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喪失と光明

「はは……まさか……」


 呟くような一言には芯が無く、まさにだだ漏れた感情であった。

 事実、大和は全身を脱力させ、木偶人形のようにふらふらと歩いている。


 ひたり、ひたり、と。直視せずに俯くことで飛び込んでくる光景を否定し、けれど意志に反してその少女の元へ、ふらふらと。


「……ん?」


 視点をずらしていることで、とあるものを見つけた。


 リボンであった。今しがたその場に落ちたのであろう、まだふんわりとした柔らかさをこちらに見せつけている。紅くて、可愛らしいリボンであった。女の子が髪に結べばそれはよく似合うだろうと思わせる。

 それを、とっさに屈んで拾い上げた。知り合いがつけているリボンによく似ていたから。


 屈むことで、近づくことで、焦点が合ってしまった。見てしまった。

 木々の隙間から飛び込んでくる月光に照らされた、血だまりの中で仰向けに眠っていたその少女を。


「あ……あぁ…………!」


 声が、上手く出ない。

 これは……何だ? 理解、できない。


 イルカのようだと結われたそれは朽ち果てた筆のようで。

 お日様みたいと好かれたそれは涅色くりいろに侵されて。


「おい……なあ……嘘だろ……?」


 壊れた笑みを浮かべ、大和は倒れた彼女の側にしゃがみ込む。

 そして――確認してしまった。


 その少女が目端から雫をこぼしていたことを。

 その少女の胸から大量の血が流れ出ていたことを。

 その少女がもう、息をしていないことを。


「――うあああぁぁぁあああああっ!!」


 神崎美琴の遺体を抱きしめ、感情のままひたすらに絶叫した。

 しかし、美琴は何も答えない。だらんと弛緩した両手と首が、生々しく現実をぶつけてくる。

 閉ざされたまぶたは開かれず、半開きの口から呼気が通ることもない。


 優しい彼女はもういない。元気な彼女はもういない。

 大和に対し、やれやれと微笑みながら世話を焼く神崎美琴はどこにもいないのだ。

 奥歯をギチギチと噛み、悲しさと悔しさから涙を流す大和に対し、ケタケタと嘲る嗤いを飛ばしてくる悪魔が現れた。


「きゃはははは! だっさ! いい歳こいてみっともなく泣いてやんのー」

「あぁ!?」


 人の心に土足で上がり、挙げ句ぐちゃぐちゃに攪拌かくはんするその声に、大和は赫怒の勢いで反応した。

 そして――視認した。


「あっははははっ! うわあぁんだって! ねえねえ蹴っていい? 蹴ったらもっと泣く? いっぱい泣くのオモチャみたいに? きゃははははははははっ!」


 黒い黒い邪悪な悪魔。

 先ほど墟街地で出会った少女の黒とは違う、あらゆる色をグチュグチュと混ぜ合わせて作り上げた、汚濁に満ちた黒魂こくこん醜女しこめ


 忘れるはずがない。八年前と比べて成長しているが、その面影を、その反吐が出る嗤いを、その汚らしい頭上の輪を!

 父を殺し、母を瘴気に侵して殺し、そして今度は唯一残された家族を、神崎美琴を、このふざけきった女が破壊した。八城大和から三度みたび大切な存在を掻っ攫ったのだ!


「てんめえええぇぇええええええッッ!!」


 猛り、吠え、咆哮した。目を引ん剥き激情にブレーキをかけることなく全開で。

 殺す! 殺す! ぶっ殺す!

 脳内を殺意一色に染め上げ、鉄砲玉のように愚直にまっすぐ突貫する、が――


「ばーか」

「――ぎ、ぁあ!?」


 突如として、ふくらはぎの辺りに高熱が発生していた。

 同時にバランスを崩し、情けなく転倒する。


 顔を顰めながら目をやると、そこには巨大な蛆が蠢いていた。

 もぞもぞと気色悪く蠕動するその蛆に、真っ赤な鮮血がこびり付いていた。どうやら大和の足の肉を食い破ったらしい。


「あっは! 弱いくせに生意気! もっともっともーっと食わせて、穴だらけにしてやろっかなー!」

「ぐ、う……! て、めえ……!」


 痛みと熱によって汗が拭き出し眩暈がする。

 同時に察した。この怖気の走る蟲で美琴を襲い、殺害したのだと。


「やっろう……ッ! よくも……!」

「おろろー? 立っちゃった」


 血を飛沫き、震える足を叱咤して執念で立ち上がる。

 よくも、よくも両親を……。よくも、美琴を……ッ!

