確率
「……おい、なんだってあんな野郎のくだらねえゲームなんざ受けるんだよ」
「今は無益な戦闘は避けたい。せっかくのご厚意だ、ここは甘えるさ。それに何より、神崎がいるだろう。プライドのぶつけ合いなら女を巻き込まない場所でやれ」
「……っ」
横目で諭してくる曹玲に、大和は返す言葉を失った。
確かに彼女の言うとおりだ。曹玲に呼ばれてこちらにやって来る美琴に気後れしつつ、小さく呼気を吐いて頭を冷やした。
「話は決まったようだな」
不敵に嗤いながら、ウォルフが手中のサイコロを弄ぶ。
グッと握り、手の甲をこちらに見せつけるように掲げ、
「言っとくが、くだらねえ回転かけたりするんじゃねえぞ?」
「分かっている。お前はこういうときはフェアな奴だからな」
「そうよ、賭けってのはヒラでやるからこそ――面白えんだ!」
叫び、ウォルフが派手に右手を振った。
高く舞い上がった二つのサイコロが、中空から重力に逆らわずに落下する。
カツンカツンと、地面にぶつかり音を鳴らすそれが、やがて勢いを止めて運命の目を示す。
『…………ッ』
皆が注目したその出目は――二と五。合わせて七であった。
つまり、大和ら三人が揃ってピンゾロさえ出さなければ……
「俺らの勝ちってことじゃねえか」
口角を上げた大和が言い放つ、が――
「そう思うんなら、さっさと振れや」
「……!」
ウォルフの言葉に縫い止められる。
勝利濃厚な場だというのに、なぜだか素直に喜べず、どころか足が動かない。
畏れているのだろうか、呑まれているのだろうか、毛ほども狼狽えていないウォルフ・エイブラムという男に対し。まるで、七という数字が盛り上げるための演出にさえ思えてくるようで――
「……ざけんな」
負の思考を無理くり斬り捨てる。
俺一人で決めてやると、大和が固まった足を引き剥がしたところで、
「まずは私が振る」
と、曹玲が地面のサイコロを拾っていた。
「……おい」
「文句あるのか? 譲らんぞ」
「……っだよ、エバりやがって」
舌打ちし、しょうがなく一番手を譲る大和。
一方、屈んだことで目元に掛かった黒髪を払ってから、曹玲は握った右手を注視する。
それを見やったウォルフが嘲笑の言葉を投げかけていた。
「アンタはやたらそうだったよなァ。しゃかりきに前へ前へと歩きたがる。弱えクセに目立とうとすっから日本くんだりまで飛ばされて、挙げ句ボロ雑巾みてえになるんだよ」
「……何が言いたい?」
「べつに? ただこういう展開はよ、先が知れてるようでよォ。なんか今のお前、前座っぽいぜ?」
「くだらん三味線はよせ」
これは現実。段階踏まえた創作とは違うのだと、怜悧な眼をウォルフに突き付け勝ち誇る。
「私はそういう空気を読むつもりはない」
言い放ち、サイコロを高く放っていた。
直上に飛んだ二つの小さな立方体が空気を裂きつつ最高点へ。
やがて、落ちるそれらが彼らの目線を横切り大地を叩いた。
「――ハッ」
尊大に鼻を鳴らすウォルフ。
なぜなら出目は――ピンゾロであったから。
「…………、」
眉間に皺を寄せた曹玲が、無言で振り返って大和らの元へズンズン歩いていく。
「空気読んだな、前座姉ちゃ――ぐえへッ!?」
ニヤニヤしながら煽ってくる阿呆の脇腹を貫手でぶっ刺す曹玲。超不機嫌だった。
「なーにすっだテメーは!」
「ええい、うっさいわ! 笑うなボケ!」
「あんだとコラ!?」
「やるかこのガキが!」
「おやめなさいよあんたらもー……」
至近距離でガン付け合う大和と曹玲をめんどくさそうに宥める美琴。
まああれだけカッコつけといてこの始末なのだ、というかフラグにしか思えなかった。
『私はそういう空気を読むつもりはない』
「ぷふっ……!」
数秒前のキリッとした曹玲の佇まいが美琴の脳裏にこびり付いて離れない。
思い出すだけで頬を緩ませてヒクついてしまっている。
ギロリ、と曹玲に睨み付けられると、美琴は肩を揺らしつつ太ももを抓って表情を引き締めた。
「ケッ。ったくよ、俺が決めるしかねーじゃねえか」
「え? あたしが最後に振んの……?」
「その必要はねえよ」
