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崩れる天気

 爆音が一帯を踏み潰す。


 玉散る黒が輝く帯を形成し、一泊遅れての置き土産は亀裂を生み出す衝撃波ソニックブーム。刹那にひび割れた壁やガラスの悲鳴を受け止めながら、八城大和やしろやまとが黒く濡れる天之尾羽張あめのおはばりを振り抜いた。


「っとォ!」


 袈裟への一閃はしかし空を切る。

 避けられざまに回転を乗せた裏拳が大和の頬を狙い来るが、されど左腕で受け止めた。


(重ってえ……ッ!)


 脳芯がピリ付く痛みに顔を顰め――伸びきっていた右腕に間断無く潜り込んできたウォルフに畳んだ肘鉄を入れられる。


「づ……ぅ!」


 鼻っツラが狂熱を帯び、衝撃と痛みで我知らず数歩後退する大和。


「オラどこ行くんだよ!」


 逆立つブロンド、決した眦。ウォルフ・エイブラムの浮かべる様相かおは強者のそれに他ならない。ともすれば威嚇だけで他者を蹴散らし前進するが、今の彼は喜悦深めた魔獣であるゆえ暴力性を加速させる。


「よっしゃ踏ん張れ踏ん張れェ! 足元ご注意すっ転ぶなよコラアッ!」

「――ッ――!」


 矢継ぎ早に穿たれる蹴りの連打にくの字になった大和だが、ギリッと食い縛った歯で以て腹から昇る苦悶と苦痛を塞き止める。

 代わりに――裂帛。


「オアァ!!」


 咆哮引っ提げ、両の手で再度振るわれた十束とつかつるぎ

 だがしかし、ウォルフの反応は上を行く。


 大きく跳び上がって回避した彼が猛禽よろしく大和をめ付けた。


「バカが! 絶好の的だぜ!」


 怯まぬ大和が好機とばかりに剣を突く――が、中空で旋転したウォルフから弧を描いた回し蹴りが叩き込まれていた。


「クッハハハハ! 悪いな、足が長くてよォ! 嫉妬すんなよ日本男児」

「……の、ヤロ……!」


 嘲笑を浴び、片目を眇めた大和が切れた口元を拭い取る。

 ぬるりとした感触を覚えつつ、眼前の敵手の強大さを実感していた。

 天使化した第十マルクトのシェイク・キャンディハートをも圧倒した大和の帛迎はくげいが、この男に後れを取っている。


 業腹だが、強い。

 曹玲ツァオリンが多大に警戒していたことも理解はできる。

 が――


「ハハッハハァーッ!」

(だからって……よォ!)

「――お?」


 ギンと見開かられる大和の両眼。

 ウォルフが繰り出す大振りの一撃を剣で受け止め地鳴りが起きた。

 刹那に呆けたウォルフの顔面に、鬱憤を晴らすが如く頭突きが叩き込まれていた。


「づ――ッ!?」

「やられっぱなしでいられっかよ!」


 一喝し、勢い殺さず拳の弾幕を浴びせゆく。衝撃で仰け反るウォルフに向けて薙いだ剣はあわや躱され、お返しとばかりに脇腹へ蹴りの衝撃が走っていた。


「ッがぁ――」


 吹き飛び、中央の巨大な柱にぶち込まれ、なおも哄笑浮かべるウォルフの追撃により破砕音が炸裂する。ごっそりと抉られた柱、その隙間に降り立ったウォルフが見据える先には、手すりを拉げさせて三階足場に着弾した大和の姿が。


