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沈みゆく陽

 八城大和は一目見て理解した。この女性は超常の力を持った、言わばこちら側の人間であると。多分、自分たちよりも遥か先にその身を置いているだろうとも。

 白金の髪をふわりと靡かせ、そのロゼネリア・ヴィルジェーンが問いかけてきた。


「えーと、あなたが神崎さんですね?」

「は、はい……」


 彼女の慈しむような声と微笑みに、美琴は感嘆して呆けていた。同性として対抗心を燃やす考えも浮かばないほどに、ロゼネリアの美しさは際立っていたのだ。

 ぽーっとしているがゆえ、いつまで経っても大和から降りようとしなかった美琴に、ロゼネリアが意地悪く語りかける。


「ふふ、彼氏さんと離れたくないのは分かりますが、治療をしたいので。ね?」

「ええっ!? あいやコレとはそんなんじゃないですないですハイッ!」

「コレとは何やねん」


 あたふたあたふた。

 ボッと顔を赤らめた美琴が、ベシベシと大和の頭を叩きながら慌てふためく。

 対する大和は、これ以上ド突かれてもたまらんので、美琴をポイッと椅子に放り捨てた。「あいて!?」という声が跳ね返る。


「あにすんのよ!?」

「良いからさっさと診てもらえ。お願いします」


 美琴を軽く制止し、大和は白衣の女医に頭を下げる。それを見た美琴も慌ててロゼネリアにお願いしますと向き直った。


「はい、お願いします。なるほど、患部にいけないものが入り込んでしまったのね。……あなた達もこれは見える?」

「はい、まあ……」

「俺もこいつも神道に触れてるからか知らないんすけど、まあ色々見えたり」

「お化けとか?」

「……まあ、似たようなのは見たことがあります」


 ここで大和が言っているのは付喪神つくもがみと呼ばれる、悠久の時を過ごした物や動物に魂が宿る存在のことである。もっとも彼が見たものは、おぼろげな思念を発する程度の古い道具くらいなものであるが。


