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雷神と魔獣

 二人の男が拮抗したまま相対する。

 鍔迫り合い、踏ん張り合い、両眼を眇めて射殺し合う。


 爪が鳴って剣が鳴る。ささくれ立った二重奏により威武が飛び、撫でつけられた建造物がひび割れて瓦解した。

 ガラガラと、崩れ去る音を耳にした銀色の狼男が犬歯を見せた。


「こんの野郎……! いきなり茶々ァ入れてくれやがってよォ」

「……、」


 対して、黒髪の少年は答えない。右手に握った黒く玉散る剣で敵手の爪を押し返す。

 無言で、静かに、ただ黙して。されど双眸には赫怒の炎を燃焼させて。


「……ハッ」


 それを見やった銀の少年が小さく鼻を鳴らした。


「なーにマジになってんだよ。……オーケーオーケー、俺はお前の味方だよ。そこのおチビが使い物にならなくなった以上、お前の命は必要なくなったんだ。もう危害を加えるつもりもねえからよ、そこどいてくれよ」

「どけ、だぁ……?」

「おお、巻き込んじゃって悪かったねえ。というわけでもう用はねえから帰って良いぜ。俺はそのアマにきっちり止めを――」

「――ザケてんな!!」


 ニヤけた頬にぶち込まれる渾身の左。

 呻く間もなく吹き飛んだウォルフが彼方の空き家を崩壊させた。

 吹き上がる土煙に向かい、震える拳を更に固めた八城大和が咆哮した。


「用がねえだぁ!? こっちゃ死ぬほどテメーに用があんだよクソッたれが!」


 荒げた息もそのままに天を衝く黒の怒髪。

 残った理性を振り絞り、呼気を落ち着けた大和が剣を地面に突き刺してから振り向いた。


「……よぉ、ごめんな。俺がいつまでもグダグダしてたから遅くなっちまった」

「あ……の…………」


 信じられないモノでも見るかのようなチェルシーの視線を受けながら、大和は上着を脱ぐとそれを伏した彼女に羽織らせた。

 けれど、相変わらず呆けたままの彼女はそれに反応せず、代わりに問う。


「ね、ねえ、なんでです? なんで八城さんがわたしを……?」

「……」


 血塗れの少女から第一に発せられたのはそんな疑問。

 それに対して、大和は言いようのない虚しさを覚える。


 なんだってこいつは、こんなにも……。


「ねえ、どうしてですか……。わたし、敵ですよ。敵……なんだよ? ねえ、八城さんってば」

「……ったく、うるっせえな」


 嘆息し、しょーがねえヤツだと大和は伏したチェルシーの前でしゃがみ込む。

 震えや戸惑い、怯えなどが綯い交ぜになった眼にそっと視線を合わせ、


「あ……」


 そしてギュッと彼女の手を握ってやった。

 生気を失い、冷たくなった小さな手に再び命を灯すように。


「死なせたくないからだよ」

「死なせ……たく?」

「ああ」


 相変わらず重傷で、けれど気持ち呼吸を落ち着けてきたチェルシーに優しく伝える大和。

 なんで……? という彼女の問いに、「そりゃ大切だからだよ」と彼は言う。


「何だかんだでお前とつるんでるのは好きだしな」

「そんな……理由で……」

「そういう理由だからこそさ。それに、お前を想うのは俺だけじゃねえよ。ウダウダ悩む俺のケツを蹴り飛ばしたのは曹玲ツァオリンだし、いの一番にお前のことを考えたのは美琴だよ」

「……」

「あいつ言ってたぜ、だってあたしら友達じゃん、ってな」

「ッ――」


 それに対して言葉を詰まらせ、むせぶように嗚咽を漏らすチェルシー。

 朗らかであり実に気楽。お日さまめいた神崎美琴のその言葉は、今のチェルシーには縋りつきたくなるほどに温かかった。


「チェルシーだってよ、さっき俺に止めを刺さなかっただろ? そんなんじゃ俺だってさ、もうどうあってもお前を敵だなんて思えねえよ。だからお前は助ける、絶対死なせない。敵だとか、後がどうなるかとか、もう知るか」

