三年越しの想い
顔を歪めた大和が小石のように吹き飛んでいた。
「ヅ――アァァァアアッ!」
それにより発生して纏わりつく風圧を煩わしく思いつつ、歯を食い縛った大和が翻り、天之尾羽張を地面に突き刺し断ち割りながらの強引な急ブレーキを敢行する。
「……ハッ、ハア、ハッ」
停止して、体重を柄に預け、目線を黒い剣身から裂き割れた道路へ向ける大和。
その双眸がひどく揺れていた。だだ漏れる呼気には多量の湿気が籠っており、彼を支える二本の足は大地を踏み締めているかさえ怪しいところ。
外傷はほとんど無い。だというのにこのザマだ。まるで、心や神気に直接亀裂でも入れられたかのように。
(な……なんだ、こりゃ……?)
理解ができない。いま自分の身に起きている現象が。
ガチャガチャと震え鳴る剣先が、大和の心中を吐露しているかのよう。
それを見やる大和の視線に、大きな黒い影が入り込む。
「良い剣ね」
「――っ!?」
いつの間にか接近していたマッカムが、その巨大な体躯から大和を見下ろしていた。
反射、咄嗟に剣を引き抜き飛びずさる大和。
慌てて両の手で構えはするが、しかし意志に反して彼の全身が怯えの色を見せていた。
「チイッ!」
舌打ちし、震える足を叩き付けて喝を入れる。
その様子を眺めたマッカムだが、嘲る意思は見せずに淡々と続けていた。
「反射的にその剣を顕現させてアタシの拳を防いだわけね。見たところ傷一つ付いてないし、相当数の神力が込められてる素晴らしい剣だわ。それに加えて、あの一瞬で得物を割り込ませた反応速度と、今そうしている意志力も目を見張るものがあるわね」
「意志力……だあ?」
片目を眇めた大和が荒い呼気を吐きつつ問い返す。
対し、「ええそうよ」と答えたマッカムが更に続けた。
「シェイクは『世界』を、ウォルフは『月』を、チェルシーは『太陽』をというように、アタシたち天使は各々のセフィラの特性を有していることは大和くんも知ってるわよね」
「ああ」
「べつに隠すことも無いから言っちゃうけど、第五のセフィラは『破壊』を司っているわ。それは何でも壊してしまう。肉体も、精神も、神力さえも」
「…………」
だからだろうか、マッカムの拳を受けた瞬間から全身を襲う虚脱感は。
剣越しでさえこの有り様だ、直接打撃を貰ったとしたらどうなるというのか。
対して、慄然しつつもどうにか踏み止まる大和を称賛したマッカムは、しかし眉尻を下げながら腰を一度くねらせた。
「……でも、あなたはとても脆弱だわ」
「……なんだと?」
残念そうに、憐憫の情を込めたマッカムの言葉はどこか本質を捉えていた。
ゆえに、認められない大和が即座に目を剥き剣を握るがしかし、
「あなた、アタシを殺す覚悟はあるのかしら?」
「……っ!」
その一言が、大和の全身を縫い付ける。
目を見開かせ、どうしようもない焦燥感を掻き立てる。
我知らず半歩退いた大和を見据え、「やっぱりね」とマッカムが漏らした。
「大和くん、あなたの成長速度は本当に驚嘆ものよ。いきなりアタシらみたいな理不尽な存在に巻き込まれても、心を壊さずに対応だってできた。そこは尊敬だってできちゃう。……けどね、あなたは心が未熟過ぎる。覚悟が足りな過ぎるのよ」
「……」
「チェルシーも言ってたわね、自分の立場が分かってるのかと。子供みたいに駄々捏ねられる状況じゃあないのよ。あなたはアタシら全員を斃さなければ生き残れない。その剣を敵の血で染めなければならない。ちょっと気心知れたくらいで躊躇ってるようじゃ、あなた死ぬわよ?」
「それは……」
「道理に合わないでしょ。ええ自覚してるわ、痛いほどに。ま、アタシみたいなのにもそう思ってくれてるのは嬉しく感じるけどね」
