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敗北、離脱、そして――

「さて、何から話したものか」


 釣り糸を川に垂らしながら、曹玲は烏羽色のポニーテールを風に揺らす。

 目を眇めて水面みなもを見やり、そのまま思案すること数秒間。


「……そうだな、まずはお前らと敵対する天使たちについて話そうか。大和よ、前に熊野で天使は元人間であると説明したな?」

「ああ。確か十個のセフィラがそれぞれ目に留まった奴を選ぶんだったな」


 第一ケテルは至高の王冠を有する者を。

 第二コクマーは精神、生命力を掌握できる者を。

 第三ビナーは有形、時の流れを。

 第四ケセドは慈愛を。

 第五ゲブラーは峻厳を。

 第六ティファレトは太陽を。

 第七ネツァクは勝利を。

 第八ホドは栄光を。

 第九イェソドは月を。

 第十マルクトは世界を支配する者を。


 選別された人間は天使へと新生する。

 その過程は様々で、まさに十人十色という言葉が相応しい。

 ある者は喜び、ある者は無言で従い、またある者は首を横に振った。


 しかしながら、それは天命なのだ。


 預言を叩き込まれ、あくまで彼らはセフィラの象徴へと迎合せねばならない。

 願いや意志など範疇の外である。

 ゆえ、年代によって生命樹の天使たちは才覚や年齢などもバラバラになってしまう。


 例えばシェイク・キャンディハートという幼童がいた。

 彼女の才能及び潜在能力は、歴代第十(マルクト)でもトップクラスであった。

 だが幼さゆえの思慮の甘さ、高慢さが仇となって自らの価値を地に堕とし、結果として力のしっぺ返しを喰らって死亡する。


 セフィラはその時々で最適な人材を集めるが、あくまで自己と向き合って能力を伸ばし、セフィラの象徴として君臨できるかは各天使の自覚と行動に委ねられている。

 相応ならば時代を超えて鎮座するが、使えぬならば塵芥よろしく斬り捨てられる。


「……とんでもねえ実力主義なんだな」

「だが真理だ。競争から脱落する弱者に用は無いということさ」

「真理ねえ……」


 釣竿片手に呟く大和に、同じく釣り糸を垂らす曹玲が目元に掛かった前髪を払う。


淘汰とうたを繰り返した今の生命樹セフィロトは、まさしく最強の一群と言って構わんだろう」

「……」


 思わず固唾を呑み込む大和。

 黄泉で死闘を繰り広げたシェイク(第十)を、そしてロゼネリア(第四)マッカム(第五)らの重圧が脳内にフラッシュバックされたがゆえだ。

 そして同時に、曹玲に対してとある疑問が浮かぶ。


「なあ、ちっと聞きにくいんだけどよ。あんたも元々は生命樹の一員だったんだよな?」

「ああ、そうだ」

「っつーことはよ……あーっと……」

「ふふ、気を使う必要など無いぞ。貴様の想像通り、私も淘汰されたに過ぎん」

「……」


 笑って言ってのける曹玲を見て、居心地が悪くなった大和は沈黙することしかできない。

 けれど、なおも笑う彼女の表情には強がりなど含まれていないことが窺える。


「とはいえ、私の場合は少々特殊でね。なんのかんので、この鳥に出会ったことで今の私があると言える」

「ケケッ。あんときのオメーはおっかなかったなー」


 ぬかせ、と不敵に笑う曹玲が、大和と美琴を見やって話し始めた。


「三年前だ。当時の私は生命樹セフィロト第七ネツァクとして、とある命を受けてここ日本に足を踏み入れた」

「命令……?」

「下してきたのはロゼネリアさ。今思えば業腹だが、天使だった以上、第四ケセドである奴の指揮に逆らうわけにはいかないからな」


 自嘲気味に笑みを零し、クンと竿を引いて魚を釣り上げる曹玲。

 針から外したそれをバケツへと放って、


「受けた命令は第六ティファレトを脅かすという太陽神アマテラス、及び他の八百万の神々を調査すること。言わば斥候せっこうだな。気乗りはしなかったが、その時はちょうど天使の入れ替えが激しい時期だったし、隣国ちゅうごくが母国である私に白羽の矢が立ったのも仕方がないと納得した」


