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お風呂上がりのひととき

「ありゃ、降り出しちゃったね」

「どっかで傘買ってくか」


 ポツポツと小雨が地面を濡らし始め、店から出た美琴と大和がやれやれと空を仰ぐ。


「…………」


 と、いつの間にやら後ろにいたチェルシーが、無表情で辺りを見やると、


「すいません、わたしちょっと回り道したい気分なので、お二人は先に帰っててください」

「え? あ、ちょっと、濡れちゃうよ!?」


 美琴の制止も聞かず、チェルシーはすたすたと歩き去ってしまった。


「なんだあいつ? ホント自由な奴だな」

「風邪引かなきゃいいけど……」


 チェルシーが去った方を見据えつつ言葉を交わす二人。

 一体どうしたのかな、と訝る美琴に大和が言った。


「フツーに食いすぎでフラついたんだろ。麺二杯に餃子と回鍋肉だぞ、チビのくせに調子ぶっこいてバカ食いするからだ」

「確かにあのちっちゃな身体によくあれだけ入ったよね……」

「あら、あなた達も十分良い食べっぷりだったわよ」


 苦笑する美琴らに、一番の暴食を見せたのがやってきた。

 マッカム・ハルディートは筋肉を披露しながら腰を振り、二人の横に並ぶ。


「さっきの……チェルシーのあんなに楽しそうな顔は初めて見たわ。できればこれからも仲良くしてあげてちょうだい」

「もちろん。あたしたち友達ですから」

「……ありがと。あの子、すぐふらふらしちゃうから気を付けて」

「気ままですよね。なんだか猫みたい」

「言えてるわね」


 小さく微笑んだマッカムが、手に持った袋を美琴に渡した。


「そのみかん食べて。あたしはもう頂いたから」

「あ、どうもすいません。あの、今日はありがとうございました、色々ご迷惑おかけしてしまって……」

「良いのよ、アタシも楽しかったから」


 言って、立ち去ろうとするマッカムを、「ちょっと待ってくれ」と大和が割り込む。


「あんたらの参謀はどうした? いま何をしてる?」

「ロゼのことかしら? 生憎、アタシにも分からないわ」


 マッカムの返答を受け、大和が一層両目を絞る。


「今朝の新聞に載ってたんだ。近所の診療所の患者、看護師、そして医者の集団失踪事件。未だ解決の糸口を見せずってな。あそこはロゼネリアの診療所だったよな? ……奴が殺したのか?」


 目を眇めた大和の問いに、しかしマッカムは「さあね」と明言を避ける。


「正直なところ、アタシもロゼが何を考えているか分からないわ。でも立場上逆らえないし、それに彼女を慕うたちもいるのよ」

「……」


 困ったような笑みであった。

 自分がどう動けば良いのか、仲間に対して異を唱えて良いものか。

 信頼と疑念が綯い交ぜになって身動きが取れないような、そんな笑み。


 だから、八城大和はそれ以上何も言えなかった。

 歩み去るマッカムの背中を見届けながら、大和は確信めいた予感を持つ。

 きっと、次に彼と会ったときは、互いの正義と命を懸けてぶつかることになるのだろうと。

 降りしきる雨の中、マッカムの姿が見えなくなるまで大和は彼を見送っていた。


「大和、ほら傘買いに行こ?」

「……ああ」


 促され、大和は美琴と共に側の店で傘を買う。

 さっそく広げ、帰路に付こうとしているとき、


「ん?」


 隣接しているファンシーショップの店内で、大和の目に留まったものがあった。


(猫っぽい……ねえ)


 心の中で苦笑して、大和はそれを手に取りレジへと持っていく。






 神社へと帰り着くと、そこで雨宿りをしている少女を発見した。


「なんだお前、先に帰ってたのかよ」

「……んー?」


 チェルシーがゆっくりと顔を向ける。

 気の抜けたような目はまるで、人形か何かのよう。

 見やればそれほど濡れてはいないようだが、それでも放っておいたら良くないだろう。

 そう判断した美琴がさっそく声を掛けた。


「ね、お風呂入ってきなよ。てゆーかあたしも入りたいし、一緒に入らない?」

「一緒に……ですか?」

「うん! たまには良いじゃん」

「……そですね」

(睦まじいもんで)


