嵐の前夜
「ふう……」
薄暗い三日月光に照らされて、朽ち果てた骨身を晒す死の街姿。
墟街地にはしかし、今や濃密な瘴気の気配は欠片も無い。
マッカム・ハルディートはため息を一つはくと、しゃがみ込んで足元の草を掻き分けるように注視した。
「あったわ」
四つ葉のクローバーだった。
緑の息吹を取り戻した新芽を労わると同時に丁重に摘み取り、そのまま石が積み上げられたとある場所に供える。
「あんたはこういうのに全く興味なかったわね。お花なんかよりお菓子ばっかり。それでニキビができなかったのが羨ましいわよ、全く」
苦笑を浮かべつつそうごちて、「ちゃんとしたお墓じゃないけど、許してねシェイク」とマッカムは立ち上がる。
その背後に近付く足音は、彼にとっては招かれざる者であったのか。
「おいおい、ちゃーんとお手手の皺と皺を合わせてお祈りしなきゃダーメじゃねえの」
「……」
放埓に放たれたのは、嗤笑混じりの悪童の声。
そこには死者を、そして手向けを備える者への斟酌など露ほども存在しない。作法がどうのという言葉は、相手を煽って激昂させる起爆剤としかなり得ず、どころか声の持ち主は嬉々としてそれをマッカムにぶつける始末。
「死んだら善人悪人関係無くみーんな等しく仏様ってのは、この国の持つ美点だと俺は思うね。大昔のどっかの大陸じゃあ、罪人の墓掘り起こして死体蹴りした挙げ句に焼いて食っちまう人種もいたらしいからねえ」
無頼な金髪が天を衝く。
月光に照らされる漆黒の衣服を纏いつつ、ウォルフ・エイブラムは歩を進めた。
「なあ? お前もそうは思わんかねマッカムよ」
「何が言いたいのかしら?」
しかし、マッカムは挑発を受け流す。
言外にウォルフの意図を読み取っていたから。
シェイク・キャンディハートは生前、数多の死体を積み上げてきた。
自身の愉悦と快楽のため、積み木や砂の城にでもするように人間を壊し弄んでいた。
だからこそ、そんな彼女を許しましょうと。お墓に入った小さな少女にお祈り捧げて黙しましょうと。ウォルフは最大級の皮肉を込めてマッカムに投げ掛けているのだ。
そこに意味は無い。彼にしてみれば、路傍の小石を蹴ることと何ら遜色無い。
「やれやれね」
ゆえにマッカムは嘆息する。
反転したセフィラの影響がため、地上の人間も負の感情を強く持つが、それにしてもこの男の捻くれ具合は桁が違う。いちいち相手にするのも益体無しと。
「でもよ」
が、そこでウォルフが口角を持ち上げた。
「あの小っちゃなガキは黄泉の世界でそんな仏様を冒涜してたんだよなァ。殺した後でなお魂をも蹂躙すると。おやおや非道にも程があんだろ、大層恨みや憎しみを買ってたんだろうなぁナンマンダブ、ナンマンダブっと」
「……」
「死んで当然のヤツだったろう」
「……そうかもね」
マッカムは反論しない。ある種、反論できないと言ったほうが正しいかもしれないが。
ウォルフの言葉は掛け値なしの真実だ。だからこそ彼は正論という盾をこれ見よがしに掲げながら、マッカムの反応を見て楽しんでいるのだ。
だがそれでもマッカムは応じない。
適当に相槌を打ちつつ、片手を上げてその場から去ろうとしたその瞬間、
「だーからよォ、こんな墓なんざ要らねえだろ」
ベッ、と。ウォルフがシェイクの墓標に向かって唾を吐き捨てていた。
「――――」
人には決して越えられたくない境界線というものが存在する。
あまつさえ、そこを土足で踏み躙られてしまったら……。
「……、」
寸前で自らの手を割り込ませ、その嘲弄の塊を受け止めていたマッカムが、吐き出した張本人を強く鋭く睨み付ける。
「良い怒りじゃねえか。けどよ、そいつをぶつける相手は本当に俺で間違いねえか? あ?」
対し、ウォルフは悪びれるどころか逆にマッカムを弾糾する始末。
