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黒い少女。そして――

 墟街地きょがいち


 全国各地に点在する街の死骸。

 原因不明の病気が流行り、数千数万単位の死者と重症者が発生したとされている。


 だが、大和を含め、一部の人間には病の正体は分かっている。

 瘴気。それも墟街地で発生するものは非常に濃度が高く、皮膚呼吸ですら致命になり得る。


「――ゴホッ! ゲッホ……ッ! くっそ……、眩暈がする……」


 口許を押さえて大和が激しく咳き込む。瘴気に対して耐性がある彼でさえこの始末だ。

 まるで濃霧のように漂う紫の瘴気を前にして、何か別の――それこそ死の世界に迷い込んだような錯覚に陥ってしまう。酩酊する頭を振って意識を保ち、大和はどうにか辺りの様子に目をやって探索を始めた。


「……本当に街の墓場だな」


 吐き捨てるように言うも、凄惨な光景にただただ圧倒される。


 大和の言うとおり、何もかもが死んでいた。

 靄の如き瘴気の向こう側には、まるで打ち捨てられて干乾びた魚のような建造物が無数に存在していた。


 パラパラと粉を落とすコンクリ製のビル。屋根を無くした木造住宅。瘴気に侵されたのか、真っ黒に染まって枯れている木々。今にも崩れ落ちそうな電信柱は、手を取り合うことを諦めたようにして千切れた電線を垂らしていた。

 朽ち果てた建物の空虚な隙間を通る風の音は悍ましく、死霊が吐く怨嗟の声のようであった。


 この世の地獄に相応しい。人間の死体を目にしていないのが唯一の救いだろう。

 だが――


(く……そ、こいつは……思った以上に……)


 視界がぶれる。意識が混濁する。呼吸をする度に肺が腐っていくような感覚だ。

 追い打ちをかけるように空に浮かぶ銀の月が辺り一面を色塗っていて、その影響で負の感情が昂ぶり、呼気を荒げて肺へのダメージを進めてしまう。


 これは……一度引き返した方が良いだろう。そもそも、邪悪な夜に訪れる必要は全く無かったわけだ。カラスなんぞに引き寄せられた自分を阿呆だと呪う。気を急がせ過ぎた。昼にまた戻ってくれば月光を浴びなくて済むし、探索もしやすいだろう。

 そこまで考え、踵を返しかけた瞬間であった。


「ん……?」


 何か音がした。砂利を散らしたような乾いた音が。

 慌てて制止し耳を澄ます。……やはり聞こえてくる。


「…………」


 息を潜め、無意識に身体を屈め、大和は神経を集中させて音の発生源へと意識を向ける。

 そこには――人がいた。


「な……!?」


 我知らず瞠目する大和。

 そうなるのも無理はない。濛々と湧き上がる紫の瘴気の中を、その人物は口すら押さえずに悠々と歩いているのだから。

 瘴気の向こう側にいる人物に対し、改めて目を眇めて観察する。どうやら女性のようである。

 年齢は……おそらく大和と同じか一つ上くらいだろうか。


「ふん、これもガラクタだな」


 よく通る、はっきりとした聞き心地の良い声。

 スニーカーで瓦礫を踏み鳴らしながら、彼女は手にしていた物を乱雑に放り捨てる。

 がしゃんと乾いた音を、鼻を鳴らして聞き届けている。

 凛とした双眸と表情をした彼女に、大和は数瞬心を奪われた。


 黒――が良く似合う少女であった。

 その髪や、着ている衣服。そして纏っている雰囲気も。

 それは暗い、という意味ではない。芯の通った強さと言えば良いのだろうか。決して他の色と迎合しない、媚を見せない格好良さ。


 伸ばされ、ポニーテールに結われた黒髪はからすの濡れ羽の如くつややかで、引き締まった身体ときびきびとした見事な立ち居振る舞いは日本刀の如く。そう、決して曲げない信念を持った侍のようである。


