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真相

「……は、っは――――、ぁ……」


 奇妙な呼気を繰り返し、俯く大和は酩酊感に支配されていた。

 右手に握られた天之尾羽張の神力は枯渇寸前で、その黒色は空虚な穴のようだった。


「八城さん、あなたは本当に頑張りました。誇りこそあれ、恥じる必要などないでしょう。もう休みなさい」


 対峙する、白衣を靡かせた淑女がそのような言葉を掛けていた。

 眩い天使の輪を掲げつつ、けれど探るような視線を滲ませて。


「国生みを達成した伊邪那岐。その力をあなたはどうして手に出来たのか。どうしてあなたはまっすぐ走り続けられたのか。……私では決して分からぬことですゆえ、少し羨ましいですね」

「は、あ……?」


 一体何を言っていると、不審を込めた声で返す大和。

 羨ましいだと? 馬鹿げた力を使って俺を玩具同然に扱っているくせしやがって。


 大和の心中での毒づきも最もだ。ロゼネリアの固有能力を抜きにしたところで、彼女が迸発させる神気の量は圧倒的な壁として立ちはだかり、だだ漏れた圧力だけで大和の意志を打ちのめしているのだから。

 改めて見やれば、立ち向かうのが馬鹿らしくなってしまう程な神力の総量。

 生命樹セフィロト第四ロゼネリアは、第六チェルシー第九ウォルフを遥かに凌駕しており、鼻が利かなくなるほどに荘厳で莫大なものであった。


「先ほども申しましたが、私などつまらぬ傀儡です。こうした物に頼らなければならない、ね」


 そう言ったロゼネリアが懐から何か黒い手裏剣なようなものを取り出した。


「――!?」


 それを見て、大和は我知らず全身を戦慄わななかせる。

 見覚えはない、が、魂が気付いているし知っている。


 そう――あれは――

 陽明神社の本殿に祀られていた、天照の御神体そのものだ。


「気付きましたか。でもね、これは八城さんが思っているものとは少々勝手が違うのですよ」

「勝手、だぁ……?」

「ええそうです。あなたはこれが天照の御神体だと考えているのでしょう?」


 太陽を模した平たいそれを大和に見せつけ、ロゼネリアは天使化してから初めて笑みを零していた。


「以前はそうだったかもしれませんが、これはもはや御神体ごしんたいでも御霊代みたましろでもありません。大きく変貌してしまったのですよ」

「どういう、こったよ……?」


 ロゼネリアの弁に目を皿にしつつ、大和が答えを求めていた。

 対する彼女は微笑を浮かべ、手にした物体の裏側を掲げてみせる。

 すると、そこにはGの紋様が刻まれていたのだ。


「理解できましたか? そう、これは大アルカナの女教皇ハイプリエステス。セフィラとセフィラを繋ぐパス、その二番目のギーメルですよ」

「大アルカナ……!? 馬鹿な、だってそいつらは……!」

「我々と同じ天使の集団だったとでも?」

「……違うのかよ?」


 問い掛ける大和に、ロゼネリアが「ええ」と返す。


「大アルカナの径天群けいてんぐんと呼ばれる二十二の――正確にはギーメルを除いた二十一の天使たちはね、第三ビナーがギーメルを真似て創った模造品に過ぎないのです。性能も存在意義も、オリジナル(ギーメル)には遠く及びません」

「……っ」

「そもそも、どうぐを自立させて感情を持たせる必要性が分かりません。半端に自我を芽生えさせたがため、自己を求めてつまらぬ野心まで抱くのですから。それに、セフィラ間の理力の受け渡しという役目にしても、ギーメルとその他では目的が大きく異なっているのです」

