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決着

 太陽の神が顕現され、仄明るい光がポウと周囲を彩り始める。

 日暈にちうんのように照らされるそれが、境内にいる面々の顔を微かに浮かび上がらせている。希望を託した顔があり、不退転を秘めた顔もまた。共通するのは、後ろ向きな表情をした者は誰一人としていなかった。


 そう、悪逆な笑みを零す者も。


『まるで溶け落ちる寸前の蝋だな』


 文字通り、吹けば消し飛ぶか細い明かりを見下ろし、堕天が黒の目玉を歪めて断じた。


『全身ボロクズ、神気は枯渇。にも関わらずそうやって力を放出させている。貴様、命を燃やして立っているな?』

「……、」


 応えぬ大和を見据えるロゼネリアが、ふんと口角を持ち上げた。


『間違いなく死ぬぞ?』

「悪ぃな……今さら回れ右する力なんか残っちゃいねえんだ」

『自ら死地に飛び込む気概は認めてやるが、貴様忘れてはいるまいな?』


 おもむろに右手を掲げたロゼネリアがそう告げる。

 今の彼女は第六ティファレト。けれど第四ケセドの力も未だ有する天使である。翼を拡げて天翔したロゼネリアの理力は、以前よりも増しているのだ。

 先ほどの曹玲の不意打ちは別にしても、こうやって相対している時点で八城大和は終わっている。向けた掌から放出させた神力で、無礼な賊を踏み潰しにかかる。傅け傅け、こうべを垂れろと。