「二人ともかっこつけすぎだし……、甘すぎますよ、もぉ……っ」

「かもな」


 両手を大和に預けたまま微かに笑みを浮かべたチェルシーに、苦笑しつつ大和が返したときだった。


「あー、いってえ……。マッカムに次ぐ良いパンチじゃないのお兄ちゃん。殴られた上にくっだらねえメロドラマなんざ見せつけられちゃ堪ったもんじゃねえなァ。チャンネル変えていいっスかぁ? ゲッチョグロのバイオレンスによ」

「ヒ――ッ!?」


 右頬を押さえながらこちらを煽るウォルフにチェルシーが怯え竦んだ。物々しいまでの殺意が少女の気力を削りかけるが、


「だいじょーぶだ、安心しろ。座ってちっと待っててくれりゃそれで良い」

「あ……」


 八城大和が繋ぎ止めた。なおもギュッと手を握って。


 身を任せたチェルシーの震えが止まる。彼の言葉に安心する。彼の温もりに満ち足りる。

 冷たかった少女の小さな手に体温が戻ってゆく。命が灯ってゆく。


「へーきさ、俺もかなりやる気になってるからよ。な?」

「うん……っ!」


 こくりと頷く彼女を見届け、手を離した大和が立ち上がる。


「おーい、シカトすんなよテメーコラ。その女は俺が先にコナ掛けたんだ、クセー真似してねえで、回れ右してどこへなりとも行っちまえよ間男が」

「……、」


 静かに、彼は地面に突き刺していた十束の剣を引き抜いた。

 そして、反射的に言葉を発す。


「――うるせえよ」

「はぁん?」


 手のひらに付着したチェルシーの血を見据え、無言で握り締める大和。

 固く握り込まれた拳と共に、彼の臓腑が焦熱色に焼け爛れる。

 揺らめき立つ陽炎は、彼の理性と同じくして周囲の景色を歪ませた。


 大和は――キレていた。

 同時に、彼の神力が底無しに増幅されてゆく。


 八城大和は戦士ではない。未熟で不出来の高校生だ。


 それだけに大和の力は感情によって大きく左右される。

 揺らぎは彼の足を停止させ、戸惑いは彼の手の力を奪う。


 言い換えれば、八城大和は枷を千切る激情によって己が神気を爆発させるのだ。

 戦士としては未熟。軍人としては落第だ。

 それで結構。誰かを護るためにこそ魂を灼熱させる感情的で未熟な学生、それで良い!


 だから、憤怒と侮蔑を込めて目の前の外道に対し、黒の切っ先を向けて言い捨てた。


「……狙った女をかっ攫われたからって嫉妬してんじゃねえよ――犬っころ!」

「はあ……?」


 と、ウォルフが呆けたのも一瞬で、


「ククククク……、クカカカカカカ! 言ってくれるぜ人間がァ……! 上ッ等だよ買ってやる! おらベルトと靴ひも締め直せ! 屈伸は済んだか、アキレス腱は伸ばしたか! 言い訳立たねえように無様にコンクリ舐めさせてやっからよォ!」


 ウォルフ・エイブラムの双眸に宿る危険な狂熱。

 殺す。貴様は俺が喰う。貪り喰って吐き捨てる。焦がれてやるよ、感謝しろと。

 ぶるぶると、血塗れの全身を愉悦混じりに震わせる銀狼。大きな尾が激しく空を切り、剥き出した犬歯はさらにさらに肥大化する。同時に、空に浮かぶ三日月も彼に共鳴するよう収縮して喜んだ。


 大気が揺れる、砕けた道路やブロック塀の破片が宙に浮く。殺意と食欲と劣情を惜しみなく涎と共に吐き出しながら、猛獣は大和だけを捉えていた。


「ハッ! なんつー、おっかねえ顔してやがる……!」

「わ……、悪いなぁオイ。お行儀良くしねえといけねえからよ、あっちもこっちも、ってわけにゃ行かねえのよ。そっちのおチビちゃんはテメーをぶち殺してからお料理してやる……!」