 そして、第七ネツァクの天使、曹玲は日出ずる国へと降り立った。


「まず最初に感じたのは、やはり日本独特の空気の良さだったな。暖かくて、澄んで、心地の良い気候と雰囲気。……もっとも、素直にそれを噛みしめれば良いものの、当時の私はまあ、色々と跳ね返っていたものでね。ぬるま湯な国だと鼻を鳴らして拒絶してしまった」


 照れ隠しのように頭をカリカリ掻いた曹玲が、そっと空を見上げる。


「あるいは、根本的にどうにも馴染めなかったのかもしれん。陰鬱で血生臭い生活を送っていた私にとって、あの陽光は眩しすぎた」


 反転したセフィラを宿す天使はいわゆる堕天だ。曹玲も例に漏れず、障害となる者は葬ってきたし、何よりも当時の彼女は相当に血気盛んであった。


「カタギの人間を手にかけることは無かったが、軍隊相手に暇を潰したことは何度もあった。第七ネツァクのセフィラに選ばれたことを誇りに思っていたし、また当然だとも思っていたな」

「ケッケ。要はチョーシこいてたんだよなー」

「まあな」


 肩に乗る八咫烏やたがらすの軽口に苦笑で応える曹玲。


「とまあ、天照を祀るという伊勢に出向く気もしなくてな。かと言ってこの国では他国の者は歓迎され辛い。鬱憤は溜まる一方で、気付けば路地裏のアウトロー相手に憂さを晴らしていたよ」

「……今とイメージ違いますね」

「完全にチンピラだな」


 その状況を想像し、美琴と大和は若干引いていた。

 対する曹玲は再び釣竿を振り、ちゃぽんと音を響かせる。


「しばらくそんな生活を続けていたが、しかしいつまでもそうしているわけにはいかないと、ようやく伊勢へ向かおうと思い至った私の前に現れた御方がいた」

「……御方?」


 大和の疑問に「ああ」と答え、曹玲は纏う雰囲気を一変させる。

 それを感じて身体を緊張させる大和と美琴を目にしつつ、曹玲は一拍置いてから静かにその名を告げた。


三貴子みはしらのうずのみこいち素戔嗚スサノオさまだ」

「――ッ!?」

「――え!?」


 驚愕する二人。だがそれは無理からぬ反応であろう。


 素戔嗚スサノオ。国生みの神、伊邪那岐イザナギみそぎによって生み出された天照アマテラス月詠ツクヨミに続く三柱の末弟。

 その豪傑さは凄まじく、大地や海を苦も無く荒野に変えてしまうほど。姉である天照でさえ手を焼くレベルの闘神である。


「出会うやいなや、いきなり『死合おうぜ』と言われたよ。有名な武神だ、相手にとって不足は無いと受けて立った」

「そりゃまた超有名どころと……」

「ど、どうなったんですか?」

「ん? ああ負けたさ。あっさりとな」


 ボロクズのようにされてしまったよと、曹玲はからから笑う。

 生命樹の天使という、絶対的な存在ゆえの自信とプライドはその瞬間砕け散った。


「勝利を象徴とする第七ネツァクを宿していた私だ。負けず嫌いの気は自覚していたし、それなりにセフィラに迎合していたつもりだったんだがね。不思議と、地に伏しても不快な気持ちにはならなかった」


 それは気持ち良いくらい、完膚なきまでに叩きのめされたことも理由の一つに違いない。

 だが、それだけではないと曹玲は首を振った。


「なんだろうな……死にかけているというのに、素戔嗚さまの俗っぽい振る舞いにいつしか目を奪われたんだ。不遜な物言いになるかもしれんが、ヤンチャな小僧が見せるようなカラッとした振る舞いさ」