大和が高らかに言い放つ。彼の視線の先で横柄に座り込むウォルフを見据えながら。
「確信ってほどじゃねえが、勝算はあんだよ」
「ふーん……」
呆気に取られたような美琴の返事を受けながら、歩む大和は転がるサイを手に取った。
そして、ウォルフに「よお」と気軽に声を掛けつつ、足場の草を踏み鳴らした。
「金髪さんよ、お前確率って知ってっかよ?」
「あん?」
強気なトーンでの問い掛けに、ウォルフは顔を顰めつつ聞き返す。
「勝ち誇ったツラで今更な話題だなぁお兄ちゃん。確率が低いから自分が勝つって?」
「そーいうこった。そもそもてめえ、雰囲気で場を掌握しようとしてやがっからよ、俺が残酷な確率の真理ってやつをレクチャーしてやんよ」
「へえ、そりゃ是非ともお願いするよ」
「ヒトっつーのは都合が良いんだ。自分だけは特別だ、大丈夫ってな根拠の無え自信を持っちまうのさ。だから宝くじだの博打だので痛い目見ちまうんだよ」
つまり、と大和がウォルフを指差し言い放つ。
「てめえも同じだ。たまたま曹玲がピンゾロ出したからって、それを何か運命めいたもんと思ってやがる。運なんてのは、結果的に見た事象でしかねえ」
「……」
大和の言葉に、頬杖をついたウォルフは反論しない。
後ろの方で曹玲が「ほう」という感心したような声を発している。
「確率はどこまでいっても平等なのさ。まして、これは二つ分だぜ? サイの目で一が出る確率は六分の一。つまり、二つなら十二分の一だ!」
「……うん?」
そこで曹玲の疑問の声が上がる。
彼女が横を見やれば、美琴が「あちゃあ……」とこめかみを押さえている。
それらに全く気付いていない大和の演説はなおも続いた。
「そしてお前が軽視してるのが、確率の連続性だ。二回連続で同じ目を出す確率はグッと下がるんだよ。十二分の一が二度連続で出る確率は、七十二分の一ってことになるんだ!」
んドヤァ……。
ものっそいドヤ顔だった。
「どういう計算をしとるんだあいつは……」
「テストだったら途中点すら貰えませんね……」
「ちなみに、やつの数学の通知表はどんなもんだ?」
「……補習ギリギリってとこです」
「ああ、納得」
呆れ果てた曹玲と美琴が死ぬほどげんなりしていた。
「くっ……くかかか……!」
そしてその空気はウォルフにも伝わっていて、
「何笑ってやがんだてめーはよ」
くつくつと喉を鳴らす彼を、蚊帳の外の大和が訝しむ。
が、そこで、
「大和大和ー」
「あ? 何だよ」
ちょいちょいと、こちらに向かって手まねきする美琴へ歩み寄る大和。
「違うのよ大和? 二つのサイコロで一と一が出る確率は三十六分の一よ」
「……え?」
嘘っ!? という反応を示す大和に、「うーん……」と美琴は申し訳なさそうに頬を掻いた。
そこで彼女は小枝を拾うと、足元にガリガリと図を描き始めた。
「片方のサイコロをAとして、もう一つをBとするよね。Aが一のときにBは一から六までの六通りできます。Aが二のときもBが一から六まで六通り」
「つまり、全部で三十六通りあるわけだ」
曹玲も話に加わってくる。
「そう、だから出た目の和が二になるのは、Aが一でBも一になったときの一通りだけ。というわけだから、三十六分の一ってことになるの」
「ついでに言うと、ピンゾロが連続で出る確率は三十六分の一の二乗だから、千二百九十六分の一となる」
「なん……だと……?」
目を見開いて驚く大和がわなわなと手足を震えさせる。
「ま、今は学校閉鎖されてるけど中間も近いことだし、数学の点数はちょっとでも多く貯めて期末に――」
ぺしこん、とそこで大和が美琴を軽く叩き、「んにゃ!?」という声を跳ね返らせた。
「あにすんのよ!?」
「うるせー! ちっとばかし計算ができるからって得意ヅラ晒すんじゃねえや!」
「んまぁ! 何よコイツ! せっかく人が教えたげたっての……にぃ!」
「痛い!? あ、ちょ、棒は使うな棒は……!」
小枝で突っついてくる美琴に恐怖した大和はさっさとその場から退散。先ほどと同じ位置に陣取っていた。
右手を固め、表情を引き締め、ギンとウォルフを射抜いて口を開く。