「……んなわけにはいかねえよ、俺もチェルシーもテメーにゃ殺られねえし、美琴を待たしてんだから、速攻でテメーを片づけて俺たちはあいつのとこに帰るぜ」

「妬けるじゃねえかよ色男。女二人も侍らせてよォ……。浮かれちまって上等こいちまうのは構わねえが、そもそもテメーは――」


 と、ウォルフが建物の壁面へと跳躍し、


「俺に勝つつもりでいんのかボケェ!」


 その壁を蹴り砕き、爪牙を剥き出して大和へと滑空する。

 五十メートルの距離が百分の一秒も掛からず縮んでゆく、が、大和に焦りの色はまるで無い。勝つだと? そいつはお門違いだとでも言うように。


「――駆除してやらぁ」


 帛迎はくげい――根拆ネサク


「……ッに!?」


 目を焼く雷光が迸る。

 神威を見せる天之尾羽張あめのおはばり、構える大和が薙ぎ払うように振り抜いた。

 つづら折れた閃光が迅速引っ提げ、目を剥く狼男を焼き殺さんと奔り出す。


「――チィ!」


 舌打ちし、ウォルフはなんと大気を蹴った無理くりの方向転換。

 空も地中も神聖な銀狼にしてみれば所詮は狩場の一部に過ぎず――そんな矜持をただの人間がへし折りに掛かってきた。


「遅いぜ」

「な、に!?」


 ウォルフの背後に陣取る大和。

 避ける時間を魔獣に与えず、その背を雷纏う一撃で斬り上げた。

 肉を断つ水音と、ヂヂヂッという閃音が弾け、宙空の銀狼からボタボタと赤い雨が降り注ぐ。歯軋りして旋転し、下方を見据えたウォルフに安堵の暇は全く無い。


「グ――!?」


 彼の視界に飛び込むは蒼雷そうらい。蒼白く迫る蛇だ。

 射程距離に優れた根拆の咆哮は瞬く間に距離を殺して敵を砕く。


「が――ァ」


 夜の闇に華が咲いた。激しく発光する珍しい蒼い華が。

 ジジッとタンパク質の焦げた臭いが蔓延し、


「オアアァァッ!」


 なおも大和は裂帛の気迫で狼男に突貫してゆく。


 天之尾羽張に充溢させる根拆の神力。

 十束の剣と雷神の神威が相乗効果を引き起こし、大和の神気を迸発させる。

 根拆とは、遥か昔に伊邪那岐イザナギ迦具土カグツチを天之尾羽張で斬り殺した際、剣先から飛び散った血が具現した神である。


 しくも、黄泉でそれをなぞった大和だからこそ今の現実を引き起こせる。

 彼の神力は、かつてシェイクと一戦交えた頃とは比較にすら成り得ない。


「喰らえェ!」


 両の手で、握りしめた天之尾羽張で両断せんと振り抜く一閃。


「――バカが!」

「ッ!」


 だがしかし、ウォルフはその絶大誇る刃を片手で掴み取ってみせた。

 完全には勢い殺せず、喰い込む肉から血が飛沫き、加えて根拆の神気がその手を焦がしていくが、


「残念だな! スピードや射程は大したもんだが、肝心の威力はおままごとだ! モール街の地下で見せたお前の切り札も、所詮この俺にゃ通用――」

「――石拆イワサク

「ヅァ!?」


 銀狼の勝ち誇りが途絶する。掌を切り裂くは射程を捨てた攻撃力を誇る石拆の神威。

 予測を超えられ、驚愕の眼を向けてくる獣の横っ面に、烈火の怒りを込めた回し蹴りを叩き込む。

 爆砕するビルの屋上。着弾したウォルフの元へ、休まぬ大和が雷よろしく降下して――


「ザケんなボケェ!!」

「――ッ」


 それは悪魔めいた絶叫だった。

 魔に身を落とした堕天が腰を屈めて神力を爆発させる。

 激しく煌めく頭上の光輪に合わせるよう、天空の銀月光の禍々しさが一際増幅された。


「人間ごときがァ! この俺を、この俺をてめえ!」


 伸びる牙、縦に大きく裂かれる瞳孔。耳と尾がビンと立ち、雷の化身を迎え撃つ。


 大和の斬撃は空を断ち、即座に反転させた雷神の閃光も狼男は回避する。

 仰け反るまま、ウォルフの足が大和の顎を捉え、無防備な横顔に炸裂する右フック。

