仲直り
八城大和は死ぬほど不機嫌だった。
「あんのボケ絶対殺す……。ぜええったい殺す!」
今はいないウォルフ・エイブラムに対し、物騒な呪いの言葉を吐きながらこめかみをピクつかせていた。
そんな彼の頭に、三本足で乗っかりながら気安い言葉を掛ける黒い鳥。
「大和よー、そうカッカしてると俺の足まで熱くなっちまうだろー? クールダウンだぜぇ」
「てめーを冷凍してクールダウンさせてから食肉業者に送ってやろうかクソガラス? だいたい今までどこにいやがったんだよクラッ!」
「そりゃおめー、大事な調べ事よ」
なあ、と八咫烏が隣にいる曹玲を見やった。
対する彼女も「ああ」と頷き、その視線で首尾を問う。
「問題ねえぜー。いつでも行けらぁ」
「そうか」
応えた曹玲が左腕を上げると、八咫烏はそこへと飛び乗る。一人と一羽が青み掛かった烏羽色を揺らめかし、薄く笑う。
何だお前らと、蚊帳の外の大和はハテナマークを浮かべるだけ。
「ま、気にすんな。それより見てみろよー、麗しき友情ってやつだぜー」
「……」
八咫烏に促され、前方に目を向ける大和。
その先では美琴がチェルシーに抱きつき、喜んでいた。
「チェルちゃん久しぶりー、助かったよもー! ね、ね、元気だった? ちゃんとご飯食べてる? ねっねっ、ねえってばぁ?」
「……くすぐったいんですが。あとなんですかその帰省した子供に対する母親みたいな態度は……」
「だって心配なんだもんー」
ベタベタわちゃわちゃハグハグと、美琴は気の抜けきった表情でチェルシーの髪や身体をまさぐって勝手にとろけていた。完全に為すがままのチェルシーはため息をつくなどめんどくさそうであったが、決して美琴を払い除けようとはせず、どころか満更でもなさそうだった。
そのジャレ合いを眺める大和は、複雑そうに苦笑した。
横に立つ曹玲が、大和の反応を確認すると意地悪く笑みを浮かべてみせる。
「何だお前、チェルシーに対して怒ってたんじゃないのか?」
「っせえよ」
腰に手を当て、大きく息をつく大和。
「……正直、良く分かんねえんだ。あのチビのことも、お前や美琴に義理を向けたマッカムって大男の野郎のこともな」
思い起こすのは、チェルシーとマッカムが起こした数々の行動だ。
黄泉から自分たちを助けてくれたチェルシー。
曹玲を人に戻して戦線から外させ、美琴には呪いを解く大神実を与えてくれたマッカム。
そして、今しがたのチェルシーの行動も。
打算が全く無いということはありえないだろう。けれど、それでもこの二者はロゼネリアたちと比べると体温というものを感じる。平たく言えば人間臭い。
だから、いずれ彼らに対して刃を向けるのは……。
「どうも二の足踏んじまう。……これってさ、やっぱ甘いかな?」
「さあな」
問われた曹玲はぶっきらぼうにそう返し、
「これからお前が確かめれば良いさ」
「……何だよそれ」
「知るか。何でも私が教えてやると思うな、この甘ったれめ」
不敵に笑い、曹玲はポニーテールをしならせる。
左手を振って八咫烏を飛ばし、改めて肩に止まらせてから美琴らの元へと歩んでいった。
「チッ」
小さく舌打ちし、大和も彼女に続いていった。
「あ、どーも。曹玲」
「ああ、数日ぶりだな」
近付いてきた曹玲に気付き、美琴に抱きつかれながら挨拶するチェルシー。
次いで、ムスッとした男もその場に到着する。
「……どーも、八城さん」
「……おー」
熱の無い言葉の交わし合い。眉を顰めたまま視線を外す両者。
数秒なのか、あるいは数分なのか分からない無言の時間を破ったのは美琴だった。
「ねー大和、もう良いじゃん。チェルちゃん、あたしらをまた助けてくれたんだよ?」
「……」
「そりゃ立場の違いもあるけどさー、あたしら……友達じゃん」
その美琴の言葉に、ピクンと小さく反応するチェルシー。
恐る恐る彼女が顔を上げれば、仕方なさげに息を吐く大和がいた。
「おいチェルシー」
「……はい」
「……しょーがねえから許してやる。だが勘違いすんな、お前を完全に信用したわけじゃねえ。あくまでもこれから見極めてやろうってだけだからな!」
「……ツンデレ?」
「ねえ泣かすよお前?」
眉間に皺を刻んだ大和を「まあまあ」と宥めつつ、美琴がぴょんとチェルシーから離れた。
「仲直りしたってことで、じゃあ大和んち行こう!」
「そですね」
「ああ、そうだな――って、アァッ!?」
なんじゃそりゃ!? と大和が驚愕する。
