賑やかな日常
「ふんふトゥーとぅっとぅトゥー」
青空に点在する雲。まさに晴れというものを絵に描いたような空模様。
陽明神社の境内で、鼻歌混じりにチェルシーがアリの巣に棒を突っ込んで羽アリを引きずり出す遊びをしていた。棒を敵と認識した働きアリがうぞうぞと大量に這い出して蠢いている。非情にグロい。
けれども気にせず、なおも巣を突っついているとついに羽アリを彼らの家から飛び出させた。
「おー、でかい」
数匹の大きな羽アリを眺めて、チェルシーは達成感に満ちてにんまりする。
「……何しとんじゃあいつは」
一方、離れた所からその行為を呆れながら見据える神主代理。
仮にも神聖な境内において、なんつー舐めた遊びをするのかと。
さあ怒鳴りつけてやろうかなと思っているところで、チェルシーが大和に向かってちょいちょいと手招きしていた。
「……あいつには悪気とか負い目ってもんがこれっぽっちも無いのか」
大和がぷんすか怒っていると、チェルシーは口に人差し指を当てて「しーっ」のポーズをとっている。「珍しい鳥さんがいるんですよー」との声が彼にかかった。
「あ? べつに鳥なんざ興味ねえや」
と、言いながら彼はそろそろと気配を消してチェルシーに近づいていく。
「で? どこにどんな鳥がいんだよ早く教えろよ。キジか? まさかモアか?」
大和がチェルシーの隣にしゃがみこんでわくわくした様子で尋ねると、彼の頭にポクッとなにか固いものが降ってきた。
「あて! なんだこりゃ、クルミ?」
訝しげに大和が頭上を見上げると、そこには何の変哲もない一羽のカラスがぎゃーぎゃーと木の枝に止まっていた。
「人間に直接クルミを割れとおねだりするなんて珍しいですよね」
「そーゆー意味ですかーっ! あーはいはいそーですかぁ!」
こめかみに青筋を立てた大和が感情のままにクルミを砕く。とすれば、それを見ていたカラスが忙しない様子で騒ぎ立てるのは必然。それをくれと、あーあー鳴く。
「ちっ」
仕方ねえなといった感じで大和は手のなかにあるクルミを放り投げてやる。喜んでそれを突っつき始めたカラスを見ながら、チェルシーが感心したように言った。
「へー、優しいですね。わたしは遥か遠くにぶん投げるか、地面に埋めるかしますけど」
「性格悪っ……、カラスも気の毒に」
「……でも前に石落とされました」
「顔覚えられてるやんけ」
そーなんですよー、とチェルシーはそばに置いてあったビニール袋をごそごそと漁り始める。
「何やってんのお前? 何か買ってきたん?」
「いやまあ、風に当たってきたついでに買い物を」
「なーにが風に当たったでい。かっこつけやがって」
呆れる大和を軽く流していたチェルシーは、ぽてててっとハチミツを彼の手に落とした。
「あにしやがる!?」
まあまあ、と言いながらチェルシーは大和のハチミツ塗れの左手を掴み、アリがせっせと働いている地面に容赦なくビタン! と押しつけた。
「てめえ!?」
「まあまあ」
「さっきからまあまあじゃねっつのやめろおい! げっ、登ってくる登ってくる!」
「アリさん、肉ごと持ってっていいですからねー」
「こええこと言ってんじゃねーよ!? 痛っ!? 噛みやがった!」
チェルシーにがっちりと固定されたその左手は、人気ラーメン店も斯くやといった感じでわらわらと数十単位のアリが殺到し、すっかり黒く染め上げられてしまっていた。
「うわあ……グロい、気持ち悪い……」
「なに引いてんの? キミがやったんだからね?」
がさがさと足元の草でアリを拭いながら大和はチェルシーを睨みつける。が、彼女はそんなもんさらりと躱して再びハチミツの瓶を彼に掲げて、
「おかわりいっときます?」
「いかねえよ……。だったら普通に舐めさせてくれ」
「な、舐める? や、やだ……、外でなんて、は、恥ずかしいです……」
「気色悪っ!? と、鳥肌がっ!!」