 動きやすさを優先しているのか、服装に頓着しない彼女はジーンズスタイルだ。しかしそれでいて野暮ったい印象を持たせないのも、彼女が持つ気品さゆえだろう。


「そこの。隠れてないで、こっちに来たらどうだ? 趣味が悪いぞ」

「――ッ」


 ポニーテールの少女がこちらを向くことなく言ってのける。

 つつぅ……と、こめかみから一滴の汗が頬を伝う。


 敵意は――感じない。えも言わない怖さがあるが、少なくとも危害を加えてくる心配は無いようだ。逡巡した大和だが、自分が知らない墟街地の事情に詳しいかもしれないと、その足を少女の元へと運んでいった。


「あんた……こんな場所で何をしてるんだ?」


 月並みな質問であった。いや確かにそれも気になるのだが、もっと他に言いようというものがあるだろうと軽く後悔した。何となく、彼女の雰囲気に押されて声も震えてる気もする。かっこわるい。


「発掘作業さ」


 大和の苦悩など露知らず。少女はこっちを一瞥することもなく片手間で応えた。ガラガラと瓦礫の山から何かを取り出す作業を続けている。


「発掘……?」


 毒ガスから身を護るために袖で口を覆いながら、怪訝な表情のまま少女に問う。その疑問に、言葉の裏にも様々な意味を込めた声音で以て。


「色々と珍しいものが見つかるんだ。ついでに答えてやると、私にはここの瘴気も、空に浮かぶ下種な月の光も効果は無いよ。他に質問はあるか?」

「……っ」


 心を見透かされたかのように、大和の疑念に回答していく黒髪の少女。いや、答えたようで肝心な部分は全く晒すつもりはないようだ。瘴気も月光も効果は無い、それはなぜだ? 彼女は一体――何者だ?


 ふと、彼女を象徴しているあらゆる黒が気になった。

 確信などない。我ながら馬鹿げたことを考えている。けれど、大和は問わずにはいられなかった。


「まさかあんた……、実はカラスだったりしないよな?」

「カラス?」


 きょとんとした顔を浮かべる黒髪の少女。

 それから軽く噴き出して、肩を揺らしながら返してくる。


「いきなり失礼な奴だな。なぜそんなことを聞く?」

「えーっと……。な、何となく?」


 我ながらなんという情けない受け答えだろうか。

 思えば確かに失礼過ぎる。

 年頃の少女に向かっていきなり、ねえねえあんたカラス? なんて聞くなどバカにも程がある。


「何となくで鳥扱いか。三歩で忘れる低能にでも見えるのかな?」

「いやいや、そんなことはないっす」

「ふふっ、冗談だ。そんなに慌てるな」


 言い終わってこちらを向く少女のポニーが力強く踊っていた。その両目は勝ち気で、そして澄んでいた。不敵な笑みを浮かべる彼女は発掘した成果を掲げていた。


「携帯ラジオ……? それが珍しいもんなのか?」

「全然。だが、動くんであれば放置するのも勿体ないさ」


 フッと息で埃を払い、少女はジーンズのポケットから都合よく電池を取り出し、ラジオに取り付けていく。

 カチャカチャと真剣なようすでラジオを弄る謎の少女の図は、息を呑むものがあった。その光景が似合うというよりも、何をしても絵になる。それくらい彼女は不思議な魅力に溢れていた。


 そう、まるで――地上に降りた天使のような――


「――――ッ!?」


 刹那、目を引ん剥いた大和は反射的に飛び退いていた。


「――ハッ……、ハッ……!」


 早鐘をくように高鳴った心臓を押さえつつ、懸命に逸る呼気を落ち着ける。

 脳裏に浮かぶ耳障りな嗤い声を全力で焼却し、しかしとある謎を浮かべてしまう。


 一体なぜ、見た目も言動も全く違うこの少女と、両親を殺害した例の天使を同一視させてしまったのか。いや、そもそも、なぜ彼女を天使のようだと評したのか。


 改めて考えればおかしな話だ。こんな場所で、こんな時間に、しかも自然体で行動している人間が普通のはずはない。どうする? 逃げるしかない。しかしどうやって、どのタイミングで――


