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第三(ビナー)

「ああ……、そろそろ、頃合いでしょうか……!」


 ロゼネリア・ヴィルジェーンが吐息と共に嬌笑を零していた。

 身悶える身体を抱きしめて、妖しく悍ましい感情を隠そうともせず曝け出す。


「わ、私としたことが動悸を抑えきれません。寒いのか熱いのか、昂揚しているのかいないのか、自分がよく分からなくなっています……!」


 ブロンド髪が震えに呼応し揺れ動く。

 それが翻り、振り返った彼女が上空で呪縛された神崎美琴を見据えて薄く笑む。


「神崎さん、あなたは気丈でありとても強い。他人を想う気持ちの強さは特にそう。けれど、あなたは大人ではなく子供。辛ければ泣いてしまうし、大切なものを奪われれば嫌でしょう」

「……っ!」

「でもそれは当たり前の感情です。私とて同じですもの。そうした意味では、私もまだまだ子供だということですね」

「真っ当な大人は……こんなことしませんよ……!」


 神力で縛られ、顔を顰めつつ皮肉を込める美琴に、「これは痛いところを突かれました」と肩を竦めるロゼネリア。


「でもね、私以上の力を持ち、私以上に――いや、誰よりも簡単に癇癪を起こしてしまう者がいたらどうでしょうか?」

「え……?」

「自分の玩具を飽きるまで使い潰し、壊し、放り捨て、気まぐれで貸し与え、けれど他人に奪われることだけは許さない。幼児にも劣る身勝手さの塊を持ち、挙げ句それを自覚しないまま涼しげな顔をしているとしたら?」

「…………、」


 押し黙る美琴には質問の意図が分からない。

 ただ一つ分かるのは、執着に似たどす黒い感情がロゼネリアから見え隠れしていること。


「それって物凄く醜いと思いませんか? 高みに上がった者ならではの器量が無い。お腹を空かせた孤児の前でパンを食べ、零れ落ちた欠片に伸ばされた手を踏み付け、女神然と微笑む行為に」

「よく分かりませんが、わたしはそんな人に出会ったことはありません」


 ――あなたを除いて(・・・・・・・)、と美琴。


 その言葉に数瞬呆け、フッと笑みを零したロゼネリアが表情を引き締めた。


「知らぬ、というものは良いですね」

「……はい?」

「いえ、独り言です。……私は少し出かけてまいりますので」


 踵を返して歩み出したロゼネリアが「そうそう」ともう一度振り返り、


「月は、好きですか?」

「……?」

今のうちに(・・・・・)堪能しておいた方が良いかもしれませんね」


 言い残し、今度こそロゼネリアは境内から姿を消した。










「――ガ――ギ、アァ――――ッ!?」


 大気を震わすほどに絶叫したウォルフ・エイブラムが生存本能を振り絞って後退した。


 ブヂュッと水刃すいじんから離れた彼を、しかし苦痛と呪いが逃がさない。

 傷口を両手で押さえ込むも、決壊した血は止め処なく銀狼の体躯を赤くする。

 清廉な水の力。悪を払い、清める流水が傷口から浸透するよう魔獣の命を削ってゆく。

 まるで毒団子をかじった鼠、あるいは殺虫剤を浴びた害虫か。為すすべなく激痛の波に溺れていくだけだ。


「く――そ……がぁ…………ッ」


 明滅する視界の前方で捉えたのは、脱力したままに壁を背にして気絶している大和の姿。


「野ッ郎…………ッ!」


 犬歯が剥かれた。これ以上無いほどに憎悪と怒りを携えて。

 何を……、何を勝った気になってやがる! 何を勝ち誇って呑気に眠っていやがる!!