「目的……?」

「はい。八城さん、アレイスター・クロウリーという名はご存じですか?」

「ああ。前に曹玲から聞いた」

「くふふ、結構なことです」


 笑んで、ロゼネリアがギーメルを再び掲げて大和を見やる。


「これはね、八城さん、そのクロウリーが創造した物なのですよ」

「――何だと!?」


 その言葉の意味が咀嚼できず、我知らず大和が声を荒げた。


「ふざ、けんな……! この神社は何百年も昔から存在してたんだ。百年ちょっと前の、それもイギリスの人間がここの御神体を作っただなんて信じられっかよ!」

「その言い分は、ええ最もです。確かに御神体自身は元々この神社のもの」


 ですが、と彼女が二の句を継げる。


「クロウリーの目的はみちを通すこと。ギーメルとは、第一ケテル第六ティファレトを繋ぐパスです。そしてあなたも知っての通り、この陽明神社に祀られている神とは偉大なる太陽神ですよね?」

「ッ――まさか……」


 第六ティファレト、そして天照アマテラス。起源こそ異なるものの、その本然イデア赫焉かくえんと燃える恒星という点であり――


「察しが良いですね。ええ、クロウリーは天照と第六ティファレトという異なる二つの太陽格をリンクさせ、第一ケテルに繋げてみせたのです。この御神体をギーメルへと変性させて、ね」


 ひらひらと、黒く荒んだ御神体の成れ果てを弄びつつ、ロゼネリアがそう語る。

 対して、膝を地面に付けて蹲る大和が声だけは張って吠えた。


「なんだ、そりゃ……! ざっけんな、まさかそれが原因で今の世の中が滅茶苦茶になってんじゃねえだろうな!?」

「いいえ、むしろ逆です」

「……なに?」


 平然と、大和の激情を受け止めてから言ってのけるロゼネリア。

 その調子に大和の方は呆気に取られ、聞き返すことしか出来なかった。


「クロウリーには師がいました。その方こそが我々生命樹(セフィロト)の長、マグレガー・メイザース。第一ケテルのセフィラを内包し、遥か冥王の星にて鎮座されている天使を超越されし御方です」

「……」

「メイザースとクロウリーは師弟関係でありながら、友誼ゆうぎを交わした間柄でもありました。一つの時代であれだけの超天才同士が邂逅するなど、本当に奇跡だったのですよ?」


 十九世紀末期におけるイギリスの魔術結社、黄金の夜明け団全盛期の首領、マグレガー・メイザース。

 度し難い才能と執念を併せ持つ、食人鬼と恐れられたアレイスター・クロウリー。


 この二者が行う神秘探究とは人間の常識から遥か高みに位置したものであり、とても常人が推し量れるものではなかった。

 団における高位存在である『秘密の首領』すら超越し、なおも研究に没頭したメイザースは遂に第一ケテルすら手中に収めてみせた。


「けれど、そこが分岐点でした。セフィラという神秘の結晶を掌握した日を境に、二人の天才は道を違えることとなってしまったのです」


 それはなぜか、と指を一本立てたロゼネリアが言い放つ。


「研究目的の不一致ですよ」

「研究、だと……?」

「はい。メイザースの目的は、セフィラと生命樹セフィロト、及び付随する世界の関係性を……、つまりは全セフィラを反転させることによるこの世の変容を探求すること」

「なんだ、そりゃ……?」


 スケールの馬鹿馬鹿しさに絶句する。第一ケテルを掌握したメイザースにしてみれば、世界ですら大釜の中で煮詰められる道具の一つに過ぎないのだ。


「けれど、対するクロウリーはそれを否とした。と、言うよりも、メイザースの神秘に真っ向から喧嘩を売ったのですよ。反転した世の中で、心臓だけは正常に動かしたらどうなるのか、とね」


 心臓とは、言わずもがな第六ティファレト――太陽のことである。

 先のロゼネリアの弁に戻れば、セフィラとは関係ない日本の最高神である天照を第六ティファレトと同調させ、更にギーメルによって第一ケテル第六ティファレトと繋げてしまい、強引に安定させてみせたのだ。

