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賭けの行方

 風の音が止んでいた。尋常ならざる空気を察知していてか、鳥や小動物、虫や草木に至るまでもがシンと静まり返っている。

 凪の時間。けれどもそこに対峙する二者は思い思いの感情を発露させていた。


 一方は決して引かない意志を両眼に宿らせ佇んで。

 もう一方はそんな決意を皮肉無しに大したものだと目を細めていた。


「ま、そうあんまり気張るなよ。べつにピンゾロ出したからって、アンタをどうこうするつもりは無えからな。気楽にやったらどうだい?」

「それは無理です」

「んー?」


 ウォルフ・エイブラムの提案をはっきりと撥ね退ける神崎美琴。


「大和も、そして曹玲さんも、あたしにとって恩人だし大事な人たちなの。絶対にあなたには奪わせません」

「……」


 美琴にキッと見据えられたウォルフは一瞬だけ瞠目し、やがて舌打ちしてからガシガシと後頭部を掻いた。


「……あー、なんだ。そこまで言うならアンタに免じて、ここは一つ退散することにしてやろうか――」

「その必要もありません」

「あん?」

「上手く言えないけど、それってなんか違うと思うから」


 陽光を髪に反射させつつ、困ったように美琴は笑う。


「空気読めないこと、したくないから」

「……」


 そう、遊びが混じっているとはいえ、これは心血注いだ真剣勝負だ。

 いや、遊びだからこそ(・・・・・・・)全力でやるべきなのだ。禍根を掻き立てながら衝動のままにぶつかり合うのは殺し合いの場に限る。


 けれども死合う場所にはルールが無い。それすなわちレールの敷かれた一本道だ。強い者が勝ち弱い者が喰われるという、自然と野生が持つ不可侵の掟だけがそこにある。

 つまるところ、それは強者にとってはある種退屈なのだ。結果が分かりきった勝ち負けなど、録画中継を眺めることと遜色ない。


 ゆえに、単純な力量の多寡に左右されない戦場へと身を任せ――そして勝つ。ひりつく鉄火場にこそ価値があると、ポリシーめいた考えを迸らせてウォルフ・エイブラムは笑うのだ。

 困ったことにそれに中てられ、いつの間にやらすっかりと熱中してしまった曹玲と大和。正直言って馬鹿だとすら思う。だってそうでしょう、本人たちは否定するかもしれないけど、少なからず楽しんでいる面も確かに見えたのだから。


 振り回される美琴にしてみたら堪ったものではないだろう。何しろ、彼女には負けたときの保険や武器というものが備えられていないから。

 そう、だからこそ――


「全霊を以て――あたしも臨みます」


 空気が、一変した。

 保険は無い。武器も無い。ならば何を拠り所にして美琴は臨むのか。

 拠り所――いいや違う、彼女は縋るためではなく、護るために歩んだのだ。


 それは大和らの命であろうか? もちろんそれは大前提だが、それならば先ほどウォルフが言った退散してやるという言葉に飛び付けば良いだけだ。


 では一体なにを? ……決まっている、この場全員の矜持をだ。


 本気の遊びに投じている彼らに対し、牙の届かぬ安全地帯から、ダメだ、危ない、もう止めようと、どの面下げて茶々を入れる真似ができるだろうか。

 そんな野暮な真似は美琴にできない。いや、そもそもしたくない。


「だって、このメンバーの中でやるんですよ?」


 大和、曹玲、そしてウォルフ。

 いずれもが常識からド外れた超人たち。

 その中で、神崎美琴は無力に等しい。天照と密接な関係にあると言えど、所詮は人並み以上程度に運動ができる女の子に過ぎない。彼ら人外にしてみれば吹けば飛ぶ、そんなか弱い子ウサギだ。


