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黒と金の不良

 曇天どんてんにより景色すべてが薄暗く染まる日。


 チェルシーは用事があるとのことで、朝に出かけてしまっていた。

 残された大和と美琴は、子猫用の餌の買い出しついでにブラブラする目的で、十階建ての大型のショッピングセンターにやってきていた。


 それぞれの階層ではドーナッツ状に道が繋がれ、モール街のように小売店が連なっている。各フロアーは二か所備わっているエスカレーター及びエレベーターで移動可能であり、またフロアーの真ん中で存在感を放つのは一階から屋上まで伸び上がる巨大な柱。


 一階にて、その柱の側で大和と美琴が買い物袋をぶら下げていた。


「えーっと、ヤマトの餌も買ったし、お菓子と日用品もオッケーと」

「その名前やめようや、紛らわっしーんだよ」

「えー? べつに良いじゃん」

「お前本当チェルシーに甘いよな……」


 黒猫の名付け親を頭に思い浮かべつつ、ジトリと美琴を見やる大和。


「甘いのは大和だと思うけどなー」

「あんでだよ?」

「だってー、チェルちゃんに可愛いブローチ送ってたもーん」

「え、お前あーいうのが好きなん?」

「べつにそういうわけじゃないけどさー」


 言って、美琴は小さく口を尖らせた。

 それを見てため息をついた大和が「おらよ」と美琴に包みを渡す。


「……なにコレ?」

「っせーな、チェルシーばかりにやるのも不公平だと思ったからよ」


 包みを受け取り、呆けた顔を晒す美琴の視線から、大和はプイと顔を逸らす。

 一方の美琴がおずおずと、しかし興味深げに大和に問う。


「あ、開けてみても良いデスか……?」

「……好きにしろよ」

「う、うん」


 承諾を得た美琴がカサリと包みを開け放った。と――


「ふわぁ……!」


 それはつげ櫛であった。目の細かいかんざし型の、椿油が染み込んだ飴色のもの。

 眺める美琴は目をまんまるにしてそれを見つめていた。


「リボンも髪飾りも、お前は愛用してるのがあるから櫛にしてみたんだ。まあブラシの方が好きだったらすまんかった」

「んーん! これ使う、これ使うよ! ありがと大和!」

「お、おうよ」


 いきなりずいずい来る美琴に気後れしてしまう大和。

 気恥ずかしさからなのか、思い出したようにトイレへと向かってしまった。


「ふふ、あいつめ、照れちゃってー」


 その後ろ姿を眺めて美琴は笑みをこぼした。

 いや、それは言い訳かもしれない。内側から泉のように溢れ出るにやけ顔を抑えることが今の彼女には大変難しいのだ。


 あいつめあいつめ、全くあいつめ……ふふっ。


 だらしなく緩む頬を手で押さえるが、しかしそれでも締まりのない顔は戻らない。

 あたしの髪を気にかけてくれたことが素直に嬉しい。

 これは毎晩のブラッシングが一層楽しみになってしまった。


 にまにま顔の美琴が離れのベンチで大和を待とうと歩き出したそのときであった。


「だーっ! ちっくしょーっ!」

「……んん?」


 大きな叫び声。しかもそれはどこかで聞いた覚えがあるものだ。

 怪訝に思った美琴がそちらに目を向ける。


「そんな近道あんのかよクソ!」

「へっへー、甘いぜ兄ちゃん」

「そりゃこっちの台詞だ! 見てやがれ、甲羅ぶつけて今に追い越して――」

「雷どっかーん」

「ああっ!? このクソガキ!?」


 そこはゲームショップであった。

 店頭コーナーの展示品で、どうやら二人組がレースゲームに興じているようである。


 一人は小学校低学年くらいであろう小さな少年。

 そしてもう一人は――


「(――げえっ!?)」


 年頃の少女がしてはいけない顔で驚愕する美琴。

 なぜなら彼女が見た者は、全身真っ黒な服装に、その頂で天を衝く金色のウルフヘアー。


「なんでテメーそんなアイテム運が良いんだよ!」


 横を向いた顔から覗く瞳が放つ色は日本人離れした青色で。

 吠え立てる口から見える犬歯は獣のよう。


「あ、あの人……!」


 ウォルフ・エイブラム。

 以前過ごしたキャンプ地において大和と曹玲を侮蔑し、嘲弄した張本人。

 当時彼が見せた威圧感や強い口調を思い出し、美琴は記憶から恐怖を呼び起こされる。


 言葉の荒々しさは先日と全く変わらない。画面内で雷に打たれて小さくされた車がチビっこく動いているのが死ぬほどマヌケであるが。……あ、後続車に踏まれた。そして負けた。すっごい悔しがってる。