腰に手を当てたマッカムの言葉には、確かな温かみと人情が少なからず込められていた。
中華料理屋にて美琴やチェルシーら四人で食卓を囲んだ仲だ。とても騒がしくて、けれど間違いなく楽しくて。
だがそれが、八城大和の足枷になっているのは確実だ。
そういうわけで、
「とはいえ、それはそれ。悪いけれどアタシは止まれないわ、生命樹を安定させるためにね。だからあなたも――さあ踏ん切りを付けなさい!」
「――ッ!」
刹那、踏み込んだマッカムの右手が大和へと突き込まれた。
間隙を縫うように辛うじて十束の剣を割り込ませた大和だが、しかし――
「ぐ――う――!」
その拳はやはり重い。ウォルフも大概だったが、このマッカムのそれは常軌を逸している。
しかも、先ほどよりも一段と強烈さを増している。少しでも気を抜けば天之尾羽張が砕けかねない状況だ。
ギリギリと競り合うも、大和の足元がひび割れて陥没する。
地面に呑み込まれ始めた彼を見て、なおもマッカムは煽るように言った。
「ホラどうしたの! このままじゃ潰れちゃうわよ! あなたの決心はそんなものなのかしら!」
「舐め……んなァ!」
吠える大和が剣の角度を大きくずらす。瞬間、力が逸れたことによってマッカムの身体が軽く泳いだ。
「オオアァァア!」
ガラ空きの脇腹目掛け、天之尾羽張が振り抜かれる。
が――
「な……に……?」
「良い剣だけど、扱う人間がそれじゃあ持ち腐れよ。踏み込みの甘さ、剣速のトロさ。臆病にブレーキ掛けちゃうのは果たして誰の為なのかしら」
その刃はマッカムの肉体に阻まれ、薄皮一枚裂くことすら敵わなかった。
鋼の鎧は研ぎ澄まされた剣身をしても届かずで、だけどそれはマッカムの頑強さだけに起因しない。
マッカムの言うとおり、大和の信念の脆弱さがゆえだ。
恨みは無い。斬りたくない。顔見知りだから、義理を見せてくれたから。血が多量に噴き出て、痛みの絶叫を上げさせて、手に残る肉の感触、耳にへばり付く怨嗟の声――
そうした諸々が、八城大和を我知らず縛り付けるのだ。
だから彼は、戦士足り得ない。未熟で不出来の高校生。
「――っけんな……!」
自覚して、見てくれの心を鬼として力を込めるも、刃物は一ミリ足りとて進まない。
ギチギチとマッカムの脇腹で哭く剣は、まさに大和の戸惑いの表れで。
ゆえにマッカムは、憐れみをもって嘆息し、
「このまま計画が遂行されれば、樹は世界を諸共に反転するわ。恐らくあなた達の望む景色とは程遠いものになるでしょうね」
「……!」
その通り。たとえ恨みの無い相手でも斬らねば自分も世界もロクな未来を迎えない。
けれど、それでも……。
「それじゃあ規模が茫洋とし過ぎて、足が地に付かないかしら? 使命感だけでは成し遂げる輪郭すらぼやけてしまうものね。では一体、何が大和くんの気概を滾らせるのかしら。自分の命? いやそれとも」
呟いて、次いでサングラスの奥の目が冷え込んだ。
「――シェイクがやったように、間近な人間の命かしら」
そして振るわれた剛掌は、今までの比ではなかった。
大和は呆然と動かない。眼前に迫り来る死の鉄拳を見やりながら――
「まったく……やれやれどうしようもない阿呆だな」
だからこそ、呆れつつも微笑を浮かべる闖入者の割り込みが許される。
「あなたは……」
「曹玲……」
マッカムと大和がほぼ同時に驚きを漏らした。
「てっきり満月の夜に行動に出るものだと思っていたから出遅れてしまった。観光に夢中になってしまったとはいえ、私を仲間外れにするなよな」
不敵に、勝ち気に、どこまでも凛としたその声音。
柳眉を立てて、烏羽色のポニーテールを躍らせつつ獰猛に笑んだ立ち姿。
それはとても勇壮でいて美しい。