 錐揉きりもむように回転しながら吹き飛ぶ大和を、追従するウォルフが蹴り上げた。


「く――そ!」


 空に煽られ、歯噛みした大和が体勢を整えるも、本気の銀狼は上をゆく。目を見開く彼に反撃の暇を与えぬ怒涛の連撃が押し寄せる。


「オラどーしたよ! 躱してみろ、出来ねえのか! なっさけねえなお兄ちゃん!」

「づ――ぐ、ぅ……!」


 噴き出す鮮血、広がる痣、大和の肌が赤と紫に塗り替えられる。


 雷の剣を携えて迅速の域に達した大和を、さらに上回る白銀の魔狼(シルバーファング)

 人間離れをした双眸、爪牙。俺こそが唯一の魔狼だと語る大きな尾に両耳。

 月こそ我が象徴。第九イェソドこそ我がセフィラ。


 銀の髪や体毛を逆立てながら血と月光をその身に浴びて、月と同調シンクロした狼男は破顔する。三日月、半月、そして満月と、ウォルフ・エイブラムはそれら全てを求め、そして受け入れているがゆえに銀狼なのだ。

 変わり果てた想い人に対しても揺るがぬ情愛は愚かで偏執で、しかし一途で強固である。ともすれば、盲目とまで言える狂愛は新月であろうと抱きしめる。

 だからこそ想いは届き、だからこそ抱擁される。


 彼と月こそ相思相愛。セレネ、月詠ツクヨミ、カリギュラも――


「邪魔くせえんだ! どいつもこいつも土足で上がり込んでんじゃねえぞ!」


 銀狼の信念はド外れている。小鼠から狼へと身を変貌させるほどに突き抜けた念。常人には到底真似できないレベルの執着は、同じ天使であるはずのシェイクやチェルシーのそれなど一顧だにしていない。


「オラ――よ!」


 サンドバッグにしていた大和を止めとばかりにオーバーヘッドで蹴り落とす。

 数十メートルの高さから、重力までも引き連れて大地を穿つ大和が濛々と煙を上げた。


「ハン!」


 悠々と、傷を負いながらも笑みを零す魔獣が地面へと降り立った。

 気楽にゴキリと首を鳴らし、地中から這い出る手をニヤニヤと眺めている。


「ち……くしょ……!」


 対し、穴から脱した八城大和は顔を顰めて汚れを払う。

 ボロボロになったTシャツの袖口で目元を拭い、視界を取り戻した。


「人間にしちゃよくやった方だが、まぁそんなもんが限界か。これ以上俺様の怒りを買う前に、さっさとくたばった方が身のためだぜ? 心配しねーでも墓でも立てて、線香の一本くらいは上げてやるからよ。ハハハッ!」

「……ホント、舐めてんなテメーは」


 砂利と血が混ざった唾を吐き捨て、口を拭いた大和がウォルフを睨み付けて、


「誰が、限界だなんつったよ」

「あ?」


 ガシャリと、両手で十束の剣をしっかりと握り締めた。

 呼気を落ち着け、大和は意識を極限まで集中させる。

 腹の中へと意識を向け、それを手へと伝わせ剣身に。


 迅速誇る大和は確かに超速だ。しかしそれでも悪魔の銀狼は付いてくる。

 ならば、更に上げるしかないだろう。

 天之尾羽張に宿る雷神たちの神威にすら追い付いてくるのならば、それら二柱を同時に発現させて掛け合わせるのだと。


 天に届く大樹を、天辺から根元まで断ち割る根拆を。

 山に等しい巨岩ですら、その稲光で粉々にする石拆を。


(さあ、頼むぜ……!)


 五感を研ぎ澄ませて共鳴し、大和はその二神を内から引っ張り出した。


「――――オオオォォァアアアッ!」


 烈火の如き猛りと共に、大和を覆う稲妻が倍化する。

 その余波で辺りの建物が一瞬で炭となり、蒼い閃きはバチバチと夜の闇を明滅させる。


「――っ」


 そこではっきりと、ウォルフ・エイブラムの表情から余裕が搔き消えた。

 彼が身構える動作を取った刹那には――蹴り砕いたアスファルトを尻目に大和が銀狼に肉薄していた。

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