胸元を押さえてもじもじしているチェルシーに心底大和は戦慄した。
「……まあともかくよ、聖者ぶるつもりはねえがあんまり生き物で遊ぶなよ」
「どっちかと言うと八城さんが遊ばれてる気がしますが」
「そーですねえ! キミに遊ばれてんだよホントむかつくなお前!?」
憤慨しかけた大和であるが、一度深呼吸をすると諭すようにチェルシーに語りかける。
「良いか? 一寸の虫にも五分の魂といって、どんなに小さなものにも意地や誇りが――」
「しこぽこーん」
チェルシーのでこぴんにより黒い物体発射。それが演説する大和のデコに着弾、地面にポテリ。
丸まったダンゴ虫だった。やがて体を開いてよじよじと這っていく。
――ブチリ。
何かがキレる音がする。血管浮き出る大和のこめかみ。
すでにチェルシーは逃げ出していた。
「待てコラァ! 今日という今日は泣かす! 泣かしちゃる!」
神聖な境内は絶叫とドカスカうるさい足音によって子供の遊び場と化してしまった。
目標を追い、自宅に飛び込む。
気配は無い、が残滓はある。となれば間違いなくここを通ったことになる。
廊下に目をやれば当然無人。しかし足元には彼女が拾った黒の子猫が。
あくびをしてのんびり丸まる子猫を何気なく拾い上げて問い掛ける。
「やあ黒猫くんや、馬鹿でふざけて舐め腐ったお前のご主人は知らんかね?」
「フシーッ!」
バリバリバリッ!
引っ掻かれた。顔面中に浮かび上がる鋭い爪痕。
怯んだ大和を尻目に黒猫はダッシュでそこから消えてしまう。
「ふふ……全く揃いも揃って……」
穏やかに笑む大和。穏やかに穏やかに、彼に内在する感情メーターがにゅーんと上昇し、
「上等だッ! 誰が餌代出してっと思ってんだ猫すけがァ!」
爆発した。噴火した勢いままに廊下を激走。
気配を辿り、隣接した社務所に飛び込むと――
「でじゃーん」
「あ――あぁッ!?」
目標の一つが見つかった、が今はそんなもんどうでも良かった。
誇らしげな少女の声とは裏腹に、大和の顔が絶望に染まってゆく。
社務所がしっちゃかめっちゃかだったのだ。イベントや儀式などで寝泊まりする客用の毛布やタオルケットがロール状に巻かれて繋げられ、それが部屋中に所狭しと並んでいる。
いくつも枝分かれしたそれらはさながら迷路だ。いったい毛布を何枚使ったのやら。
その惨状に固まる大和と対象的に、チェルシーは手で指し示しつつドヤりんこと胸を張っていた。すごいでしょと。
「いやー大変でした。一枚一枚くるくる巻いて繋げていくの。コースとかも考えないといけませんし」
「いいい、今すぐ片付けろやボケェ!」
「それでねそれでね、あっちがスタート地点なんです」
「ねえ人の話聞いてるお前?」
大和の袖をチマンと掴んで、嬉しそうにチェルシーが「あっちあっち」と彼を誘導する。
「ここから潜ってくださいね? ちなみにほら、ヤマトはもう先に行ってますから」
「あのなぁ……」
見やれば確かに毛布の一つが盛り上がり、もぞもぞと動いている最中である。
しかし、呆れ混じりに大和はため息を漏らすだけ。
「なんで俺がそんなもんに付き合ってやらにゃならんのだ。だいたいてめーら人を怒らせたっつー自覚があるわけ? ったくバカバカしい」
言いながら、彼は腕まくりをしてしゃがみ込み、
「捕まえちゃうぞコンニャローめ!」
潜っていった。ノリが良かった。
にたりと笑うチェルシーの表情には気付かずに。
しかし潜ったは良いが暗い。目が機能しない分、他が鋭敏になるのを自覚する。寝具に染みた木の匂いが停滞した空気の中で揺蕩い、鼻をくすぐってくる。
匍匐前進で狭苦しい穴を這っていくのはネズミかモグラにでもなったようだ。隙間から照明が差し込んでいるのを見て、そこは道が二手に分かれているのだと確認する。