 しかし実を言うと、彼は幼い頃に喋る猫や歩く傘などより物凄い神を見たことがある。

 名は迦具土かぐつち。灼熱の炎を纏って吐き出す、焔の化身。

 そして、日本神話に登場するその神に対し、自らを幣帛エサにしてなんと共存し、極大な炎の恩恵を受けていた者がいた。


 それは先代神主で大和の父でもある、八城信幸やしろのぶゆきであった。

 偉大な父だった。優しく勇敢で、瘴気や妖魔を迦具土と共に消し払っていたという。

 信幸の妻、つまりは大和の母である祥子しょうこもそんな彼を真摯に支え、大和自身も両親を尊敬していた。

 だが――


『きゃっははははははっ! しねしねしねーッ!』


 思い出すのは、当時小学生にも満たない小さな少女の嗤い声。

 いや、あれは……天使であり悪魔であった。

 幼い外見とは裏腹に、発する邪気は凡百の妖魔などとは桁違いであって。

 信幸も、そして祥子も命を落とすことに――


「うっ…………!」


 忘れたくともそうできない、忌々しい過去をフラッシュバックさせた大和が、我知らず口元を押さえていた。


「大和……」

「八城さん?」

「……何か、嫌なことでも?」

「……いや、なんでもないっす」


 心配した一同が大和に声を掛けていくが、大したことじゃないとごまかした。

 それよりも美琴の治療が最優先である。大和は視線でそうロゼネリアに促した。


「そうですね。では神崎さん、失礼しますね」

「は、はい。お願いします」

「体内に侵入した瘴気を放っておけば少々厄介なことになるでしょうし」


 瘴気という単語を知っているロゼネリア。べつに疑っていたわけではないが、どうやら彼女もはっきりとそれを視認できるようだ。


「……ん?」


 内心で感心していると、チェルシーがこちらに向かって真面目な顔でどやピースしていた。うざいので手でシッシと追い払うサインを送る。


「それでは治療を始めます。まだまだ初期症状なので、私の神気しんきを送り込むだけで十分に対応可能です」

「……え、神気?」


 ロゼネリアの言葉を聞いた美琴がポカンと聞き返す。


「あら、聞いたことないかしら。神力しんりょくとか神通力、霊力と言ってもいいけれど」


 対する彼女は真剣な顔つきのまま右手を掲げ、そこに今しがた言ったであろう神気を集中する。すると貫手状にした掌が、ぼやぁっと光り始めていく。


「……っ」

「うそ……」


 その現象に大和と美琴が瞠目する。手品でもなんでもない、超能力かあるいは魔術とでも例えたら良いのか、常人が目にすれば慌てふためきそうなその光景に。

 大和や美琴も神職に携わっているがゆえ、不可思議な光景には慣れているし、道具や舞などから特異な現象を起こすことだって可能だ。

 けれど、人間が何も使わずにここまで明らかな異能を発現するのは、少なくとも大和は父親と件の天使以外に見たことが無い。


 そうした大和の思惑をよそに、ロゼネリアは治療を進めていく。美琴の患部に光らせた右手をあてがい、その気を傷口の表面、そして内部に送り込んでいった。

 すると見る見るうちに、青ざめていた美琴の膝とその周囲が元通りに回復していく。さらに血行が良くなったのか、顔色も前以上につやつやとしている。


「わっ、わっ、すごい! 治ってる!」

「……すげえ」


 椅子から立ち上がり、足を振ったりジャンプしたりとはしゃぐ美琴。その様子を眺めて大和は素直に感嘆した。横目で見れば、チェルシーが大真面目にギャルピースをしていた。うざすぎる。


「急に動きすぎないようにしてくださいね。それに一応ここ、診察室ですし」

「あぅ、すいません……」


 やんわりと注意を受け、委縮するように美琴は従った。


「どーもです。ロゼ」

「ふふ、どういたしまして、チェルシー。あなたは痛むところは無い?」

「すこぶる順調です」

「そう、良かった」


 ただの医者と患者、というよりはもう少し親しい関係にあるのだろう。チェルシーとロゼネリアの会話を聞いていた大和は、二人に流れる空気からそんなものを感じ取った。

 そして、そのロゼネリアが今度は美琴に向き直り、改めて注意を促す。


「まだ完璧に治ったわけではないから、できるだけ瘴気から距離を置くようにしてくださいね? 特に、墟街地きょがいちには絶対に近付いてはいけません」

「はい、分かりました」


 言われ、元気良く返事をする美琴。

 一方の大和はその『墟街地』という単語に対して思いを馳せていた。先ほど思い出してしまった悪魔の如き少女の嗤い。そして父親が死んだ場所でもあるその墟街地を――


「あなたもですよ、八城さん」

「――っ」


 大和の心を見透かしたのか、幾分鋭い声音でロゼネリアが警告する。


「この不安定な情勢の中、日本は世界から見ても穏やかで平和でもありますが、墟街地だけは別です。瘴気の濃度が高く、耐性の無い人間はあっという間に死に至るか、運が良くても精神を破壊されます。それは人よりも毒に対して抵抗があり、神力を持つあなたや神崎さんであっても例外ではありません」

「…………」


 言い返すことができない。

 口を噤む大和に、今度は優しげな口調をさせてロゼネリアが続ける。


「あなたはまだ若いのですから、急ぐことはないでしょう。先の未来、瘴気の原因が解明されたり、あるいは枯れきってしまうかもしれない。気になることがあるにしても、それからでも遅くはないでしょう。人生は長いのですから」

「……そうですね。ありがとうございます」


 慈愛に満ちて、心から心配してくれるロゼネリアの言葉に、大和は反抗することなく頭を下げていた。

 それを複雑そうな目で見つめる美琴と、そしてチェルシーであった。


 大和たち一行が診療所から外に出ると、他に患者もいないからとロゼネリアも見送りにやってきた。そして彼女は空を見上げてから注意を促す。


「先ほどは墟街地のことを言いましたけど、この時間帯からは怪異が発生しやすくなります。私自身、少々癖の強い動物の妖魔くらいしか目にしたことはありませんが、海外では悪魔や狼男の伝説もありますし、何より人間の気性が荒っぽくなりますので。特に、月の出る夜は気をつけて」