 が、しかし……。


『――』


 瞠目するロゼネリア。

 目を剥く彼女の表情が徐々にだが、しかし確実にくっきりと明るみにされてゆく。


 近付いているのだ。脆弱と吐き捨てた陽光が。

 歩み寄っているのだ。後退しないと誓った少年が。

 血を流し、ずるずると足を引きずりみっともなくも確実に。


『貴様……』

「女王の威光……だっけか? 生憎と、効かねえよ……」


 右手の天之尾羽張あめのおはばりを構え、大和が血と汗を滲ませた顔を綻ばせた。

 陽色に燃える甕速日ミカハヤヒは天に昇る太陽神。なればこそ、地べたで踏ん反り返る王の権威などに屈する道理はどこにも無い。

 王冠は吹き飛んで、豪奢な絨毯は燃え散らされる。

 玉座の間は打ち壊されたのだ。独り残ったロゼネリアに国も民も付いてはこない。


「喰らいやがれ……ロゼネリアッ!」

『付け上がるな人間がァ!』


 激越した咆哮が交錯し、互いの矜持がぶつかり合った。

 赫焉かくえんする大和の刃が弧を描き、ロゼネリアが閉じた翼で迎え撃つ。

 火花が爆ぜ、マーブル色の神気が散り広がった。

 ギチギチと、膠着状態の両者であったがロゼネリアには余裕がある。


『確かに荘厳な力だが、残念だったな』


 言って、堕天がゆっくりと人差し指を大和に向け、熱線を迸発させる。


「ご、ぷ……っ!」


 腹を貫かれ、血反吐を散らしてバランスを崩す大和。

 途端、甕速日の光が薄れゆく。天空の太陽もまた木星に呑み込まれようとしていた。

 希望を闇が喰らっていく。境内に絶望の霧が立ち籠め始めた。

 邪気の濃度を高めるが如く、ロゼネリアが追い打つよう言ってのけた。


第四ケセドの力を無力化したことは称賛するが、悲しいものだな。肝心の神力が今しがたの建御雷タケミカヅチには遠く及ばんぞ』

「ん……な、こたぁ……分かってんだよ……」


 震える足で、くの字の身体で、それでも剣は離さず押し込んでくる大和に、『ガキが』と眉間に皺を寄せるロゼネリア。

 ピタリと、大和の顔に開いた右手を押し当てた。

 目を見開く彼に構わず内在する神気をそこへと集中させてゆく。


『戯言も聞き飽きた。二度と口を開けぬよう消し飛ばしてくれる』

「……ッ」


 木星ユーピテルの重圧が一層強く放射された。

 底の見えない奈落が手招いて、暗黒天体ブラックホールよろしく希望の光を引きずり込もうと蠢いた。


 ともしびとは呆気ないものだ。

 雨が降ればたちまち消えて、風が吹いても掻き消される。

 そう、だから――


 誰かが両手で覆ってやらねばならない。


『――死ね』


 そしてまさに、堕天が極大の光線を放射させようとしたところで――木星が突如爆ぜた。


『何っ!?』


 馬鹿なとロゼネリアが空を仰げば、四分の一ほど欠けた木星の陰から呑まれたはずの太陽光が迸り、堕天の全身を強く強く照り付けた。

 明らかな不快を見せたロゼネリアが目を眇めて毒を吐く。


『チ――ィ! おのれ、どうなっている……!』


 大和の剣を防いだまま、訪れた現実に思考を追い付ける。

 ゆえに彼女は理解した。自身に訪れた異常事態に。


『馬、鹿な……! ティ、第六ティファレトの、力が……!』


 抜け落ちていく。ロゼネリアの双翼も、天空の木星も、急速に神気を零し枯れていく。

 自身の掌を見やりつつ、何かに気付いた彼女はそちらへと振り返った。


「――ッ!」

『チェルシー……ッ!』


 彼方では、チェルシーがきつくロゼネリアを睨み付けていた。

 それだけではない、先ほどまで空っぽ同然だったチェルシーの神力が、横溢されて漲っていたのだ。

 そう、まさしく太陽のように。


『貴様、まさか……!』

「あなたは……最低だ……!」


 ぽつり漏らすチェルシー。か細い声だが、しかし並々ならぬ意志がそこには込められていた。

 彼女は怒っていた。家族を殺された挙げ句いいように弄ばれ、世界や友人を壊す片棒まで担がされ……。そして敷かれたレールから抜け出せなかった自分自身の甘さに、何よりチェルシーは怒っていたのだ。


 導いてくれたのは、大切な友達の血潮と魂である。

 美琴が皆を照らしてくれた。曹玲が強敵マッカムのために涙を流した。大和が想いを受け継ぎ刃に変えた。

 皆の姿を焼き付けたからこそ、チェルシー・クレメンティーナはもう一度立ち上がった。


 灯とは呆気ない。けれど優しい光に魅せられて、護ろうとする者も現れる。

 彼女はもう逡巡しない。迷わない。余所見せず、痛みや涙から目を逸らさずに、けれど暖かな陽だまりをこそと世の中に注ぐため。

 決起したチェルシーに呼応して、第六ティファレトが完全に彼女を認めて燃焼する。


『なんだと……! 貴様ごときに第六ティファレトが』

「……第六ティファレトはどうあっても正道なセフィラだったんですよ。だからこそ、天照と強く結びついていたんです。以前のどっちつかずなわたしには、当然半端な力しか与えてはくれなかったんです」


 日和見を止めたチェルシーは臆さずにまっすぐ前を向く。

 それは完全なるロゼネリアとの決別の証しであった。

 しかし、それでも尚ロゼネリアは怯みはしない。


『死にぞこないが言ってくれる。ならば貴様の身体を引き裂いて、もう一度第六(ティファレト)をこの身に戻すだけのこと』

「……いいえ、残念ですがそれは叶いません」

『驕るなよ? いくら第六を掌握したと言っても、飛翔したこの私には到底届かんぞ』


 嫌らしく翼を見せつけるロゼネリアに、対するチェルシーが悲しげに漏らした。


「そんな……そんな物のために……、あなたは……」

『……なに?』

「そんな穢らわしい羽のために、わたしの家族を、仲間を、罪もない人々を……ッ!」


 堰を切ったように涙を溢れさせるチェルシーが、淡い陽光を迸らせながら身体を掻き抱く。

 それを見据えるロゼネリアはしかし鼻で笑った。

『自立できん甘ったれが一端な態度を取るな、目障りだ。所詮貴様らガキ共は――』


 そこまで言った途端、ロゼネリアの言葉が途絶する。

 目を皿にした彼女が見やれば、脆弱そのものだった大和の神力が増幅されていたのだ。

 剣を受け止めている堕天の翼がギチリと嫌な音を立てて軋んでゆく。


「自覚……してんだよ。さっき言ったろ? 俺は一人じゃ何もできねえって」

『お前……まだそんな力が……!?』

「俺一人の力じゃ……ねえよ……! かっこ悪ぃが、俺は英雄ヒーローなんかじゃねえからな……!」


 人間は独りでは生きていけない。個人のできることなどたかが知れているのだ。

 けれど、人は支え合って生きていく生物である。

 人々は手を取り合える。和を以てして難題を乗り越える。それは今さらで、当たり前なこと。


 だから――


「それでも! 皆の想いをこの手に受け止めて、握り込んでみせる意地くらいは持ってんだ!」

『グ……!?』


 咆哮と共に噴出される神力。

 大和は貰い受けていたのだ、第六として覚醒したチェルシーの力を。

 だがまだだ。まだ、まだ足りない!


