決着
「来るがいい、新次郎」
荒れ寺に響く静かな宣告。
その言葉に誘われるように、新次郎が間合いを詰めた。両者、共に青眼。
その時、新十郎の目に蔑みの色がなかったと言えば嘘になる。
新十郎は常に表業の誇り、応現流正統の誇りと共にあった。そんな新十郎の視線の先で、間境を越える寸前、新次郎の腰が沈んだ。まるで地を這うような低い姿勢になり、急速に迫ってくる。
地面すれすれに支えられた刀は、明らかに脚斬りを狙っているようだ。
その刹那、新十郎は笑っていた。
そうだ、所詮、新次郎は殺し屋なのだ。
脚斬りが好きな剣士はいないという。実際に狙われてみれば防ぎにくく効果的ではあるのだが、何より卑怯な感じがするからだ。
だが、ただ相手を殺すためになら有効な技だ。だからこそ殺し屋の剣、と新十郎が断じたのである。
こんな邪剣に応現流正統の名など、譲るわけには行かなかった。脚斬りなぞ高さで外し、その刹那、唐竹に面を取ってやる。そう決めた新十郎が後手に回る。
驚くほど低い姿勢のまま、新次郎が間境を越えた。地を斬らんばかりの刀が脚に迫るその瞬間、新十郎が小さく跳ねる。
その時だった。
新次郎が大きく伸び上がったのである。
地にわだかまる影のような新次郎の姿が、まるで鳥が翼を広げるように大きくなった。
地に摺るほどだった刀が、その動きに合わせ、逆袈裟に跳ね上がる。
空の新十郎と地の新次郎、刹那の交錯。
刀を振りきった姿勢のまま動きを止め、新十郎が着地する。場所はほとんど変わっていない。その新十郎の懐に寄りかかるように、新次郎もまた、動かない。
新次郎の刀、その切っ先は新十郎の腹を充分に割っていた。刀身は軌道上にあった左腕に半分ばかり食い込んでいる。
そして、予想外の動きに一歩深く間合いに潜り込まれ、面をそれた新十郎の刀は、新次郎の左肩から背中の表面を浅く裂くに留まっていた。
新次郎の剣、それは確かに殺すための剣だった。だが、それはけして誤魔化しの剣などではない、見事な変化である。
「……その技……」
「応現流隠業、『小磯駆け』」
瞬間、新十郎の目が見開かれた。
磯を駆け抜ける波足は速く、そして突然、予想外に跳ね上がる。
自然の動きを名の由来とするその技は、確かに下段から上段への変化をその精髄とする技だった。新次郎の動きは、その線から微塵もずれていない。
だが、新十郎の知る『小磯駆け』とは、何かが違っていた。
その違いは、動きの中にはない。
衝撃に見開かれたままの新十郎の瞳が、深編み笠の向こうでふと和らいだ。
隠業を殺し屋の剣と侮っていた気持ちが腹と一緒に断ち切られたのだろう。そして新十郎は思い出していた。応現流の歴史を。
永穂応現流は、戦国時代に端を発する戦場の剣だった。もとより殺すためにこそ磨かれてきた剣術である。
だが時代が太平に移り変われば、ただ殺すだけの技に価値はなくなっていた。
新たに研鑽が積まれ、また、時代に応じてその姿は進化していく。
その中で、応現流は分かれたのである。
時代に合わせ、進化し続ける応現流正統「表業」と、その影にあって原初の精神、殺し技を継承し続ける「隠業」とに。
研磨され続けてきた剣技は精緻を極める。
隠業は「剣技」において、確かに表業には及ばないだろう。
だが、同時に、いつの時代にあっても常に実戦の中にあるのが隠業だった。
剣術が終局的に殺すものなら、新次郎こそが常にそれを見据えてきたのではないか。
応現流の業を背負い、最も血塗られてきたのが新次郎なのだ。
「そうだったな……。新次郎、見事だ……」
深編み笠の縁から、細く鮮血が流れ出し始めていた。内臓からの出血が逆流し、口腔に溢れたのだ。
「兄上……」
笠の向こうで今、新十郎は笑っていた。何も言わず、右手に握った刀を差し出す。断ち割られて動かない左手を引き剥がしながら。
新次郎が刀を受け取るのを見届け、そのまま微かに息を付くと、新十郎の体から力が抜け落ちた。




