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耳かきヒュンヒュン

「……まあお前の言い分は何となく分かった。だがな、はいそうですかと信用するわけにも行かねえんだよ。樹や世界の安定……とてもそれを目標に掲げてるとは思えねえヤツらを見させられたもんでね」


 言って、大和がチェルシーを射抜いた。


 ド外れた悪行と言えば真っ先に思い出すのがシェイクだ。

 大和の両親を殺害し、美琴まで黄泉に堕とした張本人。

 今となってはシェイク自身、虐げていた存在に逆襲されて粉微塵になったため、もはやどうこう言うつもりは無い。が、やはり思い返してしまえば、穏やかならない感情が芽生えるのも事実である。

 そんな大和の胸中を感じたのか、チェルシーがやや伏し目がちに言った。


「シェイクのことに関しては……本当にその、申し訳ないです」

「……いーよもう。そのことに関してお前を責めるつもりはもう無いからな」

「そうそう。あたしも生きて帰ってこれたし」

「…………っ」


 二人の返答にチェルシーは無言で頭を下げる。

 その一方で、大和が話を元に戻した。


「シェイクの他にも変なのがいるしな。さっきのヤローとかよ」

「ウォルフですか?」

「ああ。正直シェイクとは比べもんにならねえ程に寒気を感じた。何者だよありゃ」

「うーん……」


 問われたチェルシーはあご先に手をやって唸り、そして続けた。


「良くも悪くも、お犬さま?」

「……何だそりゃ?」

「野良犬だったところを飼い犬にさせられたって感じですかね」

「そういや妙な鎖なんぞ付けてやがったな」

「ああ、あれはむしろ躾用?」

「はん?」

「結構前に、ウォルフはロゼによって封印されたんですよ」

「へー、そりゃまたどうして?」


 何気なく尋ねた大和であったが、


「……よりによってあの人、第一ケテルに――メイザースに牙を剥いたんですよ」

「――っ」


 返ってきた言葉は物理めいた重みを持たせて圧し掛かる。

 なぜなら、苦笑するチェルシーが冷や汗すら浮かべていたから。

 このようなチェルシーは見たことがない。大和も美琴も、異様な様子の彼女を見て二の句を継げないでいた。


 それほどまでに重大な事件だったのだろう。考えてみれば納得だ、ケテルとは生命樹セフィロトで原点であり根源なのだから。


「元々ウォルフは素行が良い方ではありませんでしたから。前任の第九イェソド第六ティファレトを殺したのもあの人らしいですし」

「仲間殺しかよ、よくそんな奴を受け入れてたもんだ」

「ロゼたちも思うところが無いわけじゃなかったんでしょうが、実力と才能が段違いだったので黙認されてたようですね。ただ、その時ばかりは相手が悪かったのですが」


 当然だ、何しろメイザースは天使たちのトップである。さしものロゼネリアも鷹揚な態度を崩してウォルフを罰せねばならなかったのだろう。


「そんな危ねえ犬コロを、今度は解き放って使ってんのか」

「太陽に関することなら、ウォルフもある程度は理性的に動きますからね」


 とはいえ、とチェルシーが真剣な顔で続けた。


「ロゼが繋げたあの鎖には力を抑えつける効力がありますので、以前ほどウォルフが無茶をするってことも無いと思います」

「すっかり飼い犬ってわけか」

「あのお犬さまが真に何を考えているかはわたしにも分かりません。……フェンリルでも気取ってるつもりなのかなぁ」


 神々の鎖を断ち切るなどの暴挙を見せ、後に厳重に封印されたが、最終的には主神オーディンを殺害した伝説の魔狼フェンリル。

 なるほど確かに、ウォルフの辞書に忠誠の二文字があるとは思えない。


「つーかそもそも、お前とウォルフの考えに違いがあるってのも、俺が信用できねえ理由の一つなんだ。あの野郎、明らかに美琴に執着してやがったろ。お前らん中ではチェルシーが太陽を引っ掴めば良い話ってことなのに、一体そりゃ何でだ?」

「それは前言ったように、ウォルフは太陽に関係するものには隔てなく敬意を払いますし」

「……前に、ロゼネリアにはっきりと俺らは『敵』って言われたこともある。俺にゃどうにもお前らがまた美琴を狙うんじゃねえかって思えてならねえよ」

「え……? いやそんなはずはないと思いますが」


 うーん……と、両手を組んで唸り始めるチェルシー。

 その様子に演技の類は窺えない。

 だが、チェルシーの言葉以上に用心しておいて損は無いはずだ。


「……ま、良いけどよ。あのウォルフってのが来ても返り討ちにしてやるだけだ」

「……ふぁえ?」


 素っ頓狂なチェルシーの顔と声。

 何言ってんだコイツ? みたいな表情で大和を見据えていた。


「……なんだよてめー、失礼なツラしやがって」

「いやー、すごいこと言うなと思って。やめときましょうよ、あんな凶暴な人相手にしない方が良いですって」

「気に喰わねーんだよ。調子くれやがってあんのタコがボケが」

「すんごいオラついてますね」


 頬杖をついてキレまくっている大和に冷静にツッコむチェルシー。


「こう見えても強くなったつもりなんでね」

「えー……?」

「あんだよその目は?」


 ジト目を向けてくるチェルシーに大和が反抗する。

 対し、「ふむ」と子猫を頭に乗せたままチェルシーがおもむろに手を挙げて、


「……よいしょっと。へい! へーい!」

「あ……?」


 いきなりテーブルに肘を付き、奇声を上げてこちらを煽ってくるチェルシーに、大和は怪訝な表情を浮かべた。こいつ頭大丈夫かなと。


「何をアホ面晒してるんですか。腕相撲ですよ、腕相撲」

「腕相撲だあ?」

「そーです。安全かつ分かりやすく、格の違いというものを見せてあげますから。そりゃもー一捻りに」

「ほっほう……」


 カッチーンと、男のプライドを刺激された大和はこめかみをピクつかせる。


「面白えじゃねえか。言っとくが俺はもう普通の人間じゃねーんだぜ?」

「知ってます。その上でわたしが勝ちますから」


 尚のこと大和を煽る、チェルシーのにまにまとした余裕。


「負けた方は罰ゲームとして、しっぺの刑です」

「よーし、乗ったぜ!」


 意気揚揚と大和はチェルシーと手を組んだ。

 それを見届けた美琴が合図を送る。


「じゃあ始めるよー。レディー……ゴッ!」

(ふんぬッ!)