「――待たせたな」
「ハハハハハッ! 何カッコつけてんだてめーは! 無様な真似しといてよ、腹いってーよお前! しっかりレクチャアしてくれよオイ! ハハハハハハッ! アーハハハハハハハハハハハハッッ!!」
「ぐぎぎぎ……!」
爆笑するウォルフに対し、歯軋りすることしかできない。
だが、どうにか体裁を整えた大和が放埓に言ってのけた。
「へっ! 分かってんのか? ただでさえお前が恐怖した七十二って数値が、千二百に膨れ上がったんだぜ? 笑ってられる状況じゃねーだろーが」
「……恐怖してたかしら?」
「あと千二百九十六だ」
「うっせーなてめーら!? どっちの味方なんでい!」
ぶつぶつうるさい後ろの二人を黙らせる。
が、そこでひとしきり笑っていたウォルフが鋭い気配を立ち昇らせた。
「……で? だから俺に勝ち目が無えってか? さっきも言ったろ、ならさっさと振れやってな」
「……正気かよてめー?」
この自信の根拠が分からない。
グラ賽を使っているとも思えない。
妙な神気も感じ取れない。
だが、曹玲はピンゾロを出してしまったのは紛れもない事実なわけで……。
(アホくせ)
吐き捨てた。
空気だの雰囲気だのと、そんなものは関係ない。
泣きながら振ろうが、笑いながら振ろうが。思い切り投げつけようが、滑り落とそうが。結果は全て平等だ、さっさとケリをつけてやる。
「お、ようやく負ける気になったかよ」
「言ってろや」
挑発を意に介さずサイコロを投げた。
「俺は曹玲と同じ轍は踏まねえよ」
確信めいた予感。二者の視線が交錯する。
ざわつく木々。雲間に隠れる太陽。辺りの景色に影が差す。
カチャン、と。再び現れた陽光に照らされたサイの目は一と一。
「あれ?」
思いっきり踏んでいた。
吹き荒ぶ風がやけに冷たく頬を刺した。
「……んなアホな」
愕然とする。どういうこっちゃと。
わなつく大和にウォルフが「信じられねえか?」と言い放つ。
「だがこの目が証拠だ。てめえ自身が引き寄せた結果だ。二連続でピンゾロなんて確かにそうそう出やしねえ……が、出ちまった。さて、三回目はどうかねえ?」
「……っ」
「つーか、後が閊えてんだよ。バカ面晒してねえでとっとと戻れや」
「ぐ……」
歯噛みするも、返す言葉を発せない。
すごすごと引き返し、女子二人がいるところへと戻る。
美琴が手をぱたぱた振っていた。
「おかえりー」
「ふん、阿呆が。あれだけ息巻いてこのザマか」
「やかましんだよ曹玲! お前にだきゃ言われたくねえよピンゾロ女王!」
「あ! それを貴様が言うか数学も出来んくせに!」
「赤点は取ったことねーよ!」
「自慢になるかボケ!」
ぎゃあぎゃあ喚く大和と曹玲。
互いにほっぺたを抓り合い、誹謗中傷をぶつけ合ってまたぎゃあぎゃあと。
「まーた始まった……」
美琴は二人にジト目を向けてうんざりしつつ、両手で腰に掛かるオレンジヘアーをパッと払った。
そして、一度瞑目してから深呼吸。次いで遠くで座り込むウォルフを見やった。
「…………」
足が震えるのも、一瞬。
シェイクとは比較にならないほどの威圧感はしかし、先ほどから丸みを帯びている。
それは勝負の最中には決して暴力という手段を用いないという証し。
つまり、いつでもどこでも誰彼構わずちょっかい掛けるシェイクとは違い、ウォルフ・エイブラムは一定の線引きを持ち合わせているのだ。ヒラの勝負を望んだり、曹玲のフェアという言動からも明らかだろう。
遊びはルールがあるからこそと、楽しみ方を心から知っている者の振る舞いだ。
ならば――
「あたしだって……!」
引かない。畏れない。怖がらない。
キッと眼に力を入れた神崎美琴は一縷も怯まず足を踏み出した。
「おい美琴」
背後から掛かる声に半身だけ向ける美琴。
「気楽にいけよ。失敗したってあんなヤロー、俺がぶっ倒してやっからよ」
「あんたこそ、気楽に構えてなさい」
美琴は微笑む。髪に結った華の髪飾りが陽光を受け止める。
「――力が無くたって、戦えるのよ」
イルカヘアーを翻しつつ、美琴もサイを拾って位置についた。