「シェイクは誰が殺ったんだ? あの小さな小さな身体のお嬢ちゃんを一体誰が殺したんだよ? いやそもそも、誰がシェイクを手駒に使った? 嗾けた? そこらへんよーく考えて殴る相手をお決めなさいよマッカムちゃん」
「……」
小馬鹿にしてくるウォルフの言動を受け止めながら、しかしマッカムは心中で反芻する。
シェイクは誰が殺したのか。そして、誰が彼女を単身黄泉に向かわせたのか。
前者は当然分かっているし、後者については尚更だ。自分が口を挿まなかったのも悪い。
そう、だからそれは――
「仕方ない、で済ますのかい?」
「――っ」
その一言がマッカムの心を強く抉る。
八城大和は覚醒し、安定を失った太陽は反転への道を辿る。
結果として必要な犠牲であった、だからそう仕方がないと――そう済ませて果たして良いのであろうか。
何を迷う、何を良い子になっている。衝動のままぶつかる相手を求めて猛り狂えと、ウォルフ・エイブラムの苦言がマッカムの心を揺さぶり起こす。
「ふふ、滑稽……ね」
呟いたマッカムがふと右手を眺め見れば、握り込まれたそこから血が滲み溢れていた。
それは怨嗟の呪いのように、慟哭の涙のように滴り落ちる。そして、地面で弾けて灼熱の華を咲かせていた。
「……礼を言うわウォルフ。確かに足踏みしてちゃいけないわね」
顔を上げたマッカムが礼の言葉を放って――正拳でウォルフを殴り飛ばしていた。
「友人を侮辱した罪はそれでチャラにしてあげるわ」
じゃあねと一言残し、マッカムは墟街地から立ち去っていく。
己が行動理由を掴んだのだろう、その足取りは確かなものであった。
一方、一撃を見舞われて大の字に倒れているウォルフはくつくつと喉を鳴らしていた。
「く……くっかかかか……、い、いてえ……いってえよクソッたれが」
口元を血で滲ませ、けれど彼はケタケタ嗤う。
遥か頭上で仄暗い光を落とす、鋭利に弧を描く三日月を眺めながら。
「ああ分かっているさ、今に光のドレスをプレゼントするとも。おめかし決め込んで舞踏会とさあ洒落込もうじゃねえか」
言って、むくりと起き上がったウォルフが血溜まりを吐き飛ばす。
「明日は俺様にとってもいよいよの大イベントなんだ。日和見なんざ許さねえ、ご出席なされよ皆様方。どいつもこいつも目ん玉おっ広げてはしゃいでくれなきゃつまんねえからなァ」
ウォルフは嗤う。ひた嗤う。
計算し、予定調和に突き進む。それは確かに賢い道のりで間違いない。
だが、それにどうして価値がある? 頂の陰陽が新生するその瞬間、行儀良く迎えたところで喜びは半減だ。
なればこそ狂喜を、騒擾を、血の波濤と魂を。
脳髄痺れる刹那に網膜に焼き付けてこそ月の魔獣は完成されると疑わない。
常識や因循などクソ喰らえだ。こちらは疾うに鏡花水月など大地の染みへと変えている。
だからこそ――
「さあ、どうするよロゼネリア」
第五の参戦が確定し、事態はより混沌へ。
場を引っ掻き回したウォルフの狙いは享楽と、淡々と先を見据える第四への刹那的な当て擦りに他ならない。
ヒュウと吹いた夜風が、彼の逆立つ金髪を荒々しく靡かせていた。
そして同時刻、高層マンションの屋上にて淑女が三日月の笑みを浮かべていた。
「何も変わりはしませんよ。何も、ね」
ロゼネリア・ヴィルジェーンは夜闇にそっと溶かすよう、呟きを漏らしていた。
目元に掛かったブロンドを手で払い、ビル風を受け止めながら夜空を仰ぐ。
「太陽、月、大地……世界が世界であるために不可欠なものですね。玉座に坐すだけの女王など、端から必要無いのですよ」
第四は笑みを零し、そして遥か虚空を見つめていた。
手を伸ばし、強く強く大望する。ああ、翼が欲しいと希う。
「その向こう側の景色とは、一体如何ほどのものなのでしょうか」
穏やかにロゼネリアは漏らした。
胸中で、爆発燃焼する斑の感情を滾らせながら、今はただ静謐に。