さてどっちに行こうかと思案していると、ポコン! と何かが頭を直撃してきた。思わず「痛っ!?」と声が出る。
「てめーチェルシー! 何しやがんでい!」
「おー、よくわたしだと分かりましたね」
「お前以外にいるわきゃねーだろが!」
毛布越しに耳に届く、籠ったような少女の声。少し聞こえ辛いが笑いを含んだ声音であることだけは分かる。絶対あいつはニヤけている。絶対だ。
「ほら、洞窟には付き物なトラップじゃないですか。転がる大岩とか」
対するチェルシーが、くねくね動いて激昂する毛布の塊を見て破顔する。それはもう楽しそうに。
手にしたゴムボールを弄びながら、それをぽいぽいぶん投げては目標を激しく蠕動させていた。
「いてっ! あ、ちょっ! ――アァァアァッ! もう付き合ってられっか!」
「む」
毛布がガバリと広げられようとしたので、そうはさせじとチェルシーが速攻。
「あ!? 何すっだてめえ!?」
「ルール違反には罰を」
ダムッと大和ごと毛布を踏み付け、固定。どっから取り出したのか、ロープをぐるんぐるんに巻き付けて彼を拘束していく。
カポン、と頭だけはどうにか出した大和が「てめえ……」と見上げて唸る。
「これぞロールキャベツ男子ってやつですか。いや、八城さんはオラついてる割に奥手そうだからアスパラベーコン男子?」
「地球語でしゃべってくんない?」
何言ってんだこのアマはと、ますます怒りを募らせる大和。
しかしチェルシーは脈絡無しに、持っていたビニール袋から一口シュークリームを取り出してモクモクとパクつき始めた。
「……ん? 八城さんも食べます?」
「いらねえよ……。ほどけ」
「まあまあそう遠慮なさらず。はい」
シュークリームを手に取ったチェルシーがしゃがみつつ、「あーん」と大和の口元に持っていく。
対する彼はしばし逡巡していたが、観念したように「あー」と口を開けた。
瞬間、サッと引っ込められる手。自分の口に放り込むチェルシー。実にありがちだった。
「甘い甘い。二つの意味で。なんつって」
「…………絶ッ――対泣かす」
大和の呪いもなんのその。
チェルシーは未だ毛布の中で迷う黒猫を回収して抱き上げると、そのままさっさとどこかへと行ってしまった。
「オイッ!? ちょ、ほどけよてめー!」
しかし返ってくるのは無音だった。完全無欠に放置された。しかも社務所を片づけもせず。
「……うるさいなぁさっきからもー」
いったい何事だろうと、美琴がパタパタやってくる。
そして社務所の扉を開けてみれば――
――モゾモゾモゾモゾ……。
「でっけえしゃくとり虫!?」
そのサイズと動きに驚愕した美琴が腰を抜かしかける。
だがよく見れば毛布の塊だと判断できた。先っちょから人の頭も見える。
「シクシクシクシク…………」
「……」
そしてそれは泣きが入っていた。何ともまあ声を掛け辛い。
しかし放置するのもアレなので、散らかった寝具をまたぎつつ美琴はそれに語りかける。
「おーい、だいじょぶかー?」
「……チェルシーにやられたねん」
「ったく、ホント仲良いわねあんたら」
しょーがないなーと、美琴が嘆息しつつそこに正座した。
「ほれ、ほどいたげるからこっちおいで――ってちょっと!? 人のジーンズで涙拭かないでよ!?」
「すまん、少しだけ膝を貸してくれ。お前の場合胸も膝の皿も固さは変わらんだろうから――いててててててッ!?」
「じゃあ肘もくれてやるわよ。おおぉおん?」
膝に乗っかってきた挙げ句暴言を吐く無礼者の後頭部を肘でグリグリ抉り込む美琴。
そうしたやり取りをしながらどうにか大和は解放される。
すっくと立ち上がる彼は指をバキバキと鳴らしてから叫ぶ。
「あんのアマ……とっ捕まえて泣くまで納豆食わせたる!」
そしてその勢いのまま飛び出していった。
残された美琴は呆然としつつ、
「……え? この部屋あたしが片付けんの?」
と呟いていた。