「ああ、それは大丈夫です」

「夜の月っておっかないからねー」

「いつからでしょうね、月の色が銀色になったのは」


 ロゼネリアの忠告に大和、美琴、チェルシーの三人がそれぞれ反応する。

 夕方、そして夜はなるべく出歩かない。

 ロゼネリアの言いたいことを察知した大和が心配なさらずと返答し、美琴も続けた。


「寄り道しないで帰りますから」

「そう、なら平気ですね」


 二人のそうした言質げんちを取って、ホッとしたように胸を撫で下ろすロゼネリア。

 今日会ったばかりの患者みことその知人(やまと)に対し、ここまでの態度を取れるのは彼女の人柄というものだろう。


 正直なところ、現在の日本国内で外国人に対する評判というものは、あまり芳しいものではない。紛争や内戦を繰り返し起こしているがゆえ、野蛮なイメージが付いて回るのだ。

 チェルシーでさえ、転校初日の時点では周囲のクラスメイトは腫れ物に触るような扱いであった。とはいえ、本人の気さくさと、美琴を筆頭に関わった者がいたおかげで、今ではすっかり馴染んでいるが。


 ロゼネリアについても同じなのだろう。慕われる人間の周囲には人が集まる。人種など関係ないのだ。あとまあ、綺麗だし。半端なく。

 そうした感情を持って、大和がぼーっと彼女を見ていたら、美琴がしこぴーんとデコピンを放ってきた。


「……あんだよ?」

「ぶえぇっつにぃ? 鼻の下伸びてたから直してやったのよ」


 こめかみを押さえながら抗議する大和だが、美琴は口を尖らせながらそっぽを向いた。

 嘆息しつつ、しかし背後で強烈な殺気を感じた大和はグルンと振り返り、


「……お前はそんなとこで何をしてる?」

「いやケツの下が伸びてたもんで、直してあげようかと」

「要らねえよ! つーかケツの下ってどこだよ!?」

「ケツケツうっさいわね……」


 大和の後ろでしゃがみ込み、カンチョーの姿勢を取っていたチェルシー。しかも指が二本じゃなく四本だ。容赦なんか欠片も無い。

 ぎゃあぎゃあやり合っていると、くすりとロゼネリアが「仲が良いですね」と茶々を入れ、そして顔を引き締めてから続けた。


「けれど、もう陽が傾いてきました。早めに帰った方が良いかと思われます」

「……そっすね。こいつのこと、ありがとうございました」


 目で美琴を示し、大和はロゼネリアに感謝の意を伝える。その美琴もぺこりと「ありがとうございました!」と言って頭を下げた。


「ええ、お大事に。何かあったらまた来てくださいね」

「はーい!」


 元気よく返事をする美琴に微笑みつつ、そこでふとロゼネリアがチェルシーに声を掛けた。


「そうそうチェルシー、ちょっとだけ話したいことがあるのだけど、良いかしら?」

「んー、べつに構いませんが」


 ロゼネリアの問いに、あご先に手をやって思案したチェルシーはそう返答した。


「えっと……でも遅い時間だし、チェルちゃん一人にするわけには……」

「それは大丈夫。私が車で送りますから」


 難色を示した美琴に、そう笑顔で告げるロゼネリア。

 思わず大和がチェルシーに、


「ずいぶん親しいんだな」

「この前、焼き肉おごってもらいました」

「へえ……」


 勝手なイメージだがなんとなく、いかにも淑女というロゼネリアが焼き肉を食べるところを想像できない。


「お肉の後に白米バクバク食べて、くう~、これですよ! って」

「はーん……」


 ますますイメージできない。

 と、そこでチェルシーの襟首が掴まれ、ずりずりと引きずられていった。


「チェルシー? あまり余計なことは言わないようにしてくださいね」


 そのまま猫のようにチェルシーを持ち上げたのはロゼネリア。すごい力と笑顔だった。怖い。

 さすがのチェルシーもコクコクと大人しく首肯している。