 瞳孔引ん剥き、へらへらした醜悪な仇のツラを射殺すように睨み付ける。


「……こいつザコのくせにほんと生意気。生かせ、って命令だったけどいいや。殺しちゃえ」

「――ッ!」


 邪気が爆ぜた。

 少女の光輪が妖しく輝き、地下から噴き出す瘴気はまるで火山のようで、同じく大地から生まれた大量の蛆が、餌を見つけたと言わんばかりに頭を大和に向けていた。

 第十マルクトの天使、その力の片鱗が解き放たれる、瞬間。


「よしなさい、シェイク」

「――」


 透き通るような声が、悪鬼の所業を止めていた。

 そう、透き通る端麗な声。聞き覚えのあるその声が。


 ちぇっと舌打ちするシェイクだが、大和の耳には届いていない。

 なぜなら信じられなかったから。その光景が受け入れられなかったから。

 柔和な声音、慈母の微笑み。それらは確かに健在で、よく覚えている。

 けれどそれを、それをなぜ――


 ――なぜそれを、邪悪な天使に向けているのか。


 そのシェイクは彼女によく懐いていて、対する女性も我が子に向ける眼差しをさせている。

 そしてその女性は、ロゼネリア・ヴィルジェーンは、一泊置いてから大和の方へ向き直った。


「こんばんは、八城さん」

「……っ」


 クスリとした笑顔は夕方見たものと表面上は変わらない。

 けれど、絶対的に温度が違っていた。その視線だけで、底冷えするような寒気を覚えてしまうほどに。


「あん……た…………!」


 無理くりに絞り出した声だった。

 カラカラに渇ききった喉奥は呼気をするので手一杯。

 それでも、吹き上がる多くの疑念を声音に掻き混ぜ、いきり立つ感情と共にロゼネリアに爆発させた。

 しかしそんな大和の熱量を、ロゼネリアは目尻を下げるだけでたやすく冷却させてしまったのだ。


「駄目じゃないですか。夜に出歩いてはいけないと言ったでしょう?」

「な……」


 何を……言っているのだと。この事態で他に言うことはないのかと。

 混乱する頭を振って落ち着けて、大和はロゼネリアに懇願した。


「なあ、あんた医者だよな? 夕方のアレ、ほんと、美琴もすごく良くなってさ。だ、だから……頼むよ、お願いします。美琴を治してやってくれよ、お願いします。お願いします!」


 言って、頭を下げた。追い縋り、媚びたそれはひどくみっともなく痛々しい。


「ぷぷっ……」


 心底バカにした少女の嗤いが大和の耳に届く。

 だがそれがどうした。美琴の命には代えられない。

 恥も外聞もかなぐり捨てて頭を垂れる大和に、対するロゼネリアははっきりと答えた。


「それは無理です、八城さん」

「え……?」


 届いた声に、間の抜けた顔を晒して返す大和。


「私とて、死者を蘇生することは不可能です。それは大天使や神の行い。羽の無い私では力不足なのです」

「羽……?」


 一体何のことなのだと、口許を戦慄わななかせる。

 酷く寒い。全身が震え、今にも凍えてしまいそうだ。

 そこに、更なる事実が叩き込まれる。


「騙す真似をしてしまってごめんなさいね、八城さん。私は……いえ私たちは、天使なのですよ。そして、あなた方の敵ということになりますね」

「なん……だって?」


 手のひらでこちらを指し示してくるロゼネリアにただ唖然とする。

 天使――確かに横にいるシェイクを見れば一目瞭然だ。その頭上の輪が何よりの証拠であるのだから。


 では……ではなぜ自分たちがロゼネリアの敵なのか。

 口の端を噛み締めつつ、震える口調で大和は漏らす。


「だから……美琴を殺したってのかよ……。あいつが何をしたってんだよ……。ただの、女の子だぞ? あんたら人外と違って普通の――」

「それは違います」

「っ!?」


 大和の言を断ち切るロゼネリアの断固な口調。


「私たちには、何としてでも手に入れなければならない物があるのです。夜になった今では見えませんが」


 それは、と続けたロゼネリアが虚空に向かって手を伸ばし、言い放った。

 太陽、と。


「な……にをくだらねえことを……!」


 ギリッと、歯を噛み締めた大和の感情が膨れ上がり、限界を超えたそれは遂に破裂した。


「馬鹿馬鹿しい! さっきからふざけたことベラベラぬかしやがって! 欲しいんだったら勝手に持ってけよ! 返せよ美琴を! 治して……治してくれよ……!」

「うっざいなあ。どうして日本人ってどいつもこいつもバカなの?」


 やり取りに飽きてきたシェイクが後頭部で手を組みつつそう言った。


「そっちで死んでるバカ女もガキ庇って、あたしは神様だー、とかバカな顔でバカなこと言っててさー。すっごいムカついたから殺した後でグッチャグチャにしてやろうかと思ったけど、チェルシーに止められちゃった」