マッカム・ハルディートの剛拳を真っ向から受け止めているという異常が、『絵になる』という一言で許されているようだった。
「さて……それにしても」
ついと、マッカムの拳を掴んだままの曹玲が目線を動かす。
同時に放たれたしなやかな蹴りが、なおも呆ける八城大和を吹き飛ばしていた。
「いぃって!? ――て、てめえ! 何しやがんだ!」
「おっと、喋ったか。すまんな、木偶人形かと思ったよ」
「あぁん!?」
思わず憤慨しかけた彼に、曹玲は目を合わせて言い放つ。
「貴様はそれでいいんだよ」
「……え?」
一転して真面目な色を見せる彼女に、大和はその脚を止めてしまう。
「斬りたくないならそれでいい。世界だの使命感だのと、余計なものを考えていちいち思考を停止するな、馬鹿が。どの道お前ごときの背中に世界なんて背負えはしないさ。……大事な人を護るために戦う。結構なことじゃないか」
「……」
閉口する大和を見守ってから、曹玲は再びマッカムに向き直り、けれど背中で語り続ける。
「だから、貴様はそれでいいんだ。連れ戻したい友人がいるんだろう? だったら行ってこいよ」
その言葉は、何よりも大和の心に熱をやった。
不安定だった彼の足に芯が入ったかのように、力強さが増してゆく。
「――ありがとう……!」
次いで大和の双眸には光が宿り、炎が灯る。
そのまま地を蹴って駆け出した彼に、マッカムが待ったを掛ける。
「待ちなさい! まだアタシの話は――」
「なあ、マッカムよ」
けれど、そんな彼の行動を曹玲は許可しない。
「私の後輩に、余計な御高説を垂れるなよ?」
「……」
ギチリ、と。曹玲の左手がマッカムの拳を握り込んでゆく。
それを意に介さず返すマッカム。
「……ずいぶんと気にかけているのね?」
「短い付き合いだが、ああいう甘ったれでね。恨みの無い相手は斬れない性分のようだ」
「……たとえ彼に無くても、アタシには――」
「シェイクのことか?」
「――」
その問いはマッカムの筋肉を瞬時に緊張させる。膠着状態が強引に解かれようとするが、しかし、
「ヤツの最期を、知りたいのか?」
獰猛とも言える笑みを見せて、曹玲は左手から黄泉の瘴気を立ち昇らせていた。
瞬間――場が弾ける。
咄嗟に飛びずさったマッカムが右手に付着した瘴気を消し飛ばし、けれど必然浮かび上がった疑念を対峙する曹玲にぶつけていた。
「これは一体、どういうこと?」
「さあな、私と戦えば分かるかもな」
怒気を孕んだマッカムの言もなんのその。
目を剥く曹玲が喜びを我慢できないというように全身を打ち震わせて、
「さっきは偉そうなことを大和に言ったが、其の実ヤツの方が立派だよ。……なにせ、私は――」
溜め込んで、噛み締めて、いざ狂喜を隠さず迸発させる。
「ずっとずっとォ! 三年前にお前にやられたツケを! 倍にして叩き込んでやるために生きてきたんだからなァ!!」
世界なぞ、ああ知ったことか。
殴られて辛酸舐めてムカついたから倍殴る。曹玲の生きがいとはまさにそれ。
彼女が言うように、他人のために剣を取る大和の方が立派に見えるというものだ。
けれど、掛け値なしの言葉はどこまでも純粋で、だからこそ彼女を再び高みへと歩ませた。
過去の大敗北を清算するため、マッカムを本気にさせるためには、どんな手段でも使ってやろうと。包み隠さぬ曹玲の咆哮は、マッカムのリミッターを静かに外していった。
「……そう。ならばじゃあ対話をしましょうか。――拳でね」
「待ち焦がれたよ……! 大和を追いやった理由は他にもある。――貴様だけは絶対に譲らんと決めてたからだッ!!」
爆発乱舞する二つの神気。
アスファルトを砕き、粉塵砂塵と化して宙に舞わす。
そのカーテンを引き裂きながら、ポニーを逆立てる曹玲が突貫していった。