 それが、日光下では辛うじて安寧が保たれているという、この世界の真実である。


 メイザースは世界を反転させて黒一色に染め上げようと試みた。

 クロウリーはそんな真っ黒な盤の中央に、白色を垂らし込んで反応を見た。


 子供が行うパレット上の絵の具遊びと見紛うが、しかし両者は天才ゆえに頑固者。己が探究こそがと一歩も引かず、互いの神秘を主張し合う。

 クスリと笑むロゼネリアが、しかし一筋の汗を垂らしながら言った。


「クロウリーも師に対して豪胆でしたよ……。八城さん、『法の書』というものをご存じでしょうか? これがまた、中々に笑えない一品でして」

「…………、」


 喋りながら、何かに恐怖するように呼気を乱すロゼネリアの様子を見て、怪訝に思う大和は彼女の言葉をただ待った。

 ロゼネリアの弁によれば、『法の書』とはアレイスター・クロウリーの思想が存分に記された書物であるということだ。


『汝の欲するところを為せ。それこそが法の全てでなければならない』


 との言葉はクロウリーの座右の銘で。

 そして、『法の書』の思想を要約すると、それは次のようになる。


 唯一神から受ける奴隷の時代は終わりを告げ、人間一人一人が神となる。

 人間は自己に内在する神格を捉え、それに従って生きねばならない。


 それは、つまり――


八百万にほんじんと、同じ……?」

「そうですね、アニミズムや汎神論はんしんろんにも通ずるとこがありますが、万物――特に御神体やあなた達日本人の奥底に宿っている八百万の神、それらが顕現して力を発揮するのは、クロウリーが第六ティファレトと天照を同調させたことに他なりません」

「…………ッ」

「高みにある第一ケテルを祈り、力や願いを授かるのではなく、自然や自己に内在する神を自ら見つけ出して生きていく、と。これはね八城さん、クロウリーが八百万の教えに感銘したからなのですよ」

