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大食いチャレンジ

 雲間から顔を覗かせる太陽。いつもより日陰の多いそんな日の朝のこと。


「そんな――バカな――!?」


 折込のチラシを眺めてワナワナと震えているのはチェルシーだった。「八城さん八城さん!」と、チラシを指さしながら大和を促す。


「あんだよ新聞読んでんだよこっちゃ」

「そんな朝からエッチな記事ばっか読んじゃってー」

「スポーツ新聞じゃねーんだよ……」


 うんざりしながら大和が顔を覗かせる。

 何の用だと彼が言えば、チェルシーがこれこれと再度アピール。


「……大食いチャレンジだあ?」


 チラシを受け取った大和が訝しげにそうぼやく。

 近場の中華料理店が超テラ盛りチャーシューメンを一時間で完食すればタダ、しかも連れ合いが食べた分まで無料にしてしまうというサービスを行っていた。


「というわけなので、さあ八城さん!」

「何がというわけなのか知らんが、やるわけねーだろ」

「わたし麻婆マーボーメン食べますが神崎さんは?」

「んー、天津麺てんしんめんにしよかな」

「なんですそれ?」

「天津飯の具が乗ったラーメン。甘辛くておいしいよ」

「ほーほー、そんなのあるんですかー」

「てめーらホント良い性格してるよ」


 シカトこかれた大和が吐き捨てる。もはや諦観の塊だった。


「まーそんなに嫌だというならば仕方ありません。助っ人を頼むことにします」

「誰だ助っ人って?」


 ぽかんと首を傾げる大和を尻目に、立ち上がったチェルシーは「まあまあ」と彼らを促した。







 で――

 チェルシーに連れられて商店街を歩む大和と美琴。

 きょろきょろとチェルシーが辺りを見やるが、そこで大和が「おい」と声を掛ける。


「何だお前、まさか連絡とってねーのかよ? つーか誰なんだよ」

「……んー、こういうとこにいると思うんですが」


 なおも周囲に目を配るチェルシーに、ダメだこりゃと諦めのポーズを取る大和。

 けえんべ美琴と、促したそのときであった。


「あ、いた」

「あん?」


 チェルシーが指差す方向に、つられて大和も顔を向ける。すると、


「いやぁ、すまないねぇ。こんなに重たいの運ばせちゃって」

「気にしないで良いのよお婆ちゃん。もっと人に甘えなさい。そうでなくても、腰は大事にしなさいよ、このアタシのように。フゥーッ!」


 カックンカックンカックンッ!!


「…………」


 なんかいた。絶句を禁じ得ない。

 ボウズ頭にサングラスの大男。裸の上半身には直にサスペンダーを巻き付け、黒のレザーパンツが前後にカクカク振られている。紛うことなき変態だった。

 辺りの人々は完全にドン引きしている。大和と美琴も例に漏れずだが、しかしチェルシーは、


「ほらほら見てください! 速すぎて残像が! 残像が!」

「いちいち指摘せんでも――いやお前撮影はしてやるなよ……」


 スマホを構えたチェルシーに心底戦慄する。まさか今まで隠し撮りなんてされてない……よな……?