 ぶるぶると震える手をどうにか抑え、ウォルフは再度少年を見やる。


「おいガキッ! もっかいだもっかい!」

「何度やっても同じだよ兄ちゃん」

「うるっせえ! 次は俺が勝っちゃるわいッ!」


 がるるると唸り、ブロンドを怒髪させたウォルフがコントローラーを強く握り締めた。


「…………、」


 一方で、それを眺めていた美琴は呆気に取られていた。


 言葉の粗暴さは変わらないものの、あまりにもウォルフの放つ雰囲気が先日とは掛け離れていたからだ。まるでゲーセンに通う帰宅部だ。

 とはいえ、見つからないに越したことはない。美琴は気配を消してそろりそろりとその場から離脱を図っていた。が――


「……あん?」

「あ……」


 見つかった。目が合った。鼻をヒクつかせてこちらに顔を向けたウォルフの視界に捉えられてしまう。そのまま見つめ合うこと数秒間……。


「お坊ちゃん、悪いが俺ァちっと用事ができちまったんでな、他のお友達とやってな」

「いち、に、さん」


 回れ右っ!

 不穏な台詞はキレのあるターンによって跳ね飛ばして忘却する。

 振り返ったそのままにさっさと歩き出した。


「おいおい待てよお姉ちゃん」

「ひぅ……っ!?」


 しかし回り込まれてしまった。

 いったいどういう運動能力してるのやら。


「逃げんなよ、知らねー仲じゃねえだろう?」

「いやあ、ハハハ……」


 馴れ馴れしくそう告げてくるウォルフに、乾いた笑いを返すことしかできない。

 するとウォルフは近くのベンチを顎でしゃくった。


「まあ座りなよ。ちっと話そうや」

「や、あたし連れがいるもので――」


 美琴が言い終わる前に、ウォルフは突然自動販売機の方へと向かっていく。それを訝しげに見つめる美琴を尻目に、彼は無言で右足を振り抜いていた。

 バガン! という轟音。勢いよく飛び散らばる缶飲料。自販機荒らしがそこにいた。


「……!?」


 口をあんぐり開けて固まる美琴に、悪気の欠片も見せないウォルフが悠々と歩み寄る。


「ほれ、コーヒーでも飲めよ。奢りだ」

「…………」


 金払ってないやんけと、心中でぼやく美琴。

 まったくいきなり何なのよと、我知らず美琴は缶コーヒーを受け取っていた。


「……はっ!?」


 しまった!? これでは犯罪の片棒を担いだようではないか!?

