ぶちのめす
喧騒がセンター内を覆ってゆく。
一階中央で睨み合う大和とウォルフの様子は悪目立ちし、一階のみならず他の階層の人間までが身を乗り出して筒抜けの階下を見下ろしていた。
そこに存在するのは慄きと、そしてどこか浮き足立った雰囲気。
ザワザワと、嗤笑を浮かべた者の中から争いごとを囃し立てるような声が上がり、そうでない人間からも軽い興奮を帯びた表情が窺えた。
まるでコロシアムの観客だ。そのつもりは無い者も、所詮は対岸の火事と傍観を決め込んでいる。
つまり、彼らに共通するのは――危機感の無さであった。
「クク……」
口の端を歪めたウォルフがおもむろに歩き出す。
先ほど自らが大破させた自販機の元まで行くと、それを片手で軽々持ち上げた。
「――ッ」
身構える大和――をよそに、なんとウォルフは遥か上空五階へとその鉄の塊を投擲していた。
「な――!?」
耳を劈く轟音と悲鳴がセンター内を蹂躙する。
驚愕する大和が目で捉えたのは、砲丸と化した自販機によって粉々になった五階の足場と、それによって中空へと投げ出された人々の姿。
「くっそ!」
咄嗟、大和が駆け出す。跳躍し、さらに中央の柱を蹴り込んで宙で踊る人々の元へ接近。
両手で彼らの衣服を強引に引っ掴み、加えて二人を左右の腕の中へと挟んでいた。が――
「ぇあーんっ!」
「……ッ!?」
幼児が一人泣き叫びながら落下していた。腕の中からその子を呼ぶ母親の悲痛な叫びが発生する。
文字通り両手が塞がっている大和が焦燥して目を剥いた。
まずい、まずいまずい! このままではあの子供が地面へと叩き付けられザクロと化す。
だが手が出せない。かといって足で挟んでは着地することができなくなってしまう。
脳内で加速度的に考えを巡らせ、大和が取った行動は――
「――んがっ!」
歯で噛み止めることであった。噛み付いた幼児の服を絶対離すまいと、鼻息荒く尚のこと歯に込める力を上げていく。
そして、そのままの姿勢で重力に任せ、ダン! と一階へと着地する。衝撃を全て自分の足で受け止め、掴んだ全員を解放した。
幸いにも死者はゼロ。けれど目を眇めた大和が憤怒のままに振り返る。
「野郎ッ――」
「オッラァ!」
だが瞬間、すでに肉薄していたウォルフが大和の腹を蹴り込んでいた。ボールよろしく吹き飛んだ彼が派手な音を引っ提げて店のガラスに着弾。破片を撒き散らしながら奥深くへと突っ込んでしまう。
『――――…………ウワアアァァァアアアァアアッ!!』
一瞬の静寂。そして堰を切ったように叫び、蜘蛛の子同然に逃げ出す人々。
その光景を見据えつつ、ウォルフはくつくつと喉を鳴らしていた。
「おーい、テメーがうるっせえ音出すもんだからパニックになっちまったじゃねえか。世間の皆々様方によォ、ご迷惑お掛けしてんじゃねえよタコ!」
破損した店内へ向けて、悪童めいた眼を見せるウォルフがそう挑発する。
そこにはもはや、先ほど美琴に見せていたような穏やかな光など消し飛んでいた。獰猛という一色で塗られた両の眼は、ヒトなど容易く破壊する。
しばらく経っても大和の反応は無い。ゆえに嗤いを深めたウォルフが声を飛ばした。
「おいおい大丈夫かー? ぽんぽん痛くなっちゃって立てねーのか? やりすぎちゃったよゴメンなー」
呵々と悪気無く言ってのけるウォルフ。
屈託無く嗤う彼に、しかし瞠目を生ませたのは――
――帛迎。
瓦礫が爆音と共に弾け飛ぶ。
ガラスを踏み付けつつ、昏い穴から神気を迸発させた大和が黒く玉散る刃を携え現れた。
名を、天之尾羽張。
渦巻き、放射される莫大な神気を浴びたウォルフがやがて「カッ」と言い放つ。
「いきなり光モンなんざ出しやがってよ、お巡りさんに言っちゃうぞ」
「……強い強いって聞いてたけどよ」
ウォルフの煽りを受け流した大和が、ベッと血の塊を吐き捨てた。
「案外大したこたねえな、テメー」
「クカカカ……、ハハッ! 上っ等だよ」
挑発を返されたウォルフが指を鳴らして金髪を逆立たせ、そして前進する。
「ひ……ぁ、ぅ……」
その先には腰を抜かして震える子供がいた。
ほんの十数分前まで、ウォルフとゲームで遊んでいた少年であった。
「一輝! は、早くこっちにきなさい!」
少年を呼ぶ母親の声が木霊する。
それでも動けない彼の首根っこを掴んだウォルフは――ぞんざいに彼を母親の手元へ投げつけていた。
「え……?」
子を受け止め、呆ける母親だがしかし、ウォルフの視線の矛先は八城大和ただ一人に向けられていた。
縦長にかっ開かれた双眸が、猛獣猛禽のそれを遥かに凌駕し敵を捉えて離さない。
犬歯を剥き出し、右手を掲げて彼は大和に吠え立てる。
「オラ、来いやッ!」
「え……、ロゼ……いま、なんて……?」
「今一度申しましょうか?」
黒味を増した曇り空の下、チェルシーとロゼネリアが向かい合っていた。
チェルシーは小さな身体を震わせて呼気をはき、信じられないものを見るようにロゼネリアに縋り付き、対するロゼネリアは慈母の如き微笑みでそのようなチェルシーを労わった。
だが、そこから発せられる言葉は到底チェルシーには受け入れられないものだった。
「伊邪那岐を……いえ、八城大和さんを消しなさいと言ったのです」