 すさぶ、という言葉と繋がりがあったのか、荒々しい行為によって八百万の神々を困惑させたエピソードを数多く持つ素戔嗚。

 だが、やはりそこは陽の女神の血族である。単なる狼藉者ろうぜきものとは違う、陽光を浴びるに相応しい英雄としての一面も備えているのだ。

 血の海に伏したまま、しかし曹玲はそんな闘神の見せる奔放さと荘厳さを一度に浴び、己が価値観を覆されてしまったのだ。


 お天道様に顔向けないとカビるぜと、素戔嗚はただ一言だけ曹玲に残した。


(ああ……)


 沁みた。その言葉は曹玲の全身を嫌というほど浸食した。


『くく……』


 笑える。座り込み、ボロボロの身体を揺らしながら自嘲の笑みを溢れさせる。

 自分はなんと愚かなのだろうと。所詮は風通しの悪い日陰でふんぞり返る餓鬼に過ぎなかったのだ。

 気が付けば素戔嗚は姿を消して、後に残るは陽の光に焦がれた手負いの少女。


 手のひら越しに空を仰げば、眩く温かい光に我知らず目を細めた。


『……気付かなかった。太陽というものはこんなにも雄大だったのか。……だが気付くのが遅過ぎたかな、傷が焼け付くようで少々苦しいよ』

『それなら、また日陰で休めば良いだけじゃない』


 いつの間にか、重傷の曹玲の側に一人の大男が佇立していた。

 驚かず、静かな口調のまま曹玲は続ける。


『あなたもソレを外して見上げてみるといい』

『残念ね、太陽から目を保護するからサングラスというのよ』


 サングラスを掛けた大男――第五ゲブラーのマッカム・ハルディートの声音は、ケガ人を気遣うように落ち着いていた。

 そして同時に、仲間に対する優しい調子も含まれている。


 だが――


『そうか』


 ククッと。自嘲するように喉を震わせ、ゆっくりと立ち上がってから一言。


『すまんなマッカム』


 謝罪の言葉とは裏腹に、その表情は直上の空のように晴れ渡っていた。


『私はもう戻ることはできん』

『なんですって?』

『ロゼネリアに言われてここまで来たのだろう?』

『……どうしてそう思うの?』

『あの女狐のことだ、裏切り者を生かしておくわけがない。それに元々私はあの女が気に入らなかったからな、奴も嬉々としてあなたに下知したことだろう。ついでに言えば、あなたは嘘を隠すのが下手だ』