 赫怒し、充血させた双眸を引ん剥いて、ウォルフが一歩を踏み締めた、途端――


「――ッ!?」


 ガクン、と。脚の力が抜けた銀狼が頽れる。

 辛うじて右手を付いて、顔面を地面に預けることはなかったものの、


「この……俺が、あ、あんなカス相手に……膝を付いた、だと……!?」


 片膝のまま呆然と、呟いた。

 それはやがて溶けるように死の街に呑み込まれていったがしかし――


「ざ――っけんなァ……ッッ!!」


 凄まじい執念が彼の脚に再び力を入れていく。

 口の端からは血反吐が漏れ出て、貫かれた腹からはゴボゴボと生暖かい生命が次々失われていった。

 ドッドッドッ! と早鐘を打ったように掻き鳴る心臓。まるで流し込まれたどくを身体に循環させているかの如く。


「グッ――ヘェ――ッ!?」


 逆流してきた血の塊を過剰に吐き散らす。同時に感じるのは肉薄してくる死の気配。


 だがしかし、彼は止まらない。致命の銀狼を突き動かすのは、決して人間が持ち得ない純粋なる野生の矜持だ。牙も爪も持たぬ平和な種族に己が敗北するはずないと。

 よって、彼は再び立ってみせた。純粋に濁り、歪んだ執着心で。


「クソッたれ……がァ……!」


 ――殺す。ブチ殺す。


「テメー……なんぞにィ!」


 ――俺が負けるか。


「そこ動くんじゃ、ねえぞ……ッ!」


 牙が砕けかねない程に軋らせた面貌は死神すら道を開けるものだった。

 頭上の光輪は未だ健在。なればこそ彼は銀狼、後退は無い。

 敵手の止めこそを優先したウォルフが鋭利な爪を掲げた――その瞬間。


『あらあらまあまあ、痛そう痛そう血が出てますわ』

「――――」


 戦慄、した。


『悲しいですわ、困りますわ。さぁさ、野蛮なことはお止めましょう』


 クスクスと、上品にんだ聖なる声音が天上より届けられていた。


「ぐ――っ!?」


 焦燥のままに遥か上空を見上げるウォルフが歯噛みする。


「あ、の――野郎…………っ!」


 銀狼の視界に飛び込んでくるものは、美しく、妖しく、艶やかな――地獄であった。

 天空が亀裂を帯びて割れていた。そこから羽根のようなものが降り注ぐ。


 桜の花びらであった。


 しんしんと、ハラハラと、まるで雪景色でも創るように、大量の桜が風に揺られて落ちてくる。

 その花びらを、つま先で一つ一つ歩き渡り、一人の少女がゆったりと降臨する。


「~~♪ ~~~~っ♪」


 両手を広げ、目を瞑り、喜色満面な様相で、天使のような鼻歌を広域に聞き届かせて。

 それは優雅で、典雅で、この上なく雅やかであった。


「…………っ」


 だがしかし、その見事なまでの情景を形作った彼女に対するウォルフの反応とは、


 ――畏怖嫌厭いふけんえん


 それだけであった。


 無敵を誇り、不屈の闘志を持つはずの銀狼が大量の冷や汗を流している。

 怒りと執念で沸騰した彼の血は、この天女によって実にあっさりと冷却させられたのだ。


 生命樹セフィロト第三ビナー――翠鳥釐すいちょうりん天華てんげ

 そう、彼女こそ、第一ケテルであるマグレガー・メイザースの双腕そうわんいちである。

 遂に大地へと降り立った究極の手弱女たおやめが、微笑むように視線を寄こす。


「さあウォルフ、どうか矛をお収めくださいな」

「ッ……」

「ああそうだ、一緒にお花見でもいかがでしょう? きっと安らぎますわ」


 桜の花弁が舞う中で、さりさりと音を鳴らして歩きつつ、艶のあるくちびるから言葉を紡ぐ。

 聞き惚れる声。そして誰しもが見惚れるその姿。雪すら欺く白い肌は決して誰にも穢されない。


 ピンク色のロングヘアを少したるませるようにサイドに結い、その束ねた毛先を右肩から垂らす様子は目を奪われるほど雅やか。それでいて、その顔立ちはあどけなく、大和やチェルシーより一つ二つ下であろう見た目。

 上品な桜色のワンピースの上に羽織われたグレーのポンチョ。両手に白の手袋を、その足元も同じく真っ白なミュールで飾っていた。それは季節を無視したような異常な出で立ちではあるが、彼女が纏うどこまでも典雅で風雅な雰囲気が、決して異論を挟ませない。