 瓦礫に塗れ、顔を顰める大和に休息の暇は無い。


「オラお寝んねしてんなよ!」

「――ッ」


 シャゴン! と轟音。滑空するウォルフの一撃が大和ごと鉄の足場を粉砕させ、彼を一階にまで貫通させた。

 床に叩き付けられ、されど反動のままに離脱したその場所に一拍遅れてウォルフが拳を打ち付ける。

 陥没する地面を尻目にウォルフは大和を逃さない。

 バックステップで距離を取る彼の元へ、床を踏み砕いて突貫する。


「オォラァ!」

「舐めんなァッ!」


 対す大和も咆哮し、せめぎ合ってそしり合う。殴り、殴られ突いては捌く。

 ぶつかり合った拳同士が衝撃波の波紋を生み、空気を震わせ塵を撒く。


「――遅え!」


 だが、趨勢すうせいはウォルフに向くか。

 グンと足を上げたやいなや、目にも止まらぬ速度の踵落としを大和の脳天に叩き込んでいた。

 威力は甚大。弾け飛んだ床の穴に飲み込まれていく大和――


「――オォッ!?」


 ――はしかし、寸前でウォルフの足首を掴み、共に地下へと引きずり込んでいた。


「つぁらあッ!」


 落下の勢いそのままに、大和は地下駐車場の車へとウォルフを小槌よろしくぶち込みしゃくる。


 まるで虎挟みのように中心から折れた車がウォルフを飲み込み、それを見届けた大和が後退して息を整え始めた。


「ハアッ! ……ハッ!」


 汗と血を拭い、肩で息をつく大和。


 見据えた先の鉄の塊(スクラップ)は動かない。

 効いたか、やったか、などという問いかけにはやはりと言うべきか……。


「うざってえ!」


 激した猛りがそれを否と斬り捨てた。

 乗用車を爆砕させ、右腕を回してゴキリと関節を鳴らして八城大和を睥睨する。


「ハッ! どーしたオイ、息が上がって足に来てるじゃねえか。ちっとばかし待っててやろうか?」

「馬鹿が、気のせいだ。さっきも言ったろ、てめえの蹴りなんざ大したこたねえってよ」

「ああそうかい、そりゃ失礼」


 言って、埃を払ったウォルフがやがて口元を持ち上げる。


「それじゃあ俺からもオメーに評価をくれてやるぜ。……ざーんねん、落第だ」

「……あ?」

「その剣でシェイクを殺ったんだろ? だがそんな程度じゃこの俺様はもちろん、他のヤツにも届きゃしねえよ。てめーの底はそんなもんだ」


 罵詈ばりと共に唾を棄てる。

 そのまま犬歯を見せて眼を引き絞るウォルフ。


「三下のガキ殺したくらいで天下取った気になってんじゃねえよカスが。挙げ句この俺に喧嘩売りやがって、身の程知らずにも程があんだよ。二度と夢見れねえように魂ごと踏み潰してやらあ」

「てめーこそ天辺てっぺん取ったつもりかよ、埃なんざつけちゃってよ、ずいぶんカッコ良いじゃねえか」

「クッカカカ……ボケが……」


 ウォルフの嗤い声が地下の壁に反響して木霊する。

 湿気を含んで冷えた空気に相乗されたその声が、えらく大和の耳にこびり付いた。


「……いや、俺が殺るまでもねえんだったな」


 そして、ポツリ漏れ出たその呟き。

 なぜだか大和は自身への雑言よりも、その言葉の意味へと意識を向けざるを得なかった。


「どういう、ことだ?」

「あぁん?」


 大和の問い掛けに目を剥くウォルフは、しかし獰猛な笑みを浮かべていた。

 嗜虐的な、弱者をいたぶる羅刹の笑みを。


「決まってんだろ、てめーはチェルシーに殺されるんだからな」

「な――……」


 放たれた言動を、我知らず鼓膜が受け付けまいと拒否をする。

 けれども、否応にも全身に絡み付くその言葉が八城大和から急速に色を失わせていく。


「ハハハハッ! なんつー顔してんだよ! お前チェルシーがどういう存在か忘れちまったのか?」

「…………」


 生命樹セフィロトの天使群、チェルシー・クレメンティーナ。

 第六ティファレトのセフィラを内包させる、太陽を司る堕天が一人。


 それは、知っていた。もちろん知っていた。忘れたことなど、無い。

 けれど、それでも……。

 少し想いを巡らすだけで、いくらでもチェルシーの笑みが、声が、溢れてくる。


「それは……あいつが望んでることなのか?」

「はあ? 望む望まねえなんざ関係ねえんだよ」


 眉間に皺を刻んだウォルフが指を鳴らして吠え立てる。


「ロゼネリアの決断だ、てめーがどうにも邪魔なんだとよ。チェルシー自身に片を付けさせねえと太陽が覚醒しねえってな。それじゃ俺が困るんだよ、お月さまのお相手が半端な太陽なんぞじゃ笑えねえからなぁ」