「……」

「感謝しなさいよ? チェルシーのおかげでグチャ肉になったそこのバカを見ないで済んだんだからさ。きゃはははははははははははは!!」

「…………」


 聞いた名前を耳にして、なおのこと世界が音を立てて崩れていく。

 精神が刃で抉られくり抜かれ、陥没したそこに反吐を撒かれて嘲弄ちょうろうされる。


 茫然自失となった大和に意識を取り戻させたのは、あまりにも無情な追い打ちだった。


「なぜ神崎さんを殺したのかと、仰いましたね?」


 小さな子供を諭すように、ゆっくりと、はっきりとロゼネリアは言ってのける。


「それは神崎さんに八百万の最高神、天照あまてらすが眠っているからなのです。言ってみれば、彼女自身が御霊代みたましろのようなものですね」

「は……?」

「万物に神が宿る八百万の教え。それは日本独自のものですね。木や岩に風、山にも海にも御神体にも。そして――人間にも」


 例えば全国の神社において、同一の神を祀っているものも数多く存在する。もちろんそのどれもが本物の神を祀っているため優劣は存在しないが、やはり総本社となれば発する神気は凄まじい。


 そして、ロゼネリアの言うとおり、八百万は神社に限らずあらゆる森羅万象にその身を宿すのだ。それは人間も例外ではない。

 つまり、神崎美琴という一人の少女に、太陽神天照が色濃く宿っていたということ。

 そこで、天照を内包した美琴を殺害することによって――


「今の太陽は堕ち、私たちが新たな太陽神を創造する。その黎明れいめいにより、世界を我々天使の一群が照らしていくのです」

「ふ……ざけんな……。そんなガキの妄想で美琴を殺したってのかよ……。だいたい、なんであいつに天照――が…………」


 自分で言いつつハッとする。実家である陽明神社は何を祀っていたのかと。


「そう、あなたの神社です。彼女は幼少時からそこの巫女であり、知らずに優れた神力を増幅させていき、ついには天照に依り代として是認されるにまで至ったのです」

「……っ!」


 遠慮仮借の無いロゼネリアの言葉。

 それではまるで、自分がいたから、陽明神社があったから神崎美琴が命を落としたようではないか。

 そして――奈落に堕ちた大和に対し、決定的な一言が告げられる。


「それに八城さん、神崎さんはもう黄泉の住人なのです。こちらには居られません」

「……あ?」

「絶命し、瘴気を浴びた者は黄泉に堕ちます。ああ、ちなみにこれからシェイクに瘴気を出してもらって彼女を黄泉に送ろうと思ったのですが、必要なかったようですね」

「な……に?」


 擦れる声を捻り出し、どうにかしてその意味を問う。


「あなた先ほど、一体どんな手で彼女に触れましたか?」

「――――」

「言ったでしょう? 墟街地に行ってはいけないと」


 ロゼネリアの悪辣な微笑み。

 背筋が凍り、全身が粟立った。

 恐る恐る両の手を見やる、と。


「う……っ!」


 這っていた、蠢いていた。それはまるで蛭や蛇のように大和に絡みついて離れない。

 咄嗟に慌てて払いのける。だがその濃度の高い、劇薬に等しい瘴気が付いた手で、神崎美琴に触れてしまっていたのだ。


「みこ――」


 瞬時に振り向き、名を呼んだ。いや、呼ぼうとして我知らず硬直していた。

 なぜなら、美琴の全身が瘴気に包まれ、ズブズブと地中に飲み込まれていたから。


「美琴ォ!!」


 絶叫し、飛ぶように大地を蹴って猛進する。破れた足から鮮血が迸るが止まれない。

 嫌だ、嫌だ、行かないでくれと、懸命に右手を伸ばして掴もうと。

 だが、遅かった。今にその手に触れようかという瞬間、非情にも虚しく空振ってしまう。


 とうとう、神崎美琴は大地に呑まれて幽世かくりよへと旅立ったのだ。


「ァ――――ァァ――……ッ」


 哀絶して膝を付く大和を尻目に、ロゼネリアは静かに嗤う。

 新たな時代の夜明けが来るのですね、と。


「いやー、そう簡単にゃ来ねーぞ?」

「――」


 息を呑むロゼネリア。

 顔を向ければ、なんと三本足のカラスが彼女の肩に乗っていたのだ。


 無言で払う動作をすれば、「おー怖っ! ケッケッケ!」と、おちょくるように旋回し、カラスは飛び去っていく。

 そして――


「シャキッとしなよ少年」


 烏羽色からすばいろのポニーテールが大和の側で踊っていた。

 大地を踏み鳴らすスニーカーの音が耳朶じだに触れる。力強く、尊大に。


「顔を上げろ。前を向け」


 怜悧れいりでいて、けれど確かな熱の籠った暖かな声音。

 勝ち気な目で、不敵な笑みで、先ほどの黒の少女がそこにいた。

 水平に上げた左手に、やかましい八咫烏やたがらすを止まらせて。


「諦めるにはちょっとばかし早いぞ」

「その通りだなァ曹玲ツァオリン! ケーッケケー!」


 黒い二つの闖入者ちんにゅうしゃ

 その目的とは一体――

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