 慄きながら思案するも、とりあえず今は置いておく。

 改めて向こうを見やれば、お婆さんのところへ路線バスが停車したところであった。


「じゃ、これ荷物ね。バスの中に忘れちゃダメよ?」

「ありがとうよ。これ食べとくれ」

「いいわよそんなの。お礼のためにしたわけじゃないもの」

「いーからいーから、ほんの気持ちだよ」

「……そーお? じゃあ頂くわ」


 みかんを受け取ったオカマ――マッカムを見届け、満足げにお婆さんはバスへと乗り込んでいく。


「ちゃんと降りたら右側通行するのよー」


 走り去るバスの窓に向かって、手を振りながらそう告げるマッカムであった。


「良い人だよね、マッカムさんて」

「ああ、そうなのかもしれねえな」


 美琴の問い掛けに大和も頷く。


 第五ゲブラーのマッカム・ハルディート。五番目のセフィラを有した破壊を司る天使。

 しかしその実、今しがた見せたような心根の優しさが目立つ人物であり、美琴も彼の義を受け取ったことがある。

 正直なところ、あまり敵対したくない人物である。


「……」

「……」


 同時に二人は思った。あの格好じゃなければと。

 ハアとため息をつく彼らに気付いたのか、


「あらぁ、あなた達ーっ!」


 ぶんぶんとこちらに向かって手を振ってくる。上半身裸で。

 ああ……見つかってしまった。数多の視線とヒソヒソ声が突き刺さってくるのを自覚して泣きたくなる。


「こんちわ、マッカム」


 その一方で、全く意に介した様子を見せないチェルシーが気軽にマッカムに声を掛けた。

 羨ましいメンタルだなと思っていた大和を覆う影。巨大な影。


「あらぁ! 大和くんじゃなぁーいッ! 相変わらず良い男だわ!」

「うおおあッ!?」


 一瞬でマッカムは大和に肉薄していた。近い。とても近い。


「フゥーッ! これも何かの縁ってやつなのかもね! ね、一回戦! アタシと一回戦だけ! い、いや、セミファイナルでいいから!?」

「やや、やめろ寄るんじゃねえ!? つーか悪化してねえかそれ!?」


 興奮したオカマの鼻息。マジ顔で慌てふためく大和は美琴の背後に逃げ込んでいた。

 彼女の肩を掴んで震える大和を、嘆息混じりに美琴は見つめる。


「……あんた女の子の後ろに隠れるってどうなん?」

「う、うるへー! お前ホントこんなアレな奴……だ、男女差別は良くないと思います!」

「情けな……」


 呆れ返る美琴の顔を見て、マッカムが「あら」と声を掛ける。


「美琴ちゃんも顔色良さそうで何よりだわ」

「ええまあ、おかげ様で。桃、ありがとうございました」

「あらヤダ、曹玲ったら言っちゃったの? 変なところで義理堅いんだからもー」

「ハハハ……」


 クネクネしながら語るマッカムに、乾いた笑いを返すことしかできない美琴。

 なぜなら大神実オオカムズミは口にすることができなかったからだ。まさか腐らせちゃいましたぁ、とも言えませんので。


「あ、そうそうみかん食べない? さっきお婆ちゃんに頂いちゃって――」


 すると、そこで「マッカムマッカム」とチェルシーが彼を呼んだ。


「実はあなたにお願いしたいことがありまして」


 と――







「……なぁにコレ?」


 客で賑わう中華料理屋。ザワザワとした戸惑いと好奇の視線が、異様な光景を放つ一つのテーブル席に突き刺さっていた。

 いやまあ半裸にサスペンダーという変態極まりない格好をしたオカマも十二分に視線を集めているのだが。


 そのマッカムの眼前に山が築かれていたのだ。

 優勝力士が酒を呑むための大杯おおさかずきのような巨大なドンブリに、麺が三十人前、もやしが三千円分、チャーシューは子豚半匹分と、視覚だけで殺しにくる巨大な山が。もはや悪ふざけレベルであり、さしものマッカムもドン引きしていた。