「……」

「ショックかよお兄ちゃん? ずいぶんとよろしくやってたみてえだからなァ。お優しい陽女神サマはテメーなんぞにも情を持ってしまわれたようだぜ阿呆くせえ。哀れな女だあのガキも。まあチェルシーが拒否したところで首根っこ引っ掴んで無理くりに――」


 その先の言葉は途絶された。

 代わりに轟いたのは、引き裂くような閃音と、眼を焼く激しい紫電の明滅である。


「……急にどーしたよ、避ける間が無かったぜ」

「その口を閉じやがれ。このまま腕落とされたくなかったらな……ッ!」


 電光が更に爆ぜた。

 十束の剣に宿った雷神が、持ち主を迅速の域にまで昇華させる。

 その紫電の刃を、辛うじて畳んだ肘の骨で受け止めていたウォルフもやはり尋常ではない。


「ここにきて隠し玉ってか。良いじゃねーの、面白いねえ」

「てめえ……!」


 灼熱の感情が雷電の激を加重させる。

 斬り込まれた肘で雷がバヂンと弾けるが、あろうことかウォルフは邪悪な笑みを更に深く刻み付ける。

 肉弾の間合いで互いに相手を射殺しながら、神力を一層迸らせる寸前――


「大和っ!」

「――」


 神崎美琴かんざきみことがその場に現れた。

 反射的に剣を抜いて飛び退いた大和は、ウォルフを牽制しつつ美琴の側まで歩み寄る。


「バカ、なんだって来ちまうんだ」

「だ、だって……!」


 思わず詰問するような口調に、美琴は口を噤んでしまう。

 やり取りを眺めたウォルフが嗤いを浮かべ、ジャケットの袖を引き毟ると肘から流れる鮮血を舐め取り始めた。


「おやおや、もう一人の女神サマのご到着か」


 そして、口内に溜まった血をペッと吐き捨て大和を見やる。


「巻き込むわけにゃいかねえからよ、勝負は一旦お預けだ。次はきっちりとサシで片ァ付けてやんよ。チェルシーがバラしやすいように虫ケラ同然に変えてなぁ!」

「上等だよ、その鬱陶しい舌を斬り落としてやる」

「ハハハッ! そのツラがいつまで続くか見物だぜァ!」


 爆笑し、踵を返したウォルフは地下を歩み去っていく。

 姿が消え、フッと息をついた大和が呼び出した神の剣を内包させた。


「や、大和……、あんた、大丈夫?」

「……大したこっちゃねーよ」


 痛む腹を擦りながら、努めて軽く大和は言った。


「帰ろうや」








 外はどしゃ降りであった。

 傘を叩く大きな雨音が、今はやけに耳障りに思うものだと大和と美琴は眉を顰める。

 地面から跳ね返る水滴が、二人の足元を見る見るうちに濡らしてゆく。


 そこに、人影が現れた。ふらふらとした足取りは今にも転びそうで危ういもの。


「――……」


 それはチェルシーだった。

 この大雨の中、傘も差さずに歩く彼女は当然全身をぐしゃぐしゃに濡らしており、貼り付いた前髪から覗く目は、光を失った幽鬼めいたものであった。


「チェ、チェルちゃん!?」


 いち早く気付いたのは美琴。

 張り裂けそうなその声に、ゆっくりと反応したチェルシーは、呆とした眼を美琴に向け――

 どさりと、倒れた。


「チェルちゃん!?」

「お、おいっ!?」


 美琴と大和が荷物を放り捨て、倒れたチェルシーの元へと急ぎ駆け寄った。

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