 瞬間的に大和は大人げなくも腕に全神経を集中させて勝ちを奪いに行っていた。

 が――


「――んぎいッ!?」

「変な声出してどーしました。ほい頑張って」

「ぐっ……! ぎっが……ッ!」


 ビクともしない。一ミリ足りとて動かない。とても女の細腕――いや、人間とは思えないほどの怪力を、涼しげな顔をさせたまま出している。

 いや、これは単純な膂力なのだろうか?


「づ……ッ! おおぉぉおおおう……!」

「あんまり踏ん張って酸欠にならないように気を付けてくださいね」

「ふみッ! んぐゆうッ……!」

「……うるさいなあ。なんですかその気持ち悪い掛け声は?」

「う、るせえな。良いかチェルシー、俺は――」

「どーん」


 大和が話している最中に、飽きてしまったチェルシーはあっさりと大和の右手の甲をテーブルに叩き付けていた。「痛っ!?」という声が跳ね返る。


「はいしっぺ」


 ばしこーん!


「ぎゃーす!?」


 大和の腕がミミズ腫れを起こして赤に染まる。もはや男としての矜持など木端屑にされていた。

 転げ回る大和を見て、やれやれとチェルシーは声を掛けた。


「この国でも言うでしょ? 柔よく剛を制すって」

「……はえ?」

「単純な力だったら、わたしより八城さんの方が上ですよ。だから力の方向を逃がしてやったんです。手首や肘の加減でね。けっこー難しいんですよ?」


 手をぷらぷらさせて語るチェルシー。

 あっけらかんに言うが、それは高等技術なんてレベルではない。彼女の底の知れなさを強く物語っている。


「わたしに勝てないようではウォルフには到底及びませんよ。だから平和にしていましょうよ、あの人のことはわたしが見張りますから」

「ぐぬ……」


 思わず憤る大和だが、しかしこのザマなので言い返せない。

 そしてやはり、小柄とはいえチェルシーも、散々自分を恐怖に陥れたシェイク以上の強さを持っているのだと確認した。


「大和ぉ、湿布いる?」

「くれ」


 憮然とした表情のまま美琴に湿布を要求しつつ、右手をさすって痛みを紛らわせている大和。

 そんな彼を見てチェルシーは、「ああすいまふぇん」とせんべいをばりばり食べながら謝罪した。







 夜になった。夕食時、美琴の手料理が口に合ったのか、チェルシーは終始ゴキゲンだった。ご機嫌過ぎて大和のおかずまで取り上げた挙げ句、嫌いだという納豆まで押し付けてきた始末。絶対に許さない。


「ほー! ほーほーほぉーっ!」


 食後のテレビに釘付けになっているチェルシーが、食い入るように歓声を上げる。


 その画面には復讐代行を請け負う悪人退治の時代劇が流れている。

 複数の登場人物の中でチェルシーが特に注目していたのは、きりを敵の首に突き込んで殺しをする者であった。

 その暗殺術は主役の刀ほどの派手さは無いが、鮮やかで流れるような手際には美しさすら存在する。すっかりチェルシーの目はきらきらしていた。


 最後に黒幕の殺しを終えた主役の決め台詞が炸裂し、締めに日常が流れてドラマは閉幕となった。

 CMが流れてもチェルシーは余韻を味わうかのように画面から目を離さない。微動だにせず、ピシッと固まっている。


「ずいぶんと熱心なことで」

「ふふ、時代劇が珍しいんだね」

「そりゃま、外国じゃやってねーだろうしな」


 そんなチェルシーを見やる大和と美琴が微笑みながら言葉を交わす。


「よーしっ!」


 するとチェルシーが勢いよく立ち上がった。

 そのままドタドタと部屋を駆け回り、キョロキョロと何かを探し始める。


「あった!」


 ものっそい嬉しそうに目当ての物を発見する。

 手に取り、じーっとそれを見つめて満足気に頬を緩めていた。

 それは耳かきだった。

 右手で握り込み、上下にヒュンヒュン振り始めるチェルシー。


 ――ヒュンッ! ヒュンッ!!


 部屋中に轟く風切り音。それはもう発生する残像が形を成すくらいに超速で。

 そしてチェルシーは台所に行くとやかんに火をかけ、またテテッと戻ってくる。

 おもむろに正座をし、自身のひざをポムポムとしながら、


「さ、八城さん、耳かきしたげます」

「絶対嫌だね」


 即答だった。むしろ食いぎみだった。


「なんでですか!? 女子のひざまくらでの耳かきは男の夢じゃないんですか!?」

「今の流れでお前に飛び付く野郎なんざ存在するわけねーだろ。だいたい何で熱湯沸かした? え? どこに注ぐ気だ? え? どこに注ぐ気なんだ?」

「あ゛~、かゆいとこに手が届いて気持ちいー」

「それで背中を掻くな!? 背中をっ!?」


 やりたい放題だった。


「にぎやかだねー」

「ケッ!」


 のんびり笑う美琴の言葉にぷんすか怒る大和。

 こうして初日の夜は更けていった。

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