 彼の隣に座ったチェルシーが、なぜかドヤりと胸を張る。


「超テラ盛りチャーシューメン(一万円)です!」

「これ食えと? 無理だし」


 標準語になるくらい動揺していた。サングラス越しにも目が泳いでいるのが良く分かる。

 まったくもう、と、先ほどのみかんを剥いてパクつき始める。


「なに余計なもん食ってんだよ!?」

「麺が伸びちゃってもっと苦しくなっちゃいますよ」

「アタシが食べるのは確定なのね……」


 大和と美琴の容赦のない言葉に色を失うマッカムであった。

 だが瞬間、彼はフッと笑みを顔に刻み付けた。


「これを一時間で食べきれば、あなた達の分もタダになるのね?」

「そのとーりです」

「でも、大丈夫なんですか……?」


 心配げにマッカムを気遣う美琴の前に、コトリと置かれる天津麺。


「うん、その言葉はもう少し早く言ってもらえれば嬉しかったわ」

「でへへー……」


 いや参ったなぁと、美琴は頭を掻いてごまかすのみ。

 そして次々運ばれてくるチェルシーのマーボーメンと大和のしょうが焼き定食。


「おー、おいしそーです」

「あぁ、こりゃ良い匂いだ」

「……」


 屈託ない笑みを見せるチェルシーと大和を見て、大人であるマッカムは覚悟を決めた。

 もはや背水の陣。年下の青少年たちの笑顔を護るため、オカマはここで修羅となる。


「――やってやるわ」


 パキン、と。威武を放ちながら静かに割り箸を断ち割る。

 右手で持ったそれを、勢いよくテラ盛りチャーシューの中に突っ込み、もやしごと麺を口元に持っていき、


「ああぁあん!? あっつーいッ!?」


 ふにゃりと身体をくねらせ、右手を耳に当てていた。


「真面目にやれよ……」

「だってぇ! 熱いんだもの!」

「マッカム、八城さんにフーフーしてもらいましょう」

「何でだよ!?」


 要らんことをのたまうチェルシーに速攻ツッコむ大和。

 だが、そこで天啓を得たとばかりに「そうね」とマッカムが頷いた。


「いや俺は絶対やらんからな?」

「安心しなさい、そこまで落ちぶれちゃいないわ」


 サングラスをクイッと直したマッカムが真面目な雰囲気を醸し出し、改めて麺を箸で掴むと吐息で熱を冷まし始めた。

 そして、おもむろに彼は身を乗り出して大和の股間をジーッと凝視して――


「ん……、ちゅ、ちゅる……」


 啜り出した。恍惚に。

 その瞬間、ゴン! と彼の額に炸裂した大和の頭突き。


「いったーい!? 何するのよ!?」

「そりゃこっちの台詞だこの野郎!? きき、気色悪い真似しやがって!」


 鳥肌を立たせまくった大和の剣幕は物凄かった。


「あ、ホントですね、甘辛くておいしーです」

「でしょ? チェルちゃんのマーボーもちょうだい」

「どーぞどーぞ」

「君たちはアレだね、我関せずつっついてるね」


 いつの間にか小さなお椀を用意して仲良く分け合っていた美琴とチェルシーに、大和の苛立ちは加速するばかりでした。


「ったく……悪かったよ、無理やり付き合わせて。こうなりゃ四人で割り勘だな」


 どっかりと座席に付いて嘆息する大和を、しかしマッカムは制止する。


「見くびらないでほしいわね。本気になればこれくらいお茶の子さいさいってものよ」

「本当かよ、無理してねえ?」

「大丈夫よ。仮に残したとしても、料金は全部アタシが持つから。子供は大人に甘えておきなさい」

「マッカム……」

「マッカムさん……」


 その言葉にジーンと胸を震わせるチェルシーと美琴。


「……良いのかよ?」

「オカマに二言は無いわ」

「……っ」


 格好良いと、掛け値無しに大和は思った。……裸じゃなければ。


「じゃあわたし追加でタンメンと餃子と回鍋肉ホイコーロー

「あたしオレンジジュースと杏仁豆腐」

「俺もチンジャオロース追加とメシおかわりで」

「……え?」


 未成年たちは情けの欠片も無かった。我知らずマッカムは目を点にしていた。

 そして――


「ふぅ――――ぷ…………」


 ――おおぉスゲーッ!

 ――食べきったよあの人ー!


 店内でワッと歓声が上がっていた。

 まるで我が事のように盛り上がっているギャラリー。

 それを尻目に、大和が驚きの眼差しをマッカムに向ける。


「すげえ……マジで完食したよ……」

「ここまですごいと逆に引きますよね」

「おま……っ」


 けしかけといてこの言いざまである。

 チェルシーとはどんな女なのかと、本気で大和は戦慄した。


「み、水飲んでください。ゆっくりゆっくり」

「――……っ」


 美琴から受け取った水をゆっくり飲んでいくマッカム。

 ことりとコップを置いた彼の元へ、店主が「たいしたもんだ」と近付いていった。


「食いそうな奴だからいつもの三倍にしてやったんだけどよ、いや完敗だ」

「――!?」


 さりげにとんでもないことを言ってのける店主に顔をビュンと向けたマッカムだが、当の彼はからから笑ったまま厨房に引っ込んでいった。


「ま、まあ良かったじゃん、タダになったんだしよ。なあ美琴」

「うん。てゆーかあれだけ食べたのに全然お腹出てないですね……」

「そこはホラ、この筋肉の賜物よ」


 やっと喋り出した。


「筋肉の鎧により、スタイルも(強制的に)維持されているわけですか。ふむふむ」

「それって胃が圧迫されてるんじゃ……」


 戸惑う美琴をよそに、納得したチェルシーがそこで大和の方を向く。


「八城さんも筋肉は付いてる方だけど、マッカムに比べたらほっそいなあ」

「こんなボディビルダーみたいな身体にできっかよ……」

「ちなみにわたしは、マッカムに腕相撲では手も足も出ません」

「なぬっ!?」


 チェルシーにあっさり負けた人が悔しそうに反応した。

 大和がマッカムを見れば、彼は筋肉ポーズを取って見せつける。


「ま、腕立て伏せ頑張ってください」

「ぐぬぬ……!」


 ポンポンと、おちょくるようにチェルシーが大和の肩を叩く。


「あーうっせうっせ! 他の客に迷惑だからさっさと出るべ!」

「あ、待ってよ大和」


 ヤケになった大和が美琴を引き連れ店を出る。

 にまにまとしたチェルシーも後に続こうとしたところで、


「……チェルシー」

「はい?」


 マッカムに呼び止められた。


「ロゼから言付けを預かっているわ」

「?」


 そこから先のやり取りは、大和と美琴は知り得ないことだった。

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