 鍵を開ける大和の耳に届くのは、入浴においてあれやこれやとはしゃぐ美琴と、それに付き合うチェルシーの掛け合い。

 話題が話題なだけに若干の居心地の悪さを覚える大和だが、まあ楽しくやってくれと扉を開く。


「あれ? 八城さんって静電気体質はどうなったんですか?」

「んなもんはもう克服した」

「えー? つまんないなー」

「はん! もう易々とてめーのオモチャになってたまるかよ」

「じゃあせっかくだから神崎さんをいじり倒して遊ぼうかな」

「……あ?」


 ぼそりと呟かれたチェルシーの不穏な言葉。

 その矛先は楽しそうに着替えやタオルを用意する美琴に対して向けられていた。ついでに両手もワキワキと動いていた。


「……さて、俺はひと眠りするかな」


 見なかったことにする。

 居間に入って寝転がる大和の耳に、


『ちょ、待っ……!? ほえああぁぁあああぁああ――――ッッ!?』


 という少女の悲鳴が届いていた。






「あー、面白かった」


 満足気に髪を拭きつつチェルシーが廊下をぺたぺた歩く。

 その横で「もうお嫁に行けねえ……」と沈みきった美琴が胸元を押さえつつ、ぶつぶつ怨嗟の声を上げていた。


「八城さんに貰ってもらえばいいじゃないですか」

「な、なんで大和なのさ!?」

「さあ? 自分の小さな胸に聞いてみたらいかがでしょ」

「ねえあたしそろそろ泣くよ?」


 抗議の声もどこ吹く風と、呑気なチェルシーは居間のふすまを開け放った。


「ありゃ、寝てますな」

「んー? あ、ほんとだ」


 女子二人が中を覗き込む。

 そこには大の字で寝息を立てている大和がいて、彼の右腕にはチェルシーが拾ってきた黒猫のヤマトが頭を預けて眠っていた。


「ぷっ。こいつめ、すっかり仲良くなってるじゃん」


 微笑を浮かべた美琴が大和たちに毛布をそっとかけてやる。


「ですね。わたしとしても嬉しい限り」


 穏やかな笑みをうかべつつ、チェルシーはその毛布を二つ折りに修正する。


「……わたしにはロゼがいるけど、この子は母親がいなかったんで、つい拾っちゃいました」

「子猫も幸せだと思うよ。ちなみに、ロゼネリアさんとは……?」

「わたしにとっては大切な母親代わりです。誰が何と言っても」

「……そう」


 相槌し、けれど美琴は踏み込まない。

 その代わりに、しっとり濡れたオレンジ髪をいじりつつ彼女は言う。


「あたしらもチェルちゃんの友達だかんね」

「……ども、です」


 か細いチェルシーの声。

 もごつく口とは反対に、器用な手つきで二つ折りにした羽毛布団を慎重に大和に被せていく。


「太陽は、絶対わたしが手にします」

「お天道様に顔向けできる心があれば、きっと大丈夫だと思うよー」

「……、」


 それは美琴にしては引っかかりのある言い方であった。

 どういう意味だろうと、チェルシーが再度べつの分厚い布団を大和にかけたところで、


「暑いわ!」


 跳ね起きた。

 こんもりとしていた布団の山が弾け飛び、黒猫が驚き慌てて逃げ惑う。


「おーよしよし可哀想に」


 そんな子猫を呼び寄せるチェルシー。

 黒猫のヤマトは彼女の手を、肩を飛び渡り、最終的に頭の上へと落ち着いた。


「ひどい主人ですねーヤマト」


 その頭で黒猫の体温を感じつつ、チェルシーは心地よさそうに目を細める。


「このアマ……」

「まーまー、いいじゃん」


 口角をピクつかせている大和を宥める美琴。

 だが、大和がそんな彼女をふと見ると違和感を覚えた。

 視線の先はラフなTシャツの胸元だ。何やらそこに妙な……。


(…………)


