31.王の記憶と好きな理由 後編
〜王の記憶と好きな理由3〜
一同はさらにざわめく。
この少女をすぎたばかりであろう人物が、あのナイトメアの一味である
“黄昏の国のアリス”である、とは。
「それ程、珍しいでしょうか。女の武官・・・いえ、こちらの国では
兵士といいましたね」
丁寧の裏に、どこか棘々(とげとげ)しさのある口調で、アリスは喋った。
挑発にも似た発言に、内心キングは嘲笑するとすぐにアリスに向き直る。
「じろじろ見て失礼した。何せ、使者で女性とは初めてだったのでね」
仕事用の笑顔を振りまくと、その場にいた貴族の娘や侍女が顔を赤らめる。
――あぁ、なんて女は単純な生き物なのだろう。
キングの胸に寂れた風が吹き込む。
アリスはキングの笑みにも動じず、ぐっと顔を上げた。
「では、アリス=リデル。黄昏の国の言い分を」
「ならば、遠慮なくいたします。まず始めに、白雪の町を諦めていただきたい。
無駄な争いは避けたいのです」
「だから、諦めろと?そちらが譲れば話は済むだろう?」
キングのその言葉に、予想していたかのようにアリスは口を開いた。
「お忘れですか皇帝陛下。今の国土は遥か昔の世界大戦、その結果分けられた物。
もうこれ以上国土でとやかく言うのはどうかと思われます」
・・・討論がしばらく続くが、どちらも譲る気が見えない。
時間だけが刻々と過ぎていき、本日は一旦止めることになった。
「わかりあえず、残念です。また明日、良い返事を期待してますね」
そう言ってアリスは踵を返す。
が、なんとなく、ほんの気紛れで、キングはアリスを呼び止めていた。
「・・・何かおありでしょうか?」
釈然としない様子でアリスは返事をする。
キングはというと内心冷や汗をかいた。
なぜ、こんな取るに足らない女に声をかけてしまったのだろうか、と。
「・・・っ。アリス=リデル。何故武官とやらになった?
女の身であるのに」
何故かこんなことを聞く自分がいて、キングは変な気分になった。
どうして、身分が下の者に私情を聞いているのか。
それはキングにもわからない。
「何故・・・?愚問ですね、皇帝陛下。
私は別に何も血が、戦が好きだから武官になった訳ではありません。
むしろ戦事は嫌いです。けれど、愛しい人々が国にいます。
その人達を守るため、戦を無くすため・・・矛盾しておりますが、
戦うことを選びました」
目を、キングの目をしっかりと見て、彼女は言った。
王、ではなくキングを見て。
「そして今まさに戦争が始まろうとしています。
皇帝陛下、貴方は間違っています。国の王は国の声、つまり民を
中心に考えるべきです。止められる、しなくてもいい筈の戦争を・・・
物を破壊するだけの戦争を、貴方は今、自主的に起こそうとしているではないですか!」
キングは、今でもその時のことを昨日のことのように思い出せる。
キリッとした表情。凛とした声音。きっぱりとした口調。
そして何より、“キング”を見るその瞳。
―――この女は今まで自分が出会ってきた女とは違う。
今までこんな女に会ったことは無い。
侍女も貴族の娘も、自分の姉も、誰とも違う。
確かにこのアリスという存在は、容姿が美しかったし教養も素晴らしかった。
けれど、そんな物、アリスの心と比べれば・・・意味が無い。
霞むべきものとなっていた。
大勢の前で討論をすると、貴族の横槍が入るので非常に煩わしい。
アリスの申請もあったので、二人で会議することになった。
そんなとき、アリスが不意に言った。
「あなたは操り人形のようですね」
アリスは既にわかっていた。
キングを演じていることも全て。操り人形であることも、全て。
「たまには、心から笑ったらどうです?」
そう言ってアリスは微か、ほんの微かだが微笑んだ。
初めて、自分に見せた笑顔。正直キングはアリスの笑顔は見たことがある。
城内の侍女や侍従と話しているとき、笑っていた。
だが、それとは違う。
“自分”に向けられた笑顔なのだ。
どうしてか、胸の奥を締め付けられるような感覚が、キングを襲う。
初めての、感情だ。
手に入れたいと、初めて思った。誰にも渡したくないと、初めて思った。
――あぁ、どうして。
こんなにも、この女性に惹かれるのか。
思わずスッと自然にアリスを抱きしめていた。
最初はアリスも驚いていたようだが、やがてぎこちなく腕を動かし、
頭を優しく撫でてくれる。なぜだろう、
不快には、感じなかった。
「と、まぁこのような経緯だな。
我が国は自由恋愛主義国だから、身分が違っても誰も反対しない」
語られた過去に、自分も随分大胆なことをしたのだとアリスは思う。
運がわるければ首を刎ねられていたかもしれない、というのに。
この人は本気で自分を好きなのだ。と、感じると急に
恥ずかしさを覚え、思わず目をそらした。
そんなアリスを見て、キングは心から微笑った。
アリスが自分に言った「心から笑う」ということ。
今では不自然無く笑えるようになった。それもすべてアリスのおかげ。
時は、穏やかに流れていった。
扉の前、その話を聞く二つの影があるとも知らずに。