「や、だってさっきチェルちゃんが言ってたじゃん」
「俺はなんも聞いてねえよ!?」
「やれやれ、では教えてあげましょう」
「え? なんでコイツいきなり偉そうなの……?」
嘆息するチェルシーを指差して戸惑う大和。
だがそんなものは全く気にせずにチェルシーは続けていた。
「不幸なことにですね、神崎さんは気に入られてしまったのです」
「誰に?」
「ウォルフに」
「…………」
途端、大和が剣呑な気配を放ち始める。
それを「まあ落ち着いてくださいよ」とチェルシーはいなす。
「正確には神崎さんの持つ太陽の神秘ですね。ウォルフは月のセフィラを有しているので、太陽光に妄執するのですよ」
「月光が太陽の反射だからか?」
「その通りです。さっきの一連の勝負で神崎さんが決着を付けたけども、皮肉なことにそれが危険な狼さんを喜ばせてしまったんですよ」
そこで、とチェルシーが指を一本立てた。
「わたしも太陽のセフィラを持っているので、神崎さんの隠れ蓑になろうというわけです。わたしが目を光らせていれば、ウォルフも妙な真似はしないでしょうし。言わばボデーガードですね、ボデーガード」
えへんと胸を張るチェルシーに、大和が訝しげに問いを投げる。
「お前で抑止力になるのかよ?」
「ウォルフは月と太陽以外にほとんど執着しません。逆に言えば、月と太陽に関係するものに対しては敬意を払って滅多なことはしません。とは言え、神崎さん一人では不安でしょ?」
「……まあな」
「なので、皆で八城さんちに集まってしまおうというわけです。ホームステイですな」
「まあ、理由は分かったけどよ……」
大和の歯切れはよろしくなかった。
話が急だし、何より早速チェルシーのペースに呑まれている自分が、そしてそれを受け入れてしまっている自分がいることに戸惑っているのだ。
そんな彼に、勧める声を上げたのは意外にも曹玲だった。
「良いじゃないか。ちょうどキャンプもお開きにしようと思っていたところだ」
「……てめーは無遠慮な客の立場だから気楽で良いよな」
「いや、私は行かんよ」
「はん?」
「用事ができたのでね」
言って、曹玲が拳を握り鳴らす。
そのままテントの方へと歩き出し、荷物をまとめて軽々と背負い込んだ。
「凝り固まった身体を解しに行くのさ」
「温泉でも行くのかよ」
「そんなところだ」
「けっ、呑気だな」
「…………、」
毒づく大和をジッと見据えた曹玲は、「……んだよ」と狼狽する彼に告げた。
「お前にはあらかた叩き込んでやった。来たる日に備えて、これからも訓練は怠るなよ」
「あらかたっつったって……」
犬より走らされ、軍人より筋トレさせられ、あとは多少の組手と釣りをしたくらいだ。
それが顔に出たのか、曹玲は軽く口の端を持ち上げる。
「土台が無ければ応用もできん。まあ、後は自分で考えろ。潜在する神とは己自身で向き合え。こればかりは私でもどうにもならんのでな」
じゃあなと、八咫烏を乗せたまま曹玲は行ってしまった。
「……来たる日っていつやねん」
曹玲の後姿を見送りつつぼやく大和。
「そんな日は来させませんよ」
「あん?」
「わたしが頑張りますから」
呟くチェルシーの瞳を見やる。
彼女にしては珍しく、茶化せない真剣さが籠っていた。
「……」
それを見た大和は口には出さなかったが、危ういなと感じた。
尊く、美しいとすら思えたその意志が、まるで薄氷であるかのように。
けれど、それを指摘する気には到底なれない。勘違いの可能性が高いし、何よりそういった信念に影差す真似はしたくなかったから。
「……あ」
しかしそこでふと思った。
これだけは女子たちにはっきり聞いておかないといけないと。
「おいお前ら」
真剣味を帯びた声で大和が美琴とチェルシーを呼ぶ。
見返してくる二人に、溜めて溜めてから問うた。
「……俺のが良い男だよな?」
――と。
問われた二人は顔を見合わせ、ややあってからプッと吹き出し、
「そんな心配しないでよ大和。目つきと口は悪いけど、あたしはあんたが良いやつだってちゃんと知ってるもの」
「そうそう、八城さんってほら……えーっと、物を大切にするし」
「なんだその微妙な弁は……。んじゃあ単純比較で面はどうなんだよ面は!」
「「――」」
「おいっ!?」
一瞬で黙る二人に狼狽える大和。
だがそこでチェルシーが彼の肩をポンと叩いて、
「まあほら、八城さんって物を大切にするし」
「うるへー!」
グレたくなった。