「おい」

「――ッ!」

「急にどうした? 嫌なことでも思い出したのか?」


 ポニーテールの少女はラジオをなおも弄りつつ、そんな言葉を掛けてきた。

 声には邪気も悪意も無い。発する雰囲気は相変わらずで、敵意など欠片も存在していない。

 数瞬だけ息を止め、そっと吐く。とりあえずこの気配を信用することにした大和は、「いや、なんでもない」と改めて少女の元へ歩み寄った。


「お、動きそうだぞ」


 達成感を出した少女が笑みを浮かべてそう言った。

 チューニングを終え、すると本当にザザッとノイズを発生させるラジオ。次第にその音が鮮明さを増していく。


「……へえ、こんな場所に放置されてて壊れてないとは驚きだな」

「人間も機械も、しぶといものはしぶといさ」


『ザ……ザザッ…………このように、漂着したイルカは全部で二十二頭。残念ながら、その全てが死んでいて、研究家は海で何らかの異常が発生したものとみて――』


「――――」


 時が、止まった。


 八城大和の周囲で何もかもが停止する。自身の心臓さえ動いているのか疑わしい。

 それから手足が震えだし、唇が瞬時に乾く。見開かれた目は閉じることなく固まって。


「イルカの漂着か。自然界も不安定だらけだな、気の毒に」


 黒髪の少女が何を言っているのかが分からない。

 何も聞こえない。何も見えない。暗黒の闇の中、その思考はただ、一点だけに――


『そのリボンもずっと付けてるよな』

『小さいときにお母さんがくれたもん』


「…………美琴」


 ぽつり、呟いた。


 まさか、そんな、だってあいつはちゃんと家に……。

 駄々をこねるが如く否定の理由を形作る。虫のしらせのような力は自分には備わっていないからと。


「――クソッ!!」


 馬鹿が! 走れ! さっさと杞憂に終わらせろ!

 一瞬で全身に熱を送り、少女の方を振り向くことなく大和は瓦礫を蹴り、飛び出していた。


「…………」


 それを、ただただ少女はじっと見据えて送っていた。

 流れる報道の音声を、邪魔だとばかりにスイッチを切って黙らせる。

 すると、


「ケッケッケ、おい曹玲ツァオリン、例の少年はどうだったよ?」


 バサバサと、一羽のカラスがなんと人語を話しながら飛んできた。

 そのまま、カラスは曹玲と呼んだ少女の肩へと降下し、三本の足(・・・・)で止まった。


「ああ、八咫烏やたがらす。ムラッ気はありそうだが、鍛えがいはあるよ」


 言いつつ、肩に止まるカラスと同じ色のポニーテールを軽く払う。


「ケケッ、俺が連れてきたんだぜ、感謝しろよー」

「気張れよ少年。辛くなるだろうが、これから世界がどう転ぶかは君次第なんだ」


 曹玲という少女は、すでに彼方へと走り去った大和に向かい、真剣味を帯びた表情で言い放っていた。






「ぜっ……! はあっ! ハアッ……!」


 八城大和は駆けた。ひたすらに駆けて駆けて駆け貫いた。

 悲鳴を上げる心臓を黙れと一喝し、言うことを聞かない足に鞭を打たせて疾走した。


「美琴……っ!」


 口の端を噛みしめ、鮮血を垂らしながら幼馴染の名を呟いた。

 いや、そんなものじゃない。神崎美琴は八城大和にとって、もはやかけがえのない存在だ。


 両親を失ってどん底に落ちた大和の目線に立って、共に歩んでくれたのが美琴である。腐って殻に閉じこもった大和の尻を叩き、手を引いて彼の時間を進めたのは他ならぬ彼女だ。

 一緒に泣き、笑い、時に喧嘩してはまた笑い合う。その関係は今でも継続しており、八城大和と神崎美琴は姉弟きょうだいであり家族なのだ。


 だから……! どうか勘違いであってくれ。胸を掻き毟るこの予感が間違いであってくれ。


「あれは……瘴気か!?」


 美琴の実家の近場にある林、そこから毒の濃霧が多量に噴出している。

 何だ? この嫌な感じは……? 俺は何を考えている? 第六感? そんなもの信じない。

 やけに、冷静になってしまっている自分にとことん苛々する。

 まるでそう、この後受けるショックを和らげるように防衛しているみたいで。


「ふざ――けんなァ!」


 そんなはずはない。あいつは無事だ、無事なんだ!

 喘鳴しながら祈り、願い、夜の闇が一層深まった気配を肌で感じた彼が見たものは――


「み…………」


 目を背きたくなる――現実だった。

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