「チェルシー……ッ!」


 だからこそ大和は吠える。吠え猛って示してみせる。


「お前の過去も後悔も、俺に全部預けろ! 俺がこの場で清算してやるッ!」

「…………ッ」


 その言葉にチェルシーは息を呑んで、ほろりと熱い雫を頬に流して……。

 ああ、わたしはいつの間にか……あなたに魅せられていたんだなぁと笑みを浮かべて。


「……はい、お願いしますっ!」


 迸る力の全てを、八城大和に送り込んだのだった。


「――っづぉおおぁぁア……ッッ!!」

『…………ッ』


 大和の神力が爆発してゆく。ロゼネリアが明らかに気圧されるほどに。


「ッぎい!」


 女神の陽光を受け止めた大和が歯を噛みしめた。

 ロゼネリアの羽から天之尾羽張を引き離し、燃える甕速日ミカハヤヒの炎を血を流してぶら下がった左腕へと押し付ける。


 ジュウウッ! と煙が上がり、タンパク質の焦げた臭いが充満する。

 その場にいた全員が息を呑む強引な焼灼しょうしゃく消毒。

 だが、大和の狙いは血を止めることだけに非ず。そんなことは二の次だと言わんばかりに彼は焦げた左腕を持ち上げる。持ち上げて、念を込めて込めて、心臓から血を送る。

 すると――


『な、に……?』


 ロゼネリアが目を見張る。

 八城大和の左手が、太陽よろしく輝きに満ちていたから。


「決着だぜ、ロゼネリア」


 言って、大和が左手から新たな剣を抜き放っていた。

 傷口に甕速日を当てたのは塞ぐためではない。神気を送り込むため。

 チェルシーの太陽格を身に浴びて、大和のもう一つの太陽神が眠りから目覚めたのだ。


 名を――樋速日ヒハヤヒ


『八城大和……貴様どこまで……!』


 周囲を染める、目を焼くほどの眩い陽光。

 大和の両手に握られた太陽の双剣が、光と力を二乗させて噴き荒れる。

 轟ッ! という烈風が、しかしロゼネリアだけを熱するように迸った。


『おのれ小僧ども……どこまでも猪口才ちょこざいなッ!』


 吠え立てたロゼネリアが枯れかけた双翼からエネルギーを絞り上げ、致命の一撃として大和へと見舞っていた、が――


『――』

「……仲間を使い捨てたあんたにゃ、絶対負けねえ」


 甕速日ミカハヤヒが防いでいた。ロゼネリアの掌が陽炎により炙られてゆく。

 次いで、ガン! と大和が打ち払い、互いの右手が大きく伸び上がった。


『ふざけるな……!』


 だがそこで、空いた左手を構えるロゼネリア。

 がら空きの大和の胴体目掛けて死の放射線を解き放つ。


『恒星は私だ! 第六となり、生命樹の心臓たるはこのロゼネリア・ヴィルジェーンだッ!!』

「冗談じゃねえ……!」


 しかし、木星の放射線を太陽光が呑み込んでいた。

 掲げられていたのは樋速日ヒハヤヒ。大らかな明かりが斑色の毒を塗り潰していく。


「悪いがあんな木星たいようなんざ要らねえ。あんたの野望も、これで全部終わりだッ!」


 全身全霊を傾けた八城大和の絶叫が迸った。

 刹那に再度放たれたロゼネリアの砲撃を掻い潜り、焦燥する堕天に肉薄。

 眦を決し、歯を食い縛った大和が太陽の双剣を奔らせた――


『グッ……!?』


 一方のロゼネリアは為すすべなく迫る双剣を見据えていた。


 そして瞬間、ロゼネリアにだけ聖なるお告げがクスクスと届いた。

 桜花を散らす、第三ビナーの声が。


 ――あらあらまあまあ、負けてしまうのロゼ? 頑張ったのに残念ですわ。


天華てんげ……!』


 声に気付いたロゼネリアが明らかに気色ばんだ。


 ――天翔光輪てんしょうこうりん、お見事でしたわ。良いものを見せて頂きました。


 ああでも、と、ビナーがいたずらめいた笑みを浮かべて続ける。


 ――生命樹セフィロトの心臓を担おうとしたあなたの行いをメイザースは評価していましたけれど、残念でしたね。


『な、に……?』


 ロゼネリアの問い掛けに、クスクスとむ天華。


 ――いけませんわ、力の充溢を求めて八百万の神に手を出しては。あなた、メイザースが何を嫌悪しているかお忘れでしょうか?


『……!』


 ――そのような力を循環されても困るそうです。端的に言って‘要らん’だそうですわ。


『――――』


 断罪されたに等しいお告げであった。

 その様子を見た天華がなおも咲みつつ思い出したように言った。


 ――そうそう、ロゼは勘違いしているようだけれど、『月』は健在してますわ。


『馬鹿な……!? 貴様、そんなはずは……!』


 ――だってだって、わたしはそんな、仲間殺しなんてひどいことできませんもの。


 あなたと違って、とにこやかな天華の言葉。

 一瞬の静寂が生まれ、瞬間――


『――クソオオォォォォオオオオォオオッッ!!』


 発狂したロゼネリアが天まで届く呪いを吐きつつ、二柱の太陽に貫かれていた。

 八咫烏、白兎、そして陽の神によって邪悪な世界が払われていく。

 木星は掻き消え。境内中央の均衡の柱もまた、太陽神によって浄化されてゆく。


 そして――全霊を使い果たした八城大和もまた……幽世かくりよへと堕ちていった。

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