「えーっと……、じゃあチェルちゃんはロゼネリアさんに任せようか?」

「そうしよう」


 はっきり言って今のロゼネリアが恐ろしいので、生贄を捧げて退散することにする。

 ぷらーんと宙吊りのまま、ぱたぱたとこちらに向かって手を振ってくるチェルシーに騙されてはいけない。あれはせめて大和も道連れにしようとする悪魔の行いであるのだから。

 最後にあいさつを交わし、大和と美琴はロゼネリアの診療所から帰路へと歩んでいくのであった。


 そして――


 取り残されていたチェルシーが、やれやれと息をはく。


「もう二人とも帰りましたよ。そろそろ降ろしてほしいのですが」

「そうね、ごめんなさい」


 言って、ロゼネリアがチェルシーを解放する。


「あーあ、ブレザーに皺が付いちゃったじゃないですか」

「いいじゃない。もう着ることもないのですから」

「……」

「学校生活は楽しかったですか?」

「……さあ、べつに」


 襟元を正しつつ、素っ気なくチェルシーが言い放つ。


「ふふ、ずいぶんと仲が良かったじゃないですか。てっきり情が移ったのかと思いましたが、ちゃんと神崎さんを連れてきてくれましたね。どのような方法で?」

「違うよ!」


 それは突然だった。

 張り裂けるような、縋るような絶叫。


「だってあれは……本当に、偶然で……!」


 一転して消え入りそうな悲痛を上げるチェルシーに、ロゼネリアは慈しむように彼女の頭を撫でて落ち着かせる。


「心配しないで下さい。あなただけに手を汚させるつもりはありません。太陽を手中に収め、世界の均衡を元通りにするために、私も、そして他の『天使』も、協力を惜しまないつもりです」

「はい……」

「ともあれ、あなたが完全に太陽の『セフィラ』から認められるためには、他の太陽神を屈服させる必要があるのです。ね、チェルシー」

「分かって……ます。ロゼへの恩義は……忘れて、いませんから」

「ふふ、ありがとう」


 慈愛の情を受けながら、やがてチェルシーは双眸そうぼうに弱々しくも確かな意志を込めながら顔を上げた。


 ――彼女は天使。太陽の加護を受けた邪悪な天女。


 生命樹せいめいじゅの天使群が一人、第六ティファレトのチェルシー・クレメンティーナ。


「あら、蝶々」


 そんなチェルシーの決意を見据えながら、ロゼネリアはその黒アゲハをそっと手のひらに止まらせる。

 ロゼネリアの手の上で、黒アゲハはそのはたはたと動かしていた羽を閉じた。


「やれ、羽というものは美しいですね。自由自在に天を飛び、舞うことができるのですから。……羨ましくもあります」

「……ロゼ?」

「いえ、何でもありません」


 そうして彼女は蝶々にフッと息を吹きかけ、再びそれを空へと解き放った。

 しばらくの間、ロゼネリアは動かずにいたが、やがてその右手を自らの目元に持っていって、


「ふふっ……、くふふふふふっ。ああごめんなさいはしたなくて。でも、もうすぐ悲願が達成されるかと思うと笑わずにはいられなくて。ねえそうでしょうチェルシー」

「…………」


 淑女は裏返り、口角を吊り上げて本性を曝け出す。

 四番目のセフィラに魅入られた天使としての本性を。


 彼女は第四ケセド――ロゼネリア・ヴィルジェーン。


 顔を覆う手が外れ、ロゼネリアの愉悦に満ちた双眸が光り出す。

 チェルシーはその光景をただただ無言で眺めていた。


「くふ、くふふふふふふふふっ! ああ楽しみ、楽しみですねぇ。ふふふふふっ!」


 嗤笑が辺りを塗り潰す。

 一面の景色は黄昏色に染まりきり、時刻はまさに逢魔が時。

 あらゆる怪異が大口を開けて動き出す……。

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