真相
「まさか、兄上っ?」
「ああ、そうとも、弟よ」
死んだ筈の永穂新十郎忠明、その人がそこに立っていた。深編み笠の向こうに、皮肉っぽい笑い声がこもる。
「さあ、弟よ、どう呼んで欲しい?」
新次郎が「新十郎」として生きている事、新十郎はそれを指して笑っていた。
「死んだと聞かされていました……」
「くくっ、そうとも、死んだよ、殺された。新九郎になあ」
「兄上?」
この期に及んで、新十郎はまだ深編み笠を取っていない。そして全身を覆う晒。
新次郎はこんな姿を以前に見た事がある。
人里離れた山中、人の目から逃れるようにその谷はあった。近隣の村から「死の谷」と呼ばれるその谷が。
それは哀しい集落だった。世間から見放された病人達の集う場所。そこで見たのだ。今の新十郎とよく似た姿を。
「病だと言っていた。まさか……癩?」
その瞬間、新次郎はよろめいた。一瞬、斬られたかと錯覚したのである。
「癩」の名を口にした瞬間、新十郎が殺意さえこもった瞳で新次郎を射抜いたのだ。
「ああ、そうだ、そうだとも」
癩病は、昔から最も恐れられていた伝染病の一つで、別名をハンセン氏病とも言う。
現代でこそ治療法は確立しているが、それまでは死病と言われ、また少し触れただけでも感染すると信じられていて、患者達は一様に社会から隔離されてきた歴史を持つ。
「俺はまだ闘える。闘えるんだ。なのに……」
発病が分かった瞬間、父、新九郎は至極あっさりと、新十郎を切り捨てたのである。
そして、新次郎が「新十郎」として生きる。
「だったら、俺は何なのだ。病になって俺が新十郎でいられないなら、『新十郎』とは一体なんだ? 俺が新十郎ではないのか?」
ふざけるな!
それが新十郎の思いのたけと言っていい。
永穂家に必要なのは、決して彼自身ではないのだった。「新十郎」の名と立場、「新十郎」の仮面が必要だっただけなのである。
「新十郎」の仮面さえ無事なら、中が誰でも構いはしない。
ならば今まで自分が守り通してきたもの。「新十郎」としての生き方。そして必死に磨き上げてきた応現流正統の技。それらは全て、何だったというのだろう。
殺し屋の技、応現流の影、隠業が正統を名乗る事だって出来るのだ。「新十郎」の仮面を被って。
それは結局、彼自身の価値が全て否定されたに等しい。自身よりも役目の価値の方が上、と断言されたのである。
そして新十郎には、それが許せなかった。
発病した新十郎は、道場地下の座敷牢に幽閉されていた。だから、牢を破ったのだ。
新十郎発病の件を知っているのは、新九郎を除くと永穂四天王の四人だけである。
迂闊な者に世話も任せられず、彼らは交代で新十郎の世話をしていた。そして牢破り決行の時、その場に居合わせたのが、多田だった。
多田を斬り捨てた新十郎は、逃走する際、もう一人門弟を斬っている。それが辻斬り事件の真相だった。多田の死は屋敷の奥だった為、外部に漏れずに済んだのだ。
「なあ新次郎。お前の価値は何なんだ?」
新十郎の問いに対し、新次郎は咄嗟に答えられなかった。何しろ、新次郎も自身の存在を抹消され続けてきたのだから。
だが、その時、新次郎の目に、新十郎の後ろに立ち竦む雪姫の姿が映る。
新次郎にはその姿がひどく頼りなさそうに思えた。途方に暮れているのだろうか。
ある意味でそれは当たり前と言えた。
得体の知れない男にいきなりさらわれたかと思えば、その男が新十郎だと名乗る。あまつさえ今まで新十郎だと信じていた男は新次郎と呼ばれ、そして誘拐犯を兄と呼ぶのだ。
洒落にもなりはしない。さぞかし心細く思っているだろう。
そして、そう思えた時、新次郎はここに来た理由を思い出したのだった。
「価値なんて知らない。でも構いやしないんです。兄上、私にはやるべき事がある。だからそれでいい」
新十郎から視線を外し、新次郎は改めて紗雪と目を合わせた。
「紗雪殿を連れて帰ります」
「新…十郎…様?」
紗雪の問いかけに、新次郎は軽く微笑みを返す。そして、彼は初めて名乗ったのだった。
「新次郎忠輝です、姫」
「はん、そうか、新次郎、雪姫のためにか。あははっ、そうだよなあ、そりゃそうだ」
新十郎はその新次郎の言葉にかぶせるように言い放っていた。
嘲弄の込められた笑いは、不吉な響きを孕んでおり、何を言い出す気かと、自然、新次郎の表情も険しくなる。
「そうだよな、新次郎、永穂家は姫を失えないからなあ」
「どういう意味です、兄上?」
「ふん、しらばっくれるのはよせ。今まで変だとは思わなかったのか。何故わざわざ代役を命じてまで機嫌を取ってきたと思ってる。何故そこまでして小娘一人繋ぎ止めていたと思う。紗雪を手に入れるために決まっているだろうが」
改めて言われてみれば、新次郎にも腑に落ちない点がたくさんあった。
影武者は本人を良く知らない相手に対して意味を持つ。長く、深く付き合えばそれだけ、別人と見抜かれる危険が増すものだ。
新十郎との結婚生活の上で、紗雪が新次郎との思い出を持ち出せば、その瞬間からボロも出るだろう。
そして新十郎は言葉を継ぐ。亀裂を確実にするための、決定的な言葉を。
「紗雪は藩主の娘だからなあ、失うわけにはいかないからなあ」
その言葉は爆弾に等しかった。