「……」

「一九〇〇年頃に日本の横浜を訪れたクロウリーは、弁天や八百万の神に感動しましてね。その影響が『法の書』に顕著に表れたということです」


 結果として、世界を反転させようとしたメイザースの思惑は封じられることとなる。


 第一ケテルより流れる力を授かり、増幅させる繋錠光輪けいじょうこうりん

 自身と縁深き八百万の神が、神饌によって降臨する帛迎はくげい

 対極する二つの力はメイザースとクロウリーの探究の相違を表し、そして交わらない。


 だから、当然として――


「メイザースは憤怒しました。信頼する弟子の裏切りだけに止まらず、『法の書』により明確に自身まで否定されたのですから」


 それは激しやすい彼を地獄の情で猛らせるには事足り過ぎた。

 集約された怒りの矛先はクロウリーであり、彼の研究成果そのもの。


「つまり、メイザースの目的はクロウリーの命と、未だ正道に輝く太陽を堕とすこと」

「……っ」

「けれど困ったことにクロウリーは雲隠れ。であれば必然、天照の寵愛を受ける日本全土を焦土と変えて、生命樹セフィロトを完全に反転させることが優先となるのでしょうね」

「くそったれが……! じゃあ、そのために俺達を……?」


 国を生んだ伊邪那岐やまと

 地上を支配した大国主ツァオリン

 そして、遥か天空で照臨する天照みこと

 いずれも八百万の神を代表する三柱である。彼らを堕とせば、日本を占める過半数の神力が消失することと同義である。


「くふふ……」


 だが、そんな大和の問いにロゼネリアは嗤って返していた。

 手の中のギーメルを弄びつつ、「いいえ、違います」と言い放ったのだ。

 壊れたような笑みを浮かべ、顔を右手で覆いながら隙間から双眸を覗かせる。


「ふ、ふふ……何年も前から計画し、来たる今日という日にこうしてあなた方を集めたのは……長年の私の夢を叶えるが為なのですよ」

「夢、だあ?」

「ええ。私はね、先ほども言った通り第四ケセドの力を好みませんが、象徴する惑星だけは好いていましてね」


 第四ケセドの象徴する星とはつまり、


「そう! 木星です! 太陽系最大のガス惑星であり、太陽に成り損ねた悲劇の星!」


 これまでとは打って変わり、大仰な動作をしてロゼネリアが色を見せてくる。

 歓喜を、悲哀を、見せつけ、綯い交ぜにしたマーブル状のものとして。


「私もええ、同じでした。地を這う天使とはなんとも滑稽。飛び立ち、自由に天翔けることこそが我が大望。なればこそ、共に悲願を達成してこそ昇華される想いは幾重にも相乗されましょう!」

「……はあ? 何を言ってやがるか意味分かんねえぞ」


 訝る大和が眉間に皺を刻んでいた。

 しかしどうしてだろうか、その一方で全身をひどく寒気が襲うのは。

 今のロゼネリアに対し、ひどく底冷えする感覚を持っているのも事実であった。


「失敬。つい感情的になってしまいました。……ですが、百の弁よりまず一見。今このときを以てして、あなた方には新たな黎明を目撃する主賓となって頂きます」


 幾分か落ち着きを取り戻したロゼネリアは、しかし確かな昂揚を残したまま握ったギーメルを掲げてみせた。


「以前チェルシーが行った儀式により、このギーメルはクロウリーの術が解かれて虚空の色となりました。……ですが、私ならギーメルに新たな色を授けることが可能となります。一定の条件下において『均衡の柱』を私自ら染め上げることで!」


 均衡の柱とは第一ケテル第六ティファレト第九イェソド第十マルクトを直線で繋ぐ一本の柱のことである。


 そして、一定の条件下とは第一ケテル以外のセフィラを空にしてしまうこと。

 第十シェイク第九ウォルフは消え果て、第六チェルシーに至っては神力が枯渇し、何よりも彼女自身、根っこから折れてしまっている。

 よって、条件は達成され――


「……私はずっと希っていた。羽ばたく翼をと夢想していた……。第一ケテル第二コクマー第三ビナーを治める三人は、私が追い求めてやまない翼を有しているのです。それこそが、天使としての真の姿――」


 掲げたギーメルに神気を込め始め、口角を歪めたロゼネリアが逸る気持ちを抑えながら宣告する。繋錠光輪をさらに超えた、天賦てんぷ天稟てんぴんの法を。


「さあ、とくと御覧なさい。――そして恐怖し、慄き、消え果てるがいい」

「――ッ」


 淑女の口調が大きく変わる。同時に辺りの空気が鳴動し、息苦しく変貌した。

 まるでそれは毒で出来た台風だ。瓶詰めとなった世界に劇薬でも流し込まれたかのように、死の気配が裾を掴んで引きずり込もうと力を入れてくる。


「ッ! お前ら――」


 できるだけ息を止めろと、呼びかけようとした大和の言葉は途絶された。

 なぜなら、そんな抵抗は無意味だから。眼前で行われる究極の術式を、彼らは甘んじて受け入れるという選択しか持ち得なかった。

 目を引ん剥いて冷や汗を流す大和らを、絶望のどん底に叩き落とす言の葉が紡がれる。


 ――天翔光輪てんしょうこうりん


 ゾクリ、と本能から来る寒気が大和を襲う。

 それは文字通り、真価を晒した天使による、己が翼を羽ばたかせる飛翔行為。

 光輪が瞬いた。ロゼネリアの背から一枚一枚、しかし速く確実に羽が顕現されてゆく。


 人ではそこに到達できない。羽無しの堕天では決して天を泳げない。

 思い知らされたからこそ、大和たちはただ『それ』を迎え入れていた。


『――斑に濡れる木星の暁ソーリス・オルトゥス・ユーピテル――』


 呼号と共に、突如現れた巨大なガス惑星が夜空を掌握し、蹂躙を開始した。

『法の書』の解釈はこの作品独自のものです。

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