 けれど、ああけれども……それほどまでに弱い自分がここで逆転を決めてしまったのなら、


「それって……、ものすっごいしてやったり! って感じしません?」


 ああ、それは何とも痛快だろうなあと、神崎美琴は悪戯めいた笑みを浮かばせて昂揚する。

 それが証拠に、彼女はおもむろに自身の胸へと手を伸ばしていた。

 早鐘を打つ心臓を感じつつ、されど美琴は口を弓のようにしならせた。


「あたしの心臓、ドクンドクン言ってます。すごいや、このスリル……!」


 震える口調でどうにか言葉を紡ぐ美琴。

 だがしかし、そこに込められているのは不退転の証しだ。


 やろうと思えば勝負の中断も選べた彼女。が、それは極めて無粋なのだと。

 遊びには遊びで。本気には本気で。


 ――つまるところ、神崎美琴も相当の馬鹿だったのだ。


 あたしも混ぜろと。人をほっぽり出して勝手に盛り上がるなと。

 あたしに――その命を預けろと。


 爛々と輝かせた双眸を隠そうともしない美琴に、その場の誰もが呆気に取られ――


「くっ――ははッ! 馬鹿なやつだ! こんなものは無粋だったな」


 噴き出した曹玲は、こっそりと練っていた神気を収め、成り行きを完全に見守ることに決めていた。


「あいつもあれで結構負けず嫌いの気があるからな」


 大和は大和で、過去の美琴の勝ち気で不敵な表情を思い出していた。


 そして――


「フハハハ――クハハハハハッハハ……ッ!」


 ウォルフ・エイブラムは、美琴の挑戦的な視線を真正面から受け止め、大笑していた。


「面白えなあお姉ちゃん、最高だぜアンタ! クソッたれがよォ、ガラにも無く緊張してきちまった! 見てくれやオイ、手汗なんか掻いちまったよ!」

「そりゃー、あたしが呑んでやりましたから。あなたを」

「おっかねえ女! ハハハハハハハハッ!」


 なおも大笑いするウォルフを尻目に、美琴は疾うに指先のサイコロを放っていた。


 もはや美琴が言ったように、この場は彼女によって掌握されていたのだ。

 そういう空気、そういう雰囲気。鉄火場という点では変わらないものの、ウォルフが展開させていた暴力的な一面は、照りつけられる陽光によって昇華されていた。


 ゆえに――誰しもが大地を叩いたサイの目を、当然のものとして受け止めていた。


「…………たっはぁ~~……」


 盛大なため息を吐いて、全身を脱力させた美琴が地面へとしゃがみ込んだ。

 膝に手を置いてから、くたんと首をだらけさせる。


 示された目は――五と五。完全無欠に美琴の勝利で締められた。


「――見事だ」


 見届けて、立ち上がったウォルフが美琴に称賛の言葉を送っていた。


「久々に負けたぜ。ギャンブルで俺より上手いヤツは山ほどいるが、強いヤツはほとんどいねえ。アンタは俺より強かった。約束通り、そこの二人には手を出さないさ」

「あ、どうも……」


 ウォルフの言葉に、気の抜けた表情で返す美琴。

 ようやく、この緊張感から解放される……。安堵しかけた美琴に「だがよ」と声が掛かる。


「俺ぁアンタに一層興味が出てきちまったぜ。この日陰モンによ、どうか御威光を与えてやくれねえかい? ――なあ、天照サマ」

「……っ」


 一転し、ギラついた眼を美琴に向けてウォルフは口の端を上げていた。


「貴様……ウォルフ!」

「それ以上美琴に近付くんじゃねえよてめえ!」


 その瞬間、曹玲と大和が気色ばんで声を荒げた。

 が、そんな怒気をそよ風同然に流したウォルフが「うるせえ」と威嚇する。


「バーターの分際でしゃしゃってんじゃねえよ。拾った命を大事に抱えて勉強にでも励んでろや。ハッ! 心配しなくても、この嬢ちゃんは大事に大事に扱ってやるよ」

「野ッ郎……ッ!」


 眦を決した大和が血管を浮き立たせ、次いで右手に力を込めた。


「大和」

「止めんな曹玲! もうあの野郎は勘弁ならねえ!」

「そうではない」

「あ!?」

「端っから帛迎はくげいで行くぞ」

「……あ?」


 一瞬その言葉に呆けた大和であったが、曹玲の憤怒に塗れた横顔を確認すると、同調するように口角を持ち上げた。


「おうよ。瞬殺してやらあ!」

「――カッ」


 一方で、神力を練り上げる大和と曹玲を見据え、ウォルフはこれ見よがしに両手をポケットに突っ込んでみせた。訝る二人にこれ以上無い侮蔑を込めながら。


「気にすんな、羽虫二匹に両手は要らねえ。それに今なら月も(・・・・・)出ちゃいねえ(・・・・・・)し、良いハンデだろ?」

「その余計な口を――」


 受け止め、目を引ん剥く大和が身体を屈め、


「――二度と開けねえようにしてやんぜ!」


 曹玲と共に、咆哮引っ提げ加速しようとした刹那――その場の全員をふわりと撫でつけるような微風が、彼らの動きを止めていた。

 そしてその風は、美琴が放ったサイコロを宙に舞い上げ、カランと音を響かせる。


 誰しもが、その出た目を注視し、そして息を呑んだ。


『はいはい終わり終わり。皆さん揃いもそろって血圧上がりますよ?』


