取り込まれ、種族そのものも変わってしまったのだとか。
その魔族が、私を『卿』呼ばわりする?
「はい、ローザリア卿。正しくはローザリア魔道卿とお呼びするべきでしょうが」
「どういう事かしら?それに貴方は誰?」
「おっと失礼しました」
男性は丁寧に礼をしてきた。いやみのかけらもない、真摯なものだった。
「自分は見ての通り魔族であり、古代語魔法の研究をしておる者でございます。自分でいうのも何ですが、現在の魔族の中でも第一人者を自負しておりました。
しかしローザリア卿、貴女を知った時、自分は決して貴女に勝てないと知ってしまった!」
「は……はぁ」
な、何か力説をはじめたのですが。
ちょっと小柄ですけど、見栄えはとても美しい方なんですけどね。どちらかというと通好みの黒髪ですけれど、すらりとした長身にとてもよくお似合いで。
まぁ、私の美観には前世の『ナギサ』の影響も少しあるようなので、他の方がどう思われるかは別の話かもですけれど。ナギサは何やら変わった絵本を仲間と創作されていたようで『サークル』とか『二日目』など、よくわからない言葉と共に強く印象として残されておりますけれど、ナギサの愛した絵姿の殿方に近い感じがしますわね。特に足の長さと、ほっそりしたところが。
さて、お話は続いています。
「要するに、あんたローザの下につきたいってわけね」
って、クラッシが問答無用でぶっちゃけましたわね。
「うむ、全くそのとおりだが……貴殿もローザリア卿の部下か?我らに近いようだが」
「そそ。羊の三点だけど、あんたは?」
「ほう、人がホブラ分類を使うとは……さすがに卿の部下だな。うむ、自分は蝙蝠の六点だ」
「ジャンル違わない?ローザは手広くやってるけど、蝙蝠は専門じゃないよ?共同研究目的なら別を選ぶべきじゃ?」
「そうでもない。なぜなら、卿のお使いになられた『失われた軍勢を呼び出す』魔法には蝙蝠系統の呪法も組み込まれているのでね」
「え、そうなの?」
「ご存知なかったか。
実はな、『失われた軍勢』のそれが大規模の死霊術と異なる点は、永続動作のロジックに蝙蝠の、個別意思決定のロジックに山羊の要素を埋め込んでおるからであってな。従って……」
「え、そうなの?ちょ、それ教えてよ!」
「よかろう。
しかしそなた羊の三点であったな、どの程度まで理解できるか……山羊の経験はあるかな?」
「羊が専門だけど、山羊も基本はやったよ?共通点多いしね」
「それは重畳。ならばメコンカルタのロジックは覚えておるか?」
「もちろん!」
「よしよし、ではな……」
「……」
「……」
どうしよう。
いきなり、クラッシとの間で異世界の哲学が始まってしまった。
こうなると私たちは置いてけぼりである。
とはいえ。
クラッシは確かに魔道を優先するけど、私たちがいる時に危険な存在を放置することは絶対にない。
つまり、彼は安全という事よね?
「……ん」
ぐう、とお腹が鳴った。
「そういえばお腹すいたわね。備蓄食料しかないけど何か作りましょうか」
「あ、いいですね」
クアとリカも同意見らしい。
さて、そうなると。
「ちょっとあなた、お話中悪いのだけど」
「あ、も、申し訳ありません夢中になって!」
今度は頭を下げ始める魔族の男性に、いいからと頭を上げさせる。
「クラッシとずいぶんお話が合っているようで何よりだけど、ふたつほど質問があるの。
まずひとつは、あなたのお名前」
「あ、こ、これは失礼しました!」
男性は姿勢をただすと、大きく一礼した。
「自分はゲルガ・ケロンともうします。見ての通り魔族で、魔道士として生計をたてつつ、古代魔法の研究……特に人間の分類法でいうところの、主に召喚術の研究をしている者です」
「召喚術?ああ、もしかして私のスケルトンたちを見て?」
「はい、正直感動しました。人間がここまでの大魔術を使いこなすとは、これは是非ともお話をさせていただき、場合によっては共に研究をさせていただきたいと」
なるほど。
「うちは人材不足だから、手伝ってくれるなら大歓迎なんだけど……でも、私たちの状況を知ってるのかしら?」
「あ、はい。骨たちの指揮官にだいたいのところは……まったく、これほどの人材を無実の罪で殺そうとするとは、なんと愚かな事をするのか」
ゲルガはふるふると頭をふった。
「もう少し早く合流できていれば、お城で亡くなられたという巫女の卵の方もお助けできたかもしれないというのに……申し訳のしようもない」
「別にあなたのせいじゃないでしょう?それにあの子はそこのクラッシと違って、神聖魔法の素質はあったけど普通の人間だったけど?」
「ローザ……それじゃ、あたしが普通じゃないみたいなんだけど」
苦笑いしている自覚なしを無視してゲルガの顔を見た。
「力は力を呼び集める、という言葉をご存知ですか?
事実、確かにここにいる三名の部下の方は、貴女に比べればずっと弱い。しかしそれは貴女の基準にすぎないと言えますな。なかなかの強者揃いではありませんか」
そういうと、ゲルガは頭をさげた。
「ローザリア卿、改めてお願い申しあげまする。自分を配下にくわえてはくださいませぬか?」
「……」
私は少し考えた。
確かに、今はひとりでも人材が欲しい。
だけど、この魔族の青年が何を求めているのかは不明だ。進みたい先が私たちのそれと違う可能性が高いし、交わった道が離れる時、彼がどのような行動に出るかもわからない。
いきなり採用は危険すぎるだろう。
そんな時だった。
「!」
ぐうう、とゲルガのお腹が鳴った。妙にかわいい音だった。
「……とりあえず細かい話は置いといて、私たちは今から食事を作るわ。あなたも食べる?ケロンさん?」
「……すみません、ぜひ。あと、自分は呼び捨てでゲルガで結構です」
魔族の青年ゲルガはそういうと、ぺこっと子供のように頭をさげた。
「異世界の哲学」
日本語的な言い回しだと「宇宙人の会話」。ようするに、専門家同士が議論しているのを横で聞いて、一般人には同じ言語とは思えないほど全く理解できない事の揶揄。