『……』


 まっすぐ見つめられ、マッカムはしばらく閉口していたが、


『決意は固そうね。どうしても戻るつもりはないの?』

『馬鹿げた女王に傅くのは飽き飽きだ』

『そう……』


 一瞬だけトーンを落としたマッカムだが、次の瞬間には神気を爆発させていた。


『――それなら、アタシはロゼに言われたことを遂行させてもらうわ』

『……心地の良い鬼気だな。マッカム、貴様とは一度本気で戦ってみたかった。心身共にみっともない状態で済まないが――参るぞ』


 対する曹玲は怯まず、応じるように神威を絞り出して対峙する。

 超人と超人の睨み合い。

 猛獣すら逃げ出す闘気のぶつかり合いに大地は歪み、空間すらヒビ割れる。


 ――繋錠光輪。


 互いに呼応し、瞬く間に光の帯が生成される。

 生命樹セフィロトの天使群――セフィラを宿す第五マッカム第七(曹玲)の死闘の行方は――







『都合、百八十八回……。それだけ繰り出して……、仕留めたのがこれだけか……』


 大の字で地に倒れた曹玲が、虫の息よろしく右手の獲物を見つめていた。


 握られていたのは壊れたサングラス。

 それを得るのに払った代償は、どてっ腹に穿たれた大きな傷であった。

 腹から、そして口元から鮮血を垂れ流し、自身の血で溺死しそうになりながらも彼女は新鮮な空気を求めて生き繋ぐ。


『あの……オカマめ……、どういうつもりだ……』


 サングラスが取り払われたマッカムの素顔。その瞳に映る自分の顔。それを映し出すマッカムの表情は穏やかで、そして少し悲しげだった。


 ――これからは普通に生きていきなさい。


 その瞬間ゾクリとした。全身が一瞬で粟立った。

 慈愛すら感じる眼差しとは裏腹に、マッカムの拳に宿る念にひたすら慄然した。


 第五ゲブラーとは峻厳。そして破壊。

 攻防共に隙が無いそれはまるで重戦車。見る者全てを震撼させる暴力の塊。

 反論を許さない冷厳さを纏い、流動体すら砕き散らす剛掌が、曹玲という一体の天使を絶命させていた。


『力が……消えた……』


 仰向けのまま呟いた。その言葉は比喩ではない。

 頭上の光輪は疾うに消え去り、だけにとどまらず神気が欠片も発現されない。

 神力の喪失。マッカム・ハルディートの一撃は曹玲の力を根源から消し飛ばしていたのだ。

 圧倒的な暴力と重圧はあらゆるものを粉砕する。彼女の異能も、心すらも。


 横たわる瀕死の少女。今なら子犬にすら負けるだろう。

 ポニーテールはほどかれて、ざんばらのように散っている。その自慢の黒髪も、赤く汚れて鉄臭を放つのみ。


『普通……だと……?』


 一般人、いやそれ以下と化した少女がぼやくように発し、そして笑い出す。


『情けを掛けたつもりか……』


 こうなってしまってはもはや脅威足り得ない。

 謀反を企てた第七ネツァクの天使は死んだのだ。

 だから、後は人として好きに生きれば良いと。


『はは……。相変わらずあなたは……』


 甘い。敵味方の区別無く、マッカム・ハルディートは優しすぎる。

 その甘さ、情の深さに付け込まれ、いつかその身に不幸を呼ぶぞと、決別したかつての仲間に心中で忠告する。


『……ふざけるな』


 ゴボリと、血液と一緒に悪態を吐いた。


 こんな程度で、この私を屈服させたつもりか。

 ああ確かに無様であるさ。身じろぎ出来ず、四肢に力が入らず、指先すら動かせない。

 心も一度折れた。死すら意識し、受け入れようとした。

 だが、生憎だ。私は諦めが非常に悪い。


『生き方は自分で決めるさ』


 力はまた付ければ良い。心が折れたなら伸ばしてしまえば良い。

 何度も折られるようならば、形を変えて鶴にでもなって飛んでやる。

 沸々と血を滾らせ、意志の覚醒と共に強引に出血を止める曹玲に、能天気な声が掛けられた。


『ケケケッ、なんだ嬢ちゃん、死にかけだなー?』


 突如現れた黒い鳥。三本足と人語を有する怪鳥。


『……なんだ貴様は馴れ馴れしい。死にたいのか』

『こえーなオイ。それだけ粋がれりゃ上等だぜ。おめー、素戔嗚さまにボコされた挙げ句仲間割れだろー? 災難だったなー』

『それがどうした。……覗き趣味のクソ鳥め』


 そう邪険にするなよーと、羽ばたいた鳥――八咫烏は曹玲の側に着地する。


『日の本へようこそ。右も左も分からねえ、よちよち歩きのお嬢ちゃん。人になりたきゃ、まずは二本足で立ってみな』

『減らず口を――』


 挑発行為に眦を決した曹玲が、口の端から鮮血を垂らしながらも身体を起こす。そして腹の痛みは邪魔だとばかり、捻じ伏せて立ち上がる。


『ハア……、図に……乗るなよ畜生め……』

『大したタマだな、膝震わせてよー』

『貴様……!』


 相も変らぬ上から目線。激昂しかけた曹玲だったが、


『俺ぁこう見えてもお日様の化身だ』

『――っ!?』


 その言葉が、彼女の頭を冷却した。


『正確にゃ太陽神さまの使い魔だけどなー。嬢ちゃんにその気があるなら、俺がこの先を導いてやるぜ』


 他者を導く聖なる怪鳥、八咫烏。

 これが、光輪を失い地に堕ちた曹玲と八咫烏の出会いであった。

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