 六と六。最高の目を叩き出した闖入者がジト目を全員に向けつつ中空から着地する。

 その頭に黒の子猫を乗せながら、第六ティファレトのチェルシー・クレメンティーナが、まるで流れる雲のようにふわふわと登場していた。


「あー、風が気持ち良いですな」


 人を食ったような態度、とよくチェルシーは評される。

 そしてそれは正しい。どのような場面でも、一歩引いた視点から冷静な態度で以て事態の軟化と収拾を図る。時折、そこに行き過ぎた冗談も混ぜながら。


 クセ揃いの天使たちの中心にセフィラを位置させ、尚且つその行為や態度を咎められないのは、チェルシーの為人ひととなりや神力の誉れさゆえだろう。

 だからこそチェルシーは第六ティファレトに相応しい。生命樹セフィロトの誰しもがそう認めて疑わない。そう、それはウォルフ・エイブラムにとっても同じこと。


「これはこれはティファレト様。なんだってこんな辺鄙へんぴなトコにおいでなすったよ。昆虫採集でもしに来たかい?」

「ええ、裏側を見せつけながらあなたの顔にミンミンゼミを貼り付けたいところなんですが、生憎まだ夏じゃありませんし」

「くくく……」


 愉快気に喉を鳴らすウォルフ。チェルシーとの軽口の応酬は彼にとって嫌いではなかった。だが、今はそれ以上にウォルフの気分を上昇させる点がある。

 チェルシーの総身から放たれる熱量の籠った神気。それを知覚してウォルフは口元を綻ばせた。


「どうやら、ちゃあんと儀式は済ませたようだな。見違えたぜ」

「べつにあなたに言われるまでもありませんが?」

「そりゃ失礼。ちなみに、ロゼネリアに妙な点は無かったかい?」


 その問いに、数瞬だけ黙すチェルシー。

 見据え合う二者。天を衝く硬質な金髪と、ふわふわした絹のような金髪が互いに風に揺らめいた。


「……べつに何も。というか、ロゼがわたしに喝を入れてくれたから成功したんです」

「ああそうかよ」


 じゃあ質問を変えてやると、ウォルフが犬歯を剥き出した。


「お前は何を思ってこんな野暮な真似をした? 見ろや、せっかく暖まったやっこさんも今は白けちまってるじゃねえの。どう落とし前付けてくれんだよ」


 停止した大和らを顎で示し、ウォルフが双眸に熱を孕ませる。

 だが、そんな彼の言をチェルシーは柳のように受け流す。


「質問を質問で返すようなことをして申し訳ないのですが」

「あん?」

「なぜあなたは最初に決めた取り決めごとを反故ほごにしたのでしょうか?」

「はぁん? ンなもん反故にした覚えはねえよ。勝手に奴らがキレて俺に楯突いてるだけじゃねえか」

「いいえ、そうじゃありません」


 言って、チェルシーが指を二本立てていた。


「あなたは先ほどこう言いました。八城やしろさんたちが勝てば『とっとと退散する』と、そして自分が勝てば『てめえらをボロクズに変えてやる』と。つまり、八城さんたちが勝利した以上、戦闘など発生し得ないのですよ」

「……」

「あなたは神崎さんに『約束通り二人には手を出さない』と仰いましたが、それがそもそもズレてるんです。意味を混同しないでくださいね? あなたは一も二もなく退散しなければならないのですから。だからほら、行った行った」


 シッシッと、野良犬にでもするように、チェルシーはウォルフを追い払う。


 その光景を見つめ、他の者はただ絶句していた。

 まさかそんな屁理屈が通用するものかと。むしろ火に油を注ぐ悪手に他ならない。


「――確かに」


 しかし、そんな思考は放たれた一言によって霧散させられる。


「確かに俺はそう言った。言ったよそうだ。いや悪かったよ、興奮して忘れてたとはいえフェアじゃねえよなァ。……しっかし自業自得とはいえ、どうも煮え切らねえ」

「心配しなくても」


 ぼやくウォルフにチェルシーが言い放つ。

 六のゾロ目を見せるサイコロを目で示してから、天の太陽を仰ぎ見る。


「ちゃんとあの恒星は掴んでみせますよ。――それとも、わたしでは不足でしょうか?」

「……いんや」


 圧を込めたチェルシーの両眼を受け止め、ウォルフは全身を弛緩させた。


「俺としても馴染みのあるお前さんを応援してやりてえしな。しかしどうすんだ? ティファレトをどうにかして反転させたにしても、まだまだあのお天道様は健在だぜ? 掴むにしても、その小せえ背ェ伸ばすためにミルクでも飲んだほうが良いんじゃねえの?」

「そこはわたしの頑張りどころでしょ。まあ、あなたは皿に注がれたカルキ入り水道水でも舐めて待っててくださいよ、お犬さま」

「ハハハハハハハッ! こりゃ失礼、これ以上怒られる前に消えるとするわ」


 じゃあなと踵を返したウォルフが、しかし一旦止まって振り返ると大和を見やっていた。

 なんだよてめえとガンを付け返す大和に、


「やっぱ俺のが良い男だな」

「な――ァ!?」


 絶句する大和を尻目に、ウォルフはくつくつと喉を鳴らして今度こそその場から消えていた。

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