 ゴクッ。生唾を飲み込む音が室内に響き渡る。


「ん?」


 その様子に首を傾げた美琴が何気なく自分の胸元を見やる。固まる。

 まるで体温計のように首の方から赤い面が浸食していき、やがて顔全体を真っ赤に染めた彼女は羞恥からボンと弾けた。


「ギャ――――ッ!」


 うわーん! 半泣きになりながら美琴がドタドタと部屋から逃走する。

 油断した、ついうっかり油断した……。なんでまだ元に戻らんのよぉ……。


 目尻に涙を溜めながら悔しそうに戻ってくる彼女。ずり落ちたシャツを直す際に肩が覗いたが、どうやら寝るとき用のリラックスタイプの下着をつけてきたようだ。


「へえ、神崎さんって寝る時もブラ付けるんですね」

「いやまあ一応持ってきただけっすよ。てゆーか今付けたのは全部チェルちゃんのせいですよ」


 ハハハ……、全てを諦めたが如く乾いた笑いが美琴からだだ漏れる。


「なんでお前そんな――」

「言うなあ!? それ以上ッ!!」

「わ、分かったよ」


 すっごい剣幕だった。そうとうチェルシーにイジメられたらしい。

 犬歯を剥いてがうがう唸る美琴を眺め、大和は余計な思考を断ち切っていた。


「……」


 とはいえ、湯上りの女子が二人も同じ部屋にいるわけだ。

 濡れた髪に、ほんのり蒸気した顔。ラフな格好から覗く手足が色っぽい。


 本来であれば、大和とて年頃の少年であるために、この状況は垂涎ものなのだろう。が、当の彼女らがあまりにもいつも通りなので、彼も変な意識をせずにいた。

 というよりも意識のしようが無かった。


「……オイ」

「なんでしょ?」


 座布団に座り、黒猫を構っているチェルシーに大和がジト目を向けた。

 ぺたぁっと。チェルシーが大和の膝辺りに自らの足を押し付けてきていたのだ。わざわざ彼のジーンズを足の指で器用に捲ってから。

 風呂上がりの熱気が籠ったそのちょっかいは暑苦しく、完全に嫌がらせのレベルである。


「足どけて」

「嫌です」

「……」


 スッと、大和が身じろぎチェルシーから少し距離を取る。

 ぺたぁっと、すぐさま寄ってくるチェルシーが彼の膝に足裏を貼り付けた。


「……暑っ苦しいんだが、何のつもりだ?」

「知りたい?」


 こくこくと頷く大和を見て、チェルシーが一拍置いてから言い放った。


「いじわる」

「帰れ」


 心の底からそう思った。


「あーもーホント泣かしてーわコイツ」

「え、誰をです?」

「てめーだよッ!?」


 きょとんと首を傾げるチェルシーに、んズビシィッ! と青筋おっ立てた大和が指をさす。刹那、サッとその指さしを躱すチェルシー。


「…………、」


 無言で立ち上がる大和。全くこやつめと笑みを見せ――


「フンフンフンフン!!」


 顔を真っ赤にさせていた。怒涛の連続でチェルシーを指さしてやろうと試みる。

 しかし、ササササッ! と人外の身体能力を持つ彼女には、その指先の直線上からことごとく回避されてしまう。アクロバティックに身を捻り、旋転し、壁を、天井を、チェルシーは超速で飛び渡る。埃が立つ。


「ねえちょっと掃除が大変になるからッ!?」


 結局美琴の割り込みにより、勝負はおあずけというかチェルシーの勝ち逃げとなりました。


「……ったくてめーは、せっかく人がおみやげ買ってきてやったってのによ」

「え? おみやげ?」


 ピクンと反応するチェルシーに、「おらよ」とぞんざいに包みを押しつける大和。

 受け取った彼女がごそりと中から取り出したのは、


「わっ……」


 ブローチだった。ぎょろんとした目が特徴的な、なんとも小憎らしい黒猫の顔のブローチ。


「黒猫好きのてめーにゃ似合いだよ、感謝しろやコラ」


 横柄に、皮肉を混ぜて伝えるが、


「はいっ、ありがとうございます!」

「……あれ?」


 チェルシーは屈託の無い笑顔を見せていた。

 大事そうにブローチを両手で包み、「にへへー……」と笑みを零している。

 にこにこ顔の彼女を見て、どうにも調子が狂う大和はただ頬を掻いていた。

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