 周囲から突き刺さる恐れや奇異の視線が痛すぎる……。

 おまけにこれでは断るに断り辛くなってしまった。


 ベンチにどっかりと座り込むウォルフに続いた美琴は、早く来てくれ大和と嘆いていた。


「……失礼します」


 ビミョーに距離を保ったまま、憮然とした面持ちで美琴がベンチに腰掛ける。


「あんだよ、つれねえ態度だな。まあ飲めよ」

「……いただきます」


 パキュッとコーヒーのプルタブを開ける美琴。

 しかし、よくよく見ればこれはブラックである。おまけに五月だというのに熱々のホット。嫌がらせとしか思えない。

 小さくハアとため息をついてから、美琴が缶を傾けようとしたところで、


「一気飲みしろや」

「ふぁあっ!?」


 とんでもないことをウォルフは言い出した。

 これを見越してのブラックホット。完全無欠のイジメが始まろうとしていた。


 ……いや、これは対応次第で大きく変わる。つまりかるーく飲み干してしまえばウォルフの望み通りとはならないのだ。何しろ、美琴はべつにブラックが飲めないわけではない。


「ふふーん」


 ほくそ笑む美琴。予想を外して驚愕するウォルフの顔が見物みものと言うものじゃないか。

 勝ち誇った顔で美琴は缶コーヒーを一気に呷り、


「――あづぅァ!?」


 そして噴き出していた。調子こいて熱々なのを失念するマヌケっぷりである。


「ハハッハハハハッ! ヒーハハハハハハハハハハハッ! 『あづぅァ!?』だーってよ! おもっしれえリアクションする姉ちゃんだ!」

「んぎぎ……!」


 足をバタつかせて馬鹿笑いをぶっ放すウォルフに対し、美琴が歯噛みし睥睨する。

 あたしをレジェンド芸人かなんかと一緒にしちゃいないかと。


「クッハハハハ! んな睨んできたって怖かねえよ、鼻からコーヒーなんざ出しちゃってよ」

(コーヒーはあんたのせいでしょーがッ!?)


 内心でツッコみつつ、憮然としたままハンカチで顔を拭う美琴であった。


「おいおい悪かったって、そうむくれるなよ」 

「べつに良いですよ。子供に負けて喚いてたあなたを見れたし、おあいこです」

「チッ……」


 痛いところを突かれたウォルフが舌打ちと共に大人しくなる。


「……で? なんでまたこんな所にいるんだよ? 女神サマ」

「いやべつに日用品とかを買い込んだだけですよ。むしろあなたがここにいることの方が不思議なんですが……」

「俺か? 小遣い貰ったからブラブラしてたんだよ。少しはマシな飯でもあるかと思ったが、どいつもこいつも匂いからして俺にゃキツ過ぎる。しゃーねーから暇を潰してたんだ」

「はあ……」


 それで子供とゲーム三昧というわけか。

 なんというか……こないだの危険なイメージが崩れていく。いやまあさっき自販機壊したけども。


「意外かい?」

「……え?」


 我知らず聞き返す格好になった美琴に、ウォルフは周囲を眺め見て言った。


「人間の食いもんだけは合わねえが、この繁栄っぷりは相当のもんだ。俺は犬猫は嫌いだが、人間はそんなでもねえ。むしろ好きな方かもな。おかげで色んな遊びに巡り合えたし、退屈しねえで済む」

「賭けやゲームが好きなんですか?」

「ああ好きだね。様々なルールの縛りの下でやる勝負ってのは良い感じにひりついて堪らねえ。ルール無用のボコし合いじゃ俺が勝つに決まってるしな」


 その言葉に驕りは見られない。純然たる事実として彼は世を闊歩するのだ。

 それに対する否定の言を、残念ながら美琴は持ち得ない。放たれる危険な空気は幾分抑えられているとはいえ、シェイクとはやはり比較にすらならないからだ。


「ところで、大事そうに持ってるその包みは何だ?」

「はい?」


 ウォルフが目で示してくるのは、先ほど大和から貰ったもので――


「あ、だ、ダメです! これだけは絶対ダメ!」

「何だよ気になるじゃねえの、見してみなよ」

「ダメーッ! 絶対嫌っ!」

「はぁん?」


 胸に抱いて護るように縮こまる美琴を訝しむウォルフ。

 眉根のピクつきは小さな苛立ちの表れか、その感情のまま彼が手を美琴に伸ばしたところで、「コラアッ!」と怒声が割り込んでいた。

 それにより動きを止めたウォルフと、顔を上げた美琴が声の方向を見やる。


「や……大和!」


 美琴に呼ばれた八城大和は、眼を眇めてウォルフを射抜いていた。


「てめえ……相っ変わらず人の連れにちょっかい掛けやがって……! 覚悟はできてんだろうなオイ!」

「あーん? いきなり出てきて調子くれてんなよボケが。誰に向かって大層な口聞いてっか分かってんのかボケ。死ぬか?」


 対するウォルフも立ち上がり、両手をポケットに突っ込んで大和を威圧し始める。

 冷え固まる空気とは対照的に充満する怒気に殺気。

 ざわつく一般客を尻目に、大和とウォルフは気色ばんで対峙するのであった。

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