 両手を合わせ、それを左頬にピタリとさせながら、ほうと熱い吐息を漏らしつつ彼女は続ける。


「ああ……やはり桜は良いですね。春だけなんてもったいない。春夏秋冬ひととせの間、何時いかなる時もわたくしは花弁の海に溺れたい」


 髪の毛と同じくピンク色をした瞳を潤わせながら天華は言い放った。


 彼女の双眸も髪の色も、血色が増したその頬も全て等しくピンク色。

 そう、ピンク色。桜色、あるいは桃色といった表現とて間違ってはいないだろうが、この場においては限りなく不適格と言えるだろう。

 なぜなら、そのピンク色は圧倒的な死臭に満ちた禍々しい色彩だからだ。

 率直に言えばはらわたの色。または脳漿に血液を垂らした色とでも述べれば良いのか。

 白濁した赤が銀色の狼を侵食してゆく。


「どうでしょう? あなたもそう思いませんこと?」

「――、……お、れは……!」


 立ち昇る死の香り。

 にこり、と。年相応のあどけなさに風雅を混ぜた微笑みは、しかし相手に対して恐怖を塗りつける行為に他ならない。馬鹿げた量の神力で、無意識に威服の念を叩き付けるのだ。

 そして、致死の領域が充満していることへの決定的な理由がもう一つ。


「あぁ、そういえば」


 あどけなく、くちびるに指を当てた天女が思索するしぐさを見せて、


「――わたくしの‘カード’、どうなさいました?」

「ッッ!?」


 きょろり、と。一転して死色の瞳を銀狼へと向けたのだった。


 そう彼女は、天華は、声色にも滲ませないほどに僅かではあるが――気色ばんでいた。


 射竦められたウォルフは溢れ散る血液すら忘却し、ただひたすらに第三ビナーに対して目を向ける。

 腰を屈め、踵を浮かし、喘鳴しつつも臨戦態勢で。

 対する天華は目を細めて優しく咲む。


「そう警戒しないでくださいませ。わたくしはただ、あなたとお話しがしたいだけですわ。その可愛らしい耳と尾の力を抜いたらどうでしょう」

「――ハッ! よく言うぜ、ふざけた殺気ぶつけてきやがってガキが……!」


 気圧されかけた意志は持って生まれた不遜と矜持で撥ね返す。そこに幾分かの虚勢が混じっていることをウォルフは否定しないが、もはや寸分たりとも表に出さない。


「いっちいち回りくどいんだよ。テメーも知っての通り、大アルカナの連中は俺が根こそぎ千切り捨ててやったよ。身の程を知らねえ馬鹿共だったからなァ」

「……そうですかぁ」


 大仰にしゅんとして、頬を押さえて瞑目する天華。

 かと思えばパチリと目を開け、相好を崩したにっこり顔で彼女は言った。


「では、殊更にあなたとお話をしなければなりませんね」

「上等だ……ッ!」


 犬歯を向いた銀狼の鬼気をさらりと受け止めた天華が微笑んだ。

 天へ指さし、「では上へ」と促す彼女をしかしウォルフは引き留める。


「待てや、俺様は勝負の途中なんだ。そいつにきっちり止めを刺してからお前に付き合ってやんよ」

「勝負の……?」


 きょとりと目を丸くした天華がウォルフと大和を見比べて、


「あぁ、でしたら彼の勝ちでしょう」


 大和を示して言ったのだった。


「……ざけんな」


 当然、納得いくはずがないウォルフが低く唸りを上げる。

 対し、「お静かに」と人差し指を小鼻に当てた天華が彼を制した。

 そのまま彼女がふわりと桜の香りを漂わせつつ、大和の側へとしゃがみ込めば、


「ほら、こんなにも安心しきって眠ってらっしゃいます。これを起こしてしまうのは、いささか野暮というものでしょう?」


 小首を傾げ、いたずらっぽく言い放ったのであった。


「て、め――!?」


 激昂したウォルフが踏み出す瞬間、清流の呪いが再度腹から鮮血を爆ぜさせた。

 三白眼となった双眸は真っ赤に染まり、銀狼は今度こそ両膝を地面に付けて蹲る。


「あなたを想って『お静かに』とも言いましたのに……。このままでは死んでしまいますわ」

「……ク、カカ…………!」


 激痛奔る腹を押さえ、くつくつと喉を鳴らすウォルフ。

 痙攣すら起こす四肢を無理くり従え、再び立ち上がった彼は顔を歪めて言い放った。


「……分かったよ、俺の負けだ。大人しくテメーに付いてってやるよクソったれが」


 その言葉に天華は微笑でもって答えていた。


 直後、第三ビナー第九イェソドを荘厳な光が覆っていく。

 フッと浮かび、天へ飛び立つ間際に銀狼が直下の大和に向けて言い捨てた。


「今回はテメーの勝ちだ、認めてやる。だが次だ! 次こそテメーのはらわたをかっ喰らって俺の血肉に変えてやらァ!! ハハハハハハッ! ハーハハハハハハハハアッ!!」

「――果たして、次がありますでしょうか?」

「…………ハ?」


 突如としたそんな言葉に、我知らず間の抜けた声が上がり、そして――


『――――ッギィエアァァァアァアァアアアアアッッ!?』


 凄まじいまでの断末魔と同じくして、夜空に浮かぶ銀の三日月が弾け飛んで霧散した。

 月を消失した墨汁のような夜空を多くの者が訝しみ、怖れたが、長いブロンドを靡かせた女性ただ一人だけが意を得たりと憫笑を覗かせていた。

八城大和やしろやまと

17歳 178cm


帛迎――天之尾羽張あめのおはばり

かつて伊邪那岐イザナギ迦具土カグツチを切り殺す際に使用した十束とつかの剣。

そこには八柱分の神が宿り、様々な超常を引き起こす。

今のところ大和が得意としている神は根拆ネサク石拆イワサクのニ柱の雷神であるが、瞬間的な力と引き換えにエネルギー消費が激しいのが弱点。


攻撃 8

防御 6.5

速度 10

神力 7

精神 7

技術 5



ウォルフ・エイブラム

16歳(鼠時代を含めれば19歳) 174cm


繋錠光輪――白銀の魔狼(シルバー・ファング)

元々はヨーロッパヤマネという小鼠が彼の起源であった。

夜空に浮かぶ月に魅了され、並び立つために執念で狼へと転生を果たす。

後にロゼネリアに出会った彼は、彼女の力で人間の姿となって生命樹セフィロトの一人となる。

それを踏まえた銀狼の力はあらゆる物を切り裂き、噛み千切る。


攻撃 9

防御 7

速度 8.5

神力 9

精神 8

技術 6

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